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ふりむけば、鬼嫁。  作者: 江本マシメサ
第三話「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
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三十一

 ラムウルが居間で倒れてから一時間が経つ。依然として頭を抱え、悶え苦しむ様子を高台の家人達はただただ見守る事しか出来なかった。

 その間ハクゲイはお湯に睡眠薬の粉末を混ぜ、上半身を総一郎に起こしてもらった状態でラムウルの口に含ませようとしていたが、激しく動き回っていた為その液体が喉を通る事は困難を極めていた。


「お手上げだな、せめて眠ってくれたらと思っていたが」

『ラムウル~どうしちゃったんだよ~』

「……」


 総一郎は苦しむ鬼の娘に触れようとするが、暴れるようにのた打ち回っていた腕に激しく払われてしまい、伸ばした手は自らの顔面に跳ね返る。そしてその衝撃により掛けていた眼鏡は外れ音も無く畳の上に転がっていった。


『だ、大丈夫?』

「平気」


 <あやかし>の姿を封じる眼鏡が外れた事によって、<鬼>へと変化していた。総一郎は白くなった手のひらを見つめ、黙り込む。


『総ちゃん?』


 様子のおかしい後姿に声を掛けるが、薄い反応しか返って来ない。


「ーー白紙に、返したんだ」

『え?』

「だったらまた返せば…」

「なにを!!」


 ハクゲイが叫ぶのを皮切りに総一郎はラムウルの腕を握り締めながらのろいの言葉を呟く。腕を掴まれた体はビクリと跳ね、苦悶の表情から苦渋のものへと変わっていく。


「白紙だと?ーーまさか<白紙返し>…!」

『ハクゲイ!何なのそれ!』

「<白鬼>にかつて存在した能力だ」


 <白紙返し>それは<白鬼>のみが使えるのろいで<起こってしまった出来事を無かった事にする>力だという。その呪われた力については一族にのみ伝承が語り継がれていた。


『なんでハクゲイが知ってるの?』

「髪の色を見て気付かんかったのか! わしは<白鬼>だ」

『ええー! それ白髪かと思っていたよ』

「……」 


 ハクゲイと美雪よしゆきが話をしている間にラムウルの様子は落ち着きを取り戻し、荒かった息遣いも穏やかなものに変わっていた。

 そしてその容態に安堵をする暇もなく、総一郎は彼女の体を激しく揺すり声を掛けはじめる。


「起きて下さい」

『ちょ、総ちゃん!?』

「お願いです。起きてください、ラムウルさん!」

『ええ!? もうちょっとやさしく起こそうよ~』

「山田君、何か声を掛けて下さい!」

『声をって何を』

「ラムウル、起きんか!」

『な! ハクゲイまで』

「美雪よ、何か歌え」

『う、歌? 急に言われても~』

「うるさい!!!!」

『ほら! 怒られたじゃん!! --え?』


 布団の上に横たわっているのは険しい表情を浮かべるラムウルだった。眉間には皺が寄せられ、金色の瞳には不機嫌な色合いが滲んでいる。


『総ちゃん、ラムウルだ、ラムウルだよ!』

「そうだね」

「ーーッ総一郎!?」


 ラムウルは勢いよく起き上がると、目の前にいる白い鬼を穴が開くほどに凝視をした。


「ほ、本当に、お前は、総一郎なのか?!」


 震えながら問いかけられる言葉に総一郎は静かに頷く。ラムウルは傷一つ無い首元を見ながら、ここに居る<鬼>は本当に異世界からやって来た男なのかと疑いの目を向けた。


「本当に、お前は……」

「良かった、ラムウルさんだ」

「!!」


 安堵の息を吐きながら破顔するのは、紛れも無い総一郎そのものだった。あのときラムウルに暗い微笑みを向けていた<白鬼>とは違う。


「ラムウル」

「……婆さん、私はーーッ大変な事を…してしまった」

「何が起こったのか、話せるか?」

「……」


 ラムウルは口を開き話そうと声を振り絞ったが出てくるのは嗚咽ばかりで、自身の情けなさに失望する。しかしいつまでもこうしている訳にはいかない。

 話さなければーーあの日起こった事実を。涙で濡れた頬を両手で叩き、気力を注入した。 


「私はどの位こうしていたんだ?」

「半月程だな」

「そうか…皆に迷惑をかけた」

『大丈夫だよラムウル~』

「……」


 強張った表情を浮かべるラムウルに美雪は頬をすり寄せ、緊迫した場を和ませる。そうして未だに震える口元を手で隠しながら、半月前の晩の出来事を静かに語り始めた。


「あの日…行方が分からなくなった総一郎を、白い狼に導かれるようにして山道にある崖下で発見をしたんだ。私は月明かりを浴びて化け物の姿になっていて、見つけたのはいいものの致命傷を負っていた総一郎をどう運べばいいのか考えている時に…あいつは突然あらわれた」 

『…あいつ?』

「ああ、奴は何故か総一郎と同じ顔をしていて、<ソウ>という名を名乗った」

『やっぱりソウ君で間違い無かったんだ』

「そいつが言うには……自分と、総一郎の体を入れ替えれば、全てがーー、うまくいくと」


 視界の隅に映る白い鬼を直視をする事が出来なくなっていたラムウルは、膝の上に置いていた震える両手をきつく握り締める。


「ーーでも体の、入れ替えに関して最終的に決めたのは私なんだ」

「……」


 ラムウルは顔を上げ、今度こそ総一郎に正面から向き直った。頭を下げひたすら謝罪の言葉を呟く。


「済まない」

「…顔を上げ」

「済まなかった!」

「大丈夫、ですから」

「私は一人で生きるのが怖くて、ずっと恐ろしいと考えていてーーついあの男の甘言に乗ってしまったのだ」

「ラムウルさん…」

「わ、私は元に戻す事が、出来るんだ」

「え?」

「お前を、元の世界に戻す術を知っている」

「!」


 ラムウルは<地獄送り>についても語った。元の世界に戻り、ソウと接触を取れば<人>の姿を取り戻す事も可能だとも話す。


「……」

『総ちゃん!』

「総一郎…」

「あの…盛り上がっている所に心苦しいのですが」


 申し訳なさそうな顔をする総一郎は先ほど転がった眼鏡を掛け直し、一連の騒動で乱れていた着衣を直している。


「それでもここで暮らしたいと……」

「!」

『!』

「ば…!」


 ラムウルは信じられないと目を見開き「馬鹿だろう!」という言葉を飲み込む。


「ーーそう、そうか…良かったな、ラムウル」

『総ちゃん、ありがとう! ラムウルの事よろしくね!』

「お、お前ら何を言っているんだ!?」

「ハクゲイ様、お昼の準備が出来ました」

「そうか」

『アメリーお昼何~?』

「卵かけごはんです」

『うっわ、めっちゃ手抜き!!』


 ハクゲイと美雪はアメリに付いて行き食堂へと行ってしまった。取り残されたラムウルは相変わらず呆然とするばかりで、部屋の中も何ともいえない気まずい雰囲気に包まれている。


「迷惑でしたか?」

「……」

「思索を重ねましたが、元の世界に戻るという選択肢は無いと。ーーここでの暮らしを単純に気に入っているんです」

「な、何故だ!? …その悍ましい体の事は知っているのか!元の世界に帰らなきゃ<人>へ戻る事は出来ないのに!!」

「<鬼>の事は全て聞きました。しかし普通に暮らす分には<人>となんら変わりない事も分かりましたし…それに私もあの日の事を思い出したんです」

「!!」


 半月前のあの日、ハクゲイの知り合いを名乗る女性を背負いながら帰宅する途中に、崖の上で背中を押され転落をしてしまった事、頭と身体を強打し数時間意識を失っていた事、そして<白鬼>の力を使い首を刈られた事を無かった実相にしてしまった事。


「そんな事が…どうしてその力を知っていた?」

「分かりません。ラムウルさんが無意識に<地獄送り>をした様に、この体に刷り込まれた本能…みたいなものだと考えています」

「……」


 <真なる鬼>としての本能。知らないうちに誰かを呪い、災いへと巻き込んでしまう<あやかし>の恐ろしさにラムウルは全身が粟立つのを覚えた。


「またあの<あやかし>達はラムウルさんを狙って来るでしょう。再びあのような状況に出くわしても自分には何も出来ない事は分かっていますが、それでも見過ごして自分だけ助かるなどと思っていません」

「…お前は本当に、馬鹿野郎だ」

「そう、ですね」


 総一郎は立ち上がりラムウルへと手を差し出す。差し出されるがままにその手を取ろうとしたが、本当にこの手を取っていいものかと躊躇い伸ばしかけた手を引いてしまう。

 しかし総一郎は引っ込みかけたラムウルの手を握りると一気に引き寄せた。


「わッ!」

「……」

「な、何を笑っている!」

「いえ、前にもこんな事があったなって」

「……」


 いつの事だったか、帰りが遅いのを心配したラムウルが村までわざわざ探しに来て、子供達と遊んだ後で立ち上がる気力さえ残っていない総一郎に手を差し出した事があった。


「あの時とんでもなく汚いものを触ったみたいに手を振り払われて、少し傷ついたんですけど…そんなに嫌われているんだなって」

「あ、あれは!」


 その時ラムウルは何の気もなしに手を差し出した。しかし大人になってから異性と触れ合う事が無かったので急に恥ずかしくなり、その感情を誤魔化す様につい乱暴に手を離してしまった訳だが、そんな些細な感情の変化など総一郎には理解出来る筈も無い。

 その日の事を思い出し、ラムウルの顔は血が上って赤みを帯び、繫いだ手を荒々しく振り払った。

 そしてまた傷つけるような行動をしてしまったと恐る恐る顔を見上げれば、総一郎は困ったように微笑み、ラムウルを見下ろしていた。


「違う!」

「…?」

「あれは汚いと思ったんじゃなくて、その、うう…そう、急いでたからだ! それにお前の事は、その…案外嫌いじゃない!」

「そうでしたか」

「そ、そうだ。この話は終わりだ!」


 そう言い捨てると閉められた襖を乱暴に開き、食堂へ続く廊下を大股で進んで行く。総一郎も後に続き、皆の待つ場所へと歩いて行った。


*****


 翌日から驚くほど以前と変わらない日常が帰って来た。帰宅をしても三つ指をついて出迎える嫁の姿を見る事は二度と無かったが、代わりにその日からラムウルは夕方になると総一郎を向かえに来るようになった。

 

「おい、帰るぞ」

「ああ、もうそんな時間ですか」

「ボケッとしてたら日が暮れてしまう」

「そうですね」


 ラムウルはずんずんと来た道を戻って行く、相変わらず並んで帰る気は無いらしい。しかし何度も振り返っては「早く来い!」と急かし、暢気な総一郎に発破をかける事を忘れない。そんなラムウルの後を苦笑しながらも付いて歩き、高台の屋敷へといつもの様に帰宅をした。

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