四十三 幕間-1
「ソウよ、伊集院家の一の姫にして我が娘綾華はな…」
ーーどうしてこうなった?
机の上に用意された豪華な食事と着飾った四十代の女性、そして機嫌良く酒を飲む花の都の大名を前に呼び出された男、ソウは現状の不思議に首を傾ける。ここに来るまでは同僚から昇進のお祝いの席を用意したと聞かされていただけで、通された部屋の中にまさか大名とその娘が待っていようとは思ってもいなかった。
騙されたと奥歯を噛み締めるが、四十七歳の姫君の結婚を迫られるという状況が好転する訳ではない。そもそもこうなってしまった原因を作ったのはソウ本人だった。
ソウは花の都に隠れ住む鬼の<あやかし>で、幼い頃に両親を亡くし父方の祖母に引き取られて育つ。彼の祖母は<人>で鬼という<あやかし>についての知識は無く、だからといって差別する事も無く淡々とソウを養育した。
古い文献では鬼の一族は<百鬼夜行>を率いた罰として<あやかし>としての力を封じられたと記されていたが、ソウは夜外に出て月明かりを浴びれば姿が変化し、<真なる鬼>となる力を有していた。どうして失ったとされる力が自分にはあるのか?そのソウの疑問に答える事が出来る者は村の中には居なかった。
祖母が亡くなり村を追い出された後は<あやかし>と<人>の合いの子が働き暮らすという花の都に移り住む事となる。その街にも鬼が数人住んでいたが、どの鬼も人ならざる者の外見をしているが<あやかし>としての力は失っていると言っていた。
他の鬼の現状を知り、ソウの<真なる鬼>の謎への追求心はますます強まり、大名が<あやかし>についての書物を大量に有しているという噂を聞けば、様々な手を使って潜り込み働きつつも、ある程度信頼してもらうまでの地位も手に入れた。
ようやく上層部の人間から手に入れた情報で分かったことといえば、<あやかし>の書物が閲覧出来るのは伊集院家の人間のみで、中級臣下であるソウには手の届かない代物だという話だけだった。その当時三十を過ぎていたソウは十年もの間伊集院家に仕えていた事になり、無駄な時間を過ごしたと一人嘆く。
しかしながらそれで諦めるソウでは無かった。数年前から一の姫に声を掛けられる事があったソウは、彼女を利用して<あやかし>の書物が保管された部屋へ入る事に成功する。その行為によって一の姫が良からぬ誤解をしているというのも気付いていたが、長年抱えていた疑問が解消されるのでは?という欲求心から、視界の端に移りこむ女性の存在などいくらでも見ない振りが出来た。
結局伊集院家の書物庫には<真なる鬼>について書かれたものは存在せず、唯一得たものといえば一の姫の愛というまったくもって重過ぎる心の枷だったという。
「うっうっうっ…ソウ君私にはっあ、あなたしか居ないのよおおおお!」
ソウが物思いに耽る間に、現場の盛り上がりは最高潮に達していた。酒に酔った綾華はいつの間にかソウの隣まで迫ってきており、全体的に豊満な体を擦り寄せている。ソウはぞわりと身の毛がよだつ感覚に襲われていたが、必死に我慢する。
(ーーここは地獄だ)
そうだ夜逃げしよう、とそんな事を考えつつ綾華の甘えるような声を、心の中で念仏を唱えてかき消す努力をしていた。
「お父様、ソウ君と二人きりになりたい」
とんでもない事を言い出す綾華をまたまたと笑いながら流そうとしていたが、大名はあっさりと部屋から去っていってしまう。
「やっと二人っきりになれたね、ソウハク君」
「え?」
何で本当の名前を知っているんだと綾華を睨んだが、書庫に入る為の口説き言葉の一つとして教えたんだったと思い至り、本人を前に舌打ちする。
「ソウハク君?」
「あ、いいえ、なんでも」
舌打を「なんでも無い」と言って誤魔化せる訳が無かったが、にこりと微笑みながら綾華の瞳を見れば何でも許して貰える事をソウは知っている。
「そう? うふふふふふふ」
(この姫様チョロすぎる…)
頭の中に万年お花畑が広がっている綾華を前に、さっさと潰してしまおうと鍋の中から熱燗の入った徳利を取って差し出す。大名が部屋を出る際に奥にあった襖を少し開けてから出て行くという謎の行動をしていたが、よくよく開かれた部屋を覗き込めば二組の布団が敷かれただけの空間が用意されていて、ソウは額に汗をかきながら必死に酒をすすめる。
「ねえ、そんなことより」
「うっわ!!」
突然綾華はソウに全体重をかけて抱きついてきて、その身体を受け止めきれずにそのまま背後に倒れ、転倒した際に後頭部を強打し、あろうことか意識を手放してしまった。
◇◇◇
「ぐえ!!」
暗闇の中何かに鳩尾を踏まれソウの意識は覚醒する。
「え?」
少し低めの女性の戸惑いの声と共にソウの視界はぱっと明るくなる。
「……」
「……」
ソウは一人の女性と目が合う。その女性は天井に吊るされた灯りの紐を掴み、ソウの鳩尾を踏みつけたまま琥珀色の瞳で見下ろしている。下を向いたことによってさらりと流れる髪は短く、首筋に少しだけかかる程度の長さで、茶色と赤が混じったような髪色をしていた。肌もそこらに居る黄色といわれる東国の<人>よりも白く、西国の<人>かとソウは考えていた。
「ーー誰?」
女性にしては低い声で問いかけられる。今まで綾華の猫なで声を聞いていたので、その声がソウには清涼剤のように感じられた。
「あなた、誰?」
しかしそんな悠長な事を考えている暇は無かった。頭上の女性は近くに置いていた鉄の棒を手に取り、振り上げてソウに存在を問う。
「あなた、なんで私の部屋に居るの? いくら田舎だからって知らない人の部屋に勝手に上がりこんでいいと思っているの? っていうか何で鬼のコスプレしているの?」
「ま、待って、その鈍器下ろしてから話そう!!」
「これ、鈍器じゃなくてソフトボールのバットだから」
「そふとぼーる?」
なにやら聞きなれない単語を言いつつ、女性はバットと呼ぶものを振り上げたまま下ろそうとはしない。冷静になって周囲を確認すれば、ソウを押し倒した綾華は居らず、部屋の内装も変わっていた。そしてソウを踏みつけながら鈍器を構える女性の服装は見た事も無い服装をしていた。上は白く薄い素材で、袖は二の腕辺りまでしかなく腕はむき出しになっていて、身体の線が透けて見えるソウにとって嬉し眩しい一品だ。そして下は見た事の無い膝丈で筒状の衣服しか纏っていない。
「素晴らしい脚だ、ぐわ!!」
筒状の服からすらりと伸びる長い脚を眺めながらソウはしみじみと呟いたが、その言葉が鈍器を振り下ろす合図となってしまった。
「痛い痛い痛い痛い地味に痛い!!」
ソウは殴られた額を押さえながら畳に上を転がり回る。最後は箪笥にぶつかり、上から落ちてきた書物を顔面に受け、沈黙した。
「な、何? 今の手ごたえ?」
「?」
「その角、何?」
バットはソウの額には当たらず、左右に生える角に当たった。その感触を女性は不思議に思っているようだ。
「あれ? これすごいね」
女性の様子を無視してソウは起き上がり、落ちてきた書物を熱心に見つめる。
「これ西国の光画でしょ? こんなにいっぱい撮ってお金持ちだなあ」
「え?」
ソウの顔に落ちてきたのは白い猫の姿が納められた数十枚の光画が収められた本だった。光画とは西国の科学者が発明した品で、光や放射線などのエネルギーを使って景色などの光景を紙などに写し、いつでも視覚可能な状態で保存出来る道具として花の都にも渡ってきたが、一枚の撮影に五十銀幣と高価な為に庶民には届かないものと認識されている。ちなみに人物は光画に収まると魂を抜かれるという噂が出回り、写りたがる者は居ないという。
「こうが?」
「うん。この猫ちゃんも美雪っていうんだね」
本の表紙には<美雪三年目から六年目>と記入されていた。
「その子、よしゆきじゃなくてみゆき…」
「ああ、ごめんね! やっぱり美しい雪みたいだから美雪なの?」
「し、知らない…爺ちゃんが貰って来た猫だから」
「そっか」
その時ソウは紛失したと思っていた眼鏡を見つけ、何の気なしに掛けた。この眼鏡は<あやかし>が<人>の姿を取る為の道具で、一瞬で白い鬼の姿から<人>へと変化を遂げる。
「な!?」
「ん?」
黒い瞳に黒い髪というどこから見てもだたの<人>の姿になったソウを、目の前の女性は驚いた表情で見つめていた。
「あ、ああ、あなた、そっそれ、コスプレじゃ……?」
「こすぷれ?」
「ッ!!!!」
女性は手にしていたバットを手から落とし、部屋から出て行ってしまった。
「ーー綺麗な子だなあ」
先ほどまで地獄に居たソウは暢気なことを言いながら、この場所が天国のようだと思っていた。




