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ふりむけば、鬼嫁。  作者: 江本マシメサ
第四話「細行を矜まざれば終に体徳を累わす」
42/44

四十二

 太陽が穏やかに大地を照らし、緩やかな風が頬を撫でる午後、青空の下に子供達は集まって豆狸・矢島指導の元、勉学に励むようになっている。今までは使用していない納屋の中で授業を行っていたが、子供の数も増え、全員が室内に入るのが困難になった為に、野外での授業となってしまった。場所は村の端にある大きな木の下で行い、きこりが要らない材木を使って作った机を並べ、い草を編んで作った茣蓙ござを敷いて子供達を座らせる。このような学習を村の子供達は週に三回・二時間受ける事が決まっていた。

 矢島の授業では村で貴重な品とされる紙を使わない。近くの山で採れる<顔付の木>という木から生える、大人の頭程の大きさの葉っぱを紙の代わりとして使うのだ。<顔付の木>の葉は厚紙のようにしっかりとしていて、釘のような先の尖ったもので引っ掻くと、しっかりとした跡が残る。使い終わった葉は太陽の下で乾燥させると元の緑色から多少茶色く変色するものの動物の皮のように硬くなり、引っ掻いた跡も残る事から、紙の代用品として重宝されている。


 そんな訳で様々な困難の中で教鞭を執る矢島だったが、その表情は困惑に染まっていた。


「あ、あの、喧嘩は…」

「なんで俺の葉っぱに落書きすんだよ!!折角問題解けたのに!!」

「うるせー!新しい葉っぱに書き直せよ」

「はあああ!?」

「あ…喧嘩は、その…新しい葉っぱもここに」


 二十歳ほどの娘の姿に変化した矢島は喧嘩を始めた少年達の間に入り止めようとしたが、聞く耳を持たないようで、他の子供達も集中力が切れてしまったのか、<顔付の木>の葉に絵を描き始めたり、隣に座る子と喋り始めたりと本日もまともな授業は出来なかった。


「本日の宿題は、六歳から八歳までの子が一から五十までの数字を<顔付の木>に書いてきて下さい。九歳から十歳の子は掛け算の五から七の段の暗記、十一歳から十三歳の子はここに書いてある割り算を解いて来て下さい。…それでは解散します」


 半分位の子はお礼を言って帰宅し、残りの半分は黙って帰るか、矢島を質問攻めにしてから帰るかの二択だった。


「何で矢島は男なのに女に変身するの~」

「えっ」

「ねえねえ何で矢島さんは総一郎お兄ちゃんを旦那様って呼ぶの?ラムウルお姉ちゃんが奥さんなのに~?」

「うっ」

「先生、今日も全然勉強進まなかったね。あの子達にはもっと強く言わないと喧嘩も収まらないよ」

「ひっ」

「向いてないから先生辞めれば?」

「ぐっ」


 矢島は涙を浮かべ、瞬きもせずに子供達の質問を聞いていたが、耐え切れずにその場から逃げ出してしまった。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、んぎゃあああああ!!!!」


 一目散に高台の屋敷へと繋がる村の狭い道を走っていたが、足がもつれて田んぼへと続く斜面に滑り込み、そのまま泥の中へ突っ込んでしまった。


『うう…さ、最悪だあ…』


 変化も解け、狸の姿になった矢島が田んぼの中から這い上がって来る。


「あれ? そこにいるのは矢島君?」

「は? あれは野生の狸じゃないか?」


 頭上からの声に顔を上げれば、畑仕事から帰宅する途中の総一郎とラムウルが矢島を見下ろしていた。


「おい、こんな所にいると子供達の玩具にされるぞ。さっさと山に帰れ」

『いえいえ!! 矢島で間違いありません!! 本物の、本当の、正真正銘の矢島です!!』

「そ、そうか、それはすまなかった。しかし…お前、なんでそんな姿になっているんだ?」


 矢島の全身は泥まみれで、毛の量も水分を含んだ事により少なく見えていたので、別の生き物のような状態になっていた。


『さっき全力疾走していたら、転んで田んぼに落ちてしまいました』

「ドジだなあ」

『うう…うひゃああ!?』


 ドジだと罵りながらもラムウルは矢島を持ち上げ、自らが背負う何も入っていない籠の中に放り込んだ。


『あ、あの…』

「その中で大人しくしていろ。泥だらけで帰ってアメリにでも見つかったら怒られるぞ」

『は、はい。ありがとうございます』


 こうして帰宅をした矢島は総一郎に井戸で体を洗って貰ったあと、綺麗な体で帰宅を果たした。


◇◇◇


『へ~そんな事があったんだ~』


 ここ数日元気が無かった矢島を美雪よしゆきが捕まえ事情を聞けば、悲惨な話が次々と語られた。


『そもそも教師なんて出来る器じゃなかったんです』

『う~ん。この村の子供は本当にやんちゃだからねえ…いつも来ている先生も大変だって言っていたでしょ?』

『は、はい。でも女性の姿にしかなれなくて、毅然とした態度も取れないし、子供達は懐かないし、馬鹿にされて恥ずかしくって…』

『そっかあ』

『せめて見た目だけでも男らしくなれたらなあって思ってまして』

『じゃ、変化の達人アメリ先輩に相談だね』

『……え?』


 美雪はアメリの居る台所に向かおうとしていたが、背後に佇む矢島は石像になったかのように固まっていた。


『矢島~?』

『あ、あの…山田さんが教えてくれませんか?』

『は?』

『な、生意気な事言って申し訳ありません!! 実は前にアメリさんに教えてもらった事があったんですが、結果を出せなくて…もう一度習うなどと身の程知らずなお願いは出来ないのです』

『待って待って、その前にさあ』

『ーー?はい』

『僕、変化とか出来ないから』

『え? しかし山田さんは』

『もしかして矢島、僕の事化け猫か何かだと思ってる?』

『ち、違うんですか?』

『……』


 この時矢島は初めて美雪の真顔を見た気がした。


『ひっどーい!! 僕化け猫じゃないから~虎宮火こきゅうかていう火の玉の<あやかし>と虎の合いの子だよ』

『すっすすすみません~ とんだ失礼を』

『いいけどさあ、別に…で、どうするの?』

『うう…』

『正直さあ、見た目が変わっても中身が変わる訳じゃないから、状況が良くなる可能性は低いと思うよ?』

『ううう…』

『それでも見た目だけ強くなりたい?』


 ふくふくの尻尾をだらりと地面に垂らし、矢島は落ち込みを全身で表していたが、何かを決心したように顔を上げる。


『ーーまず、見た目から変えて、それを自信へと繋げたいと…だからアメリさんにお願いに行きます』

『そっか。じゃあ僕も一緒に付き合おう』

『あ、ありがとうございます!!』


 アメリに再び変化の術を教えてもらう事になった矢島は、美雪よしゆきと揃って村の外れにある竹林へと集まっていた。


『え、ってか何で竹林?』

「秘密の特訓は人目の付かない所でするものです」

『あ、そう』

『アメリさん! お願いします』


 背の高い竹に囲まれた中で、矢島は気合の入った挨拶をする。


「では早速始めます」


 そう言いながらアメリは地面に落ちていた笹の葉を拾い矢島と美雪の頭に乗せる。


『ちょ、アメリ、僕変化の術使えないから!!』

「ーー? 山田殿は化け猫では?」

『うっわ、ここにも勘違いしている<あやかし>が居た。化け猫じゃないもん、虎宮火だもん』

「それはとんだ勘違いを」

『気をつけたまえよ、アメリ君。で、僕は見学をさせてもらうよ~ん』


 美雪はアメリと矢島から少しだけ離れ、特訓の様子を見守る体勢を取る。


「では見本を見せます。まずは変化する対象を心の中に思い浮かべ」

『はい!』

「変化します」


 アメリは大地を強く蹴りくるりと一回転をすると、空中で白い煙が発生し、頭の上に置いていた笹の葉が地面に落ちる頃には屈強な男の姿へと変化していた。


『おおおお!! 凄い筋肉です!!』

「…と、このような感じ、というのは前回説明しましたね?」

『はい』

「今回は特別に具体的な説明をします」

『あ、ありがとうございます!!』


 変化の術はアメリの場合異性に姿を変える事は長く続かないらしく、鬼の少女の姿に戻ってから話し始める。


「変化に大切なのは具体的に対象を想像する事です。矢島殿は助平だから女子おなごにしか変化出来ないのでしょう」

『うう…多分その通りかと』

「桃色な雑念は捨て、想像するのです。完璧な筋肉を!!」

『完璧な、筋肉…?』

「腹筋、胸筋、上腕筋、すべて鍛えれば矢島殿も」

完璧な身体パーフェクトボディ!! ですね』

「ええ。よくご存知でしたね」


 よく分からない会話をしつつアメリの指導は続く。


「筋肉の硬さ、筋肉の照り、日に焼けた筋肉、どうですか?頭に浮かんでます?」

『……ちょっと気持ち悪くなりました』

「やる気はあるんですか?」

『あ、あります、あります!!』

「本当に?」

『本当です、本当です!!』


 大切な事なので二回づつ返事をしながら、再び矢島は屈強な男を想像し、地面に落ちている笹の葉を拾い頭に乗せ、短い手足で精一杯跳躍した。

 変身により発生した白い煙が晴れ、矢島は自らの身体を確認する。


「はあ、はあ、はあ、……!!!!筋肉が、ある」

「……」

『……』

「アメリさん!! どうですか?完璧な身体だと思いませんか?」

「…ええ、そうですね」

『ア、アメリ!! 適当な事言ったら駄目だよ!! 矢島、悪いけどそれ失敗だよ?』

「え?」

『あのね、今の姿…顔が可愛い女の子で体が筋肉質なの。正直怖い』

「そ、そんな…声は男なのに、身体もこんなに筋肉が付いていて…」

『うん…おっさん声の美少女顔の筋肉質ないびつな何かにしか見えないね。多分子供たち阿鼻叫喚の騒ぎになるよ』

「あ、あああ、ああああ…何で、何で、こうも要領が悪いのでしょうか…?うううう、死にたい」


 狸の姿に戻った矢島はぼたぼたと涙を流しながら弱音を吐き続ける。


『ねえ、矢島。総ちゃんに相談しよう』

『え?』

『総ちゃんならきっと何か導いてくれるよ、ねえ、アメリ?』

「ええ、そうですね」

『アメリ…君、話聞いてなかったでしょ? 今、心底どうでもいいって顔してるよ』

「いえ、そろそろ夕食の用意を、などと考えていました」

『うん。ごはんはラムウルが作るって言ってたから大丈夫』

「そうでしたか」

『だからアメリも総ちゃんの所に行くよ』


 『しかし迷惑では』と取るに足らない事を言う矢島の首根っこを美雪よしゆきは咥え、総一郎の居る畑へと移動を始める。


◇◇◇ 


『総ちゃん、矢島の新作見て~』


 野菜の収穫をしていた総一郎を呼び出し、矢島は先ほど習得した変化を見せた。 


「……」

「旦那様、どうでしょうか?」

「うん…。なんか夢に出そう」

「……」

「……」


 屈強な美少女の姿のまま矢島はその場に座り込んで、地面にのの字を書き始める。


「あ、あの旦那様、相談したい事が」

「うん、何?」

「えっと…子供達の授業が上手くいかなくて、女の子の姿にしかなれないのを馬鹿にされ、慌てるとどもってしまって、自分が恥ずかしくて…見た目だけでも強くなりたいと思えばこの有様」

「そっか」

「はい」


 総一郎も矢島の隣に座って話を始めた。


「矢島君、授業が上手くいかないってのは?」

「そもそも話を聞いてくれないんです。六歳から八歳、九歳から十歳、十一歳から十三歳と三つに分かれて教えているんです。それで一つの組の子達に教えている間は、他の子達には書き取りや計算をするよう言っているのですが、目を離せば喧嘩をしたり、遊び始めたりと、他の集中している子供達まで巻き込む始末で…」

「う~ん。それは同時にするのが良くないのかもね。年齢ごとに別の時間にすればどうかな?あ、でもそうすれば矢島君の負担が増えるかな?」

「い、いえ…そうですよね、気がつきませんでした。さ、さすがです」

「…元居た世界では年齢ごとに分かれるのが当たり前だったからね」

「そうだったんですね」


 一日に三回、時間をずらしてそれぞれの年齢の子供を集め、集中的に教えれば捗るかもしれないと矢島は総一郎の言葉を先ほど拾った顔付の木の葉に書いていく。


「あとは授業内容を見直してみるとか」

「う…これでも考えて、考えて、分かりやすいようにと努力をしているつもりでしたが」

「子供達は基本的に飽き易いからね。ーー例えば一方的に話しながら教えるんじゃなくて、子供達も参加できるような遊びごとが絡んだ勉強のやり方とか」

「遊びと勉強…?」

「そう。昔学校で九九を覚える時に、数字の書いてる厚紙を使ってカルタみたいに先生が九九を読んで、答えの書いた厚紙を誰が早く取れるかっていう事をしてね。みんな一枚でも多く取りたいから必死で九九を覚えたんだ」

「!!!! ……う、わ!! す、凄い、それは、画期的な授業です!! ああ、なんで思い至らなかったのか…しかし今更言う事を聞いて貰えるんでしょうか…」

「大丈夫、大丈夫! 子供って単純な生き物だからね。そんなに全てを悲観的に考えなくても大丈夫だよ」

「うっ…旦那様…!!」


 冷静になった矢島は気がつく。自分の授業が子供達にとってつまらない時間だったという事を、自分が不安そうに、自信がなさそうにしているから子供達も、この人の言う事を聞いても大丈夫なのか?と疑問を持たせてしまっている事を。


「あ、あの! 今から帰って考えます。みんなが楽しいと思える授業を!」

「頑張れ」

「ありがとうございます!! 今度こそ結果を出します!!」


 迷いも何も無くなった晴れやかな笑顔で総一郎にお礼を言った矢島は屋敷を目指して走っていく。


「え? あのままの姿で帰るの?」


 矢島の屈強な後ろ姿を眺めつつ、総一郎は遅すぎる突っ込みを入れていた。


『総ちゃん、ありがとうね』

「矢島殿がお手数をおかけしました」


 離れた場所から見守っていた美雪とアメリが近づいて来て、礼を言う。


「子供の頃の思い出を語っただけで、助言らしい助言はしてないんだけどね」

『それでも矢島は元気になったから』

「ありがとうございました」

「いえいえ」


 そろそろ夕日も沈もうという時間帯だったので、総一郎も帰ろうかなと言い、収穫した野菜を納屋へと置いて、道具を片付け始める。

 そしてさあ帰ろうと籠を背負った瞬間に、遠くから叫び声が聞こえた。

 

「今の声、矢島君?」

『あの姿で悲鳴をあげるってどんな状況なの?』

「あっちです、急ぎましょう」


 耳のいいアメリが声がした方向へ走って行く。その後に美雪と総一郎も続いた。


『矢島ーー!!』

「何事ですか?」

「ーーあ、ああああああ、あああ」


 アメリが走って行った方には尻餅をついた矢島の姿があった。駆け寄った美雪の姿を確認すると矢島は目の前にある貯水池を指差す。貯水池と銘打っているが、田んぼに使ってしまっているので、中には泥濘ぬかるんだ泥があるだけだった。

 美雪は矢島が刺した方向を見て、一瞬言葉を失ってしまう。


 ーー矢島が指差すその貯水池の中心には、あるモノが二本刺さっていた。


『な、に…あれ?』

「……」


 泥の中にあるのは人間の足で、太ももから下の部分だけがピンと真っ直ぐに突き出すようにして刺さっていた。青いズボンと黒いブーツを着用している事からこの付近の人間ではない事が窺える。


『あ、あそこの池、そんなに深くないよね?』

「やはり、生足ですか」

「うわああああああ!!!!」


 この池は以前総一郎が指輪を落とした場所だった。皆で池の中を探したので深さはよく知っていた。


「私が引っこ抜いてきましょう」

『いやいやいや!! アメリ、男を見せなくてもいいから!! とりあえずハクゲイに言いに…』

「……どうしたの? 何だった?」


 アメリと美雪に遅れて総一郎も到着する。


『総ちゃん…あれ』


 美雪は視線で池の方を示し、泥の中にある二本の足を総一郎に見せた。


「ーーえ?スケキ…いや、何でもない」

「旦那様、お、お知り合いですか?」

「ごめん。知らない人。えっと、生きているのかな?」

「先ほどから泥池の中の足が微かに震えているのですが」

『アメリ、それ早く言ってよーー!!』


 かくして、全員で池の中へ入り、突き出た二本の足を引っこ抜く作業が始まる。 


『ぬーけーなーいいいいい!!』

「ひ、日が沈みそうです、旦那様ーー」

「いっその事、置いて帰りますか」

「いやいや…うん。どうしようか?」


 なかなか抜けない足を前に途方に暮れていたその時、遠くから叫び声が聞こえた。


「お前ら、揃って何してやがるーー!! こんな時間まで馬鹿かーー!!」

『ああ、ラムウルだ!! これで勝てる!!』

「すみませんラムウルさーーん、少し手伝って下さーーい」

「はああああ!?」


 沼の中に埋まっていた人物こそ総一郎に続く二人目の<迷い人>だったが、この時は知る由もなかった。


 第一章・完

 これにて一章は終わります。この後は日本にいるソウとラムの幕間劇を挟んで二章を始めたいと思っています。二章は新たな<迷い人>スケキヨ(仮名)や新たな獣、某山田家の問題児が活躍するコメディ寄りの話になります。続けてお付き合い頂ければ嬉しく思います。

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