Secret.20*
僕の婚約者は意地っ張りです。
僕の婚約者は忙しい人です。
僕の婚約者はとにかく同性に嫌われまくってます。
一夜の夢の様な初夏の大型連休も終え、出社する社員からも休みボケが抜け始めた頃、俺は自分の人格を《俺》から《僕》にシフトチェンジして、周囲の人間が望んでいる神崎 みちるに扮し、淡々と働いていた。
彼女と婚約したからには、《恋人》と関係を清算しなければならないのだが、それは下手すれば僕のイメージを壊しかけないので、今の所は自然消滅を狙っていたりなんかする。
その為には、是が否にでも彼女にも付き合って欲しいのだけど、彼女は忙しい上に、非常に有能な秘書でもある。
流石は僕の婚約者ですね。
「お前、そんな奴だったか?」
「失礼ですね。僕は前からこんな性格でしたよ。」
「そうか?いや、やはりお前は変わった。」
この人は千里眼か何かなのか?
僕が渡した書類をペラペラと捲りつつ、僕が密かに内定していた社内の勢力図に目を通しながらも、総務課長の地位にある自分を突いているのは、この【MIKAGURA】を背負って立っている御鹿倉社長だ。
彼は自分の会社に勤務している社員を疑っている訳ではないが、時折こうして内定調査じみた事を実施し、本来ならば経営者が首を突っ込む事もまずない人事にも、率先して関り、常に社員の行動に目を光らせている。
実は、既に今回も既に社長自らの判断によって被害者となってしまった女性が、僕の婚約者である彼女の下に就かされたのは、つい先日の事で。
確か名前は・・・。
「篠田さん、そうじゃないでしょ!!どうしてそんな無駄な事をするの。少しは野々下さんを見習いなさい。」
グットタイミングですね。
僕が今まさに思い出そうとしていた女性の名前を、指導係である彼女が大きな声で叱責した。
彼女は出来ない人間を叱ったりしない人だ。
彼女は出来ない人間だと断じれば、先の新人教育期間と同じ様に、放置する、ある意味、最も残酷で素直な独裁的経営者で、大人らしい大人だ。
大人は子供や学生とは違い、常に自分の立場と責任を追及され、更にはある程度大きな組織に関っていれば、自分の能力以上の成績を叩きだす事を求められ続ける、孤独な戦士でもある。
如何に狡猾な上司であろうとも、その場に立つまで、彼らとて血の滲む様な努力をしてきたに違いない。
それが近年、努力を忘れた極一部な愚か共なのせいで、若い社員は、必死にコミュニケーションや協調性を育もうとする上司の誘いを断り、裏で上司を見下す傾向が強い。
それでいて何かを失敗すれば上司が教えてくれなかったとか、パワハラだと言掛りをつけ、会社にとって必要不可欠な人材であった人を退職に追い込む。
経営陣は庇いたいが、庇えば庇うほど若い社員はその不満を簡単に、ネット上に流す。
その結果がどう繋がるのかも考えずに、だ。
ソレを熟知した上で、きっと彼女は篠田さんを教育しているのだろう。
「良い?確かに野々下さんは仕事してなさそうではあるけれど、電話の対応に関しては社内随一なのよ?声だけでその人の嘘や目的を看破出来るのは彼女だけなのよ?」
仕事もしてないで、男に現を抜かしている受け付けの女共にも見習わせたいわね、と、まで彼女に言わせたその本人は、明るい媚びた甘い声で「そんな事、ないですよぉ~」と、きゃらきゃら笑っていた。
僕からしてみれば、野々下さんと言う女性は、小宮かおり と同類に見えるのだが、それを言えばきっとあのヒトの事だ。
針葉樹の様な鋭い瞳でもって、僕を見下ろし、鼻で嗤うだろう。
「・・・おしいな。」
「――何がです?」
「惚けるな、天王寺の事だ。アレは女には嫌われるが、経営者としては俺と張るだろう。いや、花里や炯月家すらその気になれば潰せるだろうさ。アレの目は生粋の支配者の目だ」
表の支配者である花里と、裏の世界に強い炯月。
その二つの家を本気になれば潰せると、この社長に認められた自分の暫定婚約者。
そんな彼女に相応しい人間に《俺》を含めた人格はなれるだろうか。
「まぁ、お前と天王寺が無事に結婚したら、お前はこの会社に残って、幹部になればいい。――椅子はいつでも用意しておく。」
だから、アナタは千里眼の持ち主ですか!!
揺れる心をあっさりと見透かした上司をひと睨みし、外れ掛った神崎 みちる の仮面をかぶり直し“僕”は、目の前にいるヒトに対し、慇懃な礼をし、社長室を後にした。




