流れてしまう前に
千文字程度のフィクション小説です。
彼女が東京へ行ってしまうと知った。
だが、僕は一歩を踏み出すことはできなかった。
僕は気弱だ。今まで、どんな時でも、流れに流され続けてきた。
周りの環境に左右され、職もうまくつけず、辛い人生を送ってきた。
そんな中、バイト先で会ったのが彼女だった。いつも優しく、笑顔だった。
その笑顔に僕は気づいたら惚れてしまっていたのだ。
結局、彼女は東京に行ってしまった。
考えた。
これからどうやって生きていけばいいだろうか。
何を生きがいにして生きていけばいいだろうか。
何もない、僕には何もない。そう、たった一つの一番大切なものが遠くへ行ってしまったからだ。
あれから数年が経過した。流れに流れるままに職も就くことができ、
"平凡"な生活を送っていた。ただ、何かが足りない。
この生活の中に何か大きい穴が開いたような、そんな感覚が続いていた。
生活においての"楽しみ"そして"目的"がなかったからだ。
そんなある日のこと、僕はいつものように仕事を終え、電車で帰るところだった。
その再開は突然だった。真夜中のガラガラの僕一人の貸し切りのような列車。そこに一人の女性が乗ってきた。
「あっ」
思わず声を漏らしてしまった。真夜中の電車の中では声がよく響く。
その女性は"彼女"だ。
この駅は、あの時、途方に暮れ電車に乗った、まさにその駅だ。
その声に、彼女もこちらへ気づく。
そして、目が合う。
ここに沈黙が流れる。
「---久し、ぶり、だね」
「そう、だね」
気まずい空気が漂う。
そんな空気を勇気を振り絞り、かき消した。
『ちょっと、話さない?』
そんな僕の言葉に彼女は微笑み、頷いてくれた。
それから、いろいろなことを話した。
仕事のこと、今の生活のこと、そしてあの頃のこと。
しかし、とうとう、電車が彼女の降りる駅についてしまった。
ドアが開く。彼女と、またお別れをしないといけなくなる。
それは嫌だ。今日こそは…。
「…僕と、付き合ってくれませんか」
「---え」
ダメもとだ。こんな僕なんかがうまくいくはずはない。
でも『言わなかったせいで』と後悔はしたくない。
だから、この言葉にすべてをかけた。
「-----ごめんね。急に言われたら決められない人で…。本当にごめんなさい。また日を改めて返事をするってことでいいかな?」
***
この返事はどうなるかはわからない。
でも、大きな一歩を踏み出せたような気がした。