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ふりむけば、鬼嫁。  作者: 江本マシメサ
第三話「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
27/44

二十七

 総一郎が夜の村で行方不明となり、翌日救出されてから今日で二日目、未だ意識が戻る事は無くラムウルと二人揃って昏睡状態が続いていた。

 屋敷の住人の心情を表すかの様に外は土砂降りで、静寂が包み込む部屋の中を、雨が降る音だけが響いている。

 そんな中、ハクゲイと美雪よしゆきは目覚めぬ白い頭髪を持つ鬼の覚醒を待っていた。


『何で二人共目を覚まさないんだろう…<あやかし>の呪いを受けているとかじゃないよね?』

「それは無い。もしも呪いが原因であれば、ラムウルはとっくの昔に目を覚ましている」

『どういう意味?』

「ラムウルに<あやかし>の呪いは効かんのだよ」


 ラムウルには<あやかし>の呪いが効かない伊集院家の血が流れている。

 何故伊集院家の人間が<あやかし>の呪いを無効化にする事が出来るのかは解明されておらず、鬼を退治した滅する者の一族と何か関係があるのでは?という憶測も飛び交っていたが、いずれにしろ謎は定かになってはいない。


『でもハクゲイのまじないは効いていたよね?』

「そもそも呪い<のろい>と呪い<まじない>は根本的に違うものだ」

『そうなの?』


 呪い<のろい>とは<あやかし>が使う呪術で、怨み・憤り・悲しみ・嘆きなどの負の感情を力の源とし、対象に言霊や念を送るだけで災厄を呼ぶ事が出来る、恐ろしい負の祝詞のりとだ。

 一方呪い<まじない>とは森羅万象の信仰を力の源とし、呪いを祓ったり悪しき者に抵抗する力を付加したりなどと補助的な効果をもたらす祝詞で、直接的に呪文を対象に刻まなければいけない為<あやかし>退治には使えないという欠点もある。


「ーーという事だ<あやかし>ののろいとまじないを一緒にしてもらっては困るな」

『へえ~そうなんだ、知らなかったよ』


 枕元でハクゲイと美雪がいくらうるさく話をしていても、閉ざされた白鬼の瞼はピクリとも動かずに、規則正しい寝息をたてて穏やかに眠るだけだった。

 時刻は夕方になり美雪は村全体に敷かれた結界を組み直す為に総一郎の部屋を出て行ってしまう。

 手持ち無沙汰になったハクゲイは部屋に持ち込んでいた仕事でもするかと、風呂敷に包んでいた道具を取り出して作業を開始する。


****


 部屋の中はしゃりしゃりという金属を研ぐ音と雨が降る音だけが存在を主張している。その音は心地よいものでは無く、眠る白鬼の肌に鳥肌だ立ち無意識のうちに眉間に皺を寄せた。


「う……」


 目覚めればそこは見慣れた黒い天井で、行灯に灯された僅かな明かりが部屋をぼんやりと照らしている。室内が少し魚臭く感じるのは魚油という魚から抽出された油を火の種として使っているからだろう。

 魚油は蝋燭などの固形燃料よりも半額以下で購入出来る庶民の味方だったが、いかんせん魚臭さが鼻を突き、煤なども出やすい事から好んで使うものは居ない。屋敷の明かりに使う油の大半は菜種油だったが、総一郎はちょっとでも節約になればと思い一人魚油を使っていた。

 そんな事よりも耳元から聞こえる不快な金属音の方が気になり、視線を音のする方へ向ければ、四角い研石で包丁を研く鬼婆の姿があった。


「う、うわ!」

「ーー!」


 よくよく見れば鬼婆はハクゲイだったが、老婆と包丁の組み合わせは恐ろしいものだと総一郎は改めて実感をする。


「び、びっくりしました…あの、ここで何故包丁を研いでいるのでしょうか?」

「お前は……」


 ハクゲイの表情は今までに無いほど驚いていた。何か顔に付いているのと思い、起き上がって顔を擦るが特別な違和感は無い。

 ただ身体に倦怠感があり、熱でもあるのかと額に手を当てれば無いはずの突起が邪魔をして、熱の確認をする事が出来なかった。


「あれ?」


 その妙な突起物は左右二箇所にあり、円錐の様な形でまるで鬼の角のようだと総一郎は思った。


「ハクゲイさん、なんかおでこに独創的なタンコブみたいなのが出来ているのですが、これは」

「ーー総一郎なのか?」

「え?」


 ハクゲイは手にしていた包丁を置き、総一郎の額に手を当て、「信じられん、何て事だ」と呟く。その様子に首を傾げたが、その時頬を掠めたのは白い頭髪で、見間違いかと思い前髪を一房掴んで見上げれば間違いなく自らに生えるそれは真っ白な髪の毛だった。


「ーーこれ、は…?」

「お前達に何が起きたというのだ?」


 ハクゲイは帯に入れていた鏡を差し出しながら問う。受け取った鏡に映るのは二本の短い角を生やした白い肌と頭髪を持つ<鬼>で、ありえない姿に総一郎は息を呑む。


「二日前帰って来るなりお前はその<鬼>の姿に変わっていた」

「二日前!?それと……鬼!?」


 何が起こったのかと聞かれ記憶を辿ってみたが、あの日水飴を作る手伝いをして、その後商店に納品をしに行った後の心覚えが無くなっていた。


「商店に行った後の記憶が無くて、一体何が起こったのか。それにこの姿は…」


 ハクゲイは二日前に起こった不可解な出来事について総一郎に語り聞かせた。崖下でラムウルと二人血まみれの状態で発見されたが、傷一つ無かった事。何故か白い鬼の姿に変わっていた事。


「そうか、ではラムウルの目覚めを待つしか無いのか」

「……」


 まだはっきりと状況が飲み込めず総一郎は再び鏡を覗くが、映し出されているのは<鬼>の姿だけで、見慣れぬ自らの存在という違和感を拭う事は出来ない。ハクゲイは枕元に置いてあった黒縁眼鏡を差し出すと、今すぐ掛ける様促した。


「それは<鬼>の姿を封じる物で、掛ける事によって<人>の姿になる事を可能とした道具だ」

「へえ……」


 言われた通り掛けた後鏡を見れば、いつもの自分が映りこみ安堵の息を吐いた。


「俄かには信じられないとは思うが、その<鬼>体は本来のお前の体では無い」

「ーーえ?」

「美雪が言うにはこの世界の<ソウ>という鬼の体だとか」

「……」


 ハクゲイは総一郎の着物の袖を捲くり手首に刻まれた二つの痣に見覚えがあるか訊ねたが、答えは否で彼自信もこの体が自分の物では無い事を半ば実感する。

 手首の痣は<ソウ>という鬼が十二歳の時に美雪と結んだ契約の証で、蔦が生えるように繋がるもう一つの痣は縁を司る呪いの痣だと言う。


「では、私と同じ顔を持つ者がこの世界に存在していたという事なんですね」

「そういう事になるのかもしれんな」

「……」

「もう一つ、憶測だがある可能性を考えている」


 それはこの世界と総一郎がいた世界は鏡の様になっていて、同じ存在が同じ運命を辿っている可能性があると美雪は示唆していた。

 その理由として総一郎の飼っていた美雪みゆきという名前の猫の話を例に挙げる。それは美雪よしゆきの出自と驚くほど似通っていたと言う。


「ソウも幼い頃に両親を失くし祖母に引き取られて育ったと、そして猫を拾いこっそりと育てていたが、見つかり処分をされてしまった」

「それは……」

「お前も経験した事だろう」


 ハクゲイが以前総一郎から聞いた、幼少の頃からの育ちについての話と、美雪が聞いた同じ名前を持つみゆきの話を合わせれば、ソウと総一郎が似たような道を進んでいる事が分かる。


「どうして体が入れ替わってしまったかは、ラムウルさんに聞くしかないんですね」

「そういう事になるな」


 机に置いた研ぎかけの包丁と研石を風呂敷に包むと、ハクゲイはラムウルの様子を見てくると言い部屋から出て行った。

 一人残された総一郎は布団を畳みいつもの作業服に着替えると、食堂へと続く薄暗い廊下を早足で歩く。ハクゲイは聞かぬ振りをしていてくれたが先程から空腹状態を激しく訴えていたのだ。

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