十七
南の大陸の端にある港町は様々な大陸の品の取引が盛んな場所だが、時間も夕方になれば閑散としている。普段出入りするのは商人や船乗りばかりで、町に住む住人はほとんど居ない。
月に一度ある朝市の期間のみ色々な地方から人が訪れてにぎやかになる、という変わった町だった。
日も落ちる頃、身なりの良い三人の男女が港町を練り歩いていた。女性は不機嫌なのかどすどすと足音をたてながら人通りの少ない町を進んで行く。
「もう! どこにも居ないじゃないッ。この私が遥々来たというのに」
「姫、お声が大きゅうございます」
男性の「姫」という言葉に近くを歩いていた船乗り達は女性を振り、ぎょっとする。鮮やかな猩猩緋色の振袖を纏う「姫」と呼ばれた女性はどう見ても齢四十は超えていた。
まるまるとしたふくよかな体は飢えを知らずに生きてきた証で、豪奢な着物は平民が一生をかけて働いても手にすることの出来ない高価な品だ。しかも彼女は図々しくも独身の若い娘のみ着ることを許されている袖の長い着物を着ている。
道行く貧民層に近い船乗り達は、期待外れの姫君から即座に目を逸らし舌打ちをした。
「アウロラの情報間違っていたじゃない!」
「申し訳ありません、我が姫」
男は謝罪の意を込めて自ら主人に向かって恭しく頭を下げるアウロラと呼ばれた男はこの辺りでは見ない服を着ている。単眼鏡を掛け紳士帽子を被り、西の大陸の召使い頭が着る様な礼服を纏っていた。ウエーブの掛かった長い髪は金色に輝いており、堀の深い顔をしている為和装よりも洋装の方が似合うだろう、という姫の考えで一人目立つ格好をしていた。
もう一人の姫と同じく和装の、特に特徴も無い地味な男マキエダは姫が描いた姿絵を眺めながら忌々しげに言う。
「しかし身長が百七十五ほどで黒髪黒目で眼鏡を掛けた男など沢山存在します。探すのは雲をも掴む様な話になりますよ」
「マキエダ!」
アウロラが不遜な物言いをするマキエダを窘めるが、姫君は気にする様子は無い。四十七歳の姫君の頭の中は愛しい人の事でいっぱいだ。
頬を染め潤んだ瞳は恋する乙女そのものだったがそんな浮世離れな行動が許されるのは十代までだろう、物語のヒロイン気取りで旅を続ける愚かな姫君をマキエダは呆れた表情で見つめる。
相方の男、アウロラも考えが読めず不気味だ。しかし<人>ではない自分達はこの姫に従うしか道は無い。マキエダは嫌々ながらも供としての仕事を全うする。
「アウロラ、いいの。私諦めないから。ーー待っててね、ソウくん!」
こうして姫君の決意も新たに息の合わない三人の捜索の旅は再開された。
****
高台の屋敷の引き戸をラムウルは勢いよく開く、しかし出かけた時と変わらない光景にため息をついた。
「居なかったか?」
「あ、ああ…」
商店に出かけたはずの総一郎が帰って来ない事に気が付いたアメリは、ハクゲイへすぐさま報告をした。ハクゲイは美雪に連れ帰って来る様命じたが、行ったはずの商店に行けば一時間も前に帰ったと店主は言っていた。
その後一時間ほど捜索をしたが見つからず、家にたどり着いているのではと思い帰宅したが、総一郎の姿はどこにも無い。
美雪と入れ替わるようにラムウルが探しにいったが、日も暮れ始め捜索も困難になり一度引き上げることにした。
かすかな期待を抱いて玄関の引き戸を引いたが、待っていたのはハクゲイと美雪、アメリだけだった。
「あいつ、どこに行ったんだ」
ラムウルは唇を噛み締め、拳を握る。夜の村が危険だという事は十分伝えていて総一郎自身もよく理解しているものだと思っていた。
-否、理解しているだろう。総一郎は<あやかし>の話をしてからは日が沈む前には必ず帰宅をしていた。
太陽が橙色に変わる時間になれば山道を走って帰って来るのもラムウルは何度か見たことがあった。
だからその辺を考えもなしにほっつき歩いている訳がないのだ。
『僕、もう一回行って』
「もう駄目だ」
『な、なんでえ!?』
「今もお前は正式な契約者が居ない状態だ。もしも何かが起こっていた時、冷静で居られるのか?」
『で、でも総ちゃん<あやかし>に襲われているのかもしれないよ!』
「美雪よ、お前が見境も無く力を振るえばこの村は一瞬で火の海になるだろう」
『!』
そう言いながらハクゲイは美雪の腹に指で文字を刻む。白い虎の体はビクりと跳ね、力なく地面に倒れこんでしまった。
「婆さん、美雪に何を…?」
「なに、少し眠ってもらっただけだ」
その時外から犬の遠吠えのようなものが聞こえハクゲイは息を呑む。この村に飼い犬は居ない、野犬なども陸から離れた孤島なので居るはずが無かった。この島の野生動物といえば野鳥に猪、狸、鼬位でその他の生き物の発見情報はここ五十年報告されていない。
ーー狼だ
声には出さないが皆思う事は同じで、このような状況で現れる存在といったら<あやかし>しか居ない。
先程から落ち着かない様子のラムウルにも美雪と同じ呪いをかけようと手を伸ばしたが、その指は空をきり触れようとしていた娘は引き戸を開け、夜の山道へと駆け出してしまった。
ハクゲイが孫娘の名を叫ぶのと同時に引き戸は乱暴に閉められる。
「ラムウルよ、どこに、行くというのか…総一郎はもう」
ーー死んでいるだろう。
ハクゲイは明日一番にも村の男衆に捜索をしてもらおうと思っていた。悲惨な状況を孫に見せる訳にはいかない。そう思っていたというのにラムウルは行ってしまった。
その時再び狼の遠吠えが聞こえた。今度はやけに近い、ハクゲイは不思議に思い引き戸に近づく。
「ハクゲイ様!」
アメリの引き止める声を無視して玄関口を開いた。
「な!」
「……」
扉の先には白い狼がいた。
静かに佇む狼は美雪よりも一回り大きく、月明かりを浴び銀色に輝いている。狼は襲い掛かってくる事もなく、ハクゲイを一瞥すると踵をかえし山道へ消えて行った。
「お前達は誠司だけではなく総一郎やラムウルまでも連れて行くというのか…」
ハクゲイの嘆きは、喪った者に届く事はなかった。
*****
暗い山道をラムウルはためらいもせずに走っている。
夜道を走る為に灯りなどは必要無い、なぜならば彼女には見えているからだ。
前方を確認せずに走り抜ける際に木の枝が頬を刺す事があったが、傷つく事は無い、
なぜならば彼女は<真なる赤鬼>だからだ。
月の光を浴び、ラムウルの姿は変わっていた。三センチ程だった角は湾曲するように左右対称に伸び、牙や爪も鋭さを増し、白い肌も褐色に染まる。
彼女だけが月明かりを浴びると<滅する者>の封印が解け、鬼の姿に戻る。理由はハクゲイにも<あやかし>に詳しいハクゲイの亡き夫、誠司にも分からなかったという。
屋敷に窓が無いのは夜の間月明かりを家に入れない為だった。
山道を風のような速さで下りると、村に人の気配が無いか地面に耳をあて澄ます。
しかし夜の村には獣の足音すらしない静けさが漂っていた。
(どこに…どこにいる?)
再び山を登るが狸の一匹すら出会わなかった。
肌が焼けるような強い月明かりを感じ、夜空を見上げる。こちらの状況を嘲り笑うような三日月だった。
(ここを、出ていったのか?)
ーーそうだったらいい、そうであって欲しいと。
あの生真面目でどこか抜けている男はこの村には、自分の婿になるには勿体無い、もっと明るくて気立ての良い娘と結婚した方は幸せになれるだろうとラムウルは考える。
もし結ばれたとしても総一郎の方が先にこの世を去るだろう。鬼の力を持たないハクゲイとは違ってラムウルは<あやかし>と同じ様に一人で老いもせずに何百年と生きる事はわかっていた。
考えたくも無い事実を思い出し頭を振る。今しなければいけない事は総一郎の捜索で、あの真面目人間が黙ってこの村から出て行くというのはありえない。
ーー村の何処かに居るのだ。
(どこに居る…どうして鬼の嗅覚や聴覚を使っても見つけ出す事が出来ない?)
その時、ラムウルの前に一匹の狼が現れる。目の前にいるのは普通の狼ではなく<あやかし>だ。とっさに金棒を出し構えるが相手に戦意は無い様で、あっさりと背を向け歩き出す。
「…?」
狼は何回もラムウルを振り返りながら山道を進んでいく。
「…ついて来いって言っているのか?」
なす術も無くなっていたので、不本意ながらも狼の後に続いた。
*****
狼は崖の前で止まりラムウルの顔をじっと見つめている。
「まさか!ここから落ちたのか?」
罠である可能性もあったが、狼からは<あやかし>に備わっているはずも無い神秘的な雰囲気を纏っていた。瞳には確かな知性を感じ、邪悪な気配は微塵も無い。
崖の下は岩場になっているが、霧が濃く下の状況を確かめる事は出来ない。
しかし迷っている暇など無かった。
ラムウルは躊躇いもせずに崖から飛び降りたが、着地に失敗をして体を岩に強打し、ごろごろと地面を転がった。痛みこそあったが鬼の屈強な体は傷一つ付いていない。
ラムウルは起き上がると辺りを見渡す。
霧が漂っていてよく見えなかったが、何者かの気配がいくつか存在するのを確認できた。
「!!」
そこに居たのは三つの白い毛玉の様な生き物だった。ぽんぽんのゴム鞠のように跳ね、何かの周りを囲んでいる。
「ーーそ…!」
白い毛玉が囲んでいたのは行方不明になっていた総一郎だった。頭からは血を流しうつ伏せになった姿から生死の確認をとる事は出来ない。
<あやかし>であろう白い毛玉は瞳も耳も無く、大きな口だけが毛の隙間からぱくぱくと動いている。
「お前ら、そいつから離れろ!」
『ナニ!』
『オニ!』
『マジ!』
白い毛玉は口々にキィキィ声を発し、金棒を振り上げたラムウルから距離を取った。空ぶったと思われた金棒から炎が生まれ、毛玉達の後を執拗に追いかけ襲い掛かる。
毛玉達は炎に囲まれ断末魔の叫び声をあげていた。
『メガアアアア!ア、目ナカッタ…』
『レ、レア!カ~ラ~ノ~…』
『ウエルダン!』
最後に『ヨク焼ケマシタ…』という言葉を残して毛玉の<あやかし>達は灰となった。
ラムウルは倒れる総一郎に駆け寄り心臓に近い位置に耳を近づけたが、弱い鼓動しか聞こえなかった。
「ーーッ!」
その鼓動は五年前祖父を看取った時の鼓動に良く似ていた。
このままでは死んでしまう。
「そん、な…何故、お前が善良な<人>死に、わ、私みたいな<化け物>が生きて、いるのか…」
苦しげな表情を浮かべる総一郎の頬に手を伸ばしたが、視界に入った自らの手は化け物の手だった。このまま触れれば傷つけてしまうだろう。
「…私が、地獄に落ちればよかった…のに」
自らを呪ってもその災いがその身に降りかかってくることは無かった。
「ーーああ、どこかと思えば帰って来たのか」
「!!!!」
ふいに背後から男の声が聞こえラムウルは振り返る。
「お、お前、は…?」
突然背後に現れた人物はラムウルがよく知る男の姿だった。
男も合点がいったのか「そういう事か」と呟く。
「どうやら二度目の試練という訳だね、決定権はあなたに譲るよ」
「なにを…?」
男は事の次第を手短に話しラムウルに答えを出すよう促した。
「悪い話じゃないでしょ?」
「……」
「さあ、どうする?」
ラムウルは男の問いかけに、躊躇いながらも頷いてしまった。
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『な…!』
翌日、捜索をしていた美雪が発見したのは、全身血まみれになったラムウルと総一郎の姿だった。




