表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

まっさら

 ──花園殿はなぞのでん


 そこは、国を統べる天子がおわす天子宮の奥地にある、天子の子を生み育む場所──天子の為の後宮であり、天子宮の中でも特に警備の厳しいこの敷地内のどこかに、天子の寝所はある。

 ごく一部の側近と女官しか寝所の場所は分からない。正室や側室が夜伽に訪れる時は、下着姿にされた上に目隠しをされ、布団に包まれて運ばれるから、その場所を探ることもできない。

 よほどの体調不良でない限り、夜伽は毎夜行われる。今宵も、月の明かりも届かぬ寝所にて、今上天子の元に侍る女がいた。だが──その女は衣服をきちんと身に纏い、自分の足でここまで来た。

 板張りの床の上に直に座る彼女は、姿勢を正し、正面をじっと見据えながら口を開いた。


「花園殿、書物処しょもつどころ所属、朗読係の涅沼くろぬま千夜子ちやこにございます」


 千夜子の視線の先、薄布で作られた天蓋は閉じられ、布越しに、涅槃像のように横たわる男の姿が見えた。下半身には薄い掛け布団が掛かっているが、汗ばんだ裸体を晒す上半身と、彼の後ろに横たわる女の一糸纏わぬ姿から、情事の後と思われる。

 女は一言も発しない。目を凝らせばその身体は僅かに上下しており、耳を澄ませば寝息も聞こえてくる。女は疲れて眠ってしまったようだが、反対に男──今上天子・夏茜の瞳に眠気の色は見えず、つまらなそうに千夜子に目を向けている。


「朗読係は長いのか」

「一昨年より配属になりまして、その後間もなく絵畑えばた秋女御様に気に入られてからは、秋ノ(しゃ)の専属となり、秋女御様や神子様相手に朗読をさせてもらっておりました」


 話しながら千夜子の脳裏には、美しく微笑む秋女御の顔と、彼女が生んだ神子の愛らしい顔が、交互に浮かんでいた。

 秋女御とは、天子の四人いる上級妃の中で、三番目の地位にある側室。絵畑秋更衣は男爵家の出で、さる公爵家と実家が懇意にしており、その公爵家の紹介で入内してきた。天子の閨には何度も訪れており、神子を一人儲けている。


「ずっと、秋女御の元にいるのか」

「たまに神子様方を集めた朗読会に参加する以外は、秋ノ舎におります」

「……今宵、お前を寝所に招いたのも、その秋女御からお前の話を聞いたからだ。凛とした、聞き心地の良い声で朗読するんだとな。それで興味が出たが──その頬は、秋女御にやられたのか?」


 夏茜の言葉に、千夜子は咄嗟に右頬を押さえる。窓のないこの場所は灯りも乏しく、薄暗い。だというのに、秋女御に打たれて赤くなった千夜子の頬が、彼の目には見えているのか。


「何だ、本当に打たれていたのか」

「……ぇ」

「あいつは顔は美しいが、内面は嫉妬深い。俺の寝所にお前が呼ばれたと聞いて、そんな軽率な行動に出たのではないかと思ったが……」

「秋女御様は悪くありません」


 大きな声ではないが、その声は室内の隅々にまで響く。

 どこか、馬鹿にしたような吐息が、夏茜の口から溢れるのを千夜子は耳にした。


「どうでもいい。取り敢えず、いつも通りに仕事をしろ」

「……はい」


 膝の上に丸めた拳を置き、夏茜から目を逸らさぬまま、千夜子は口を開く。


◆◆◆


 まっさらな雪原に、男はおりました。

 腕の中には、生まれて間もない赤子。可愛らしき女の子にございます。

 彼女が凍え死なないように、男は布を何枚も赤子に巻きつけ、そして誤って落とさないように、大事に抱き抱えて進みます。


 男は逃げておりました。


 大切な赤子を連れて、ひたすらに逃げておりました。


◆◆◆


「……以上にございます」

「以上? それだけか?」


 千夜子は拳を開いて膝の前に添えると、ゆっくりと頭を下げる。


「いつも通りに語るのがお望みのようでしたので、いつも通り、秋女御様の望む長さで物語を作り、語らせていただきました」

「……秋女御はそれで満足するのか?」


 夏茜からの問いに千夜子は頷き、いつもの夜について想いを馳せる。


「私が語った内容について、秋女御様は床の中で想像を巡らせ、そうして頭を使い、いつの間にか眠る。という行為を好んで繰り返しておりました」

「……物好きな女だな。なら、俺もそうするべきか」

「お好きになさってください」

「……分かった、下がれ」


 夏茜から許しが出ると、なるべく音を殺しながら千夜子は立ち上がり、寝所の出入口に向かう。そうすれば来た時と同じように布で目を塞がれ、手を引かれて秋ノ舎に連れていってもらえるだろう。

 早く帰らなければ。

 あまりにも帰りが遅ければ、天子に手を付けられたと秋女御が勘違いをし、また暴力を振るわれるかもしれない。痛いのは嫌だ。

 秋女御は基本的には良い人だが、頭に血が上ると気性が荒くなり、接する態度も慎重になる。

 神子様の健やかな成長の為にも、秋女御には穏やかに日々を過ごしてもらわなければ。


 帰還直後に嵐は起きなかった。

 だが、翌日、嵐は吹き荒れる。


 ──千夜子は、天子の命により、天子専属の朗読係となることが決まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ