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過去からの旅立ちの方法を提案しました

作者: 多田 灯里

コピー機を取扱う大手企業の、田が勤める会社に、ある日突然、中途採用で、一人の男が入社してきた。

「今日から一緒に働いてもらうことになった、西川燈磨君だ」

金曜日の朝、紹介されたその男は、細身ではあったが、ほどよく筋肉も付いている感じで、とても健康的に見えた。

背は、田畠より少し高いくらいだった。

「今時の綺麗なアイドルの男の子って感じで、カッコいいわねー」

本人の前で、事務担当の大宮こずえが、思いっきり声に出して言う。もう四十代も後半になると、きっと、そんなことも平気になってしまうのだろう。

「西川燈磨です。皆さんにいろいろと教えて頂きながら頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします」

言いながら、丁寧に頭を下げる。

今まで、平均年齢52歳のこの営業所で一番若かった田畠は、年の近そうな人が入ってきて、少し戸惑った。

「あ、田畠君。今日から西川君にも寮に入ってもらうから。よろしく」

と、所長が言った。

「え!?」

そんな話は、初耳だった。

寮と言っても、一般のアパートを契約しているだけで、田畠は二部屋あるうちの一部屋を使っていた。西川が寮に入るとなると、リビングやキッチン、トイレやお風呂は共有になってしまう。結局は、同居生活という形になってしまうのだ。

人を関わることを避けていた田畠は、今まで一人暮らしのような生活を悠々とさせてもらっていた感覚に慣れていたせいもあり、かなり抵抗があった。会社が契約しているアパートなので、家賃や光熱費の負担もなく、掃除や平日の朝食と夕飯作りは、会社側が雇っている家政婦が全て賄ってくれていた。

「…分かりました」

気が重い…。とにかくあまり関わらないようにしよう。

そう思いながら、田畠はつい、深いため息を吐いてしまったのだった。

西川は、田畠と同じ部署の営業担当になった。田畠の部署には、事務長と田畠の二人しかいない。事務長はあと一年で定年を迎える。きっと、そのこともあり、引き継ぎの関係もあって、求人を出したのだろうと田畠は思った。大手企業ではあるものの、小さなビルのテナントで入っている狭い小さな営業所で、隣のメンテナンス部とは、パーティションで仕切られているだけで、話声なども丸聞こえだった。

「あの…」

西川が、困ったように田畠へと声を掛けてくる。

「とりあえず、事務長の横が西川さんのデスクになると思うので、そこに座ってて下さい」

そう言って、田畠は自分のデスクに座り、パソコンで業務をこなしながら、西川の目を見ずに、

「ここの部署の事務担当の田畠です。仕事関係で購入した物や、営業で高速を使ったり、電車に乗ったりした領収書は、全て僕に渡して下さい。全て経費で落ちるので、失くさないようにお願いします」

そう、淡々と説明をする。

そこに、

「田畠君、10時になったし、お茶にしよう。西川君も一緒に」

と、大宮が二人に声を掛けた。

大宮の部署の人たちは全員出払っていた。軽い打ち合わせの時に使うテーブルと4つのパイプ椅子。そこに座って、大宮が出してくれた、コーヒーとお菓子を口にしながら、西川への質問が始まった。

「今、いくつ?」

「25です」

「じゃあ、田畠君より2つ上だ。彼女いるの?」

「今はいません」

「そっかぁ。いないんだ。田畠君も、まだいないんでしょ?」

「ええ。まあ…」

本当に女の人ってよく喋る。今となれば、セクハラに該当するような質問だ。田畠は冷静に頭の中で考えていた。

「西川君は営業先で出会いがあるかもしれないけど、田畠君はここの営業所にいる限り、出会いなんてないわよねー。おじさんしかいないし。マッチングアプリか何かで、早く見つけるといいのに、っていつも言ってるんだけど…」

大宮が西川に向かって話している中で、田畠の胸がギュッと傷んだ。今は恋愛のことを本当に考えたくなかった。そういう話をされる度に、どうしても過去の恋人とのことを思い出してしまい、半年以上を過ぎようとしている今でも忘れられないせいで、辛くなってしまうのだ。

田畠は俯いたまま、何も言わず、黙って二人の話を聞いていたのだった。


定時になった所で、田畠は帰る準備をして、営業所を出ようとした。

「あの、田畠さん。俺、寮の鍵、まだもらってなくて」

西川が、その足を止める。

「え?どうして?」

「本当は来週の月曜日からの勤務で。それが、急に今日から来て欲しいって…」

「何で?今日、事務長もいないのに?」

「さあ…。俺も良く分かりません」

田畠は、大きくため息を吐いた。

「分かりました。とりあえず一緒について来て下さい」

気は乗らなかったが、さすがに、外に放り出しておくワケにもいかない。

営業所の近くに借りてある月極の駐車場まで、一緒に歩いて行く。一言も発しない田畠に、西川が話し掛ける。

「あの、実は、全ての荷物が明日の土曜に寮に届くようになってて…。今日の分の着替えもなくて、帰り、コンビニかどこか寄ってもらってもいいですか?」

田畠が立ち止まり、振り返る。

「寮に着いてから、自分で行ってもらってもいいですか?」

「でも、場所とかも全然分かんないし…」

「今はスマホで全て調べられるので」

そう言って、田畠はまた歩き出した。

駐車場に着き、車の鍵を開ける。田畠が運転席に乗り込む。西川は、少し遠慮がちに、助手席に乗り込むと、

「お願いします…」

と、小さな声で呟いた。


会話もないまま、田畠は寮の駐車場に車を止め、そして一般のアパートの1階にある1つの部屋の鍵を開けた。

「月曜から金曜までの夕飯と、火曜から金曜の朝食は、会社が雇っている家政婦さんが作ってくれてて、冷蔵庫に入ってるので、自分で出して食べて下さい。食べる時間は、自分の好きな時間で。食べた食器は、そのまま流しに置いておけば、家政婦さんが洗ってくれます。ガスや電子レンジも自由に使って下さい」

リビングダイニングへと続く廊下を歩きながら、田畠が淡々と説明をする。

「こっちの空いてる部屋を使って下さい。お風呂は、好きな時間に自分で沸かすなり、シャワーなり自由に使ってくれればいいです。もし、使用中だったら、浴室が空くのをお互いに待つようにするのでいいですか?掃除も家政婦さんがしてくれてるので、自分の部屋だけ掃除してくれればいいです」

「…分かりました」

「じゃあ、お疲れ様でした」

田畠はそう言うと、早々と自分の部屋に入り、バタンと扉を閉じた。

西川は、その閉じられた扉をしばらく眺めて、そして自分が使用する部屋へと入る。

「布団も明日届くしな…。マジでどうすっかな」

頭に手をやり、髪をクシャッと掴み、

「とりあえず、コンビニ探すか」

カバンからスマホを取り出し、検索をかける。

「いや、これ、かなり遠いだろ…」

あの野郎、マジで…。

西川が部屋を出ると、すかさず田畠の部屋のドアをノックする。

「あの!コンビニまで、かなり遠いんですけど?」

返事がない。

西川は、しつこくノックする。

「田畠さん、聞こえてます?」

「車、ないんですか?」

「ないです」

「地方に来るのに、車もないんじゃ、話になりませんよ」

「営業所は、駅前だったんで」

「月曜からどうやって寮から会社に行くつもりですか?」

コイツ…分かってて。すげぇイヤな奴だな。

西川は頭に来て、

「開けますよ!」

と、思いっきり田畠の部屋のドアを開けた。

田畠は着替えの最中で、はだけたYシャツのまま、スーツをハンガーに掛けているところだった。

「ちょっ…!!何だよ!!ふざけんなよ!!」

田畠が驚いて声を荒げる。

「ふざけてんのは、そっちだろ!?こっちは困ってんだ!少しぐらい助けろよ!」

西川も負けずに言い返した。

「事務長に電話すればいいだろ!とにかくドア閉めろよ!」

田畠は西川の体を押すと、思いっきり部屋のドアを閉じ、

「今の、完全にプライバシーの侵害だからな!」

と、部屋から叫んだ。

「…ああ、そうかよ!よく分かったよ!もう、あんたには何も頼まねぇよ!」

西川はそう言うと、大きな足音を立てながら廊下を歩き、勢い良く玄関を出て行った。


「というワケで、今すぐ俺の車に乗って、ここまで来てくれ」

『は?マジで言ってんの?そっちまで3時間はかかるだろ?』

「仕方ないだろ!あのクソ生意気な野郎が、一切、何もしてくれねぇんだから。とりあえず、下着類の着替えと、何か食べ物も買って来てくれ。あと、布団一式と、お前のスエットでいいから、何枚か貸して欲しい」

『はい、はい。高くつくよ?』

「頑張って出稼ぎに出てる実の兄貴から金を取る気か?」

『請求書に上乗せしとくよ。今から車2台で親父と出るから』

「悪いな。頼む」

西川は、電話を切ると、大きなため息を吐いて、そして重い足取りで寮へと向かって歩き出した。

あいつ、キレイで可愛い顔してんのに、口は悪いし、性格は悪いしで、マジで最悪だな…。さっき目にした肌も、白くて、細くて、すごく…

そこまで考えて、ハッと我に返る。

「まあ、仕方ない。そういう奴だと思って、距離置いて割り切って付き合うしかねぇよな…」

そして、西川は玄関の扉を開けると、田畠がちょうど外に出ようとしていた所だった。手には自動車のリモコンを持っていた。

「あ…」

お互いに、声を発した。

「出かけるのか?」

西川が、ぶっきらぼうに聞く。

「もしかして、本当に歩いてコンビニでも行ってたら、と思って」

田畠が、思いもかけない言葉を発した。

「実家に電話して、今から3時間かけて、車と着替え持ってきてもらうように電話した」

「え…?今から?」

「仕方ねぇじゃん。車がないと話にならないんだろ?」

「まあ…。一応、駐車場は2台分借りてあるみたいだから、8番の所に停めといて」

「分かった。言っとく」

「じゃあ…」

田畠が背を向けて、自分の部屋へと向かう。それを追うように、西川も玄関の扉を閉じ、自分の部屋へと戻った。

「何だよ…。一応、心配とかしてくれてたんだな…」

西川は、部屋で一人、小さな声で呟いた。


「へぇ。結構いい部屋じゃん。リビングダイニングも、めっちゃ広いし。でも、テレビもテーブルも何も置いてないんだな」

弟が、持って来た荷物を西川の部屋へと運び込むのを手伝いながら、静かな声を出す。

「寮として使ってるだけからな。夕飯も、自分の部屋で食べるみたいだし」

「へぇ。じゃあ、同居人と顔を合わすことも、ほとんどないってことか」

「そうだな…。好きな時間に飯食って、風呂入って、寝て、朝起きて…って感じなんだろ」

「まあ、お互いに干渉しなくていいなら、ラクでいいじゃん」

「自分の部屋で快適に過ごせるように、いろいろ準備しなきゃ、だな」

「まあ、せめてテレビとテーブルくらいはないとな…。って言うか、リビングで生活できるようにすりゃいいじゃん。ソファとかも買って」

弟が何気なく発した言葉だったが、西川の胸の中に、ストンと何かが、はまりこんだ気がした。

「なるほど…」

そして、夜遅く、西川の弟と父親は、一緒にまた3時間かけて実家へと戻って行ったのだった。


翌日の午前中、西川の荷物が一式届き、一人で自分の部屋へと必死に運び込む。どうせ、田畠に手伝って欲しいと言ったところで、断られることは分かりきっていたからだ。全ての荷物を運び終わったところで、西川は、田畠の部屋の扉をノックした。

「いるんだろ?」

返事はなかった。それでも西川は話し掛けるのをやめなかった。

「俺、ここのリビングにソファとテレビを置いて、部屋以外でも普通に生活できるようにしようと思ってんだけど。ダイニングテーブルとかも今から買ってくるから」

言うか言わないかのうちに、部屋の中から声がした。

「勝手なことするなよ。ここはあくまで寮として使ってるだけで、あんた一人の家じゃないんだぞ?」

「共有スペースくらいあったっていいだろ?使いたくなきゃ使わなきゃいいだけの話だし。俺がリビングにいたところで、イヤなら自分の部屋にいろよ」

「…好きにしろ。いいから、ここにいる間は、俺に話掛けてくるな」

強い口調。頑なに、西川を拒否する。

「分かったよ」

そして、西川は、一人買い物へと出かけたのだった。


田畠が、なぜあんなにまで自分を拒否するのか西川には分からなかったが、田畠を部屋から出すことに、西川の心の中に、俄然、やる気が出てきてしまったのだ。

「こういうのは、焦るとダメなんだよな。さりげなく、さりげなく、徐々に…」

独り言を言いながら、車で、全国チェーンの格安の家具用品店へと向かう。

一通り店内を見て回ると、早々とソファやリビングに置く用の机とキッチンテーブルを購入し、配達してもらうように手配をし、次にリビング用のテレビを買いに、家電製品屋へと車を走らせた。そこで、コーヒーメーカーを購入し、マグカップも二つ揃え、トースターも購入した。

「何か、同棲始めるカップルの買い物みたいで、めちゃくちゃテンション上がるな…」

相手が田畠じゃなければ、きっともっと楽しめていたに違いない…。

そんなことを考えながら、西川は購入した品物を乗せ、寮へと車を走らせた。


寮の駐車場に車を停め、荷物を下ろそうとした時に、昨日、田畠からもらった寮の合鍵を持って出るのを忘れていたことに気が付いた。

駐車場に田畠の車はなく、出かけているようだった。

「マジかよ…」

しかも、田畠の連絡先すら知らない西川は、寮の鍵が掛かっていることを確認し、車へと戻り、途方に暮れていた。

「俺って、マジでアホすぎるだろ…」

額に手をやり、ため息を吐きながら俯く。

そこに、田畠の車が戻って来た。

西川は慌てて車を降り、駐車場に車を停める田畠を待った。

「あの…」

田畠は車を降りると、西川を無視して、足早に寮へと向かう。手には、スーパーの袋をぶら下げていた。置いていかれないように、必死にあとを追う。

田畠が鍵を開け、扉を開く。西川が、その開いたドアを閉じられないように、すかさず持った。

「感謝しろよ」

田畠は西川の方を向くことなく、そう一言だけ言うと、またすぐに自分の部屋へと入って行った。

「気付いてたのか…」

西川が、鍵を忘れて、出かけて行っていたことに…。きっと、自分の用事を済ませたあと、すぐに帰って来てくれたのだろう。

「優しいんだか、意地悪なんだか、よく分かんねぇ奴だな…」

でも、悪い奴じゃない。西川の口元が、つい綻んだ。


そして、日曜日、昨日購入した品物が次々と届き、リビングで生活できるように、配置をしていた時に、インターホンが鳴った。田畠は、全く出る気配を見せず、仕方なく西川が玄関へと向かい、返事をすると、

「あ、事務長の山根です。休みの日にごめん」

と、声がした。

西川が、扉を開ける。

「西川君、申し訳なかったね。わざわざ金曜日からの勤務にしてもらったのに、取引先に急に呼び出されたせいで、僕の方が事務所にいられなくて。大変だったでしょ?」

「あ、はい。めちゃくちゃ大変でした」

「田畠君にも迷惑かけたよね…。本当に申し訳ない」

「いや、田畠さんは別に、何も…」

思わず嫌味が出てしまった。

事務長が苦笑いをする。

「とりあえず、明日からよろしくね。会社の駐車場は、営業車が置いてあって使えないから、どこか近くの駐車場を探してくれるかな?」

「分かりました。どこか月極で借りられる所、探してみます」

「田畠君が借りてる所が、近くていいかもしれないから、聞いてみるといいよ」

言いながら、事務長が笑顔を見せたが、

「聞いたところで、教えてなんかもらえませんよ。自分で探します」

と、西川は笑顔で答えたのだった。


「とりあえず、一息つくか…」

時間はすでに午後3時を回っていた。西川が新しいソファに腰かけ、テレビをつける。

「…完璧だな。配置もかなりセンスが良い。さすが俺」

自画自賛して、フッと口元に不適な笑みを浮かべ、満足そうに両腕を組みながら、足を組む。

「コーヒーでも淹れるかな」

腰を上げて、キッチンへ向かおうと立ち上がった瞬間、

「うわっ!」

と、思わず声を上げてしまった。

何と、そこに田畠がいたのだ。

「何だよ急に!ビックリするだろ!黙って立つなよ!」

「は?ここには俺も住んでるんだぞ。勝手なこと言ってんな」

田畠はキッチンへと向かうと、冷凍庫の扉を開けて、アイスクリームを取り出した。

「アイス…?めっちゃうまそうじゃん…」

そして、田畠はそれを手に持つと、またすぐに自分の部屋へと戻って行ったのだった。

が、突然、田畠の部屋の扉が開き、

「そのアイス、俺のだから。欲しかったら、自分で買ってこいよ」

とだけ言って、すぐに扉を閉じた。

こいつ、いつも思うけど、ホント、マジで…

「普通はだぞ、ここまでしてんだから、汗かいただろうし、食べてもいいよ、だろ?」

ブツブツ文句を言いながら、部屋へと車の鍵を取りに行く。そして、アイスを買いに行ったのだった。


西川が出かけたのを確かめて、田畠が部屋から出てくる。生活感のあるリビングや、ダイニングテーブルを眺めながら、

「…叶大…。逃げて、ごめんな…」

田畠は、何かを思い出したように、小さな声で呟いたのだった。


西川は事務長に連れられて、得意先の挨拶回りに連れて行かれる日々を送っていた。営業車での移動に加えて、仕事をこなしながらの挨拶回りは、覚えることもたくさんあり、なかなか大変で、毎日がクタクタだった。

西川が寮に戻る時間には、田畠の食器はすでにシンクに置いてあり、お風呂も洗濯も済んでいる状態で、職場でも、朝に事務所内で挨拶はするものの、すぐに外回りに出てしまうせいで、ほとんど顔を合わすこともなかった。


それでも、西川は少しずつではあったが、無視されるのは承知の上で、部屋から出てこない田畠へとなるべく声を掛けるようにし、2ヶ月後ぐらいには、豆から淹れる西川のコーヒーを朝食の時に置いておくと、飲んでくれるようになっていた。

そんなある日のことだった。西川が田畠の部屋の扉をノックし、

「俺、明日の朝一で支社に出張行くけど、そのあと3連休だし、実家に寄ってから帰ってくるから、戻るのは月曜の夜になると思う」

扉の前で声を掛けるが、やはり返事はなかった。

「俺がいない間、リビングも好きに使えばいいからな。久しぶりに、ゆっくりできるだろうから…」

それでも、返事はなかった。西川は軽くため息を吐き、

「じゃあな。おやすみ」

いつものように、1日の終わりの声掛けをして、自分の部屋へと入って行ったのだった。


「どうだ?仕事は?」

実家に戻った西川は、父親から状況を尋ねられ、

「まだ全然…。外回りでめちゃくちゃ忙しい上に、寮で一緒に生活してる奴に手を焼いてて、仕事どころじゃなくて。全く心開いてくんないし。部屋から出てこないどころか、声を掛けても完全無視だからな」

「へぇ。職場も一緒なのに、それだけ無視できるのもなかなかスゴいよな。根性あるな~」

西川の弟が、関心したように話に入って来る。

「まあ、大変だとは思うが、とにかく仕事優先で…」

父親が、厳しい口調で西川に言った。

「分かってるよ」

西川は、ソファの背もたれに体を預けると、両手で顔を覆ったのだった。


3連休後の月曜日の午後3時頃に、西川は寮に戻った。

「予定より帰って来るのが早い、って、文句言われるかもな…」

呟きながら、車を降りる。

寮の玄関の鍵を開け、リビングへと続く廊下を歩く途中で、田畠の部屋の扉をノックした。

「今、帰った。お土産、買ってきたんだ。生菓子だから今日中に食べなきゃいけなくて。コーヒー淹れるから、一緒にどうだ?」

声を掛けたが、返事がなかった。

西川は、小さなため息を吐くと、キッチンへと向かい、ダイニングテーブルにお土産を置き、棚からコーヒーの豆を出した。

そこに、カチャリ…と、静かに扉の開く音がした。

西川が驚いて振り返ると、そこには田畠の姿があった。

「な、何だ…?どうした…?」

あまりにもビックリしすぎて、思わず尋ねた。

「…コーヒー、飲みたくて」

「あ、ああ。分かった。すぐに淹れる」

ヤバい。緊張して、心臓が…。って言うか、手が震えてるじゃねーかよ。バカか、俺!落ち着け!!

それにしても、どういう風の吹きまわしだ?今まで部屋から出て来たことなんて一度もなかったのに…。

ダイニングテーブルの椅子に、田畠が腰を掛ける。

お土産に視線を落とすと、

「…実家、新潟なんだ…」

と、小さな声で呟いた。

「…ん?ああ。老舗の和菓子屋が実家の近くにあって。その店の笹だんごも美味しいけど、俺は柏餅の方が好きで、そっちを買ってきた」

袋から、お土産が入った箱を出す。

「皿に移すか?」

「いや、このままでいい」

か細い声。箱を見つめる、田畠の伏せ目がちな視線が、とても悲し気に見えた。

「今、コーヒー淹れてるから。もう少し待てるか?」

「…うん」

あまりにもの素直な田畠の態度に、西川が戸惑う。

一体、何があったんだ…?

コーヒーカップを準備し、コーヒーを注ぐと、田畠の前へと置いた。そして、柏餅の入った箱を目の前に差し出した。

「取れよ」

西川が言うと、田畠が2つのうちの1つを手に持つ。

そして、手に持った柏餅をジッと眺めたまま、なかなか口にしようとしなかった。

「どうした?せっかく柔らかいのに、乾いて固くなるぞ?」

「あ…。うん…」

田畠が、ゆっくりと1口、口に含んだ。

西川は、田畠と同じ空間で何かを食べるということが初めてだったこともあり、その仕草から目を離せずにいた。そして、そのすぐあとのことだった。田畠の瞳から、テーブルの上へと、ポタッ、と、涙の零が落ちた。

「…え?何?」

西川が、思わず声を発した。

田畠が、慌てた様子で袖口でテーブルの上を拭き、目を手で擦ってから、何事もなかったかのようにコーヒーを飲み、また1口、柏餅を口にした。

「泣くほどうまかったのか?」

西川が聞いたが、田畠は黙ったままだった。

「そんなにうまかったなら、俺のもやるよ」

箱を差し出す。

「2つも食べたら太るから、いい」

「細すぎるくらいだから、ちょうどいいだろ」

「本当にいいから」

そう言って、箱を西川の方へと戻す。

「…じゃあ、また買ってきてやるよ」

西川はそう言うと、柏餅を手にし、一気に口に頬張り、1口で食べてしまう。

「もったいな…!ちゃんと味わえよ」

田畠が、突っ込んだ。

「めっちゃウマい」

口をモゴモゴさせながら、笑顔を見せたのだった。


その翌日からも、特に田畠の様子は変わることなく、相変わらず、部屋から出て来ない日々が続いていた。

それでも西川は、必ず田畠の部屋の扉をノックし、朝の「おはよう」と、仕事へと出掛ける時の「先に行くな。あとでな」の挨拶、帰って来てからの「ただいま」と「今日もお疲れ。おやすみ」のルーティンは、いくら無視されていても続けていた。

そんな生活が続いていたある日のことだった。季節は冬へと移り変わり、除雪が大変なこともあり、経費削減のため、冬の間だけは、寮からどちらかの車、1台で通勤するように会社から言われたのだ。西川は、外回りで営業車を使用する為、何かあった時は営業車で対応できるということになり、必然的に田畠の車で通勤することになった。


「今日、大雪になるってニュースで言ってたけど、本当にそこまで降るのか?って天気だな」

西川が、田畠が駐車場に停めた車の中で呟いた。

「最近は、降り出すと一気に積もるから」

田畠が車から降り、西川も降りたのを確認し、リモコンで鍵を掛ける。その時、カチャン、と、何か金属が落ちたような音がした。

「今、何か落ちなかったか?」

「え?いや、何も落ちてないけど」

田畠が、駐車場の地面を確認する。

「そっか…。小銭か何か落ちたような音だったけど、気のせいか…」

そして2人は会社へと向かって歩き出したのだった。


「え?事務長の代わりに、泊まりで出張ですか?」

「そうなんだ。悪いけど、頼めるかな?ホテルは予約してあるから」

「分かりました」

出社するなり、いきなりの出張命令に少し戸惑いながらも、西川は、営業車で、出張の準備をしに一度寮に戻った。

「高速が通行止めにならなきゃいいけど…」

準備を終え、一度会社に戻り、その日の外回りを終えてから、西川は出張先へと向かった。

午後から降り始めた雪が、容赦なく走らせている車へと降り積もる。視界も遮られ、道も見えなくなるくらいの、異常な降り方だった。テレビやラジオでは速報の天気予報が流れ、不要不急の外出は控えるようにと、ひっきりなしに注意を促していた。明日、休校になる学校の地域情報も、スマホに流れてきていた。

「っていうか、マジで遭難しそうな勢いだな。ワイパーが追い付いてねぇし」

西川が呟く。そこに、スマホの着信音が鳴った。田畠からだった。

ハザードを出して、車をゆっくりと横付けする。

「もしもし?」

『あ、今、どこ?』

「え?今、隣の県に入ったとこだけど…。何で?」

『部屋の鍵がないんだ。車のリモコンと一緒にキーケースに付けてあったんだけど…』

西川は、朝の駐車場での金属音のことを思い出した。

「もしかしたら、朝に駐車場で落としたのかもな。他にマスターキーとかは?」

『作ってない。もう隣の県まで行ってるならいい。駐車場、探しに行ってみる』

「やめとけって!もう70㎝以上積もってるんだぞ!?降雪量が半端ないんだ。今探しに行って何かあったら、マジでシャレにならな…」

言いかけている途中で、田畠からの電話が一方的に切れた。

西川は、慌てて電話をかけ直したが、田畠が電話に出ることはなかった。

「くそ!あいつ、マジで…!!」

西川は、思わずハンドルを拳で叩いたのだった。


激しく降る雪の中、田畠は会社から借りてきたスコップで車を停めてあった駐車場の雪をどかすが、あまりにも雪の降り方がひどく、どんどんと積雪量が増えて行くだけだった。

「こんなの、いたちごっこじゃないか…」

周りの景色すら見えなくなるくらいの、今まで見たことのないような雪の降り方だった。ライトを点けたまま、自分の方へと向けて停めてある車にも、容赦なく雪が積もっていた。

「くそ…っ。何でこんな日に限って、鍵なんて落とすんだよ…」

昔からそうだ。肝心な時に限って、いつも大きな失敗をする。あの日だって…

「おい!!」

雪の降る中、自分へと走り寄るシルエットに、田畠が目を細める。

「お前、マジでバカか!!しかもこんな薄着で!早く車に乗れ!!」

腕を強く引かれ、無理矢理車の中へと押し込まれ、助手席に乗せられる。

一瞬何が起きたのか分からずに、呆然としていたが、その人物は、田畠の車に乗り込むと、田畠の車を駐車場へと急いで停め、すぐに運転席へと戻ってきた。

「ほら。車の鍵」

と、田畠へと手渡すと、すぐに車を走らせた。

「お前、ベタベタじゃねぇか。防寒もせずに除雪なんて、頭悪すぎるだろ!!雪、ナメてんのか!!」

大声で怒鳴る。

田畠に積もっていた雪が解け出して、ポタポタと、滴り落ちる。それを見て、西川は車内の暖房の温度を上げた。

「鍵をなくしたなら、アパートの管理会社に電話して開けてもらうか、業者に頼んで来てもらえば良かっただろ!」

西川が言うと、

「あ…」

と、田畠がようやく声を発した。

西川が、大きなため息を吐く。

「お前はいつもそうだ。仕事でも、ひとつミスすると、すぐにテンパって、ワケ分かんなくなって。少しは冷静になって考えるってことが出来ねぇのか?」

田畠が唇を噛み締めた。

そして、ポタポタと落ちる滴の中に、田畠の涙が混ざり込んだのだった。


「今、風呂沸かすから、すぐに入れ。少しぬるめにしとくから、体がお湯に慣れたら、熱いお湯を足せよ」

腕を引かれ、強引に脱衣所へと連れて行かれる。

蛇口をひねり、すぐに湯船にお湯を張り始めた。

西川が、田畠のベタベタになったスーツを脱がして行く。田畠が、その腕を掴んで、制御した。

「濡れた服をいつまでも着てると体温が下がるぞ?」

「…自分でする」

「分かった。今、タオル持ってきてやる。お前の部屋に入るワケにも行かねぇから、俺のを使え」

そして、西川が脱衣所を出て行った。

田畠は、かじかんだ手で、ワイシャツのボタンを外していく。芯から体が冷えていて、寒さでカタカタと全身が震えていた。

あの人が戻って来てくれなかったら、俺は、どうなってたんだろう…。ふと、そんなことを考えて、田畠は、急に不安に襲われた。

服を脱ぎ終わると、浴室へ入り、少し溜まり始めていた湯船へと、足を入れる。

「感覚が全然ない」

言いながら、ゆっくりと全身を浸からせた。

時間が経つにつれ、少しずつ指先や足先の感覚が戻り始め、田畠はやっと、ホッと息をつくことが出来たのだった。

お風呂から上がり、タオルを巻いて、自分の部屋へと着替えをするために入る。

「…そういえば、出張…」

田畠は慌てて着替えると、部屋から出たのだった。


「…コーヒーあるぞ。飲むだろ?」

西川が田畠に気付き、ダイニングテーブルに座ったまま、尋ねる。

「…それより、出張は…?」

「ん?出張より、こっちの方が心配だったからな。戻ってきた」

「そんな…。新規の仕事が取れるチャンスだったんだろ?」

「この雪だ。行けなくても分かってもらえるだろ」

「でも…」

「取りあえず、座れよ。今日は特別に、俺のとっておきのスイーツをやるよ」

そう言って、小さなお皿にお菓子を乗せてコーヒーと一緒に出す。

「…マカロン?」

「そっ。この前の休みに駅前を探索してたら、めっちゃカワイイ店を見つけて。一回買って食べたら、すげぇ美味しくて。それからちょくちょく買いに行ってる」

「…へぇ」

とても綺麗な色合いだった。薄紫色と桃色のマカロンが2つ並んでいるのを見ていると、何だかすごく気持ちが和むような気がした。

「ブルーベリーとピーチだ。チョコと抹茶もオススメなんだけどな、朝、食べちまって」

「朝から?」

「朝はテンション上げるのに、夜はリラックスするために、って感じだな」

「じゃあ、これは夜の分なんじゃ…?」

「お前にやる。急な出張のせいで、どっちにしても、今日は食べられなかったしな。美味しい物でも食べて、たまには肩の力を抜けよ」

そこに、西川のスマホに着信音が鳴り出す。

スピーカーを押し、

「はい。西川です」

と、出た。

『あ、西川君?今、どこら辺?』

相手は事務長だった。

「え?どうしてですか?」

『いや、大雪のせいで電車も全て運休で高速も通行止になったみたいで、先方から今回の打ち合わせを別日にしたいって連絡があって』

「…分かりました」

『西川君は大丈夫?今から、こっちに戻れそう?』

「取りあえず、引き返します」

『悪かったね。気を付けて。あ、それから、この大雪で明日はきっと駐車場から車も出せないだろうから、会社を休みにするって、所長が。田畠君にも伝えておいてもらえるかな?明日は、賄いの人も断っておくから』

「分かりました。伝えておきます」

『じゃあ。本当に雪道の運転、気を付けて帰るんだよ。お疲れ様』

そして、電話が切れた。

「だってさ。お前が鍵を落としてくれたおかげで助かったよ」

「え…?」

西川が、テーブルの上にあるリモコンでテレビをつける。

ニュースでは、雪のため動けなくなったトラックのせいで、立往生して渋滞して身動き一つ出来ないでいる長い車の列の様子が流れていた。

「お前が鍵を落としてなかったら、今頃、俺もこの渋滞の中にハマってた。マジで運が良かったよ。サンキュな」

言いながら、席を立つ。

「俺も風呂入ってくるよ」

「あ、湯船、洗ってあるから」

「別にお前のあとのお湯でも良かったのに」

「いや、さすがにそれは…。他人だし」

田畠が言うと、西川がしばらく黙り込み、

「まぁ…確かにそうだな。そのマカロン、高級菓子なんだから、ゆっくり味わって食べろよ?」

そう言いながら、西川はリビングをあとにした。

田畠が視線をマカロンへと移し、

「迷惑かけたのに、お礼を言われるとか…」

しばらく、黙ったまま、ただ眺めていたのだった。


翌朝のことだった。

朝のニュースでは、昨日の状態のままで朝を迎えた車の列の様子が流れていた。

「うわ…。こんな状態で、一晩越したのか?自衛隊に要請って…」

今までにない豪雪を目の当たりにし、西川は実家のことが少し心配になった。

「って言うか、道路も電車もダメなら、きっと物流も止まって食料が手に入らなくなるかもな…」

そこに、カチャリ、と田畠の部屋の扉が開き、めずらしく田畠が部屋から出てきた。

「今、賄いの容子さんから電話があって、冷蔵庫にある食材とか、全部使ってくれればいいって。あと、冷凍食品とかレトルト食品とかもたくさん買っておいてあるから、今日は外に出ないようにって」

「え?容子さん?お前、賄いさんと知り合いなのか?」

西川が驚いたように尋ねた。


あれは、4月の連休前のことだった。12月にこの地にたどり着き、年明けの1月から中途採用で今の会社に勤め始め、慣れない土地や人なども原因で、疲れなども出てきた頃だった。夜中に高熱が出て、翌日仕事を休んでいたところに、会社で雇われている、賄いの人が、鍵を開けてアパートへと入ってきたのだ。

キッチンへと向かうスリッパの足音が、朦朧とした意識の中に響き渡る。

掃除機をかける音がし始め、そして次々と、トイレやお風呂など、掃除する場所を移動して行くのが分かった。そのうち、水の音が聞こえ、お皿を洗い始める。

「何か、懐かしい音だな…」

呟いた田畠が、思わず咳き込む。一度咳が出始めると、なかなか止まらなかった。

パタパタと部屋へと近付く足音。部屋の扉をノックされ、

「すみません。失礼します…」

と、そっと扉が開く。

田畠はうつろな目で、初めて会う賄いさんを見た。

「もしかして、熱があるの?真っ赤な顔して…」

田畠に近寄り、額に手を当てる。ひんやりした手が、とても心地良かった。

「…ご実家は?親御さんか誰かに連絡して…」

「…ないんです。俺には、もう、帰る家が…」

田畠が、力なく言うと、

「…分かったわ。じゃあ、家に来なさい。熱が高いみたいだし、1人じゃ心配だから…」

そう言って、賄いの女性は、テキパキと田畠の荷物を適当に近くにあったカバンに詰め込むと、田畠を車に乗せ、自分の家で面倒を見るために連れ帰ったのだった。

そして結局、3日間、その家でお世話になってしまったのだ。

「また困った時は、いつでも来なさい」

容子の旦那が、田畠に言った。

「ごめんね。子供たちが騒がしくて…」

実家に子供を連れて遊びに来ていた、容子の娘が言う。

「いえ。こちらこそご迷惑おかけして、本当にすみませんでした。また改めてお礼に伺います」

「そういうのはいいから、良かったら、また一緒に食事でもしよう。な?昨日の夜は、楽しかったよな?」

容子の旦那が、娘に向かって嬉しそうに言う。

「うち、娘しかいないから。父さん、息子が出来たみたいで、一緒に飲めて嬉しかったんでしょ」

「まなたも、楽しかったよ。お兄ちゃん、ありがとう。また来てね」

娘が抱っこしていた、息子の愛太が手を振る。

「うん。折り紙の鶴、ありがとう。愛太君の鶴のおかげで、すぐに元気になったよ」

田畠が、笑顔で言った。

「じゃあ、送ってくわね」

容子が、アパートに向かって車を走らせた。

それからというもの、月に1度は必ず、田畠は容子の自宅へと食事に招待されるようになったのだった。


もちろん、そんなことを西川に話すこともなく、

「まあ、一応…。でもよく考えたら、容子さんもアパートの鍵を持ってるんだった…」

と、田畠が静かに呟いた。

「お前って、1つトラブったりすると、本当に周りが見えなくなるんだな」

西川が呆れたように言うと、

「朝ごはん、目玉焼きでも作るか」

と、続けた。

「できんの?」

田畠の冷めた口調。

「目玉焼きぐらい出来るだろ」

冷蔵庫から玉子を取り出し、フライパンを出し、火にかける。

西川が玉子を割り、フライパンの上へと玉子を落とすと、

「めっちゃ殼が入ってる」

と、田畠が思いっきり突っ込んだ。

「あ、お前、殼は食べないタイプ?」

西川が、あまりにも、しれっ、と言ったせいで、田畠が吹き出した。

「いや、逆に食べるタイプなんだ?」

「カルシウムだぞ?」

「俺、自分でやるからいいよ」

「いいって。次は任せとけ。殼なしだな?」

「殼なしで」

田畠が口に拳を当て、肩を揺らして笑う。

西川が玉子を割る。

「ほら!めっちゃ入ってる」

「少なめにしといた」

「ふざけんなよ」

田畠が、箸で殼を取る。

「俺のも取ってくれよ」

「食べるタイプなんだろ?」

「そんな奴いねぇだろ」

「自分で言ってたくせに」

2人は照れくさそうに笑い合いながら、慣れない朝ごはんの準備をしたのだった。


「容子さんのごはんが、こんなに美味しいなんて…。当たり前のように食べてたけど、本当に感謝しないと、って改めて思うよ」

土曜日の午後には雪も落ち着き、月曜日から普通に出勤し、仕事から帰って来て夕飯を口にした田畠が、しみじみ言う。

「それは、俺に対しての嫌味か?」

一緒に夕飯を食べていた西川が、田畠に聞いた。

「いや、どっちがレトルトカレーなのか分からないくらいの、ベチャベチャに炊き上がったご飯も、なかなかだったよ…」

「それ、誉めてないよな?」

「取りあえず、アパートの鍵も見つかったし。車の下にあったなんて、落とした時に、もっとちゃんと見ておけば良かった」

「本当に、人騒がせだよな。トラブったらテンパるクセ、どうにかしろよ。少し冷静になればいいだけなのに、マジで全く周りが見えなくなるんだからな…」

「そんなこと、自分が一番良く分かってるよ」

「まあ、俺がフォロー出来る時は、ちゃんとするけど。自分でも気を付けろよ」

「はいはい」

まさか、会話をしながら一緒に食事をする日が来るなんて、全く思っていなかった西川は、寮でこんな風に田畠と同じ時間を過ごしていると、嬉しさのせいなのか、不思議と胸が高鳴っていた。

休日には、田畠がリビングにいる時間も増え、少しずつではあったが、お互いに距離も縮まって来ていた。


そんなある日のことだった。仕事を終えた西川が寮に帰ると、めずらしくアパートの中が真っ暗だった。いつもは必ず田畠が先に帰って来ていて、ダイニングキッチンも暖めてくれているのに、初めてのことに、少し戸惑った。

「どこに行ったんだ…?」

廊下の電気を灯し、キッチンに置いてあるファンヒーターのボタンを押した。

「寒っ」

あいつ、いつも、こんな暗くて寒い部屋に帰って来てたんだな…。俺がこの寮に来る前は、ずっと1人で。

毎日、明るく、暖かい部屋に帰って来るのが、当たり前のことだと思っていた。

冷蔵庫から、自分の分の夕飯を出し、レンジで温めながら、味噌汁を火にかける。

夕飯をゆっくり食べ、食器を流しに置くと、お風呂を沸かしに行った。西川は、その間に何度時計を見たか分からないくらいだった。

お風呂から上がっても、まだ田畠は帰って来ていなかった。

「…ったく、どこで何してんだよ!」

まさか、また、何かトラブルに巻き込まれてるんじゃ…。そう考えて少し不安になったところに、玄関の鍵の開く音がした。

西川が、慌てた様子で玄関へと向かう。

扉を開けた田畠が、びっくりした様子で、

「何だよ!」

と、声を出した。

「いや、あまりにも遅いから…」

「あまりにも、って、まだ9時前だろ?」

田畠が西川の横を通って、キッチンへと向かう。

「今まで、なかっただろ?そんなこと」

田畠を追うように、西川があとを付いていく。

「何でいちいちプライベートのことまで報告する必要があるんだよ」

「そりゃ、そうだけど。お前、前例があるし、何か心配で…。遅くなるなら、連絡くらいくれても…」

「は?何だよ、それ。たまたまアパートが一緒ってだけで、家族でもないのに。めんどくさっ」

田畠が言うと、西川はグッと口を閉ざし、そしてそのまま俯いてしまった。そんな西川の様子を見て、田畠が小さなため息を吐く。

「美味しいプリンをたくさんもらったから、帰りに寄ってほしい、って容子さんに呼び出されて。すぐに帰って来るつもりだったんだけど、容子さんの旦那さんが帰って来て、一緒に夕飯を食べよう…って」

言いながら、田畠が紙袋をテーブルの上に置いた。西川は、返事をせずに黙ったまま、まだ俯いたままだった。

「…あーもう!分かったよ。今度から遅くなる時は連絡するから。そうやっていじけるのも、マジで面倒くさいんだけど」

「…悪かったな…」

「…早くコーヒー淹れてくれよ」

「え?」

「消費期限、今日までなんだって」

「そうなのか?分かった。すぐに淹れる」

西川が、一気に笑顔になったのだった。


そんな風に、何気ない寮での生活を何となく楽しみながら、2人は休日なども一緒に過ごすようになり、雪も落ち着き始めた2月の中旬頃に、会社の新年会が行われた。西川は、かなり遅めの歓迎会も兼ねての飲み会になったこともあり、すこぶる飲まされ、グデングデンになり、田畠が、かなり重みのある西川を抱き抱えて寮へと連れて帰って来る羽目になったのだった。

西川の部屋の扉を開け、ベッドへと投げるようにして西川を寝かす。

「…水…」

「…いい加減にしろよ。どんだけ迷惑かけんだよ」

田畠はキッチンへと向かうと、コップに水を汲み、西川へと手渡した。

それを一気に飲み干すと、空のコップを田畠に渡し、すぐにベッドへと倒れ込む。

「飲み過ぎだろ」

「…仕方ないだろ…」

「スーツ、しわになるから、脱げよ」

「無理…。ツラい。脱がして」

「は!?」

「嘘だよ…。どうせクリーニングに出すつもりだから、いい」

言いながら、ネクタイを緩める。

「あっ、そ。じゃあな」

部屋を出ようとする田畠の腕を西川が突然掴んだ。そのせいで、手に持っていたコップが絨毯の上へと落ちた。

「あ!ヤバっ」

田畠が、しゃがみこみ、コップを確認する。

「良かった。割れてない。何すんだよ、急に」

田畠が顔を上げると、

「…いい加減、分かれよ…」

西川が、顔を寄せた。

田畠が目を見開く。明らかに、唇が重なっていたのだ。

西川が、何度も田畠の唇を自分の唇で挟み込み、そのうちに、少し開いた田畠の唇の中へと舌を忍び込ませた。田畠の甘い舌に吸い付き、そして自分の舌を絡ませ、田畠のネクタイを外そうと指を差し込んだ瞬間、田畠がハッと我に返り、

「何すんだよ!」

と、思いっきり西川を突き飛ばした。

「いくら酔ってて意識混乱してるからって、男の俺にまで手を出すとか、あり得ないだろ!このクソボケ!!」

田畠はそう怒鳴ると、西川の部屋を急いで出て行き、部屋中がビリビリと振動するくらいの勢いで、扉を閉めた。

西川は、その扉を見つめ、しばらく呆然としていたが、クックッと笑い出し、

「クソボケ…って。初めて聞いたな…。口悪すぎるだろ…」

ベッドに大の字になって、しばらくこみ上げる笑いを抑えられずにいたのだった。


翌朝から、再び田畠が部屋から出てくることがなくなり、西川は、何度も扉をノックして声を掛ける。

「なあ、悪かったって。そんなに怒るなよ。頼むから、出て来いよ」

それでも田畠からの返事はなかった。

「もう絶対にあんなことしないから、今回だけは許してくれよ。マジで反省してる」

田畠からの反応は、一切なかった。

西川は大きなため息を吐くと、

「分かった。もういいよ。俺、ちょっと出かけてくるから」

そう言って、西川は玄関の扉を開け、外へと出て行った。田畠は、部屋で膝を抱えたまま、その音を黙って聞いていた。

どうして、すぐに抵抗できなかったのだろう…。

指で、唇にそっと触れ、

「…叶大…」

と呟いて、田畠は膝に顔を埋めたまま、

「だいたい、分かれよ…って何だよ…」

と、ずっと頭を悩ませていた。

「あー、ダメだ!おもしろ動画でも見て、気分転換しよう!」

そして、スマホがないことにようやく気付く。

「もしかして、あいつの部屋に落として来たのかも…」

昨日の夜はあまりにも動揺していて、スマホを見る余裕などもなく、朝も西川の動きが気になり、スマホの存在を全く思い出すこともなかったのだ。

「…いいよな。スマホを探しに行くくらい…」

田畠は自分の部屋を出て、静かに歩いて、西川の部屋へと、そーっと入った。

ベッドの下辺りに、スマホが落ちているのが分かった。

「良かった」

スマホを手に取り、すぐに部屋を出ようとした時に、西川の机に手をぶつけ、カバンが落ち、中からファイルが飛び出した。

「ヤバっ…」

片付けようと、ファイルを手に取った瞬間、田畠の体が硬直する。

「…何だよ、これ」

そこには、この土地に来る前に撮ったであろう自分の写真と、経歴が載っている用紙がファイリングされていたのだ。

ショックと恐怖のあまり、手先が冷えて、カタカタと手が震えてくるのが分かった。

そこに、

「何してんだ?」

と、西川の声がした。

田畠が、振り向く。

「…あんた、誰なんだよ?何で俺の写真なんて…」

「…いつか話さなきゃ、と思ってた。取りあえず、こっちに来て座れ」

西川に促されるまま、田畠はキッチンテーブルの椅子へと腰掛けた。

西川が、ゆっくりとコーヒーを淹れる。

出来上がったコーヒーを田畠の前と自分の前に置くと、西川も椅子へと腰掛けた。

「…悪かった。バレる前に話しとくべきだった。車の鍵を取りに戻ったんだけど、まさか俺の部屋に入ってると思ってなくて」

「スマホ、取りに…」

田畠は、うまく声が出せなかった。

「…お前を探すように依頼してきたのは、中嶋叶大。それと、お前の母親だ。それぞれ、別々に依頼に来た」

2人の名前を聞いて、田畠の体が、明らかに硬直した。

「…依頼って?何の?」

「俺の実家は弁護士事務所なんだけど、その傍ら、人探しも請け負ってる。つまり探偵事務所を兼務してる感じなんだ」

「…探偵事務所…?」

「…隠してて悪かった」

「じゃあ、ずっと俺のことを騙してたってことか…?俺に近付いてきたのも、俺のことを調べるためだったって…、そういうことなんだな…?」

「…それは違う」

「違わないだろ!!」

田畠が椅子から立ち上がり、大声を張り上げた。

「だいたい、何だよ今さら!!母親が俺を探してるだとか、ふざけんなよ!!今まで散々、何もかも見ないふりして、ほっといたくせに!!」

「田畠、いいから落ち着け!」

「落ち着けるかよ!お前だって、俺のこと騙して、ずっと裏切ってたんだろ!!」

「だから違うって言ってるだろ!!いいから黙って俺の話を聞け!」

「もういい。今すぐ出てく。仕事も辞める。お前の顔なんて、二度と見たくない」

田畠が部屋へと向かって歩き出す。西川はその手を急いで掴んだ。

「触るな!!離せよ!!」

「いいから聞け!まだ誰にも言ってないんだ!お前を見つけたことを!!」

西川が声を荒げた。

「いつもなら、依頼を受けて数日で探し出せる優秀な俺が、今は、親父からは役立たずって毎日のように連絡が来て叱責されるし、弟からは呆れられてるし、俺だって散々なんだよ!!」

田畠が西川に背を向けたまま、しばらく黙り込み、そして、静かに尋ねた。

「どうして…?」

「いつもなら、すぐに依頼者に報告してた。だけど、出来なかった。お前を見つけた時に、何日間か様子を見てて、すごく悲しそうな顔をしてるくせに、無理に気丈に振る舞ってる姿から目が離せなくなって。そんな時、お前の勤める職場の求人が出てて…。依頼された仕事してんのに、他の会社の面接受けて働くとか、思いっきり私情挟んで、マジでバカみたいだろ?」

「…ポンコツ探偵じゃないか…」

「…そうだよ。仕方ないだろ。どうしても側にいて、守ってやりたい、って思ったんだから」

腕を引き、田畠を胸へと引き寄せ、抱き締める。

「好きなんだ。俺は、お前とこの先も一緒にいたいって、本気で思ってる。だから、過去のことなんてもう忘れて、俺との未来を考えて欲しいんだ」

「…もう、頭の中がぐちゃぐちゃで、ワケ分かんないよ…」

田畠の瞳から、いくつもいくつも涙が零れ落ちる。

「俺からは、絶対に報告しない。あとは、お前がどうしたいかだけを考えて欲しい。中嶋叶大は、お前が一方的にメモを残して別れを告げていなくなったことに、納得していなかった。俺は、ちゃんとケジメをつけてきて欲しいと思ってる。俺のことを少しでも想ってくれているなら、あいつとちゃんと話し合ってきて欲しい」

「会って、もし、よりを戻したら…?」

「その時は、ここの仕事も辞めて、潔くお前の前から姿を消すよ。俺は、お前が幸せなら、それでいい」

田畠は、しばらく黙ったままだった。

「今は、まだ、何もかもがうまく理解できてない…。少し1人で考えたい」

「…分かった」

「1つだけ教えて欲しい」

「何だ?」

「叶大から、全部聞いたのか?俺とのことや、何で俺が黙っていなくなったのか…」

西川は、田畠を抱き締めたまま、しばらく黙っていたが、

「…ああ。探す人物のことは隠さずに聞くことがルールなんだ。そうじゃないと、見つけた時に、どう対応するべきかの判断基準が難しくなってくるから」

「…そう」

田畠が、腕を突っぱねて、西川から離れる。

「とにかく、今は頭の中が整理できてない。考える時間が欲しい」

「分かった」

西川が、悲し気に目を細め、田畠を見つめたのだった。


一昨年の4月、田畠は大学を卒業し、自分の祖父が立ち上げた建築会社で設計士として働いていた。そこに幼なじみの中嶋叶大も、現場事務と営業事務を兼務として、就職してくれた。2人は小中高と同じ学校に通っていて、気が合うこともあり、何をするのも、ずっと一緒だった。そして、違う大学に通うことが決まった時、突然中嶋から告白をされた田畠は、迷うことなく中嶋と付き合うことを決め、晴れて恋人同士になった2人は、ちょうど田畠の母親が再婚したこともあり、大学の入学と同時に、一緒に住むことにしたのだ。


2人での生活はとても心地良く、毎日が幸せだった。大学も無事に卒業し、就職も決まり、その幸せがずっと続いて行くと、そう思っていた。そして、その年の12月のことだった。田畠の義父が、田畠の担当する建設現場に酒を飲んで現れ、帰宅準備をしていた現場の職員に怪我をさせたと連絡があったのだ。


「ちょっと現場に行って来る」

田畠が電話を切ると、すぐにダウンジャケットを羽織った。

「ちょっと待てって。俺も一緒に行くから。酒に酔った悠の父ちゃん、かなりタチ悪いから、絶対に1人で行かない方がいい」

中嶋が、引き止める。

「1人怪我してるんだぞ?すぐに行かないと…」

「悠!」

田畠は中嶋が止めるのも聞かずに、現場へと走り出した。

現場へ到着すると、田畠の義父が何やらわめいていた。

「おい!何してんだよ!」

田畠が、大声を出して、走り寄る。

「あ、田畠さん。もうマジで勘弁して下さいよ。社長が急に来たと思ったら、酒に酔って足元もフラフラで。積んであったパイプにぶつかって、神尾の上に落ちてきて。打撲で済んだから良かったものの、骨折とかしてたら、シャレにならないっスよ」

現場で主任をしている担当者の長谷が田畠にぼやく。

「悪い。神尾君、大丈夫だった?」

「大丈夫です。青くなってるだけで、腫れてはないんで」

「本当にごめんな。俺の方からきつく言っとくから」

「頼みますよ。今、現場のテナントの休憩室にいるみたいなんで」

「分かった。お疲れ様。気を付けて帰れよ」

田畠が言うと、それぞれが返事をして、現場をあとにした。

田畠は、義父のいる現場用の休憩室の扉を開けた。義父は、畳の敷いてある場所で、横になっていた。

「あんた、もう本当にいい加減にしてくれないか?酒を飲んだら、家から出ないでくれ」

田畠が義父に声を掛ける。

「あ?お前、社長に向かって、よくそんな口が聞けるな」

言いながら体を起こすと、田畠の方へと、ヨロヨロと近付いて来る。

「名ばかりの社長のくせに、偉そうに」

田畠が悪態を付くと、

「お前は本当に口が悪い。こんなに可愛い顔をしてるくせに…」

と、座ったまま、田畠の手首を掴んだ。

「離せよ…」

「見たんだよ。この前、お前と叶大が、みんなが帰ったあとの事務所で、抱き合ってキスしてるところを…」

ギクリ、と田畠の体が強張った。

勢い良く腕を引かれる。

「男の体って、そんなにいいものなのか?試してみたくなったよ」

体制を崩した田畠が、床に押し倒され、一気にズボンを下ろされた。

「いやだ…!やめろよ…。何考えて…」

田畠の両手を片手で抑えながら、義父が自分の下半身を露にした。興奮しているのか、かなり荒い息遣いだった。

「お前たち2人が夜にどんなことをしてるのか考えるだけで、堪らなくなる」

義父が自分の固く熱くなったモノを田畠にあてがう。

「…キツイな…。入口でこれだけキツイなら、中は相当、気持ち良いんだろうな…」

義父が、抵抗を見せる田畠の中へと、ゆっくりと腰を進める。

「やめ…」

そこに、

「悠…?」

カラカラと、休憩室の扉が開いた。

「ああ、叶大か?お前の恋人の中は、最高だぞ?こんなにキツく締め付けて、女よりよっぽど…」

言いかけた義父に、しばらく固まって動けずにいた中嶋が、

「うわあああっ!!」

と、大きな声を上げて、義父へと掴みかかった。

「叶大!やめっ…」

田畠の声は中嶋には届かなかった。中嶋は我を忘れて、義父の頬を何度も何度も殴っていたのだった。

「お前!自分の立場分かってんのか!クビだクビ!!明日から、仕事に来るな!!」

社長である、義父が中嶋に向かって怒鳴る。そして、休憩室を慌てて出て行った。

中嶋の瞳からは、いくつもの涙が溢れ、零れていた。

「叶大、ごめん…。ごめんな。叶大の言うことをちゃんと聞いておけば…こんなことに…」

田畠が泣きながら謝る。

「悠は悪くない…。俺が、もっとちゃんと…」

言葉が涙で途切れる。

「ごめん…。本当にごめん」

田畠は、何度も何度も繰り返し謝るだけだった。

中嶋は、力なく立ち上がると、

「俺、クビになったし、明日から仕事行けないから、荷物取ってくるよ。先にアパートに帰っててくれるか?」

と、田畠の方を向くこともせず、静かに呟いた。

「俺も行くよ…」

田畠が中嶋の腕の服を掴むと、

「1人で大丈夫だから…」

と、田畠からサッと腕を離して距離を置いた。そして、中嶋は田畠を置いて、雪が降り出した中、傘もささずに、事務所へと向かって歩き出したのだった。

田畠は、ただ止まらない涙を流しながら、雪が降り積もる中、中嶋の背中が見えなくなるまでそこに佇むことしか出来なかった。


そしてその日、田畠は中嶋がアパートに戻る前に、別れを告げる手紙を置いて、アパートを出た。長く一緒にいたからこそ、田畠には中嶋の気持ちが痛いほどよく分かっていた。あんな風に自分のことを拒否するような態度を取られたのは、初めてのことだった。

「きっと叶大は、もう俺に触れることすら出来なくなるだろうな…」

あんなことになってしまったことが、情けなくて、不甲斐なくて、悔しくて仕方なかった。そして何よりも、中嶋をひどく傷付けてしまったことが、田畠にとって、一番悲しくて苦しく、胸が締め付けられて息ができなくなりそうなくらい、辛かった。

田畠は、ただひたすら泣きながら車を走らせ、疲れ切ってたどり着いた場所が、今の土地だった。携帯も解約し、しばらくホテル住まいをしながら、仕事を探して、今の会社に就職したのだった。


部屋から出てこなくなった田畠が心配で、西川は、ウロウロと廊下やリビングを歩き回っていた。落ち着こうと、ソファに腰をかけても、すぐに立ち上がってしまい、田畠の部屋の前で様子を伺うように、耳を近付ける。

「…ちゃんといるよな?」

あまりにも静か過ぎて、つい心配になり、独り言を言う。

そして、またリビングへと戻り、ソファに座る。

その時、カチャリ…と田畠の部屋の扉が開き、田畠が静かな声で、

「あのさ、この前のマカロンが食べたいんだけど…」

と、西川にお願いしてきた。

「…今か?」

「…うん」

西川は黙ったまま、田畠の目を見た。

「…分かった。買ってくるよ」

「よろしく」

そう言って、田畠はまた部屋の中へと戻った。

西川が、財布と自動車の鍵を取りに、自分の部屋へと寄り、玄関へと向かう。その途中で田畠の部屋の扉をノックし、

「じゃあ、行ってくる」

と声を掛けてから、玄関を出た。

閉じた玄関の扉へと背中を付けると、

「…また、ここからも出てくんだな…」

呟いて、西川がため息を吐いた。


田畠はまとめた荷物を持って、タクシーに乗るために、外へと出た。部屋の鍵を掛け、郵便受けの中へと入れ、カチャンと玄関に落ちたのが分かった。そこへ突然、背後から腕が伸びてきて、バン!と玄関の扉を叩く。びっくりした田畠が後ろを振り返ると、西川が立っていた。

「どこに行くんだ?」

「…関係ないだろ」

「あるね。そうやって、また逃げる気か?」

「あんたには関係ないって言ってるんだ。タクシー待たせてるんだよ。どけよ」

「無理だ。第一、部屋の鍵、持って出てねぇし」

「は!?バカじゃないのか?俺のも今、中に突っ込んだんだぞ!どうすんだよ」

「じゃあ、俺もお前と一緒に行くよ。このアパートには戻らない」

「何言って…」

「頼むから、俺の前からいなくならないでくれよ…。俺のこと、好きにならなくてもいいから。ただ側にいてくれるだけでいい。他には何も望まない」

「…マカロンは?」

「買いに行くワケないだろ。探偵の勘をナメんなよ」

「ポンコツのくせに…」

「お前以外の案件に関しては、完璧だよ」

「弁護士の仕事は?何度も電話かかってきて、怒られてるだろ?」

「実家の事務所の人手が足りないらしい。細かい依頼が多いみたいで。浮気とか、近所の揉め事とか…」

「戻ればいいのに」

「絶対に嫌だ。お前を俺のモノにするまでは」

「…今、何も望まないって…」

「嘘だよ」

「どっちが?」

「…そんな目で見るな。キスするぞ?」

「冗談言ってないで、早く鍵を出せよ」

「本当に持って出てないんだよ」

田畠と西川が、黙って目を合わせたまま、しばらく動かなかった。


「マジで頭悪すぎるだろ!」

手に持っていた荷物をキッチンのテーブルに置きながら、田畠が怒る。

「いや、容子さんが家に居てくれて良かったな」

「笑い事じゃないし!」

「そもそも、お前が黙ってアパートを出ようとしたから悪いんだろ」

田畠が言葉に詰まる。

「さっきの続きしようか?」

西川が田畠へと抱き付こうとする。

「触るな」

腕を突っぱね、距離を置く。

「…いつまでダメなんだよ。俺にだって、限界があるんだぞ?過去に縛られて新しい恋愛が出来ないなんて、アホくさすぎるだろ」

「新しい恋愛…?」

「そっ。俺とお前の。過去の恋愛を忘れるためには、新しい恋愛をするのが1番いい方法だぞ?」

「…いつからそうなったんだよ」

「俺と恋愛をしたくないのは、中嶋叶大のせいか?」

ビクリ、と田畠の体が反応する。

「…座れよ。話したいことがある」

西川が、ソファへと腰かけ、隣に座るようにポンポンとソファを叩き、促す。


「一度、一緒に新潟に帰らないか…?」

突然の提案に、田畠の体が反応し、口を固く閉じた。

「…何で俺がいちいちあんたに指図されなきゃいけないんだよ…」

「前にも言ったけど、俺はお前とこれからも一緒にいたい。恋人になりたいし、キスもしたいし、それ以上のこともしたい」

「…今、自分が何言ってるのか、分かってんのか?」

「もちろん。だけど、お前はまだ中嶋叶大に未練がある。違うか?」

「ないよ。未練なんて。もう別れたんだから」

「じゃあ、俺と付き合え」

「は?」

「今晩、お前を抱く」

「ふざけんな」

「俺は本気だ。未練がないなら、俺に抱かれる覚悟を決めろ」

「俺は、あんたと付き合うなんて、まだ一言も言ってない!話が飛躍しすぎだろ!そもそも俺は、今から新潟に行くつもりだったんだよ!」

西川は呆気に取られて、目を見開いて田畠を凝視したまま動かなくなった。

「じゃあ、何で鍵を置いて…」

「あんたが居ると思ったから。ちゃんとここで俺のことを待っててくれるだろう、って。どっちにしても、俺は、あんたと付き合うとも言ってないし、今から新潟に行くつもりだった」

「嘘だろ…?」

「どっちが?」

「どっちも」

「めでたい頭だな。付き合うなんて言ってないって、何度も言ってんのに」

「でも、俺とのこと、考えてくれたから新潟に行こうと思ったんだろ…?」

田畠へと体を寄せ、そして、そっと抱き締めた。

「別にそういうワケじゃない。それに、逃げたところで、どうせ見つけ出すんだろ?」

「職権乱用してでも、見つけ出すに決まってるだろ」

「嫌な弁護士だな」

「よし!行こうぜ。今から新潟に。俺が乗せてく」

「え?」

「早く準備しろ!今から出れば、午後2時くらいには着くだろ」

西川が立ち上がり、着替えをカバンに詰め始めた。

2人で玄関の鍵を掛けようとして、

「待て。俺のは置いてく」

と、玄関の棚の上に、鍵を置いた。

「何で?」

「…一緒に、ここに帰って来るからだよ」

そう言って、田畠が玄関の鍵を掛けるのを静かに見守っていたのだった。


「お前、俺のことめちゃくちゃ好きじゃん」

新潟に向かう車の中で、西川が嬉しそうに話掛ける。

「どうしてそうなるんだよ」

「中嶋叶大とケジメつけるために、新潟に行くんだろ?」

「…分からない。今はまだ誰にも会う勇気がない。でも、探偵を雇うぐらい俺を探してるなら、行かなきゃ、って思った」

「一つ聞いていいか?この前、柏餅を食って泣いてたのは、どうしてだ?」

「…あの柏餅、よく叶大が買って来てくれてたんだ。一緒に住んでたアパートの近くにあるお店で。美味しいから、って」

「ふぅん…」

西川が面白くなさそうに唇を尖らせる。

「ふてくされるくらいなら、聞くなよ」

「お前も、俺の気持ち知ってるなら、うまく誤魔化せよ」

「本気にしてないからな」

「何が?」

「あんたが俺を好きだって言う、戯れ言を」

「お前、マジで口悪いな。喋らなければ、すげぇ可愛いのに」

「悪かったな。新潟に行かせるために、俺のこと好きだとか嘘ついてるんだろうな、って思ってる」

「それ、マジで言ってんのか?」

西川の声が低くなる。

「マジで言ってる」

「そんなこと言うなら、高速下りて、今すぐ抱くぞ?」

「だから、何でそんな発想になるんだよ」

「…会わせたくない」

田畠は、まっすぐに前を見て運転する西川の整った横顔を見た。真剣な表情に隠れる、悲し気な瞳。

「本音言うと、お前をあいつに会わせるのが、すごく怖い」

「西川…」

「強がってるだけで、俺を選んでもらえる自信なんて、あるワケないだろ?こっちは、あっちから詳しく事情を聞いてるんだ。お前たち2人が今までどんな関係だったか知ってる以上、会わせるなんて、めちゃくちゃ怖いに決まってる」

田畠はしばらく黙ったまま、西川の横顔を見ていた。そして、

「…悪かったよ…」

と、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小さな声で呟いた。

「やっぱ、一度抱いとけば良かったな…。俺のテクニックの虜になってたかもしれないしな」

西川が、田畠の方を見て、少し笑顔を見せた。

「…バカか」

言いながら、田畠は、目を反らして俯いた。


車が、以前、中嶋と一緒に暮らしていたアパートの近くに停まる。田畠は黙ったまま、動こうとしなかった。心臓が、喉から出てくるんじゃないかと思うくらい、痛いほどに鼓動を打つ。

「…一緒に行ってやろうか?」

西川が、さりげなく声を掛ける。

「…でも…」

「…やっと見つけ出して、連れて来たって説明してやるよ」

そう言って車を降り、助手席へと回ると、ドアを開いて田畠の腕を強引に引いた。腕を持ったまま勢い良く歩き出す西川に、必死に付いて行く。

「ちょっと待って…まだ覚悟が…」

田畠の意見を無視して、西川が力強くインターホンを鳴らした。

「はい…」

玄関先から返事が聞こえた。

「西川弁護士事務所から依頼のあった件で来たんですが」

西川は躊躇することなく、淡々と話す。

カチャンと鍵が開き、玄関の扉が開いた。

「…神尾…君?」

アパートから顔を出したのは、以前、田畠の会社の現場で働いていた、神尾瑠唯だった。田畠が、驚いたように目を見開く。

「…叶大さん、まだ午前中の仕事の打ち合わせから帰ってきてなくて…。って言うか、今さら何ですか?」

神尾が、怪訝そうに顔をしかめて、そしてどこか怒りに満ちたような目で田畠を見た。

田畠の足が竦み、言葉が一切出てこなかった。

「…中嶋叶大から、こいつを探すように依頼されてて。ようやく見つかったから、連れて帰って来たんだけど、留守ならまた出直すよ」

西川が、すかさずフォローに入った。

「叶大さん、田畠さんに捨てられてから、俺が様子を見に行くまでの3日間、何も飲まず食わずで風呂にも入ってなかったんですよ?俺が訪ねて来なかったら、倒れてたかもしれないのに、よく平気な顔で戻って来られましたね」

初めて聞かされる真実に、ショックのあまり、息がうまくできなくなる感覚に襲われた。

「手紙1枚で、自分の前から去られる人の気持ち、考えたことあるんですか?今は、働きに行けるまでに元気にはなりましたけど、まだ立ち直れてないんですよ?」

「…ごめん…」

何て自分勝手で愚かだったのだろう、と、改めて思い知らされる。

「一方的な別れなんて、別れじゃないですから。叶大さん、いつかここに田畠さんが戻ってくるかも、って。だから家賃払うために、必死に働いて、まだここに住み続けて…。見てるだけで、マジでバカみたいだな、って思いますよ」

「…本当にごめん…」

田畠は目に溜まる涙を必死に堪えた。

「俺に謝られても。本人に謝って下さい」

神尾が顔を上げて、田畠の後ろの方に視線を移す。田畠と西川が振り返ると、中嶋が歩いてアパートに向かって来ていた。

田畠の足から、力が抜けて行くのが分かった。

「おい!」

西川が、しゃがみ込みそうになる田畠の腕を支えた。田畠は、その腕を自分からすぐに離した。

田畠の瞳から、涙が、次から次へと零れ落ちる。

中嶋が、田畠に気付き、足を止めた。

「…悠…?嘘だろ?本当に悠なのか?」

言いながら、ゆっくりと、田畠に近付く。

「…叶大…、ごめん。俺…。逃げて、本当に、ごめ…」

中嶋は、言いかける田畠に足早に駆け寄ると、すぐに思いっきり自分の胸へと抱き締めた。

「…悠!ごめんな。俺の方こそ、本当に悪かった」

田畠が、中嶋の背中に両腕を回し、しっかりとしがみついたのだった。


「はあ…」

頬杖を付き、西川がため息を吐く。

「お人好しにも程がありますよ」

神尾がアイスコーヒーを飲みながら、西川にキツイ言葉を投げ掛ける。

「…アパートで何話してんだろうな。2人でさ」

「そりゃ、今頃、ヤッてるでしょ」

ガタン、と西川が席を立つ。

「冗談ですよ」

「冷静だな。中嶋のこと好きなんだろ?」

「めちゃくちゃ好きです。田畠さんと付き合ってる頃から好きでした。だから、田畠さんがいなくなったのをいいことに、無理矢理あのアパートに転がり込んだんですけど、指1本触れられたことなくて…」

「俺は酔った勢いでキスしたことあるぞ。めっちゃ暴言吐かれてキレられたけどな」

自慢気に西川が言った。

「不憫ですね…」

「お互い様だろ」

「より戻しますかね?」

「…さあ…。お互いに嫌いになって別れたワケじゃないからな…。何とも」

「もし、より戻したら、どうするつもりなんですか?」

「そうだな。その時は、仕事を辞めて、田畠の前から消えるよ」

「…どうして?」

「どう考えたって辛いだろ。他の奴と付き合ってる、好きな奴の側にいるなんてこと」

「俺はそれでも好きな人の側にいたいですけどね…。まあ、ずっとそうでしたから」

「へえ…。考え方って、人それぞれなんだな…」

西川が頬杖を付いて、窓の外を眺めた。


「…元気だったか?」

お茶をテーブルに出しながら、中嶋が田畠に尋ねた。

「…うん。ここを出てから、寮のある職場で仕事を始めて」

中嶋が、田畠と向かい合って座る。

「建築関係?」

「いや、違う」

「せっかく設計士の資格持ってるのに…」

「何か、全部リセットしたくて…。叶大は?どうしてた?」

「悠がいなくなってから、しばらく引きこもりになっちゃって。神尾がいろいろ世話してくれてたんだけど、ある日『家賃払えなくなると田畠さんが戻って来る場所がなくなるよ?』って言われた時に、働かなきゃ!って思って」

「一級建築士になる夢は…?」

「今、頑張ってるとこ。神尾も、悠と同じ設計士の資格取りたいって、一生懸命勉強してるから、触発されてる感じかな」

「そっか…」

そして黙り込む。

「あの日、出てったのは、俺が悠の腕を冷たく離したからだよな?」

「え?」

顔を上げる。

「俺が、あの時、悠を突っぱねるような態度を取って傷付けたせいで出てったんだろ?すごく後悔してる。本当に悪かった。あの日から、ずっと自分を責めて、苦しくて仕方なかった…」

「違うよ。俺が叶大をひどく傷付けてしまったから。だから、もう合わせる顔がないと思って。いくら未遂だったとは言え、あんな場面を見せてしまったことが、すごく情けなくて、悔しくて…」

「…未遂?」

「…あの時、義父が俺の中に入れる前に、叶大が来たから…。でも、それを叶大に言ったところで、きっと信じてもらえないと思って…」

「…休憩室を覗く前に、神尾に会って。ケガした所が、かなり腫れてあざになってたんだ。それで少し頭に来てたのもあって…。そこにきて、あいつが悠にあんなこと…。我慢できなくて、つい手が出てしまった。それも、本当に、ずっと自己嫌悪に陥ってて…」

中嶋が、唇を噛み締めた。

「俺が叶大の言うことを聞いて、一緒に義父の所に行けば良かったんだ…。本当にごめん」

「悠は悪くない。俺が無理にでも付いていけば良かったんだ…」

ああ…。そうだった。叶大はいつも優しくて、今までだって1度も俺のことを責めたり、怒ったりすることなんてなかった…。俺の横で、ずっと笑っていてくれて、それが心地良くて、いかに自分が叶大に甘えすぎていたのかを思い知らされる。

田畠は溢れそうになる涙を必死で堪えた。

「…実家には寄ったのか?」

不意に中嶋が尋ねる。

「いや、まだ。母親に義父のことを何度も相談したのに、何もしてくれなかったから。どうしても会う気になれなくて…」

「あのあと、悠の母親が義父を連れて、一緒に謝りに来たんだ」

「え?嘘だろ?」

「あの日は、悠の義父が、病院で癌の告知を受けたらしくて。それでなおさら酒の量も増えて、ヤケになってた、って…」

「…そんな…」

「悠の母さんと再婚したのも、悠のじいちゃんの会社を立て直すためだった、って。ああ見えて、かなりの資産家らしくて、ネットで検索すると名前がすぐに上がってきてた。昔、悠のじいちゃんにずいぶん世話になったとかで、恩返しがしたかったって…。だから、悠の母さんも口を出せなかったんだと思う」

初めて知った真実に、田畠はしばらく黙ったまま、動けなかった。

「そんな…」

やっと出た声は少し掠れていた。

「確かに酒癖は悪かったけど、経営者としての才能はズバ抜けてたみたいだな」

「…政略結婚…ってこと?だから一緒には住んでなかったのか?」

「…経営不振だった悠の会社の全ての借金を返済してくれたらしい」

「今、義父は…?」

「入院してる」

「…良くないのか?」

「…そうだな。相当な遺産があるらしくて、それも、悠の家族に…って。それがせめてもの償いになるならって、義父は離婚せずにいる。悠に会うことがあったら伝えて欲しいって頼まれてた」

「それなら、最初から言ってくれれば…」

「聞いてたら、悠のことだから、そんな不純な結婚ならすぐに別れろ、って言うだろ」

中嶋に言われ、口をつぐむ。

「なあ、悠。ここに戻って来ないか?今、悠のじいちゃんに頼まれて、前の会社に戻ったんだ。建築士の資格も取れたら、悠と一緒に、すごく良い仕事が出来ると思うんだ」

中嶋が、田畠を優しげな表情で見つめた。


「来た!」

西川が、声を張り上げて、立ち上がった。

「声がでかい!そんなので張込みとかできてんの!?」

神尾が静かな声でたしなめる。

田畠が店に入って来る。

西川が、黙ったまま田畠を見つめた。

「ちょっと実家に行ってくる」

田畠が言った。

「あ、ああ。送って行こうか?」

「いや、大丈夫。神尾君、長いことお邪魔してごめん」

「いえ。どうなりました?」

「うん。やっぱり戻ることにしたよ」

田畠が笑顔を見せる。

「…そうですか」

神尾が肩を落とす。西川も黙って俯いた。

「とりあえず実家に行って、この先のこと話さないと、と思って」

「分かった。俺も1度家に帰って、今後のこと親父と話し合ってくるよ」

そう言って、西川は伝票を持って会計を済ませると、店を出て行った。


「このバカ息子が!!」

西川が弁護士事務所の所長である父親に怒鳴られる。

「悪かったって…」

「本業そっちのけで、別の会社に就職して働くなんて、前代未聞だ!!今月中に退職して、必ず戻れ!!」

「分かったよ…」

「ターゲットに本気になっちゃったんだねー。兄ちゃんには、この仕事向いてないよ」

弟がさらっと言ってのけ、そして続ける。

「どんな状況であれ、いつだって、冷静沈着でいなくちゃ。俺みたいにさ。感情移入なんて、もっての他!」

顔の横でピースを作って、笑顔を見せる。

「お前が羨ましいよ…」

西川が、はあ、と大きなため息を吐き、肩を落とした。


「今、叶大君から連絡もらって。久しぶりね。元気だった?」

母親が、涙目になりながら笑顔を見せる。その後ろに、妹も立っていた。

「うん…。ちゃんと仕事もしながら、何とか生活してたよ」

「そう。良かった。とにかく入ったら?」

「…うん」

そこに、

「お久しぶりです」

と、長谷が奥から歩いて来た。

「え?何で?」

「あ、私たち結婚したの。今、妊娠7ヶ月」

「マジで!?」

「マジっす」

長谷が照れたように、笑顔を見せた。

「そっか、おめでとう」

田畠も思わず笑顔になった。

家に上がると、母親がパタパタと走り回り、何やらキッチンで動き回っていた。水の音や、お皿のぶつかるカチャカチャとした音…。

あ…そっか。あの時、懐かしいと思ったのは、小さい頃からずっと聞いていた音だからだったんだ。


田畠の母は、父親が他の女性を作って家を出てから、女手1つで田畠と妹を育ててくれていた。祖父母の援助はあったけれど、それでもフルタイムで働きに行っていて、毎日の生活が大変だったことが、今なら分かる。

「悠、夕飯食べてくでしょ?」

キッチンから母親の声がする。

「あ、うん。せっかくだし、そうしよっかな」

田畠は懐かしさで、胸から込み上げる、何とも言えない感情に襲われ目頭が熱くなるのが分かった。


「泊まって行けばいいのに」

田畠の母と妹が、口を揃えて言う。

「今回は急だったから。また今度、ゆっくり帰って来るよ」

「お義父さんには、会って行かないの?」

母親が、さりげなく尋ねた。

「さっき、叶大と病院に行ってきたんだ」

「そう。悠、今までごめんね。本当にごめんなさい」

母親が何度も何度も謝る。

「本当にもういいから…」

叶大と病室に入った時、痩せ細った義父も、涙を流しながら、何度も何度も「悪かった」と繰り返していた。悠と叶大の関係を壊すつもりはなかったと、申し訳ないと、ずっと謝り続けていたのだ。

「この人を許そう」そう思った時に、田畠の気持ちが、ものすごく軽くなり、

「俺たちならもう大丈夫だから。ちゃんと治療に専念して。な、叶大?」

「ん?ああ…」

と、あんなに憎かった義父に対して、ねぎらいの言葉が出たのだった。


「じゃあ…」

言いながら、田畠が西川の車に乗り込む。

「悠。いつでもいいから、戻ってこいよ。みんな待ってるから」

中嶋が声を掛ける。

「ありがとう」

「あと、これ。好きだったろ?」

中嶋が、箱を手渡す。

「柏餅?」

「営業時間終わってたけど、母ちゃんに無理言って作ってもらった」

「ありがとう!叶大の父さんも母さんも元気?」

「めちゃくちゃ元気だよ。今度戻った時には、店にも顔出してくれよな」

「うん。よろしく言っておいて」

「行くぞ…」

西川が声を掛ける。

「あの!西川さん!」

中嶋が、不意に西川に声を掛けた。

「悠のこと、見つけてくれて、そして、連れて帰って来てくれて、ありがとうございました」

言いながら、頭を下げる。

「いや…。仕事なんで」

「めちゃくちゃ時間かかったくせに?」

田畠が突っ込むと、

「…今回だけは、特別だったんだよ」

と、前を見たまま呟いた。

「田畠さん、俺、田畠さんが戻ってきても、諦めないんで」

神尾が宣戦布告をする。

「そうだな。設計士の資格の勉強、頑張って。2人のいい報告待ってるから」

そして、別れを惜しみながら、車が走り出した。


「あっちに着くの、夜中になるな」

田畠が西川に話し掛ける。だが返事がなかった。

「どうした?疲れてるなら、運転、変わるけど」

「いつ戻るんだ?」

「え?」

「新潟に、いつ戻るつもりでいるんだ、って聞いてるんだよ」

「いつ、って、まだ決めてない。だいたい、今日帰ったばかりだし、今度はお盆休みぐらいには帰省したいとは思ってるけど…」

「…戻るんだろ?新潟に」

「…マメに戻るつもりではいる。でも年末年始は、雪がひどくて来られないかもな…」

「…ちょっと待て。お前の戻るって…?」

「え?何が?」

「やっぱり戻ることに決めたって、言ってたよな?」

「うん。だから、戻ってるじゃないか」

「どっちに?」

「え?寮にだろ?」

「新潟じゃなくて?」

「新潟には戻らないよ。今さら、居場所もないし」

「中嶋叶大と、よりを戻したんじゃないのか?」

「何でだよ。一緒に仕事をしたいから戻って来てほしいって誘われたけど、神尾君も設計士の資格を取るなら、俺がいなくても大丈夫だろうし」

「平気なのか?」

「何が?」

「…まだ好きなんだろ?」

「…どうかな?叶大もそんなこと言ってこなかったし。長い付き合いだから分かるんだけど、たぶん、お互いに、わだかまりがあったせいで忘れられなかっだけなんだって気付いた、って感じかな。誤解も解けたし、今はスッキリしてる」

「じゃあ、俺との恋愛は…?始められそうか?」

「さあ…」

田畠が、意味深な笑顔を見せ、そして、

「ただ、感謝はしてる。側でずっと支えてくれてたこともだし、こうやって新潟に一緒に来てくれたことも。あと、柏餅も買ってきてくれてたんだろ?」

「まさか、あの店が中嶋の母方の実家だなんて知らなかったよ。一応、そこは気遣って、言わずにいてくれたんだろ?」

「まあ、俺は優しいからな」

「は!?どこが?最初の頃なんて、徹底して無視されてたし、めちゃくちゃ冷たかったけどな」

西川が思いっきり突っ込むと、田畠が笑い出す。

「あの時は本当に人と関わるのがすごく嫌で。でも、よく耐えてたよな」

「まあ、その、あれだ。完全に一目惚れだったって言うか、一瞬で落ちたって言うか…。依頼主の恋人を好きになるとか、絶対に許されないし、普通はあり得ないけどな。マジで最低な探偵だよ…」

「西川ってさ、めちゃくちゃストレートなんだな」

「何が」

「自分の気持ちを隠そうとしないから」

「隠して何になるんだよ」

本気で怒ったり、からかったり、気持ちをぶつけてきたり…。田畠にとって、今までにない経験だった。


叶大と話し合って、別々に前を向いて歩いて行こうと決めた。だけど、不思議と悲しみや辛さは沸いてこなかった。あんなに好きで好きで仕方なかったのに、それは叶大も同じで、きっと、他に惹かれ始めていた人がいたからなのだと、何も言わなくても、何となく分かってしまったのだ。ずっとずっと一緒にいたからこそ、お互いにそんなことまで分かってしまうのが、少しだけ切なかったけれど…。


「良かった。叶大が幸せで…。本当に良かった」

「…人の幸せも大事だけど、お前も幸せになれよ」

「え?」

「…何だったら、俺が幸せにしてやってもいいぞ?」

「いや、遠慮しとくよ」

「ほんと、素直じゃないな。まあ、好きになれない奴のことを好きになれ、って言うのも難しいからな。それと、俺、今月いっぱいで仕事辞めることにした」

「え…?」

「親父に、今月中に仕事辞めて、必ず戻って来いって、すげぇ怒られて。お前のこと隠してたのも、バレたし。仕方ないよな。だから、辞めることにした」

「そんな…。今月いっぱいって、もう2週間ほどしか…」

突然の報告に、口を開くと涙が出そうで、言葉が続かなかった。

「明日は、ちゃんとマカロン買ってきてやるよ。あと、カヌレがめちゃくちゃ美味しい店を見つけたんだ。あ…、でも柏餅があったな…」

嬉しそうに、笑顔を見せながら、西川が話す。

「仕事辞めるの、辛くないのかよ…」

「ん?ああ。全然。別に未練なんかないしな。そもそもしたい仕事じゃなかったから」

「何だよ…。結局、裏切ってんの、あんたの方じゃないか…」

田畠の目から、いくつもの涙が零れ落ちる。

「…田畠…?」

「一緒に帰るって、言ってたくせに。ふざけんなよ」

「…もしかして、俺と離れたくないって、そう思ってくれてんのか?」

「知らねぇよ!」

「…悪い。高速下りる」

「え?」

そして西川は、次のインターで高速を下りると、暗闇の中、車を走らせ、ある場所の駐車場へと車を停めた。

「…降りろよ」

田畠の腕を引くと、階段を登り、素早く扉を開いたかと思うとすぐに勢い良く閉じた。その瞬間、

「…ん…ぅ…」

田畠の唇を自分の唇で強引に開き、舌を絡ませる。

「…バーカ。辞めるのは、親父の会社の方だよ。ホント、マジで可愛すぎるだろ」

そして、腕を引き、ベッドへと押し倒す。

「…やめろよ」

「無理。あんな泣き顔見せられたら、もう我慢できねぇだろ」

「って言うか、慣れすぎてないか?ホテルの場所も、分かってた感じだし」

「不倫の調査もあるからだろ?もしかして、やきもち?」

「違うし」

「違わないだろ」

西川は、容赦なく、田畠へと覆い被さり、服を脱がして行くと、田畠の肌へと激しく貪り付いたのだった。


「なあ、神尾…」

お風呂上がり、2人でくつろいでいたところに、中嶋が不意に口を開いた。

「ん?」

「2人で住む、新しいアパート探さないか?」

「え?」

「もうここで悠のことを待つ必要もなくなったからな」

中嶋が優しい笑顔を見せる。

「いいの?」

「神尾が嫌じゃなければ、だけど」

「嫌なワケないだろ!すごく嬉しい!」

神尾が中嶋に抱き付く。

「長く待たせてごめんな。悠とのこと、ちゃんとしてから向き合いたかったから」

「…俺のこと、叶大さんの恋人にしてくれるの?」

抱き付きながら、下から中嶋を覗き込む。

「逆に、俺でいいのか?」

「当たり前だろ。何年、叶大さんに片思いしてると思ってんの?」

「ずっと側にいて支えてくれてて、ありがとうな」

「俺が、叶大さんと一緒にいたかったから…。あと、1つお願いがあるんだけど…」

「…何?」

「もう、高校の部活の先輩後輩の関係じゃないんだから、下の名前で呼んでよ…」

「…え?いや、何か、照れくさいだろ。今さら」

「…お願い。せっかく恋人になれたんだからさ」

中嶋が、恥ずかしそうに咳払いをし、

「え…と、じゃあ、瑠唯…」

「もっと、ちゃんと!」

「…瑠唯…」

「うん…大好き、叶大さん…」

そして、どちらともなく唇を重ね、2人は抱き合いながら、ゆっくりとカーペットの敷いてある床へと倒れ込んだのだった。


「おい、悠!出て来いよ。今日は何もしないから」

西川が、部屋の扉をノックする。

「絶対に出ない。毎晩毎晩、いい加減にしろよ!」

「前に話してたカヌレ買って来たんだ。コーヒー淹れるから、一緒に食べようぜ」

「嘘じゃないだろうな?」

「嘘じゃない」

カチャリ、と部屋の扉を開いた途端、西川が田畠へと抱き付き、激しいキスをする。

「騙したな!」

「騙してない。カヌレは本当に買ってきた。その前にエネルギーチャージだよ」

「今日は何もしないって…」

「そう言うの、疑わないところも、可愛すぎて好きなんだよ」

言いながら、田畠をベッドへと押し倒す。

「弁護士のくせに。嘘ばっかり付きやがって」

「嘘じゃなくて、駆け引きって言うんだよ」

嬉しそうに服を脱がして行く。そして、田畠の両手に自分の指を絡ませる。

「悠、すごく綺麗だ」

西川の言葉に、ズクンと、全身に電気が走るかのように、田畠の心臓が弾ける。

「…西川は…」

「燈磨、だろ?」

キスが、首筋に下りてくる。

「燈磨は、弁護士の仕事を辞めて後悔してないのか?」

チュッと、鎖骨のあたりに吸い付き、視線だけを上に向ける。

「してない。親父が弁護士だから、無理矢理弁護士になっただけで。悠こそ、設計士の仕事を辞めて、後悔してないのか?」

「…俺も、じいさんの会社で働くために資格取っただけだから…」

「…じゃあいい。これからは、過去のことなんて忘れて、2人での生活、思いっきり楽しもうぜ」

胸に顔を埋める。

「…っ…だから、ダメだって…。毎晩じゃ、さすがに体が持たな…」

西川は田畠の言葉に耳を貸すことなく、田畠との抱擁を堪能したのだった。


「あ、神尾君のインスタ上がってる。職場の先輩が一級建築士の試験に合格したから、一緒にお祝いしてるって。叶大、受かったんだ...。神尾君も設計士の資格取れたみたいだし、じいさんの会社も安泰だな。今、長谷が跡継ぐとかで、じいさんから引継ぎしてるみたいだし」

嬉しそうにスマホを見て、田畠が笑顔を見せる。

「おい!元カレの情報を今カレの前で話してんじゃねーよ」

西川がムスッとする。

「神尾君のインスタ見てるだけだし」

「俺たちもインスタ上げるか?ラブラブしてるとこ」

「全力で断る」

「来週から出張でしばらく会えなくなるのに…。ホント冷たいな」

「ん!このカヌレ、本当にめちゃくちゃ美味しい」

「だろ?俺も感動したんだよな。でも…」

「でも…?」

「お前以上に美味しいものなんてないけどな」

「よくそんなバカみたいな、ふざけた台詞を吐けるな」

「は?俺はいつだって本気だ」

西川はいつも、思いっきり田畠に気持ちをぶつけてくる。そして、あの日から、飽きもせず、毎晩、田畠を抱く。

田畠が、ジッと西川を見つめる。

「ん?何だ?」

「いや…。出張って、明後日からだろ?」

「ああ。3泊4日だ」

「そっか」

「何だ。寂しいのか?」

「そうじゃない」

「…1度でいいから、悠の本音が聞きたい」

「え?」

「好きだ、って、ちゃんと言って欲しい」

真剣な眼差し。その悲しそうな表情に、田畠は何となく応えたいと思ったのだが…

「す…」

…嘘だろ?『好き』の、たった2文字って、こんなにも恥ずかしいものなのか!?

田畠が戸惑う。

「…どうした?」

「いや、別に今さら…だろ」

「何だよ、今さら、って。長年付き合ってるみたいな言い方だな」

笑いながら、西川が言った。


「じゃあ、行って来る」

火曜日の朝早く、出張に向かう西川を早起きして見送る。

「ああ」

「何か、新婚みたいだな」

西川の顔が嬉しそうに緩む。

「出張に行ってる間に、部屋に鍵を付けとくよ」

田畠が言うと、口を閉ざし、とても悲しそうな表情を浮かべた。

ああ、また、すぐにいじける。分かりやすい奴。

田畠は呆れながらも、

「…気を付けて」

と、優しく声を掛けた。

「あ、ああ…。じゃあ。金曜日の夕方には戻れると思うから」

「分かった」

そして、玄関の扉が閉じた。


その日、仕事を終え、寮に帰る。冷蔵庫を開けると、1人分の夕食が準備してあった。

「そっか…。金曜日までいないんだった」

独り言を言いながら、夕飯を温めて、1人で食べ始める。

この部屋、こんなに広くて静かだっけ…?西川が来る前までは、これが当たり前の生活だったのに…。

田畠の胸の奥が、何かに掴まれたかのようにギュッと痛んだ。

ヤバい…俺…。何か泣きそうかも…。

「何なんだよ、あいつ。人の心ん中に、こんなにも踏み込んできやがって…」

口に運ぶ夕飯が、とても苦く感じた。そこに、テーブルの上に置いていたスマホから、着信音が鳴り響いた。

「はい」

『あ、悠?1人で大丈夫か?』

西川からだった。

「子供じゃあるまい。大丈夫に決まってるだろ」

目に少しだけ涙が滲んでいたせいで、少し鼻にかかった声になっていた。

『何か、声が変だぞ。風邪でも引いたんじゃないのか?』

「大丈夫だから。それより、何?」

『ん?声が聞きたくて。事務長に夕飯に誘われたんだけど、やりたい事あるから、って断って先にホテルに帰ってきた』

「やりたい事?」

『悠と電話したくて。朝、会ってたのにな。本当に、悠のことが好き過ぎて、我慢できないっつーか。堪え性がなくて、本当にダメダメだな。こんなので、金曜日まで持つと思うか?』

「知らねぇよ…。でも…」

『何だ?もしかして悠も寂しいとか?』

冗談ぽく言う西川に、

「…ああ」

『え!?今、何て言った!?』

「…寂しくて、仕方ない」

『嘘だろ?』

「じゃあ、いい。電話、切るから」

『待てって!…その、初めてだったから。悠が、そんな風に言ってくれるなんて…』

「俺も、初めて気付いた…。西川の存在が、自分の中でこんなにも大きくなってること。今までずっと1人でも平気だったのに…」

『…いつも俺のこと軽くあしらう悠も嫌いじゃないけど、そんな風に素直な悠も最高だよ…。俺が帰ったら、ちゃんと、会いたかったって言って、抱き付いて来いよ?それと、好きって言えるように練習もしとけ。分かったな』

「しねぇよ、そんな練習」

『するよ。絶対』

「…とうま…」

『…ん?』

「…待ってるから」

『ああ。帰ったら、いっぱい愛してやるよ…』

「…うん」

そして、しばらく沈黙の時間が流れる。

『ヤバい…。勃っちまった…』

「は!?バカか、マジで」

『…風呂場で自分でしてくるよ…。また明日の夜、電話する』

「…本当に堪え性のない下半身だな」

『悠が魅力的すぎるんだよ…。悠のこと考えながら、してくるな。じゃあな』

そして、電話が切れた。

「マジで、アホすぎるだろ…。本当にストレートすぎて、呆れるな…」

田畠が、クスクスと笑う。

「…好き…か。ちゃんと言えるように、練習しなきゃ、だな」

そう言いながら、夕飯を食べ始めたのだった。〈完〉

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