二十二
誠司が亡くなってから四年、「鬼ヶ島」は平和で恙無い毎日を送っていた。ラムウルが本格的に農業の手伝いを始めて早二年、今までは薬草を摘みに行ったり薬を調合したりする仕事を中心に行ってきたが、つい先日ハクゲイが畑で倒れたのをきっかけに、農作業を手伝うようになった。
薬の調合とは違い農業はたった一つの正解は無い。気候や土の状態、風を読み、与える水も重要でそれを一度に理解するのは難しく、長年携わるハクゲイでさえ未だに失敗と成功を繰り返していると言う。
「自然界の理を把握するのは至難の技だ。農業とはひたすら自然との付き合いになる、故に難渋を極めるだろう」
「薬を作って売ったほうが余程お金になるんじゃないか?」
「そうだな。しかし薬を商売とすればこの島は外部から目をつけられるだろう」
「……」
「鬼ヶ島」の山には豊富な薬草が自生していた。中には入手が困難な物もあり、その事実は隠すよう言い付けられている。
必要以上に採取すれば生態系にも影響を及ぼす可能性もあった為、薬は「鬼ヶ島」に住む人達が必要になる分だけ作っていた。
ラムウルはなれない仕事に四苦八苦しながらも毎日を穏やかに過ごしている。唯一変わらない事といえば夜眠れない事位だった。
いまだに瞳を閉じると幼い頃に「花の都」で技術者達にされた暴力の光景が頭に浮かび、動悸が激しくなる。毎日寝るというよりは意識を知らないうちに手放す、と表現した方が正しいのかもしれない。
ラムウルの夜とは長く、辛い幼少の記憶が蘇る恐ろしい時間だった。
そんな変わらない生活ががらりと変わるのは彼女の二十歳の誕生日の三ヶ月前の事。
突然の訪問客の出現によりラムウルの感情はかき乱される事となる。
「鬼ヶ島」の長閑な風景に溶け込まない男が高台の屋敷へ訪れた。見慣れぬ洋装を纏い、長い金の髪は結わずに流したまま、剣呑な雰囲気を漂わせる男はラムウルの母親の側近だと名乗った。
「ここにはお前らの姫様は居らんよ。居るのは山猿の様な娘だけだ」
ハクゲイは隣に座るラムウルを顎で差しながら言う。しかしその悪態にも男は怯まずに話を続けた。
「二の姫は我が一の姫の若い頃にそっくりですよ」
「そうかい」
「ええ。それで本題ですが、我が姫が羅夢様と再び共に暮らしたいと仰っていうのです」
「ーーな!」
側近の男は出されたお茶を一口飲むと、自らの主人の申し出について詳しく説明をした。
「一の姫は再婚をなさる予定で、新たな家族と共に姫とも暮らしたいと」
「馬鹿か、もう一度言う。ここには二の姫など居らん。さっさと帰れ」
「……」
ラムウルの母親が離縁していたという事実も初耳で、身勝手な提案に頭が沸騰し、目の前の男を殴り倒したくなったが、祖母の手前を考え震える拳を押しとどめた。
「羅夢様、何も心配は要りませんよ。我が姫の伴侶となるのはあなたと同じ<鬼>ですから」
『えええええ~! 何それ~酷くない?そのお姫様馬鹿なの?』
「……あなたは?」
『この家の猫だよ~んん』
「……」
『ねえねえ、君は何の<あやかし>なの? たぬき? きつね? ね~こ?』
「……」
いつの間にか部屋の隅にいた美雪が会話に首を突っ込み、これ以上話を進めるのは困難だと理解したのか、男はそそくさと帰って行く。
嵐は過ぎたと思いきや翌日も別の地味な男がハクゲイの屋敷を訪れ、同じ話をする為訪問をしに来た。
その地味な男はあまりやる気がない様であっさりと引き下がったが、その一週間後から毎日の様に側近の男たちが派遣した使いが訪れ、気が休まる時は無いとハクゲイは一人呟く。
『華のお姫様諦めないねえ~』
「馬鹿な女だ。ラムウルを出汁にして<鬼>の伴侶と上手く付き合おうという魂胆なのだろう」
『うう、ラムウル可哀想…ねえハクゲイ、そろそろ丸焼きにしてもいい?』
美雪が『丸焼き』にしたいと言うのは姫の側近や使いの事だろう。もちろんハクゲイは駄目だと首を振る。
『どうすれば諦めてくれるかな~』
「そうだな。……結婚でもさせてみるか」
『ぶぶッラムウルが、け…結婚!? 無理だよおー…あのお猿さんを引き取ってくれる寛大な人が居るとは思えないな~』
「……」
ラムウルは隣の部屋で薬を煎じながら、汚い言葉使いで悪態を限りを尽くしていた。おおよそは招かざる来客達の悪口で、気持ちも分からなくもなかった。ハクゲイは乱暴になった元姫君を見て落胆をした夫の気持ちを今更ながら理解し、どうしてこうなったのかと肩を落とす。
「探すさ、平穏な生活を取り戻す為にな。今度の市場にでも行って見つけてくるかな」
『市場に人の善い長生きなお婿さんも売ってるといいねえ』
「本当に価値のある男なら有り金を叩いてでも手に入れるさ」
『ふふふ』
「何だ?」
『だって気がついてないんだもん。ハクゲイがお金を一生懸命貯めているのはラムウルの為だって事に』
「……」
ハクゲイは決してお金が好きで貯めている訳では無い。自分が居なくなった長い人生の苦労を少しでも取り除く事が出来たらと思い、孫娘からがめついと罵られながらも金策に手を抜く事はなかった。
『お婿さん、見つかるといいねえ…』
「難しいだろうな」
『僕今日からお祈りするよ。ラムウルにやさしくて、寛大で、穏やかなお婿さんが来てくれますようにって! ハクゲイもお願いしてね』
「そうだな」
そう言ってハクゲイは隣で作業するラムウルのも声を掛け、畑に出かける支度を始める。
*****
畑仕事から帰ってくるなりアメリが玄関で出迎え、今日も「花の都」からの使者が訪れたと報告をした。いつもと違い一通の手紙を渡すとすぐに帰っていったという。
宛名には「羅夢」という文字が書かれており、裏をみればラムウルの母親の名前が記されていた。
どかどかと荒い足取りで自分の部屋まで戻ろうとしたが、明かりを持ってきていない事に部屋の前で気がつく。仕方が無いので廊下に点された行灯の光で手紙を読む事にした。
手紙には今までの謝罪の言葉と健康への気遣い、新しい結婚相手について書かれていた。そして再び共に暮らしたいとも記されている。
「一緒に暮らす? 冗談じゃない」
母親のラムウルに向けて言い放った「化け物」という叫び声は、母親との記憶を回顧する度に思い出し、頭にこびり付いて離れる事は無い。
「…地獄に落ちればいい」
母親も、再婚相手の男も、そして自分も。自分さえ居なくなればハクゲイ達にも迷惑を掛ける事は無くなるだろう、しかし彼女の願いは叶わない。
その時誰も居ないはずのラムウル部屋から物音が聞こえた。
「ー?」
ラムウルは行灯の中から蝋燭が置かれた皿を取り出し、自室の扉を勢いよく開く。
そこには見慣れない黒い服を着た黒髪の男が倒れていた。
「な、誰…、だ?!」
男から距離を置き、何度も声を掛けるが意識は戻らない。しだいに苛々しはじめたラムウルは男の腹部を足で圧迫し始めた。しかしながら男は苦しげな表情を浮かべるばかりで目を覚まさない。頭を一発殴れば起きるかもしれないと金棒を取り出し振り上げたところで偶然にも男は覚醒する。
目覚めた男は慌てて何かを手探りで探していた。彼から少し離れた場所に眼鏡が落ちている、それを探しているのだろう。男が眼鏡を見つけたのと同時にラムウルは掲げた金棒を振り落とす。
ラムウルの部屋に潜んでいたのは母親の側近の差し金かと思っていた。機嫌が悪かった事もあり、必要以上にきつくあたってしまう。
しかし一向に恍けた態度を止めない男に我慢も限界だった。この男を半殺しにでもすれば自分を引き取る事もあきらめるだろうとラムウルは考える。
金棒を振りかざし相手の脳天に向かって振り下ろすが、全て避けられ苛立ちも募る。
その時奥の部屋の襖の向こうから美雪の気配がした。部屋に行ったきり戻って来なかったので様子を見に来たのだろう。
声をかけ捕まえるように命じた。<あやかし>である母親の側近の前では構わないが、<人>である使者の前では喋るなと言っていたので美雪は律儀に「にゃ!」と返事をしてから男に飛び掛かる。
不審者を捕らえた美雪が異変を訴えるので確認をすれば男は<人>だったが、この世界の<人>とは違う気配を身に纏っていた。
ハクゲイを呼び話をすればこの男は異世界からの迷い人だという。
そしてあろう事かハクゲイは異世界人との結婚を勝手に決め、一緒に住まわせるという提案をして来た。




