二十
ラムウルは誠司と手を繫ぎ、高台の屋敷までの山道を早足で登っていた。誠司は六十七歳と高齢ながらも坂道で息が切れる事は無く、孫娘が話す他愛も無い話に相槌をうっている、その二人の後ろ姿にハクゲイはひっそりと頬を綻ばせた。思えば夫が出かけてからの一年はあっという間だったとハクゲイは振り返る。
一年前この「鬼ヶ島」に来たラムウルは、借りてきた猫のように大人しかったが、村の子供達の中に放り込めばあっという間に溶け込み性格も元々活発だったのだろう、気がつけば野猿の様になっていてどうしたものかと頭を痛めたが、村には男の子しか居なかったので仕方が無いと早急に諦めた。 そんな風に育ってしまったラムウルを見て誠司は肩を落としていたが、この村で暮らすには豪胆さも必要だと言えば、ハクゲイの夫は何ともいえない苦笑いを浮かべていた。
『お帰り~誠司ッ!』
「……」
屋敷の門の前には美雪が出迎えている、しかし誠司は呆けた表情のまま動かない。そんな祖父をラムウルは不思議そうに眺めていた。
「美雪、君は猫ではなかったのかい?」
『え?う、うん』
美雪は出会った時よりもかなり大きくなっていた。共に旅を始めた当初は鼻先からお尻の辺りまでの全長が六十センチほどだったのが、今では二百センチを超えている。
『あのね、僕猫じゃなくて虎なんだって。えへへ』
「とら?」
「知らないのか? この辺りには生息しないが、湿原に生息する猫の仲間だ」
ハクゲイは若い頃に一度、虎の実物を祭の見世物小屋で見た事があるらしく、大きくなりだした美雪をみて猫では無いと気がついたと語る。
「いやあ、魂消たなあ…そうかそうか」
『村の子供達は酷いんだよ、皆して太ったとか言って』
「ははは」
「笑ってないでさっさと部屋に上がれ、ラムウルは井戸で手を洗って来い」「わかってるよ!」
ラムウルは乱暴に言い放つと玄関の横にある井戸へ走って行く。大きな声にびっくりしたのか誠司の背中に背負う籠がビクりと動くのをハクゲイは目ざとく発見し、二年連続で拾い物をして帰って来た夫の尻を叩いた。
玄関前で汚れを落とした誠司は一年ぶりの我が家に安らぎを感じていた、しかしそれも一瞬の出来事でドスの効いたハクゲイの声で我に返る。
「ーーえ?」
「だから出せと言っている」
「今回もその、お金を稼げる様な案件は無くて…」
「金じゃない、その籠に入っているモノを出せと言っているんだ」
「ああ! そうだった」
本気で忘れていたのか、籠をゆっくりと下ろし蓋をあける。そこからひょっこり顔を出して来たのは、赤い瞳を持つ白い狐だった。ハクゲイは一目見てこれは<あやかし>だと気がつき顔を顰める。そんな妻の様子など気にも止めずに暢気に狐の紹介をはじめた。
「妖狐のアメリさんです」
「……」
『奥様、突然の訪問をお許し下さい』
アメリと呼ばれた白い狐は籠から出ると、深々と顔を下げ澄んだ声で謝罪を述べた。
「実は彼女は<人>に化けて<人>と結婚をしていたのですが、住んでいた村の人に<あやかし>である事がばれて家を追い出されてしまったらしいのです。それでうちで面倒を見れたらと思っているのですが」
「……」
『お恥ずかしい話で申し訳ありません。故郷には十五人の兄弟が居て居場所も無く…』
ハクゲイの眉間の皺が元に戻る事は無い。しかし衣食住の保障だけで賃金などは要らない事を確認するが否や眉間の皺は無くなり、屋敷の下働きとして住む事を承諾した。
アメリの尻尾が分かれていないなかったので若い狐だと誠司は見ていたが、今年で三十五になると言っていた。尻尾が分かれ始めるのは百を超えた辺りかららしい。アメリは「鬼ヶ島」で暮らすにあたって目立たない様に鬼の子供に変化をして生活を始めた。
*****
ラムウルが十歳を過ぎた辺りからハクゲイの仕事を手伝いはじめたが、意外な事に彼女の祖母は「子供の仕事は遊ぶ事だ」と言って外に遊びに行かせた。手伝いというのも稲刈りなどの人の手が沢山要る時のみで、細々とした作業は教えていない。
それからさらに時は過ぎてラムウルは十五歳になり、ちょっとは娘らしくなったかと思えば以前と変わらず野猿の様な振る舞いを続けていた。ハクゲイから若い娘らしく髪でも伸ばさないかと言われたが、手入れが面倒だと首を縦に振る事は無く、常に少年の様な形振りを止める事は無い。
しかしその頃からラムウルは積極的にハクゲイの仕事を覚えに畑について来たり、薬の調合を習いに来ていた。その中でも薬の煎じ方については勘が良いのか飲み込みが早く、若い頃調合を覚えるのに苦労をしたハクゲイは孫娘の意外な才能に感嘆をし、自らの持つ知識を余す事無く伝えた。
ラムウルと美雪が「鬼ヶ島」に来てからの七年間は穏やかなものだった。相変わらず誠司は<人>と<あやかし>の諍いに介入しては、大陸中の金にもならない事件を解決して回っていた。そしてずっと続くかと思われていた平穏な日々の終結は突然訪れる。
出かけてから半年しか経っていない誠司が帰宅をして、玄関で倒れているのをアメリが発見をした。徒ならぬ様子に打つ手も分からなかったので、急いで畑まで屋敷の主を呼びに行く。畑仕事から帰ったハクゲイは苦しげに胸の辺りを掻き毟るので夫の着物を捲り目を見張る。
そこには塒を巻いた蛇の様な痣が心臓の上に浮かび上がっていて、うごうごと忙しなく動いていた。
「いらんものを、連れて帰ってくるなと言っただろうに。馬鹿が…」
誠司は蛇の<あやかし>に取り憑かれていた。<あやかし>は勢い良く<人>の精気を食い潰している。一度<人>に取り憑いた<あやかし>を払う事は不可能だと以前誠司が言っていたのを思い出し、ハクゲイは絶望に囚われる。
アメリと協力をして寝室まで運び、誠司の体にとある呪いを施した。
「ハクゲイ様、それは?」
「……この男の命が尽きたのと同時にこの<あやかし>の命も尽きるようにするものだ」
「……」
「まさか夫に習った呪いが役に立つ日が来るとはな、ーーアメリよラムウルを呼んで来てくれないか?」
「…畏まりました」
アメリは山に薬草を摘みに行っていたラムウルを呼びに狐の姿に戻って野山を駆ける、尋常では無い様子の妖狐に驚いたが、彼女自身も事情を聞き血相を変えて帰る事となる。




