四十四 幕間ー2
女性が部屋を出て行ってから五分ほど経った。あまりご婦人の部屋をきょろきょろ見るものでは無いと思い、大人しく正座をして待っていたが早くも足先に限界が訪れる。体勢を崩して自らの所持品の確認をするも、懐には財布しか入っておらず、しかも中身は給料日前という事情もあり銅幣五枚(五百円相当)という寂しいものだった。
どこだか分からない場所で所持金銅幣五枚という心許なさから一気に不安になり、がっくりと肩を落とす。そしてふと畳の上にあった開封済みの手紙に気付き、住所が書かれていたので所在の確認をさせてもらった。
(……え?)
手紙には見慣れない地域が記されている。
(かごしま…?)
住んでいる人が西国の人間だったので、伊集院家の人間に西国の方へと拉致でもされたのかと思っていたが、漢字で書かれた住所を見て間違った考えだと気がつく。
ソウとて東国すべての領土の位置を把握している訳では無い。しかし周囲を観察してみればここの住人とは言葉が通じるだけで、服装や部屋の品を見る限り、文化水準など違っているように思えた。
(ま、どうでもいいか)
いくら考えても答えは出て来ないので思考を中断し、再び頭を空っぽにして女性が戻ってくるのを待った。手紙を元の位置に戻そうとした時、宛名の名前に違和感を感じてしまう。
(山田…ようこちゃん? じゃなくてひつじこちゃん? さすがにおかしいか。羊毛とかいうからやっぱりようこちゃん?)
手紙には<山田羊子様>と書かれている。はじめは<ようこ>かと思ったが、横にある三水が無いのでこの文字は<ひつじ>だと考えつく。畳の上に放り出されたままになっていたバットにも<山田羊子>と、同様の名前が記されていた。
「早く戻ってこないかな~」
そうひとり言を言った瞬間に襖が勢い良く開かれ、ソウの体は驚きで震えた。
「ハイ! 鬼さ~ん此方?」
「は?」
「ち、ちょっと婆ちゃん!!」
ご機嫌な様子で襖を開けたのはまたしても西国の特徴を持つ者で、齢七十は過ぎているであろう老婆だった。
「おお~羊子さん、彼には角無いヨ? 本当に鬼さん?」
「待って、ガッつかないで!」
白髪頭の老人はソウを見るなりがっくりと落ち込むような様子を見せ、ラムと呼ばれた女性は慌てて知らない人間に寄っていこうとするのを止めていた。
「ラムさん?」
ソウは羊子という文字を差しながら女性に問うが、無言で宛名の書かれた手紙を奪われてしまった。そのやりとりを見た老婆は初対面の人に会ったらしないといけない行為を思い出す。
「そうだ、自己紹介まだでしたネ。私は山田ハクゲイいいまス。アメリカ人でス。この娘は羊の子と書いては羊子さんといいまス」
「これはこれは、ご丁寧に。自分はソウと」
「ねえ、何暢気に自己紹介し合っているの!? 婆ちゃん、この人不審者だよ? 早く警察に」
「ソウさんは<鬼>さんなんですよネ?」
「ええ、まあ」
ソウは問いかけられるがままに頷き、ついでに鬼の姿を封じている眼鏡を外して見せた。
「オオ…!」
「……」
ソウの鬼となった姿を見たハクゲイは感嘆の声をあげ、羊子は訝しげな視線を投げかけている。
「羊子さん、<怪>は本当に居ましタ! 誠司さん嘘つきなかった!」
「…そうだね」
ハクゲイ曰く彼女の亡き夫は祓魔師と呼ばれる、人に取り憑いた悪霊などを祓う仕事に就いていたという過去があり、依頼があった色々な地域を休み無く回っていた為家にはほとんど居らず、たまに帰っては御伽噺のような不思議な話をハクゲイや羊子に語っていたという。
「誠司さんは、河童、化け猫、一反木綿、鬼、本当に居る言ってましタ!!」
「……」
「……」
興奮状態のハクゲイはソウの手を握り、お礼を言っていた。そして落ち着きを取り戻したハクゲイにソウは気がついたらこの部屋に居たという事情を伝え、また彼女らに害を与えるつもりはないと主張した。
「フーム。気がついたら、ですカ。不思議ですネ」
「そんな話信じられるものですか!」
「羊子さん、でも目の前に鬼はいまス」
「……」
ソウにとってこの場所がどうにも奇妙な場所である事には変わり無い。彼女らは<あやかし>の存在を初めて見たと言い、言葉は通じるが服装は見た事もない品を身につけている。そして聞いた事の無い<かごしま>という地名も謎を呼んでいた。
「それよりもまず、ここが何処だか分からないんだけど」
「ここは中種子ですヨ」
「なかたね?」
「エエ」
「鹿児島県熊毛郡中種子でス」
「…くま?」
「ここはザックリ言えば種子島デス」
「ーー鬼ヶ島?、ってシロクマ領の東方にある島の事?」
「ンン、シロクマ…?」
「種子島だから」
鬼ヶ島とはシロクマ領から連絡船で四時間ほどで行ける島で、迫害された鬼がひっそりと隠れ住んでいる場所だと聞いた事があった。
「ここが鬼ヶ島って事は君たちは」
「だから鬼ヶ島じゃなくて」
「おお! 鬼ヶ島、知ってまス。むかし~むかし~ある所に~浦島太郎という青年が~」
「婆ちゃんその話鬼ヶ島に行かないから!! ここ、<鬼ヶ島>じゃなくて<種子島>!! 鬼、じゃなくて種、分かった?」
「…たねがしま?」
「そう!」
羊子は本棚に挟まっていた紙を取り出してソウに緑色に塗りつぶされた絵を見せた。
「現在地はここ! あなたはどこから来たの?」
「それはもしかして地図?」
「もしかしなくても地図!」
細長い四つに分かれた島国のような地図を示しながら、ソウに何処から来たのかと訊ねる。しかしソウは花の街近隣の地形が描かれたものは見た事はあっても、東国全体の地図を見た事は無かった。
「分からない」
「え?」
「東国全体を示す地図は一般市民には出回っていないから」
「とうこくって何?」
「この国の事だけど」
「ここは<とうこく>じゃなくて日本…」
「にほん?」
「どういう事ですカ?」
「ねえ、さっき言ったシロクマ領周辺の地図って書ける?」
ソウは無理だと首を振る。そもそも地図というものは多く出回っている品ではなく、各地を行き来する商人などが高い金を出して所有するものだと説明した。
「シロクマ領の周辺地域の名前なら言えるけど…トリテン領にトリナンバン領、アリタ領、メンタイ領、バサシ領、カステーラ領にシロクマ領の七つの領土からなる大きな島」
「……」
「何か間違ってた?」
羊子は今まで感じていた違和感の正体に気がついた。
「ーー婆ちゃん、この人…多分だけど違う世界から来たんだと思う」
「ンン?」
「日本とは違う世界から来た…」
「もしかして<迷い人>ーーという事ですカ? 前、昔に誠司さんから聞いた事あっタ」
<迷い人>とは異世界からこの世界に何らかの理由でこの世界に迷い込んで来てしまった存在だとハクゲイは話す。
「<迷い人>か…なるほどねえ」
ソウは自分の居た世界から異なる世界へ飛ばされてしまった、というのならこの訳が分からない状況にも理解が出来る気がした。
「しかしこれからどうすればいいのか」
地名が判明しているだけでここがどこだか分からなければ、帰り方も分からない、目の前に居る異世界人はもちろん他人でソウを助けてはくれないだろう。それに<あやかし>が居ない世界というのだからソウはどこに行っても化け物扱いをされる事は安易に想像出来る。
「ソウさん、ここに住めばいいヨ」
「は? 婆ちゃん何言ってるの?」
「私も日本に来たばかりの頃、住む場所も無いを、誠司さんに助けてもらいましタ」
「いや、爺ちゃんは下心あったからでしょ」
「羊子さん、今度はワタシが助けまス」
「いやいや、こんな怪しい人と一緒に住むなんて…山田家の本家に突き出せば何とかしてくれるんじゃない?」
「もう決めましタ!」
「でもいきなり男の人が住む事になりましたって言って近所の人が怪しむでしょ?」
「大丈夫でス!」
「?」
「羊子さんのオ婿さん言うです」
「はあ!?」
ソウを置いてけぼりにして話がどんどん進んで行くのを、当の本人は我関せずと傍観していた。女性同士の話に首を突っ込んでは怪我をするというのは過去の経験から学んでいたからだった。
「東京のママさんからのお誘い、困ってましたネ? 婿を取った嘘言えばキット諦めル」
「……でも、知らない人だし」
「もう言い訳無い言ってたネ?」
「そうだけど」
「それじゃ決まりネ」
「……」
「ソウさん、この子、困ってるネ。婿さんの振りする代わりにここ住ム」
「……彼女の婿役をする代わりにここに住んでいいと?」
「イエス!」
現状、この世界の事が分からないソウはハクゲイの誘いに頷くしか道はなかった。




