四
「痛っ」
何かが頬を刺す痛みで総一郎は目を覚ました。
「ニャ!」
「…………」
枕元には白い虎、美雪が居た。青く大きな瞳を輝かせ異世界から来た男を興味津々とばかりに見つめている。頬に刺さっていたのは彼のピンとはねた髭だった。
昨日から一晩過ごしたのは全体を黒く塗りつぶされた様な部屋で、畳まで黒く統一された空間には布団と水差しがあるだけであとは窓も何も無い。
こんな息苦しさを感じる部屋で眠れるものかと思っていたが布団に入り、目を閉じれば自然と眠れるものだと我ながら思うほど繊細では無いのだなと厭きれてしまう。
昨夜居た白い部屋は鬼の娘の私室らしい。いきなり女の子の部屋に知らない男がいたら恐ろしいよなあ、と総一郎は改めて思い心の中で謝罪をする。
昨日の信じられない出来事から一晩、全てが夢で無い事は隣にいる白い虎が語っている。総一郎は起き上がり布団を畳もうとしたが遊びと勘違いした美雪がじゃれついてきてうまく畳む事が出来なかった。
虎と遊ぶ事三十分、体力に限界を感じていた頃に襖の外から声がかかる。どうやら朝食の準備が出来たらしい。
寝間着用にと渡された浴衣を脱ぎ、新しく用意された着物に袖を通す。帯はよくわからないのでどうしようか悩んだが、素人目にも高価な着物だと分かったので恥を忍んで外に居る少女に着付けてもらう様頼んだ。
食堂までの廊下を黙々と進む。先導する少女は子供とは思えない速さで歩き後ろを振り返る事は無い。廊下の長さからかなり大きな屋敷だと伺えるが人の気配は無く不気味な雰囲気を醸し出していた。
ラムウルの白い部屋や総一郎が一晩過ごした黒い部屋同様に廊下にも窓は無く、外の様子を伺う事はできない。
明かりは途中何箇所かに行灯が置かれており、暖かな光で辺りを照らしている。
日が入らないからか廊下は肌寒かったが並んで歩く美雪が寄り添ってくれた為なんとか凌ぐ事が出来た。
廊下のつきあたりに部屋があり、少女が引き戸を開くと視線で総一郎に入室を促した。部屋には三人分の食事とハクゲイが居た。
「おはようございます」
「おはよう。昨日は眠れたか?」
「ええ、まあ…」
ラムウルの姿は無く、総一郎が座るとハクゲイは手を合わせ何かを呟いたあと食事をはじめた。
「アメリ、ラムウルはまだ起きれないのか?」
少女は頷きながら、総一郎の碗にご飯をよそう。
<鬼ヶ島>に来てからはじめての食事 だった。昨日はとても食べ物が喉を通る状態では無かった為断ったが、こうしてみれば食卓は日本と変わらない。ご飯に味噌汁、魚の開き、漬け物と一人暮らしでまともな食生活をしていなかった総一郎にはありがたい内容だった。
「今日は村でも見てくるといい。案内は…そうだな、美雪頼めるか?」
「ニャ!」
美雪は了承したとばかりに返事をした。どうやら外に出してもらえる様で総一郎は静かに息を吐く。しかし案内がこの白い虎とは大丈夫なのだろうかと横目で見たが、任せろ!と言わんばかりに自信たっぷりな視線を返してくる。
「紹介がまだだったな。この家の守りをしている山田美雪〈やまだよしゆき〉と使用人のアメリだ」
「…篠宮総一郎です」
「総一郎はラムウルの夫になる〈人〉だ」
「ニャン」
アメリはお辞儀をし、美雪は尻尾をピンと張る。 まるで人の言葉を正しく理解しているように振舞う虎を総一郎は不思議そうに眺めていた。
食事を終えた総一郎は美雪の先導で玄関まで行き、開き戸の取っ手を引く。
玄関の外に広がるのは豊かな森で、小鳥が鳴き木々の揺らめきがさらさらと音をたてていた。
「…………」
ハクゲイの屋敷は村を一望出来る高台にあった。民家が連なる田園風景が美しい農村で稲穂は黄金色に染まっている。
「鬼ヶ島」という恐ろしい名前とは違い、どこにでもある田舎の風景が広がっていた。
「ニャー!」
なかなか動こうとしない総一郎に痺れを切らした美雪が声をかける。
「ーー今、行くよ」
魅入られるのも無理は無い。「鬼ヶ島」の風景は総一郎が育ち、もう帰る事の出来ない場所に酷似しているのだから。
****
村へ下りてもここが異世界だという違和感は無くただの農村に見えた。しかしすれ違う人々は着物を纏い、額には角が生えていてここが「鬼ヶ島」だと実感する。
「ニャーニャニャアニャーニャニャア」
「うん…」
民家は基礎のみ木を組み合わせて造られており、壁は土で出来ていた。屋根は藁で耐久性は大丈夫なのかと他人の家ながら総一郎は心配をする。高台にあるハクゲイの家だけ瓦と木造の屋敷になっていた事に気付き首を傾げた。
「ニャーニャニャアニャニャアニャーニャニャア!」
「へえ…」
田んぼには稲が実り頭を垂れている。実に触れても日本の米との相違は無い様に思えた。
商いが行き交う商店街にはまだ早い時間だからか客は居ない。商店も準備中なのか並べられた品も疎らだった。
魚、野菜、米…売られている品は日本の市場などで並べられる物と変わらない。
「ニャア! ニャアニャーニャ」
「ごめん山田君、やっぱり何言ってるのか全然分かんない」
一生懸命説明する美雪に総一郎は静かに突っ込んだ。
総一郎と美雪は土手に腰を下ろし、目の前に広がる田園風景を眺めていた。暖かな日差しを浴びて起きたばかりだというのに微睡みはじめる。そんな一人と一匹のもとにころころと小さな鞠が転がって来た。
鞠を掴み振り向けば6歳~7歳程の少女が立っていた。
「…え?」
総一郎は少女をみて驚愕した。こちらを見つめる少女の額には角が無い。
「君は、ーー〈人〉?」
「…? そうだよ」
少女は何故そんな事を聞くのか分からないとばかりにきょとんとした表情を見せた。
「他にも〈人〉は、」
「隣の孝ちゃん家はみんな〈人〉だよ、その隣の三島さん家も〈人〉、前の佐藤さん家はおばちゃんが〈鬼〉でおじちゃんが〈人〉ミレイちゃんは〈鬼〉、ミレイちゃんの弟は〈人〉だよ!」
少女は人見知りをしないのか次々と〈人〉がいる場所を説明してくれた。
「ここは〈人〉と〈鬼〉が共存する場所、なんだね」
「きょうぞん?」
「異なる存在が争わず共に生きるって意味だよ」
「共存…そう、前にミレイちゃんのおばちゃんが言ってたよ〈ここは迫害された〈鬼〉の最果ての地で〈人〉と〈鬼〉が暮らし生きる楽園だ〉って、意味分からないけどそれが共存って事なのかな?」
〈人〉と〈鬼〉が当たり前の様に暮らす唯一の楽園、「鬼ヶ島」はそう呼ばれていた。総一郎があっさり〈鬼〉に受け入れられた理由も納得出来る。
「お兄ちゃん、ここにははじめて来たの?」
「そうだね」
「ここの〈鬼〉は皆親切だけど、高台の屋敷に居るラムウル様だけには近づかない方がいいんだって」
「…………」
高台に住むラムウルは大の〈人〉嫌いらしい。押し黙る総一郎を少女は不思議そうに眺めていた。
少女と別れ、自分たちも帰ろうかとしている所に大人くしていた美雪が急に立ち上がり総一郎の後ろに隠れた。
「…山田君?」
「お前、誰の許しを得て村を徘徊して回っていたんだ!」
突然現れたのは赤髪の鬼だった。肩には金棒を担ぎ上げ総一郎を睨みつける。
「あ、ラムちゃん」
「は?」
『ぶふっ、ラムちゃんだって!かわいいー』
「え?」
総一郎の頬のすぐ隣を電撃、ではなく金棒が通り過ぎて行った。頬に一筋の傷が入ったがそれどころではなかった。声がした方には美雪しか居ない。
『あ』
目があった美雪は一言『やばい』と喋った。
「美雪、お前そいつの前では喋るなって言っただろう!」
『だって総ちゃんがラムウルの事〈ラムちゃん〉って可愛く呼ぶんだもん~』
「ふざけんなよ、クソ虎が!」
『い、い痛い!』
ラムウルは美雪の髭を引っ張りながら乱暴に歩いて行く。
「ラ…」
置いてけぼりになりそうだった総一郎はラムウルに声をかけるも、凄まじい形相で睨まれた。
「次に私の名前を呼んだ時は三代先まで呪ってやるからな!」
『ラムウル~君は総ちゃんと結婚するんでしょ? だったら三代先は自分の子孫じゃん』
「私はあれと結婚しない!!」
ラムウルは高々と叫んだが〈制約印〉が首筋に浮かび上がり、土手の上できっちり五分間激しくのた打ち回る事となった。