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「先生、今日お客さん見た?」
公民館で子供数人と歌をうたい、次の曲は何にしようかと考えていたら不意に1人の子供が尋ねてきた。
「お客さん?」
子供の言うことは大体が説明不足で意味が分からない。
今までそんな事は知りもしなかったが、さすがにここに来てから三ヶ月も子供と触れ合う機会が増えると扱いも手慣れたものになる。
「スーツ着てたんだよ!かっこいいよなぁ」
「そうなんだ」
この町ではスーツを着てするような仕事はない。
子供にとっては確かにスーツは珍しいものだろう。
「町長さんのお家に入っていったから、偉い人だよきっと!僕も大人になったらスーツ着て仕事するんだ」
キラキラと目を輝かせる子供を見てつい苦笑してしまう。
一体スーツがどれほど凄いものだと思っているんだろう。
そんな純粋さを守りたいと思ってしまい、私は自分の心の変化に驚く。
子供なんて今まで可愛いと思ったことなどなかったのに。
「じゃあ次は車の歌にしようか?」
さりげなく子供の興味を歌に戻しつつ、私はピアノの鍵盤に指を乗せた。
ほんの数ヶ月前まではショパンを奏でていた指たち。
それが今では子供のために童謡や伴奏に使われている。
それが少し悲しく、しかしすぐにそんな感傷を断ち切るように大きな声で歌い始めた。
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「ただいま」
今日は少し遅くなってしまった。
子供たちと入れ替わりに年配の方が音楽室にやってきて、お茶を飲みながら昔流行った曲をのんびりと演奏していたからだ。
まだ私が珍しいのだろう。
いろいろと質問攻めにされて無難な返答をしているうちに、彼女らの昔の話になり、あの頃は良かったねと和やかな笑顔で、懐かしそうに目を細めながら帰っていった。
「おかえり」
リョウは先に帰っていて、キッチンで鍋を見つめていた。
「リョウ?…それ何?」
夕飯を作ってくれていた様子だが鍋の中には何も具材が入っておらず、水だけが沸騰してグツグツと煮立っている。
「…あっ。今日じゃがいも貰ったから煮ようと思ってたのに」
ほら、と見せてくれたじゃがいもは大きくて美味しそうだけど、それよりもリョウの様子が気になった。
「何かあった?」
すぐに教えてくれそうもないので迷わず聞く。
黙って見守るより、嬉しいことも嫌なことも分かち合いたいからだ。
それはリョウも分かっているので、じゃがいもの皮を剥きながら重々しく口を開いた。
「バレたんだよ、奴らに」
「え?」
「俺達がここにいるってバレたんだ」
バレた?じゃあ捕まるの?
あの逃げた日の黒ずくめ集団を思い出す。
「ずっと隠れ通すのは正直無理だと思ってたんだ。でもここにいれば諦める、そう思ってた」
「もしかして今日町長の家に来たのって…」
リョウは頷く。
「耳が早いな。そう、奴らだよ」
何でもないように淡々と話す口調に彼の余裕のなさが伝わってきた。
「奴らが探しているのは俺だ。逃げたあの町の住人のお前のことは去る者追わずで処理されたらしいけど、勝手に組織を抜けた俺を今まで追跡してたって」
どこか他人事のように言いながら、じゃがいもをお湯に入れていく。
ちゃぷんとお湯がはねてリョウの腕にかかったが、彼は全く気にせずにじゃがいもを見ていた。
ここまでか…冷静にそう思った。
やはり追手はプロなのだ。
どこにいたって突きとめることに関しては長けている。
たった3ヶ月で見つかってしまったのは短かったと思うけど、それでも私にとっては大きな3ヶ月だった。
なぜなら生まれて初めて、温かく幸せな時間を好きな人と過ごせたから。
毎日がふわふわした愛情に包まれて、生まれてきて良かったなと思えたから。
「…いいよ、十分だよ。ありがとう」
自然に言葉が口から出た。
欲を言えばこのまま一緒にいたかったけど。
けれど本心だった。
私に再会しなければ、いやいっそ遠い昔に出会わなければ、おそらくリョウはもっとまともな人生を送れたはずなのに。
私のためを思っていつも行動してくれたリョウに胸がいっぱいになる。
「瑠璃、よく聞いて」
ぐいっと肩を捕まれ、向かい合わせにされた。
「さっき町長のところへ行って話しをつけてきた。俺は組織に戻るよ。だから瑠璃は…」
「私も行く」
その先は聞きたくなかった。
私はどこまでリョウの人生を狂わせてしまうのだろう。
だったらいっそのこと一緒に組織に出向いて共に審判を下されたかった。
「瑠璃」
「元々奴らが探してたのは私でしょ?だったら私が行けば…」
「駄目だ」
きっぱりとリョウは私の提案を拒否した。
その瞳は頑なで思わず私の頬に生暖かい涙が伝う。
行かないで。置いていかないで。
私の心が悲鳴のような金切り声をあげるのが聞こえる気がした。
けれども私は彼の言うことに従ってしまうんだろう。
リョウのことが好きだから。
彼の望みを叶えることが、彼を満足させる唯一の方法だと知っているから。




