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ふりむけば、鬼嫁。  作者: 江本マシメサ
第四話「細行を矜まざれば終に体徳を累わす」
39/44

三十九

 あっという間に夕暮れ方になり、周囲に人の姿は無い。

 <あやかし>と戦う術の無い村人の帰宅は太陽が朱色になったと同時だ。

 水分を吸って重くなった着物からぽたぽたと水滴を落としながら池に落ちた二つの影は帰宅をする。

 前を行くのは総一郎でラムウルは並んで歩かずにそのすぐ後ろに続く。


 そんな中で総一郎は独り言のように自分の事についてぽつり、ぽつりと語り始めた。


 七歳の頃に両親が亡くなり、父方の祖母の元へ引き取られ生活をした十年間は都会育ちの総一郎には辛い事ばかりだった。

 後見人となった総一郎の祖母自身も裕福な暮らしはしておらず、当時は一人生きていくのに困らない程度の農業をしながら生活をしていた。所有する土地はたくさんあったが人手不足で、眠った状態になっている荒れた畑の方が多かったと彼の祖母は言っていたという。

 総一郎を引き取ってからは土地を少し売リに出し、育てる野菜を増やして孫の手を借りながらなんとか凌いで暮らしてきた。


「祖母も辛かったと思います。手のかかる幼い子供を引き取って…祖母が他界して発覚したんですが、父の残した財産には一度も手をつけてなかったんです」


 そんな過酷な環境の中、彼の祖母は前だけを向いて生きていたように見えた。


「祖母が感じていたその辛さは幼いながらにうっすらと理解をしていましたが、それ以上に自分が感じた孤独も凄まじいものでした」


 学校から帰宅しても家には誰もらず、宿題を済ませると汚れてもいい服へと着替え、祖母の手伝いに出かける。

 家庭訪問の日こそ祖母は家に居たが、授業参観など観に来たことなど一度も無く、そわそわと落ち着かない様子で時々後ろを振り向く同級生が視界に入るのを鬱陶しく思っていた。


「両親が亡くなってから、人生の折り目が廻ってくる度に後ろを振り向いたけれど、自分の後ろには誰も居なかった…」


 慶事は本来家族で祝うものだと総一郎は考える。しかし祖母は常に前を向いたまま孫に目を向ける余裕など無く、苦労の果てに亡くなってしまう。

 卒業式に入学式、就職に昇格。人生の折り目がついた時、総一郎はいつも一人だった。


「ここに来て、良かったんです。ふりむけば、ラムウルさんが居て心配をしてくれる、それがどんなに、ありがたいか…嬉しい事なのか」


 遅くまで畑仕事をしていて、帰るのが遅いと文句を言いながらも迎えに来て、声を掛けてくれるという当たり前を総一郎は知らなかった。


「…つまらないよ、そんな話…お前も」

「そう、ですね」

「家族が心配をするのは普通なんだ。そんなものをありがたがるなんて…おかしい、お前は、本当に」


 <人>が嫌いだと口では言っていたのに、気がつけば誰よりも総一郎の心配をしていたのはラムウルだった。

 <真なる鬼>という宿命を背負いながらも、それをおくびにも出さず、独り挫けそうになりながらも彼女は強くあろうと努力をし、生きていた。

 そんなラムウルだからこそ、共に在りたいと総一郎は思った。

 震える声で静かに責めるラムウルを総一郎は振り返る。金色の瞳からは涙が溢れ、止め無く頬を濡らしている。


 どんな時も穏やかな総一郎を「仏の篠宮」と呼ぶ会社の人間が居た。それは他人に期待しない拒絶の表れでもあった。

 しかしラムウルはその笑顔の裏に隠された本心を、ただ一人知りたいと言ってくれた。 


「ーーだから、好きなんですよ」


 そう言ってラムウルの細い肩を抱きしめた。

*****


「なんだ、遅かったな」


 玄関先ではハクゲイが総一郎とラムウルを出迎えていた。

 目聡い鬼婆はラムウルの手元に指輪が無いのを確認し、しくじったなとばかりに総一郎を睨みつける。


「冤罪です。指輪はドブ池に…」

「十分しくじっているではないか!!」

「何の話だ!!」


 突然釈明をはじめる総一郎となじるハクゲイにラムウルは突っ込みをいれた。 


 総一郎は事前にラムウルに結婚を申し込んでもいいのかハクゲイにお伺いを立てていたらしく、計画は入念に練られたものだったが、結果は無残なものだった。


「期待はあまりしていなかったがな」

「はは…面目ない」

「お前ら共謀者グルだったのか!?」 


 翌日、屋敷の住人総出でドブ池に落とした指輪の捜索に向かう。

 汚水ドブ池と言ってはいるが、見た目が濁っているだけで汚い訳ではない。

 そこは川から水を引き寄せた人工的な貯水池で、田植えの時期は田んぼに水を引いたりと活躍している。


「田植えの後でよかったですね」

「そうだな」


 アメリがザルで泥を掬いながら言う。田植え前の時期なら水位が腰の上まであり、作業は困難を極めただろう。


『うううう…ないよ~矢島ー見つかった?』

『いいえ…無いです』


 土手の上で美雪よしゆきと矢島が肉球を使ってザルから出された泥の選別を行っている。白い毛皮は土で汚れ、野性味溢れる姿になっていたが、互いに気にする素振りはない。


『総ちゃん、もうさあシロツメクサとかで指輪作って結婚申し込みなよ』

「良い考えです。篠宮様がちょっと真面目な顔をして求婚でもすればラムウル様なんて一瞬でコロリですよ」

「誰がコロリだ!!」


 そんな無駄話をしながらも皆の手が休まることは無い。

 日も沈みかけた頃、泥まみれになり皆が帰る支度をしていた中、矢島だけは最後まで泥をかき分けていた。


「そろそろ帰らないとな」

「そうですね」

「別に今日見つけなきゃいけないものでもないさ」

『そうだね、また明日探そう! 矢島も帰るよ』

『えっと、あと少しだけ…』


 柔らかな桃色の肉球は擦り切れてしまい、痛みを伴っていたが諦めずに探し続けた。

 最後に池の底からあげられた泥を丁寧に解しながら、小さな山を崩していく。

 そしてついにきらりと輝く銀色を矢島は見つけた。


『あ、ああ! ありましたよおおおおおお!!』

『う、嘘ー!!』

「本当か!?」

「どれ、見せてみろ」


 一斉に皆が矢島を囲み発掘された品の確認をする。


「総一郎、これか?」

「はい、これで間違いありません」

『良かった…本当に』

「矢島君、ありがとう…」

『いいえ! お役にたてて幸いです』


 総一郎は皆にお礼を言いながら胸を撫で下ろし、脱力のままにその場に膝を付いた。


『じゃ、総ちゃんザックリご結婚の申し込みを』

「はあ!? 美雪よしゆきお前何言ってんだ?」

『だってこれを楽しみに今日一日がんばって来たのに~ねえ?』

「そうですね。私も見たいです」

「アメリまで何を言っているんだ!!」

「ほれ、総一郎早く言わんか」

「…婆さんまで」


 足元では矢島が期待の視線を熱心に送っている。どうにも逃げ場は無い様に思えたが、ラムウルは負けじと叫ぶ。


「お前らは揃って大馬鹿だ! ーーそもそもなんで二度もドブ池で求婚を受けなければいけない!?」

『まあまあ』

「泥を掬ってだいぶ綺麗になりましたよ。泉と言っていいのでは?」

「もう日が沈むぞ、さっさと決めろ」


 一日中池の中を探した疲労からか求婚を聞きたい家人達は目は据わっていて、妙な迫力があった。


「いや、待てよ。皆見た目が汚すぎる。しかも指輪も汚い。こんな状況で結婚を受けるのはおかしい!!」

『心は綺麗だから』

「曇り一つありません」

「…先に帰るからな」

「みんな、自由すぎるだろ…」


 呆れるラムウルをその場に残してハクゲイは帰って行く。アメリ、美雪、矢島もあとを追い走り出す。 総一郎も帰ろうとラムウルに手を差し出したが、手が汚いと素気無く断られてしまう。


 夕刻にもなれば空の茜色を水面が映し出していた。

 

「何を呆けている?」

「ーーいえ、思えば<白紙返し>を使えばよかったなあと」

「……」

「……」


 <白紙返し>を使えば指輪を池に落としたという出来事を無かったものに出来た。しかし総一郎は今の今まで忘れていたという。


「今日一日の労働を返せ!!」

「…<白紙返し>を使えばよいのでしょうか?」

「やめろ! …っていうかそれはあまり使うな。力の源が分からない以上使うのは危険だ」

「しかし体は何ともありませんし」


 <あやかし>ののろいは負の感情を糧に発動する事に対して、総一郎の<白紙返し>は呪いの効かないラムウルにも有効だったことから、呪いではないのでは?という推測をしていた。

 その答えは未だに解明されず、今に至る。


「馬鹿な事を言ってないで帰るぞ」


 その後、結婚の申し込みは無事に受理され、あとは三ヵ月後に予定された披露宴を待つばかりだった。

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