三十二
冬の冷たく厳しい風から穏やで優しい風へと変わり、屋敷を周りに生い茂る木々はつややかな新緑で彩られている。
そんな<鬼ヶ島>の季節は春を迎えている。玄関から一歩外に出てみれば、村に数箇所ある水田に紅紫色の蓮華草の花が咲き乱れていた。
「ここから村を見下ろすと一段と綺麗ですね」
「紫雲英の花の事か?」
紫雲英というのはこちらでの蓮華の名称らしい。絨毯を敷いた様に水田をうめ尽くす紅紫の花は春を知らせる村の風物詩では無い。
「子供のころ住んでいた村でも春になると畑に蓮華がたくさん咲いていて、勝手に自生しているものと思っていました」
「何だ、知らなかったのか?」
「お恥ずかしいながら…」
水田に咲く蓮華は春を知らせるものでも、勝手に自生しているものでも無い。秋に米を収穫した後の水田に花の種を蒔き、春先に生えるようあらかじめ準備していたものだった。
もちろん目で楽しむ目的で植えたものでもなく、花が咲いた状態で田んぼに鋤きこんで、土と植物を一緒に耕す事により肥料にするという目的がある。
蓮華草の根はこぶのような根粒がついていて、中には<根粒菌>という細菌が存在する。その<根粒菌>が作った窒素化合物の力によって稲の育ちが良くなるという効果があった。
「蓮華自体が肥料になるなんて考えもしませんでした」
「この辺りは科学の領域だな。わしも詳しくは知らんよ」
作物は土に中の養分を吸い取って育つ。季節を経て、次の野菜を育てる為には土の栄養を人間の手で補給しなければならない。
土の栄養分といえば植物の葉の成長を促す作用がある窒素、花や実の成長に関係するリン酸、根や茎の発育を助けるカリウム、以上の三つが畑を作る三大要素と言われている。
これらの知識は何十年、何百年と昔から人から人へと語り継がれてきた事で、科学的な観点を理解しながら農業をする者はほとんど居ないとハクゲイは言う。
そんな事を話しながら畑へ向かい、花盛りの蓮華に鍬を入れるという良心が傷む作業を開始した。
全ての作業が終わる頃になれば太陽も橙色に染まり、夕暮れが近づく。
「そろそろ帰るか」
「はい、あ。ちょっとする事が…」
「お前を連れて帰らんと怒られるんだが?」
「申し訳ありません」
「ーーまあいい、もう少しすればラムウルが迎えにくるだろう。来なくても太陽が山に隠れる前には帰ってくるんだぞ」
「はい。もうみなさんに迷惑をかけたくないので大丈夫です」
「……」
ハクゲイは何度か総一郎を振り返りつつ帰宅をした。訝しげな表情で帰って行く鬼婆の姿が見えなくなると、畑に埋まる邪魔な石を取り除く作業を止め、農具を入れる籠の中から鉄で出来たスコップの様な農業用の匙を取り出して、畑から外れた柔らかそうな土手を掘りはじめる。
ザクザクと一心不乱に掘りつづけるが目的の物は見つからない。場所を移動して掘り進むが不発。深く掘ってみたり、雑草を引き抜いた場所を掘ったりと工夫を凝らしながら色々と挑戦をしたが、余計に疲れただけで無駄な労働だった。三十分ほど探したが、畑以外から見つける事は困難だと分かり、身体の力が抜け脱力する。
「ん?」
地面についた手の傍には、先ほど掘り返した土の上にウゴウゴと動く探し物があった。
「み、見つけた!!」
「ーーほう。それは、良かった」
「!!!!」
思わずあげた歓喜の叫びに返事が返って来て、背後から聞こえた声の主をふりむけば、言わずもがな総一郎の鬼嫁だった。
「夕暮れ時に暢気に土遊びとは良いご身分だな。なんだ、その手に持っているのはお友達か?」
総一郎の手のひらには一匹のミミズが目にも止まらぬすばやさで縦横無尽に動いている。
「いえ、これには理由が…」
「どうせ下らない理由なんだろう。聞いてやるから三十文字以内で言え」
「……」
見つけたミミズをあらかじめ用意していた小さな缶に入れ蓋を閉じ、曖昧な微笑みをラムウルに向けたが、突然現れた金棒が総一郎の脳天を襲う。
「うわ!」
座った状態から地面を転がるようにして金棒をぎりぎりで避ける。空回った一撃からはズシリと重い音がして、金棒と接した地面から炎の様な揺らめきが立ち上がっていた。
「お前は、痛い目を見ないと色々分からないらしいな」
「ーーッ言います、言いますから!」
金棒を担いだラムウルに見下ろされながら総一郎は重い口を開く。
***
ーーそれは毎朝繰り広げられる戦争だった。
抜け落ちた白い羽が舞い、怒り狂った雄鶏がばさばさと荒ぶり、結果背中を蹴られるという光景は、総一郎にとって珍しい事では無かった。
しかしその当たり前も<鬼>の体を得てからは、少々変わった見え方をのぞかせる様になる。
『くっそー! またお前かよ、アメリちゃんはどうした!?』
「アメリさんは食事の準備をしていて超絶多忙です。すみません、卵いただきます」
卵を取りに来た総一郎を罵る声を聞き取れるようになり、意思の疎通も可能となっていたのだ。
『ったくよ~毎日毎日シケた飯を食わせやがって』
「すみません」
『お前はすみませんしか言えねえのかよ! つまらねえ奴だな』
「す、すみません」
鶏の餌やりも総一郎の仕事で、その度に鶏から謂われも無い罵詈雑言を浴びていたが、当の本人は全く気にしておらず毎日淡々と仕事をこなしていた。
『おい』
「なんでしょう」
『野菜はもう飽きた』
「はあ…」
正確に言えば鶏の餌は野菜では無く雑草と大豆粕、米ぬかなどの不要物を混ぜたハクゲイ特製のものだったが、籠の中の鳥が知るはずも無い。
『そうだな…ミミズ! ミミズが食いたい』
「ミミズですか…」
リクエストに答え小屋の近くの土を手近にあった木の棒でつつき掘り起こしてみたが、ミミズが出てくる気配は無かった。
『その辺の固い土にご馳走がいるかよ! 奴らは湿った柔らかい土の中にいるんだ』
「へえ~…」
『畑だったら確実だな』
「畑のミミズは駄目ですよ」
ミミズは畑を耕す「黄金の生き物」と言われている。土の中にある有機物を食べたミミズの糞には窒素・炭素・カルシウムなどの養分が沢山含まれており、様々な場所にある土を持ち出して上へ下へと混ぜるように移動をしたり、その移動によって土の通気性や透水性があがったりと他にも色々な働きを担っている。そんな優秀な畑の番人を差し出す訳にはいかなかった。
『だったら畑以外から探して来いよ』
「そうしたいのは山々ですが、夕暮れギリギリまで仕事をしていて難しいかと…」
『ごちゃごちゃうるせえ! 捕ってこないというのなら次に卵を取りに来た時、幻の左が炸裂するからな!』
「幻の左!?」
『そうだ。今までは右脚で特別な手加減をしていたんだぞ。お前は見た目からしてひ弱そうだからな』
「……」
『ーーお腹と背中をくっ付けたくはないだろう?』
「そんな威力が!!」
***
「という訳で…」
「長い!!」
「すみません」
「その鶏じゃないが、イチイチ謝られてばかりだとかえってイライラする!」
「すみ……、気を付けます」
ミミズを探していた訳を話しながら帰宅していたら、あっという間に屋敷の近くまで登って来ていた。
「そもそもミミズを探すのに闇雲に土を掘り返すのは馬鹿げている」
「はあ」
「ミミズは牛糞の下にいっぱいいる」
「なるほど…! しかしどうしてミミズのいる場所を知っているんですか?」
「子供の頃魚釣りをする為に村中を探し回った事があるんだ」
「そうでしたか」
「ドブ川だったからフナしかいなかったけどな。糞は肥料や燃料として使っているから日によっては無いかもしれないが、その辺の土を掘れば出てくるかもな」
「今度牛舎へ探しに行ってみます」
村にいる数少ない牛は犂耕用で食用では無い。畑を耕す目的の他に糞を肥料や乾かして燃料にしたりと、農業や日々の暮らしにも役立つ貴重な家畜だった。
「ーーあれ?」
「どうした」
「今、白い毛並みの小さい動物が視界の端に…アメリさん?」
「こんな時間にアメリが外を歩き回る訳無いだろう」
ラムウルの言う通りしっかり者なアメリがこんな時間に出歩いてる可能性は零に近い。しかし万が一の事を考え、視界を掠めた生き物が居ないか草木をかき分ける。
「おい、あんまり奥へは行くな」
「……」
「どうした?」
生い茂る木の枝に手を掛けたまま動かなくなった総一郎の視線の先をラムウルも覗き込んだ。
「これは何でしょう?」
「……」
そこには翡翠のような瞳を見開き固まる白い毛並みの小型動物が居る。逃げもせずに身動ぎすらしない動物をラムウルはにらみ付けると、その小さな体はビクリと震えた。
「ーーハクビシンじゃないのか?」
「ハクビシン?」
「ああ、知らないか?よく屋台で売ってるな、一串三鉄幣位だ。鶏肉みたいでうまいぞ」
「鶏肉…」
動物の肉を食べたのはいつだったか総一郎は考える
(たしか三ヶ月前だったような気がする)
アメリが作ってくれたのは親子丼だった。とろりとした半熟の卵と甘辛なタレに絡む玉葱とジューシーで柔らかなもも肉は口の中に幸せを運んでくれた。
食欲をそそる黄色いの丼を思い出しつつ、目の前のハクビシンを見ながら生唾を呑み込む。
「ハクゲイさんはこのハクビシンの解体とか出来るでしょうか?」
「前に樵が仕留めたでかい猪を嬉々として解体しに行ったから、こんなちっさい奴なら楽勝だろう」
「だったら!」
空腹で我を失った仕事帰りの頬被り男は、つぶらな瞳を持つか弱い動物に向かって手を伸ばす。
『ぽ、ぽんぽーーん!』
「ん?」
「……」
白い毛並みのハクビシンは決死の思いでぽんぽんと鳴き声をあげた。総一郎の伸ばした手は目の前で止まり、首をかしげながらラムウルを振り返った。
「これは…ハクビシンではなくタヌキですね」
「……」
日も沈みかけており、総一郎は家に帰ろうかと腰をあげた。
「ラムウルさん、タヌキって食べれませんよね」
『たっタヌキは美味しくありません!!!!』
「え?」
『あっ!』
「チッ」
ラムウルは取り出した金棒を振り上げ、白いタヌキに向かって振り下ろす。
『んぎゃあああああああ!!!!』
タヌキはその場で高く跳びあがり、くるくると空中回転し総一郎が背負う籠の中に飛び込んだ。
「お見事!!と言いたい所だけど、その中農具が入ってるよ」
『ぎゃあああああああああ!!!!』
籠の中には鍬や鎌などの刃物がむき出しの状態で入っていた。籠から悲鳴をあげるタヌキの首筋をラムウルは掴み上げはるか彼方へと投げようと振り被ったが、その腕を総一郎に取られてしまう。
「待ってラムウルさん、ハクゲイさんに一度見せてみよう」
「こいつは<あやかし>だ。食えんぞ」
「いえ、このタヌキからは絡新婦のような悪い気は感じませんし、それに食べれるか食べれないかはハクゲイさんに聞いてみないと…」
『ひいいいいいいいいい~~!!』
タヌキは恐ろしさのあまり気を失ってしまった。
「悪ふざけがすぎたかな?」
「……」
***
暗い部屋を照らすのは小さな行灯だけで、その僅かな光の中でハクゲイは研ぎ石に刃を当てていた。しゃり、しゃりという刃物を研ぐ鈍い音でタヌキの意識は覚醒をする。頭上を仰げば研ぎ石と刃があり、包丁を握る手は皺くちゃで、その人物を恐る恐る見上げれば鬼婆が薄ら笑いを浮かべながら舌舐めずりをしていた。
『ぎゃああああああああ!おーにーばーばー!!!!ひいいいい』
「だからお前はうるさいと言っているだろう!」
「タヌキ君、気持ちは良く分かるよ」
「……」
ラムウルはタヌキの突き出した鼻周りを握り締め強制的に黙らせた。
「お前は<あやかし>だな?」
鼻周りを掴まれた状態でタヌキはコクコクとすばやく頷く。
「ラムウル、離してやれ。それでどうしてここに居たのだ?」
『……こ、故郷が<あやかし>達に荒らされて…な、仲間達は全て食べられてしまい』
命からがらタヌキの棲み処から飛び出し、たどり着いたのは人里で、白いタヌキは珍しいからと見世物小屋に売られそうになり、逃げ込んだのは<鬼ヶ島>へ向かう船で、とりあえず身を隠そうと登った山が<鬼>が住む屋敷へと連なる場所だったとタヌキは語る。
「で、どうするんだ、こいつ」
「そうだな。お前は何か芸が出来るのか?」
『い、いえ…98%タヌキで残りの1%が豆狸という<あやかし>なんです』
「タヌキ君、残りの1%は何なの?」
『や、優しさで出来ております』
「……」
「……」
「……」
ハクゲイは行灯の明かりに包丁をあて「もう少し研がないと上手く裂けないな」と呟いた。
『ち、ちょっとだけ人に化けたり、幻を見せたりででで出来るかもです!!!!』
「そうか。だったら総一郎と<契約>すればいい。身の安全だけは保障しよう」
「婆さん、もう動物は要らないだろう?」
「何かに役立つかもしれんだろう。それにこちらの配下に置いておけば悪さも出来んさ」
『……』
「総一郎も構わないだろう?」
「はい」
「豆狸よ、どうする?」
タヌキはぎゅっと目を瞑ったが思い出すのは恐ろしい記憶ばかりで、ぶるりと体が震えた。もうあのような怖ろしい事に遭いたくは無い、しかしここにいる<鬼>を信用してもいいものかとタヌキは戦きを隠せずにいる。
総一郎は固まって動かないタヌキを持ち上げ、目線を同じ高さにした。
「タヌキ君、さっきはからかってごめんね」
『……』
「ここにはね、他に虎と狐の<あやかし>が住んでいるんだよ」
『!』
「皆、…色んな意味で捨てられたみたいなんだけど仲良く暮らしているんだ。そうだよね?」
その言葉を合図にそろそろと襖が開かれる。ハクゲイの部屋の前には美雪とアメリが居て、聞き耳を立てていた。
『えへへ、バレてた?』
「私は盗み聞きなどしていません。お茶を出す時機を見計らっていただけです」
「とまあ…こんな感じなんだけど、どうする?」
『うううううう』
完全に混乱状態に陥ったタヌキにラムウルは追い討ちを掛けた。
「十秒以内に決めろ、こいつと<契約>するか・しないかだ!」
『ううううう……』
「まあ、こんな所か」
『ッ!!!!』
ハクゲイの包丁研ぎの完了と共にタヌキは『<契約>お願いします!!!!』と叫んだ。
「ほれ」
「え?」
研いでピカピカに輝く包丁をハクゲイは総一郎に差し出した。
「え?じゃない。<契約>には血が必要だ」
「……」
まさかハクゲイが研いだ包丁を自分が使う破目になるとは思いもしなかった総一郎は、受け取った柄を握り締めながら深いため息をつく事となる。
こうして<契約>を交わしたタヌキは新たな高台の屋敷の住人となった。
「タヌキ君名前は?」
『矢島といいます』
話を聞けば豆狸達は家族ごとに名前はあるが、個人の名を持っていないという。
「だったら総一郎、名を決めてやれ」
『!!』
豆狸の矢島は期待に満ちた表情で総一郎を見上げていた。
(うわ、どうしよう。ポン太とかポン吉しか思い浮かばない)
突然の名づけ親という大抜擢に冷や汗をかいていたが、頭に被っていた手ぬぐいで汗を拭きつつ、部屋を見回して何か思いつかないかと視線を泳がせる。
「ポン太とかポン吉でいいだろう」
『そんな!それじゃ鬼の子に鬼太郎と付けるのと同じ位単純です!!!!』
ラムウルの茶々に矢島は全力で反発をしていた。やはりポン太とかポン吉では駄目らしい。きょろきょろと見回しているうちに美雪と目が合う。
(そうだ。山田君と同じように雪がつく名前にしよう)
ラムウルが黙らせようと豆狸の口元に手を伸ばしている所だった。矢島は掴ませまいと体を丸め、口元を守っている。その姿は大福の様にも見えた。
「雪見…でいいかな?」
『!!』
元ネタはアイスだったが嬉しそうに跳ね回る矢島を見て、この事は墓場まで持っていこうと総一郎は心に誓った。




