三十
ぎしぎしと歩く度に軋めく廊下を歩き自室へ戻ろうとしていた時、急に背後から腕を掴まれ振り返ればハクゲイが居て、総一郎は叫びそうになった口元を押さた。
「話がある」
「ーーはい」
ハクゲイの部屋に連れられ勧められるがままに、座布団の上に腰を下ろす。
この屋敷には外の明かりが一切入らないような構造になっており、昼夜問わず部屋には行灯が灯されている。
その為消費する蝋燭や油は普通の家の倍以上かかり、総一郎は節約になればと思い安い魚油を使っていたが、ハクゲイから魚油は臭いから使うなと使用禁止命令が出されてしまったのはつい数時間前の話だった。
「何故この屋敷に窓が無いのか説明をしていなかったな」
昼間から当たり前のように灯される行灯を見つめる視線に気がついたからか、ハクゲイは語り始める。
総一郎もそれとなく疑問に思っていた事だったが、目まぐるしい日常の中での些細な疑問など切り捨てていたために、特別に気にする事もなかった。
「屋敷に窓の類が無いのは、ラムウルの<真なる鬼>への変化を防ぐ為なのだ」
「<真なる鬼>?」
<真なる鬼>とは普通の<鬼>とは違い、月光を浴びると他の<あやかし>と同じように力を得て、姿もおぞましいものへと変化する。
古の時代に<滅する者>から受けた封印の力を跳ね除ける<鬼>など今まで存在しなかったが、何故かラムウルだけは月明かりを浴びると<あやかし>としての姿に変化をしてしまう為、空に近い位置に聳える高台の屋敷には窓が無いとハクゲイは話す。
淡々と語る衝撃の事実に総一郎は息を呑んで聞き入っていた。
「普通の<鬼>では無いラムウルの寿命は普通の<人>とは違い何百年とある」
「……」
その長すぎる生涯を共に過ごすラムウルの子孫が彼女の生きる光になればと思い、ハクゲイは必死になって婿を探してきた。その件についても包み隠さずに総一郎へ伝える。
「<真なる鬼>とは他に存在しないのでしょうか?」
「そうだ、と言いたい所だが…」
「?」
「まだ確証は無いが、お前のその体の持ち主は<真なる鬼>かもしれないと」
「!」
ハクゲイはこの世界の総一郎、<ソウ>は普通の<鬼>だと思っていた。しかし先ほど鳥が話す言葉が理解出来るようになったという事を聞き、考えを改める。
普通の<鬼>には<あやかし>のように不思議な力など身に付いてはいない。
「まだ、この事は話すべきでは無いと思っていたが…」
「……」
「済まない」
「いえ、ーーまだ混乱をしていて」
「……我らは本当に自分らの事しか考えていないのだ、本当に済まないと思っている。お前のその体が今<真なる鬼>なのかもしれないと分かり、安心をしているのだ」
「…………」
何かを考える素振りを見せる総一郎を前に、老婆は胡坐をかいて座っていた座布団の上から急に立ち上がり、畳の上に直に正座をし直すと頭を深く下げ、許しを請うように平伏をした。
「! ハクゲイさん、何を」
「ーー許してくれ総一郎、本当に勝手な事だと思っている。娘を、ラムウルの事をどうか、見捨てないでくれ!お願いだ」
「…………」
答えなどすぐに出てくる訳など無い。何故このような事になってしまったのか、何故ラムウルの記憶が無くなってしまったのか、応えられるものなど存在しなかった。
「少し考える時間を下さい」
「……早まった事をしてしまった」
「いえ…分からない事だらけで、何か情報があれば知りたいと思っていました」
無知は恐ろしいと総一郎は考える、しかしながら知る事も同時に恐ろしいと感じていた。知らぬが仏という言葉があるように知らなければ仏の様に平静でいられるのだ。
そして同時にラムウルの事も考える。まだ二十歳も過ぎたばかりの若い鬼の娘は、粗暴でいきなり現れた異世界人に分かり易い嫌悪感を向けつつも、帰りの遅い総一郎を心配して迎えに来てくれたりと優しい一面もあった。そして女性の考えている事の察知が苦手な総一郎は、ラムウルの歯に衣着せぬ物言いを好意的に思っていた。
まだ出会って半年しか経っていない。ゆっくりと話す機会も少なく、あからさまに嫌われているのは分かっていた。それにいきなり言い渡された結婚が嫌だと思う気持ちは総一郎もよく理解出来ていた。
「以前にもお話をしたかと思いますが、ここに来る前にお見合いをしていました」
お見合い相手は社長令嬢で十五歳年上だった。その女性を一度も結婚相手として見た事も無かったし、出来ればお断りをしたいと即座に思ったが、社長の鋭い瞳が「断ったら首だ」と無言で語っていた。
「よく知りもしない、ましては歳の離れ過ぎた人との周りが勝手に決めた結婚なんて、誰だって嫌だと思うんです」
「……そうだったな。ラムウルどころかお前の気持ちを軽視してしまった」
「最初は、訳が分からない状況になって自らの保身の為だけに結婚を了承をしました」
「本当に、本当に済まないと思っている」
「……」
「もし、ラムウルの記憶が戻らなかった場合、こちらでお前が元の体に戻る術を調べよう。山田の家や伊集院家を突けば何か方法が出て来るかもしれん」
「伊集院家?」
「ああ、これも言ってなかったな、わしとラムウルに血縁関係は無い。養子なのだ」
<鬼>に戸籍は存在せず、正確に言えばハクゲイの夫・山田誠司の養子としてラムウルの名は山田家の家系に連なっている。
子供が出来なかったハクゲイと誠司に対してラムウルは夫婦の子供として引き取られたが、歳が離れ過ぎて居た為、孫という扱いにしたほうが自然だろうという事から幼い少女に「婆さん」「爺さん」と呼ばせていた。
「伊集院家とはラムウルの生家で<あやかし>の秘密を外部に漏らす事無く握っているよく分からん一族だ。<滅する者>の血筋である山田家に続いて呪いの扱いにも長けていて、もしかしたら異世界を行き来する方法なども知っているのかもしれない、これも確証の無い話だがな」
元の姿や世界に戻る為に示した道など机上の空論に過ぎない事はハクゲイにも分かっていた。可能だとしても山田家や伊集院家が情報を提供してくれる筈は無い。しかしそうでもしなければ追い詰められた表情を見せる異世界の若者が駄目になってしまうのではと思い、余計な声掛けと分かっていても言わずにはいられなかった。
「また後日話を聞いてもらう事になりますが…」
「そう、だな。こちらもまだ話をしなければいけない事もある」
ハクゲイの部屋の襖を閉め、総一郎はため息をつく。頭の中はぐちゃぐちゃで整理など出来ていなかった。ハクゲイも一人で抱えるのが限界だったのだろうと考えれば納得出来ると思い込むが、胸の中の蟠りはそう簡単には拭えない。着物の袖を引かれ、ふりむけばラムウルの姿があった。心配そうに顔を見上げ、昼ごはんの準備が出来たので食堂に来てくださいと声を掛ける。
「旦那様、どうかなさいましたか? 先ほどから何度かお声を掛けていたのですが」
「……」
「?」
数百年という永い生涯を一人で生きていかなければならないという苦しみを、他の<鬼>とは異なる姿をその身に抱え、光の入らない屋敷で暮らさねばならない事実を彼女はどう思っていたのだろうかと考える。
普段の様子からは想像も出来なかったラムウルの闇を知り、今までのように見る事が出来なくなっていた。
そして現在、記憶が無いのは幸せな事ではないのかとも考える。
「旦那様?」
「ああ、ごめん。ーー今日のお昼ごはんは何かなって考えてた」
「まあ、そんな事で黙り込んでいたのですね」
そう言いながら柔らかにラムウルは微笑む。そんな表情など今まで見た事がなかったので呆気に取られていたら、いつも間にか部屋から出て来たハクゲイに「いちゃつくのは大変結構だが、場所を考えろ」と言われてしまった。
******
それから数日が経ったがラムウルの記憶は戻る事は無く、穏やかな日々が静かに過ぎていった。
季節は冬になり雪がチラつく日もあったが、畑に植わる野菜は寒さから身を守る生理機能が働いてその身に糖分が蓄えられ、おいしい作物が育つと総一郎は聞いた事があったので、この寒さは必要な事だと思い、自らも寒さと戦いつつも畑仕事に精を出した。
「ラムウル様の見事な働きっぷりのおかげで私は素晴らしくーー暇を持て余しています」
無表情で総一郎に暇を訴えるのは屋敷に仕える鬼の少女・アメリで、ラムウルの淹れたお茶を居心地が悪そうに飲んでいる。
『だったら畑仕事を手伝えばいいじゃん』
「私は農作業に耐えれるほどの力がないのです」
そんなアメリに突っ込みを入れるのは、居間に暖房目的で置かれた火鉢の前から離れようとしない美雪だった。
『力が無いのならこの前みたいに力のある男の人の姿になればいいじゃ~ん?』
「?」
総一郎は美雪の言う言葉の意味が分からず、じっとアメリを見つめた。この少女がどの様に男の姿になるのか疑問に思ったが、赤い瞳が細められただけで答えを口にする気配は無い。
『あ~! 総ちゃんには言って無かったね。アメリは化け狐なんだよ』
「美雪様、化け狐では無く妖狐です」
「え?」
日本でも古くから狐や狸は人を化かす生き物の代名詞として御伽噺を通じて語り継がれていたが、アメリもその化かすのを得意とする<あやかし>だと美雪は言った。
いくら観察しても普通の<鬼>の少女にしか見えなかったが、観念したかのような表情を見せると着物の袖から枯葉を取り出して頭に載せた瞬間にアメリの体は煙に包まれ、白い体毛を纏った赤い瞳の狐が煙の中から現れる。
「うわ!」
『……』
二メートル程ある美雪とは違い、狐の体は尻尾を入れても一メートルに満たない小柄な体で、アーモンド型の双眸は石榴石の様な暗く美しい輝きを放っている。
『残念ながら異性に変化をするのは難しく、時間も限られています。それに昔から土を触ると湿疹が出てしまうのです』
『へえ~そうなんだ』
『それと同姓でも力がある存在に変化をする事は出来ません』
『万能な能力じゃないのね~』
『そうですね』
そんな獣二匹の会話を総一郎はほのぼのとした気持ちで眺めていたが、お茶受けを取りに行っていたラムウルの登場により中断を余儀なくされた。
『暇だったら結界張るの手伝ってよ~ハクゲイがこの前強力なものに変えたから正直一人では厳しいんだよね~そういえばアメリの<契約>はどうなっているの?』
合いの子ではない<あやかし>は昼間姿を現す事は出来ない。しかし<契約>を交わした<あやかし>は行動が契約者に制限される事があるが、昼夜関係なく姿を保つ事が可能になる。
『前の主人との<仮契約>は破棄されています。その後はハクゲイ様と結んでおります』
『だったら総ちゃんと結んじゃいなよ、偶然白い毛並みだし』
「<契約>に毛並みが関係あるの?」
『あるよ~総ちゃんは<白鬼>だから白い毛並みの<あやかし>としか<契約>できないんだ』
<あやかし>との<契約>は仮の物ならお互いの利害の一致だけで結ぶ事も出来るが、同じ属性を持つ者同士でなければ本当の<契約>は結べない仕組みになっていた。
「へえ、契約ってどうするの?」
『篠宮様の血を頂ければ完了いたします』
「そ、そうなんだ」
『<契約>をして頂ければ、私は今まで以上の力を得ることが出来、あなた様をお守りする事が可能になります。再びあのときの様な事があれば一番に御許に駆けつける事も出来るでしょう』
「ーーそんなもの、必要ない」
「ん?」
声のした方を見れば今まで大人しく話しを聞いていたラムウルが湯のみを両手に握りしめぶるぶると震えていた。湯のみの中のお茶はぐらぐらと煮立った様に沸騰している。
「…旦那様、総一郎、は…私が守、ーー痛ッ」
ラムウルは頭を抱え苦しみだし、その場に勢いよく倒れこむ。
その騒ぎを聞きつけたハクゲイが居間に来て、畳の上に転がり呻くラムウルを一瞥すると、家人に指示を出した。
「総一郎はラムウルを部屋に運べ、美雪は先に部屋に行って布団でも敷いてこい。アメリはお湯を沸かせ」
『り、了解』
『わかりました』
美雪が居間を飛び出し、総一郎もラムウルを抱えて後に続く。アメリは鬼の少女に変化をして台所へ向かう引き戸に手を掛けた。
「アメリよ、やってくれおったな」
「……申し訳ありません」
引きかけた戸を開き、アメリは台所へ続く廊下を駆けた。その後ろ姿をハクゲイは厳しい目つきで眺めていた。




