九
『ハクゲイが説明しているもんだと思ってた!』
総一郎は風呂から上がるなり、ハクゲイの部屋に呼び出され「夜の村」の話を聞く事となる。ちなみにハクゲイは美雪が村を案内した時に説明をしたものだと思い込んでいたらしい。
「すまなかったな。総一郎よ」
「いいえ、ですが<夜の村>とは?」
「…この世界には我々<鬼>のように人ならざるもの、<あやかし>が存在するのだが、それらは夜になると姿を現し人の血肉を好んで襲い掛かってくるのだ」
「……!」
<鬼が島>にも<あやかし>が出現するが、村にはハクゲイと美雪の敷いた結界があり家から出ない限りは安全だと言う。
『総ちゃんはてっきり部屋に居るものだと思っていたよ』
「ふん。…役に立たない猫だ」
『ラムウル酷い。いいもん今日から総ちゃんの猫になったから』
「は、どういう意味だ?!」
喧嘩をはじめるラムウルと美雪を余所に総一郎は真剣な眼差しでハクゲイに話しかける。
「あの…」
「なんだ?」
「皆さんも人の肉を好むのでしょうか?」
総一郎は以前ラムウルに<非常食宣言>をされていた事を思い出し、恐る恐る聞いてみたが、皆きょとんとした表情をしていた。
「そうか、まだ言っていなかったな。我らは<鬼>と名乗ってはいるが実質人間と変わりはしないのだよ」
『ハクゲイは恐ろしい見た目だけど普通のおばあちゃんなんだよ。年も七十九歳だし、千年位生きている様にみえるでしょ?』
「誰が千年生きた化石婆だ」
『化石までは言ってないでしょ?』
「言ったも同じだ」
『……』
目の前の鬼達は普通の人間と変わらないというが、ラムウルは手ぶらの状態から突然金棒を出したり、ハクゲイもラムウルに不思議な呪いや結界を張ったとも言っていた。これらの能力はこの世界では普通なのかと疑問に思う。
しかし今はそんな事よりも人を食うか食わないかが気になっていた。
「…人間と変わらないのなら人は食べないと」
「そうだな」
『僕も一応<あやかし>に入るけどラムウルの配下にあるから行動は制限されてるんだよね。もちろん人間を食べたいと思った事は無いよ』
「ったく今までの人間と変わらない食生活を見ていて気が付かなかったのかよ」
総一郎は馬鹿な質問をするなとばかりに本日二回目の睨みをラムウルから頂いた。
しかしながらそもそもの原因はラムウルの<非常食宣言>だったが、争いの火種を自ら蒔くのはいかがなものかと思い口を噤む。
「我ら<鬼>の一族が何故力を失ったかといえば千年以上も昔の話をしないといけんな」
******
千年以上前、<赤ノ鬼ノ一族>は百の<鬼>を率いながら千の<あやかし>を従え夜の街を練り歩く<百鬼夜行>を統べる存在だった。
<赤ノ鬼ノ一族>が妖怪を統べる事により統率のとれた<あやかし>達は、夜中に人里へ降りては夜歩きをする人々を襲い食い散らかす。そして妖怪を見つければ無理矢理にでも<百鬼夜行>の中へ引き入れ勢力を拡大していた。人々は<鬼>を恐れ、夜になれば外を出歩く事を止め、日々<百鬼夜行>に怯える毎日を過ごしたという。
しかしそんな生活も長くは続かなかった。人の世に<鬼>を滅する力を持つ者が生まれ<百鬼夜行>は瞬く間に壊滅状態へと追い込まれる。
そして<赤ノ鬼>は人である<滅する者>と戦い敗れ、存在する全ての<鬼>は力を封印されてしまう。
「<赤ノ鬼>と<滅する者>が最後に戦った島こそがこの鬼が島という訳だ。それからの時代、世界に残った我ら一族の行く末とは無残なものだった」
力を失いただの人間と変わらない<鬼>に待っていたのは、日の光を浴びても消えない身体と同格の存在であるはずの<人>からの差別や暴力で、奴隷の様な扱いを受ける者達もいた。
「因果応報というのだろうか? 先祖の犯した罪が現代に生きる<鬼>達を苦しめているのが現状だ」
「…………」
「我々が、怖いか?」
「…………」
「逃げるなら今のうちだ、一度だけ逃げる機会を与えよう」
「…………」
『総ちゃん、島の外に行けば<人>だけが住む<あやかし>の通り道も無い村もあるんだよ、無理してここに居なくても…』
「…………」
「お前も私みたいな乱暴な女と結婚するのは嫌だろう?」
「…………」
「あさってになれば大陸に行く船が出る。その気なら手配をしよう」
心にも無い事を口にしハクゲイは奥歯を噛み締める。出来れば総一郎にはずっとここに居て欲しいと思っていた。自分が死ねばラムウルは一人になってしまうだろう。
ーー彼の婿は拾い物にしては出来すぎていた。この家には勿体無い男なのかもしれない、ハクゲイはそう思いため息をつく。
「私は今まで通り…ご迷惑でなければこの村で暮らしたいと考えています」
「お前、正気か?」
総一郎はラムウルの問いかけに対して頷く、なぜかラムウルは表情を歪め舌打ちをした。そして今まで我慢をしていた美雪が総一郎に飛びつき押し倒してしまう。
「うわ!」
『うわ~ん、よかったよ~~! 総ちゃん出ていくって言ったら僕立ち直れなかったよ~!』
「や、山田君、重いよ…」
美雪は総一郎の頬を赤くなるまで嘗め回し、ラムウルが無言で金棒を振り上げるまで離さなかった。
「それと相談があるのですが…」
「何だ?」
昨日のカルメ焼きの話と今日子供達に恐喝され追いかけ回された事をハクゲイに話す。
「…ふむ。カルメ焼きとな」
「はい。砂糖と卵白を混ぜて重曹で膨らませただけの砂糖菓子です。昨日の余りですが」
居間の棚に置いてあった余ったカルメ焼きをハクゲイに差し出す。楕円状の砂糖菓子を二つに割りためらいもせずに口にした。
「ほう、面白いな。たしかにただの砂糖菓子だ」
「子供達には魅力的だったみたいです」
「そうだな、この村には駄菓子屋が無い」
「作り方などを親御さんに教える事が出来たらいいのですが…」
通常カルメ焼きは砂糖や卵白の分量をきちんと量り、温度計を使って適度なタイミングを計りながら作らないと成功しない。総一郎のカルメ焼きを作る技術は子供の頃に家で何回も失敗と成功を繰り返し得たものだった。
実際昨日も三回のうち一回は失敗して膨らまないカルメ焼きも何個か生産をしてしまったが、子供達はその失敗作すらも喜んで食べていたのを思い出す。
「そうか、難しいのだな」
「はい」
「少し対策を考えておこう」
「勝手な事をして申し訳ありませんでした」
「構わん。しかしこれは売れるな」
「え?」
「我々が作った農作物は大陸にある市場に持っていくんだ」
「はあ…」
総一郎は話が見えず曖昧に返事をする。ラムウルは「また商売か、業突く張りな婆め…」と言い興味なさげに美雪の眉間をぐりぐりと押し始めた。
「その市場でこのカルメ焼きを売ってみんか?」
「売れますかねえ…」
「さあな。…こんど収穫した米と野菜、カルメ焼きを持ってラムウルと二人で市場に行って来い」
「はあ!? なんで私まで行かなきゃいけないんだよ! いつも通り婆一人で行けよ!」
ラムウルは急に立ち上がり講義をした。しかしハクゲイは聞く耳は持ってない様で帳簿の準備を始める。
「私は行かないからな! 絶対、こいつなんかと行かないからなッ」
『ラムウル、ハクゲイお米百キロ持ってくって書いてるよ…』
「馬鹿な! そんなに売れる訳ないだろう?」
『関係ない顔してるけど総ちゃん、カルメ焼き五十個って記入してるよ』
「え、そんなに?」
美雪と一緒になってハクゲイの帳簿を覗き込んだが、恐ろしい事がつらつらと記されていた。そんなにたくさんどうやって持って行くのか気になったが、疲れていて聞く気にもならなかったという。