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終わる、世界  作者: 美咲
終わりに
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「それでは時間になりましたので、そろそろ始めたいと思います」


町長の声に私は我に返った。


開演ブザーも照明もないただの部屋。

仕方ないとはいえ、この始まり方は少し寂しいものがある。

けれど町のみんなが楽しみにしていると仕事中に口々に言ってくれたのを心の支えに、私は立ち上がった。


リョウ、今からリサイタルが始まるよ。

あなたが望んでくれて、そしてその機会まで作ってくれて。

本当にありがとう。

私の野望はほとんどなりを潜めてしまったけど、わずかな残り火を燃え上がらせてくれて感謝してるよ。


ざわざわしたパイプ椅子の客席がほんの少しだけ小さくなるのを聞き届け、私はピアノの前に進んだ。衣装は以前ホールから逃げた時に着ていた赤いドレスだ。


ぱらぱらとまばらな拍手を受けて一礼。

優しく私を見つめている見知った顔たち。


深呼吸をして私はピアノに指を落とす。


ショパンの革命のエチュード。

斉藤の番組を見てで練習した唯一の新しい曲だ。


これを一番に持ってきたのは理由がある。

それはここに来てから私の中で起こった革命ともいえる変化を伝えたかったから。


はたから見たら目に見えない変化かもしれない。

けれど私にとっては人生観を変えるほどの大きなものだった。


力強くも切ないメロディーを奏でる右手と、その激情を表すような早いパッセージを紡ぐ左手の雄大なエチュード。

そこに全ての想いをぶつけるようにして音を鳴らす。


あまりにも曲と気持ちがシンクロしすぎて息があがるのも構わず最後まで弾ききった。

何かを断ち切るような和音を両手で二回ダンダンとぶつけて鍵盤から手を離す。


そして次は打って変わったような静かな出だしで始まるバラード一番。

同じく作曲者はショパン。


野田と私を引き合わせた運命のような曲だ。


野田の顔を思い出すと同時に次々に脳裏によぎる記憶。

MBでの誰も聴かないピアノのステージ、野田と行った有名ピアニストのリサイタル、殴られる痛み、地位や名声への高揚、斉藤、そして大々的な私のリサイタル、そしてリョウ。


あの頃に戻りたいとは思わない。

けれどすべてが懐かしく、今となってはキラキラとした大切な思い出だ。


感情の昂ぶりとともに私の瞳から涙が溢れる。

リョウが行ってしまってからは絶対泣かないと決めていた涙。

こんなに素直に自分の感情を表せるようになったのも彼のおかげだった。


曲に集中しなければと私は唇をかみしめ、ぼやける視界の中で必死に目をこらす。

なのに次の曲に移っても興奮状態は止まらず、涙は止まることなく流れ続けていた。


だって仕方ないじゃない。

リョウがいないのだから。


リサイタルまでには戻ると指きりで約束したのに。

少しでも望みをつなぐなめに、今日の本番をあの日から一年後に設定したというのに。


今日が終わってしまったら私は何を支えにして生きていったらいいんだろう。

前半のプログラムを終えて、私は俯きながらカーテンの仕切りの裏に引っ込んだ。

そして戒めるように自分の頬をぴしゃりと叩く。


くよくよするのは終演してからでいい。

今は全力でピアノを弾いてしっかりと楽しまなければ。


「さすがですね。リョウくんが真剣にリサイタルを開かせてくれと言った気持ちが分かります」


はっと顔を上げると町長がすぐ横に立っていた。

涙で汚れた私の顔を見てもにっこりと私を見つめている。


「技術とかは分かりませんが、あなたの想いが伝わってくるような気がします。痛いくらいに」


「…ありがとうございます」


途端に恥ずかしくなって、メイクが落ちないように涙をハンカチで押さえながら私はお礼を言う。


「後半も楽しみにしていますよ」


そう言って去り際にぽんと肩を叩かれ、町長はカーテンの向こうへと消えた。

どこかで聞いたような感想に苦笑して、私は確認のため次の曲の楽譜を開く。


目が燃えるように熱い。

けれど涙はもう出なかった。

 


再び立ったピアノの前、礼をすると先程より大きな拍手が私を迎えてくれた。

その全ての観客のために私はピアノに向かう。


音楽の力というものは絶対存在する。

野望を叶えるツールなんかじゃなく、もっと純粋に心を満たしてくれる平等な力だ。


それを伝えるために、これから頑張ればいいじゃないか。

もしかしたら数年後には私の故郷の出来事なんて誰も覚えてなくて、政府もどうでもよくなってて、気軽にどこへでも出掛けられるようになるかもしれない。

そうしたら全国の人にピアノを弾いて回ろう。


それだけ色々な土地に行けるようになれば、どこかでリョウにばったり会えるかもしれない。

そして驚く奴に言ってやろう。


嘘つき、と。

そして思う存分抱きしめてもらおう。


すべての演目を終え、私は感謝の意を示すためピアノの前に立つ。

割れんばかりの拍手が鳴りやまない客席に向かって、私は深々と頭を下げ続けた。


「ブラボー!」


部屋の奥の方から賞賛の言葉が投げかけられる。

その声に私はハッと顔を上げた。


聞き覚えのある耳に馴染んだその声の主を探すため私は必死で目を開く。


そして見つける。

出入口のドアの前に立っていた彼を。


「瑠璃!ただいま!」


考えるより先に身体が動いた。

いつかのようにドレスを引きずるようにして私は走る。


そしてその勢いのままリョウに抱きついた。

そんなに長い距離を走った訳ではないのに何故か呼吸が乱れていた。


「…遅いよ!」


「ごめん、リサイタルまでに帰るって言ったのにな。不安だっただろ?」


 軽い口調とは逆にギュッと強く抱きしめられる。


「もう終わったの?もうどこにも行かない?」


「大丈夫、すべて終わらせてきた。これからはずっと一緒にいるよ。二人で生きていこう」


そう言ったリョウの瞳は真っ黒でぞわりと背筋に冷たいものが走ったが、再び沸き起こる拍手にかき消された。。

私は後ろ髪がひかれる思いを感じながらリョウから身体を離し、笑顔で祝福してくれている町の人々に再び頭を下げる。


そしてゆっくりとピアノへ向かう。アンコール曲を弾くために。

 


近い将来、地球は滅びる。

それは揺るがない事実だ。


今生きているこの瞬間だって、何の意味もない。

けれど生きることに意味なんて元々ないのだ。

誰だって必ず死んでしまうのだから。


だったら意味なんて求めない。

やりたいようにやればいいじゃないか。


今なら分かる。

父が、母があの町にいた理由が。

カルト教団と言われて追われても動じなかった彼らは、とっくの昔にこの世の無意味さに気付き、自分達の生き方を貫いていたに違いない。


「ねえ」


その晩私はリョウの膝に寝転びながら口を開いた。


「私さ、色んな土地を転々としながらピアノを弾いて回ろうと思うんだけどどう思う?」


自己満足でしかないのは分かっていたが、終わる世界の中の束の間、音楽をできるだけ多くの人に楽しんでもらいたい、そんな思いはリョウに伝わるだろうか。


「いいんじゃない?」


私の髪を撫でながらあっさりとリョウは頷いた。


「でもどこにどんな落とし穴があるか分かんないけど」


そういたずらっぽく言うリョウに私もつられて笑う。


「いまさらじゃない?」


そうして私達は夜通し下らない話をした。

明日、この町を出ることを心に決めながら。










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