五
「あの、明日から何かお仕事を頂きたいのですが」
夕食時、総一郎はハクゲイに相談をした。ラムウルの胡乱気な視線を感じたが気にせずに話を進めた。
土手の上で「結婚をしない」と叫んだ後ハクゲイの刻んだ呪いに五分間苦しみフラフラと家路についたラムウルは夕食の時間にはケロりとしていて、総一郎の罪悪感を拭ってくれた。
「では明日の稲刈りでも手伝ってもらおう」
「こんなもやしっ子に稲刈りが出来るかよ」
里芋の煮付けを頬張りながら言われる言葉に、苦笑いするしか無かった。
総一郎の着物の袖から見える自らの腕はこの村の男性よりも白い。元々仕事で外回りをする事も多く、太陽にあたる機会も多かったが昔から日焼けしにくい体質で、長い時間直射日光を浴びても肌が赤くなる程度だった。確かに頼りなく見えるかもしれないし、体力も自信がある方ではないので、もやしっ子に変わりは無いと総一郎は考える。
「しかし人手は多い方が助かる。総一郎よ、明日は頼むぞ」
「はい」
『ハクゲイ~ 僕は行かないよ』
「誰もお前に期待はしとらんよ」
ハクゲイの冷たい言葉に美雪が拗ね、慰めて欲しいのか総一郎の背中に顔をスリ寄せた。そしてぶつぶつと文句を言いつつ部屋から出て行ってしまう。
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翌日、田んぼに行けば十人程の鬼の子供がいた。どうやら稲刈りの立派な戦力らしい。ハクゲイが総一郎はラムウルの夫だと紹介すれば子供達は群がって来て、「ラムウル様といちゃいちゃしているの」とか「ちゅーはした?」などと、どこで覚えたのか際どい質問をぶつけてくる。
「馬鹿か、お前らは」
どう切り抜けようか考えている所にラムウルからの助け舟が出された。さっさと散れと手を振りながら子供達に命令をしつつ、手袋を嵌めたりと作業にかかる準備を行っている。 そんなラムウルは茶摘み娘の様な恰好をしていて、紺の着物に赤い前掛け、裾が邪魔にならない様裾除けで捲り、足元は足袋と草履という完璧な農作業をする為のスタイルだった。
一方総一郎は寺の僧侶が来ている作務衣の様な着物を纏い、頭には前髪が邪魔にならない様手拭いを顎の下で結ぶ。この巻き方は頬被りというと子供達が総一郎に教えてくれた。
はりきって始めた稲刈りも、作業開始から四時間程で総一郎の腰は限界だと訴えている。
ーー稲刈りの経験はあった。しかしほとんど稲を刈るのはコンバインで総一郎の仕事といえば機械が刈る事が出来ない端に生えた稲を刈る位で、一時間もあれば終わってしまう作業だった。 ぐうっと体を伸ばし空を見上げれば太陽は真上にありそろそろお昼になる時間だと考えていた。そんな時にタイミング良く現れたのは白い雄虎、美雪だった。
『総ちゃん、お昼ごはん持ってきたよ〜』
美雪は大きな風呂敷を首に巻き付け荷物を背負っていた。重そうなそれを総一郎は美雪の背中から外す。
「あ! 美雪様だー」
「触りたい〜」
「かっこいいー」
『ゲッ…』
子供達が美雪に気がつき近寄ろうとすれば総一郎の耳元で『子供苦手だから帰るね』と囁き、高台の屋敷へと帰って行った。
お弁当は海苔を巻いただけの塩おにぎりと甘い味付けの卵焼きだった。おにぎりの塩気が疲れた体に染み渡る様で総一郎は一人用意されたお弁当に舌鼓を打っていた。
ラムウルが総一郎に近寄るなと言ったおかげで静かな休憩を過ごす事が出来、密かに感謝した。子供は好きな部類だったが慣れない稲刈りに体力を奪われ子供の相手をする余裕はない。もう自分は昔の様な無限の体力は無いんだなあと一人切なくなる。
「飯はたりているか?」
そんな総一郎の前に現れたのはハクゲイだった。竹筒にいれたお茶を手渡し隣に座る。総一郎は貰ったばかりの飲み物を早速口にした。竹筒の中身はお茶だったが、日本で飲みなれたものとは風味が違うように感じた。
「これは?」
「山茶だ」
「山茶?」
「ああ、山に自生する茶葉だよ」
「へえ、珍しい。山にお茶の葉が生えるんですね」
「まあな。しかしここでは珍しくもなんとも無いが」
ハクゲイの薀蓄を聞きながら、目の前の畑を見渡す。田んぼの稲は残り全体の三分の一といった所で、残り一時間もあれば刈り取ってしまうだろう。しかしそれだけで終わりでは無い。刈り取った稲を天日干しする為にハザと呼ばれる竹で出来た物干し竿の様な物をつくり、稲を干さなければならない。まだまだ先は長かった。
「後悔をしていないか?」
「はは、少し。稲刈りがこんなにしんどいなんて」
「いや、脅されて無理矢理孫の婿になった事だ」
総一郎を見つめるハクゲイは頬被りをしているせいか角が隠れどこにでもいる老婆に見えた。しわくちゃの手先は荒れ、働き者の手をしている。
「実は私の世界にも鬼がいたんです…」
総一郎の家族が事故にあい死んでしまったのは彼が小学二年生の時だった。会った事も無い親族の誰もが引き取って育てるのを拒否し、総一郎は様々な地をたらい回しにされた。最後に向かったのは絶縁したと言われていた父親の実家で山奥にある静かな農村だった。
都会暮らしをしていた総一郎は平屋立ての家が珍しく、縁側の外には広い庭があった。鯉が泳ぐ小さな池があり、鶏の小屋が端にひっそりとあって木や草花も茂っていた。
総一郎の祖父は5年前に他界、この広い家には祖母しかいなかった。総一郎を連れまわした父親の弟はしきりに時間をきにしている。少年は一人縁側に座り足をぷらぷらと遊ばせていた。
ふいに鶏小屋から鶏たちのせわしない鳴き声が聞こえて来た。総一郎は庭の端にある鶏小屋に注目した。小屋には人影が一つあり、その人影は小屋から出てくると暴れる鶏を片手に持ちずんずんと縁側に近づいて来る。逆光で良く姿が確認出来ず目を擦っている間に人影は直ぐ目の前に居た。
「ひっ」
総一郎は悲鳴を飲み込む。
目の前に居たのは頬被りを被った老婆で右手には包丁、左手には暴れる鶏を握っていた。その姿は昔話に出てくる〈鬼婆〉そのものだった。
「怯えるな。お前をわざわざ取って喰うつもりは無い」
怯える総一郎に老婆は声をかける。しかし包丁をしまう気は無いらしく話をする間も総一郎は気になって仕方が無かった。
そうして祖母は包丁片手に総一郎に脅す様に「うちの子になるのか?ならないのか?」と聞いて来た。断れば自分が食べられてしまう様な気がして深く考える暇も無く即座に首を縦に振った。
「…という訳で鬼に脅されるのは二度目で、最初の鬼は厳しくて恐ろしかったんですが、良い鬼だったんです」
「そうだったのか」
ハクゲイの手は総一郎の知る鬼の手と同じだったと言う。
「…祖母の手も荒れていて、いつか孝行が出来たらと思っていました」
しかしその思いは叶わなかった。祖母はある日事故に巻き込まれ亡くなってしまう。
「何だか不思議で、ハクゲイさんが他人とは思えなくて」
後悔など感じていなかった、むしろ昔を思い出し懐かしく思っていた。総一郎が育った祖母の家はもう存在しない。叔父が土地を売却し、今では更地になっている。
「だから幼い頃やろうと思っていた事をここで出来たらいいなと思っています」
祖母の跡を継いで農業をして毎日を暮らす。それが総一郎の親孝行だと考えていた。もう出来ない事だと思っていたので、今の状況を不思議に思う。
しかしハクゲイは祖母では無い、しかし似ている所がたくさんある。どうしても他人には見えなかった。
「二人して何サボってるんだよ!」
田んぼからラムウルの声が聞こえる。総一郎は立ち上がり背伸びをすると作業を再開した。太陽はまだ高い位置にあり、これからが本番だとハクゲイは言った。