八
今日は畑の草刈と先日干した米の脱穀をするとハクゲイは言った。朝食を終えたあと今日は暑くなるからと言って玄関口でアメリは総一郎に二枚の手ぬぐいを差し出す。そういえば先日一人でカルメ焼きをした時も日差しがきつかったよなあと思いつつ、手ぬぐいを頭に被ると顎の下で結び、もう一枚は懐に仕舞う。
農具の入った籠を背負おうと立ち上がった時、後ろから声を掛けてくる者がいた。
『今日は早いね!』
「草刈をするんだって」
『うへぇ、暑そう~』
「早い時間からしないとバテちゃうからね…」
『がんばってねぇ…それはそうと総ちゃん、前から思っていたんだけど』
「ん?」
そろそろと廊下から近づき、話しかけるのは美雪だった。玄関から下り、総一郎の周りをくるりと一周して目の前に座る。
『総ちゃんの世界の人達はそうやって皆手ぬぐいを被るの?』
頬を隠すように顎の下で手ぬぐいを結ぶ被り方は「頬被り」と呼ばれ、汗をかいた時に拭わなくてもいいように総一郎はこの被り方をしていた。
たしかに日本の若い年代の者達は「頬被り」ではなく、後頭部の辺りで結ぶ通称「海賊巻き」をしていた気がすると総一郎は思った。
「自分の居た所では若い人はあまりしないかなぁ、おじさんとかおじいさんとかはしているかも」
『ここでもそうだよ…』
「でも作業してたら汗かくし、拭っている時間も惜しい時があるから」
『……』
「おかしい?」
『ぜ、全然ダイジョウブダヨ…僕はそんなダサ、じゃなくて働き者な総ちゃんが素敵だと思う…』
何かを誤魔化すように総一郎の背中に頬ずりをすると白い虎は再び玄関から座敷へと上がっていったが、何かを思い出したのか襖の間から顔を覗かせ『またお昼になったらご飯持って行くね』と器用に前肢を掲げながら言った。
屋敷から田畑の広がる村へ下るにはちょっとした山道を通らなければいけない。急な斜面になっていて、人一人辛ろうじて進める位の狭い道を二十分ほど進んだ先に豊かな農村はあった。
高台の家人はおのおの農作業をする道具と水筒が入った丸い筒状の籠を背負い山を下る。向かう先は畑で、日が高くならないうちに除草作業を終わらせるらしい。
畑に着くと皆無言で作業を開始した。
草刈りは高校生の時以来で十六年ぶりだった。雑草を抜きながらこの世界の生態系は元居た世界とあまり変わらないんだなぁとオオバコのような植物を摘み上げ観察した後、背中にある籠に放る。そんな地味な作業を日が高くなるまで黙々と進めていた。
「おい」
「はい?」
急に影が出来たと思い顔を上げればいつのまに近づいたのかラムウルが総一郎の前に居た。何をしに来たかと思ったが、手元をびしっと指をさされつられて視線も自らの手元へ移動する。
「さっきからお前がせっせと抜いているのは白菜の芽だ」
抜き取った雑草の山をよくよく見れば何本か白菜の小さな芽が紛れている。
「あ、本当だ」
「……」
白菜は総一郎の祖母も作っていて種まきや間引きも手伝った事がある。しかし畑にはネキリムシという害虫がいた為、直接種は畑に蒔かずポットの中である程度大きくなるまで育ててから植えていた。事前に野菜の芽を植えていると聞いていなかったので、雑草に紛れて白菜の芽があるとも思いもしなかったのだ。
「まったく。苦労して植え…」
「馬鹿者!」
「いっ!」
ラムウルの頭をおもいっきり叩いたのは彼女の祖母だった。叩かれた頭を抑え振り返りハクゲイを睨んだが、当の本人はそれを無視して白菜の芽が含まれた雑草の山をまとめて掴むと総一郎の籠へ放った。
「なにすんだ、クソ婆!」
「だれがクソ婆だ」
「婆は一人しか居ないだろう!」
「口の減らぬ娘だ。誰がこんな植え方をしろと言った」
「はあ?」
ハクゲイは総一郎の掴んでいた白菜の芽を奪うとラムウルに差し出し見せた。
「葉がやられておる、害虫だ。白菜の種は畑に直接植えるものではない、と説明した筈だが?」
「そんな昔の事覚えてる訳ないだろう!」
まだ除草が終わっていない範囲を見渡すと、ポツポツとまっすぐに白菜の芽らしきものが生えているのを確認出来る。
白菜の種は胡麻よりも小さい、一粒一粒丁寧に植えるのは気の遠くなる作業だという事は予想出来た。
ラムウルもわざとやったのではないのだろう、そう思い話題を変える為総一郎はハクゲイに話しかける。
「こちらでもハクサイ…シロナを作る時は種を沢山蒔いて間引いたりするんですか?」
「そうだな。はじめは小さな鉢に10粒程蒔いて育て、芽が出たら二回に渡って間引き、ある程度大きくなってから畑に植えるんだ」
「……」
「ラムウルよ、お前よりも総一郎の方が詳しいではないか!」
「ふん…!」
助け船を出したつもりがかえってハクゲイに怒られてしまう展開になり、総一郎はラムウルに睨まれてしまった。
結局今日は脱穀まで行き着かなかった。昼食を食べた後は白菜の種蒔きをして、脱穀をするには時間的にも微妙だった為畑を軽く耕して一日の仕事を締めくくる。
この世界の土は総一郎の知っているものと違い硬く、重たい。耕すのも一苦労だった。日が沈む頃になれば腰が悲鳴をあげ、歩くだけで体に痛みが走った。
辺りは夕暮れ時になり、太陽も橙色に染まる。ラムウルとハクゲイは先に帰ると言い、皆の刈り取った雑草を一つの籠にまとめ、総一郎は村のはずれにある焼却炉まで一人歩く。
ーー早く家に帰ってお風呂に入り眠りたい、そんな風にぼんやりと考えている総一郎の前を遮る者達がいた。
「おい!ラムウル様の手下!!」
村の子供達だった。どこに隠れていたのかぞろぞろと出てきて総一郎を囲む。
「この前のアレをまた作れ。今だ!」
先日ラムウルは総一郎に「お前、大変な事になるぞ」と言われその時は何の事か分からなかったが、こういう事だったのかと脱力する。
今日はさすがに子供達の相手をする元気など残ってはいなかった。
「あ!」
鬼の子供達の後方を指差し注意を向けると何事かと後ろを振り返る。その隙に総一郎は来た道を全力で走った。
古臭い気の逸らし方だったが、子供相手には有効だったようだ。
「あ~~!」
「逃げたぞ、追え!」
逃げる総一郎を子供達はどこまでも追いかけて来る。背中の籠には雑草が入ったままだったが捨てに行く暇など無く三十分ほど追いかけ回される羽目になってしまった。
しかし突然子供達は追いかけるのを止め、居なくなる。これ幸いと一気に山道の入り口まで逃げ込み、後はゆっくりときつい斜面を登った。
「はあ、はあ、はあ……」
体力、精神、見た目と全てにおいてぼろぼろの状態で高台までの山道を登り、屋敷の灯りが見えれば安堵のため息が思わず出てしまう。日も沈み月明かりがまぶしい夜だった。
玄関の引き戸には若い娘のシルエットが映し出され、腕を組み仁王立ちをするのは間違い無くラムウルだろう。
帰りが遅かったから怒っているのだろうか、雑草の入ったままの籠を下ろし引き戸に手を掛けた。
「……ただいま戻りました」
「ーー今まで何をしていた?」
「村の子供達とリアル鬼ごっこを…」
本物の鬼に追いかけ回されるという貴重な体験はラムウルには理解して貰えなかった様で、彼女は眉間の皺をさらに深める。
「ほんの三分前位にお前が居ないのに気が付いた。あと一分待っても帰らなかったら探しに行く所だったぞ」
「す、すみません」
「お前、ここで死にたいのか?」
「え?」
「本当に運がいい」
「??」
「でなければ五体満足である筈がない」
「…あの、何の事でしょうか?」
「は?」
「?」
「…もしかして婆さんお前に夜の村の説明をしていないのか?」
「夜の村?」
呆然とする総一郎を前にラムウルは「おい婆!」と叫びながら奥の部屋へと消えて行った。そして入れ替わるようにアメリが現れ「篠宮様、お湯の準備が出来ています」と桶に入った着替えを渡し、外から風呂に行くよう促す。
よく見れば全身泥だらけだった。