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「先生は何て返事したんですか?もちろん止めて頂けたんですよね?」
まるで非難しているかのような声のトーンになってしまったが、そんな事には構っていられなかった。
「止めたわよ、もちろん。今の状態でリサイタルしてもらって恥をかくのは私ですから。知っているでしょう?ちらしに載せる経歴に、師事した私の名前だって載ることになるのよ」
「じゃあ…」
ほっとして肩の力を抜く。
野田のせいで今日はレッスンも進まないし、精神的にもよろしくない。
帰ったら文句のひとつでも言ってやろうと私は心に決める。
「でもね、野田さんはどうしてもやるんだって聞かなかったわ」
どこか楽しそうな斉藤の声のトーンに、私は呆然とする。
「それって…」
「だから仕方ないけれど、彼がやると言ったらやるしかないでしょうね。私はいいのよ、なんとでもなるから」
その言葉にはっと顔を上げて斉藤を見た。
どういう意味だろうと、そんな疑問を投げかけようとしてやめる。
何故なら斉藤が心底嬉しそうな顔をして、にやにやとこちらを向いていたのだ。
「知ってるとおもうけど、私、あなたみたいな小娘が大嫌いなの。突然現れたかと思えば野田さんをかっさらっていって。図々しいったらないわ。野田さんはね、もう随分前から私が狙っていたのよ」
「それはどういう…」
「どういうですって?そうね、いい機会だから特別に教えてあげる」
斉藤はちらりと私を視界の端で見た後、遠い目をして言葉を続けた。
「野田さんとは以前からパーティーで何度かお会いしたことがあったの。それこそ彼がまだあなたと出会うより前からね。その頃から私は彼をいいなあと思ってた。けれど私は彼よりも随分年上だし、恋人になんてならなくてもいいから、食事に行ったりするくらいの仲になれたらと思ってたのよ」
私は無言でやり過ごす。
あまり聞きたい内容の話ではなさそうだが、聞く以外の選択肢は見当たらなかった。
「それがついこないだのパーティーで会った時、ピアノの話を誰かとされていて、思わず話に加わったらあなたの話をされたわ。すごく素敵なピアノを弾く子がいて応援したいんだってね。それを聞いて、チャンスだと思ったの。その子のレッスンを引き受ければ、もっと野田さんとお近づきになれるんじゃないかって」
斉藤にとって私は小道具にすぎなかったという事か。
けれど私も斉藤をステップアップの踏み台にしようとしているんだからおあいこだ。
私は彼女に気付かれないようにため息をついた。
「それからあなたのレッスンをするようになって、思惑通り野田さんとプライベートで会う機会も作れたし、特別な関係になることもできたわ。でも、彼の心の中には、いつだってあなたがいるのよ。まるであなたを世に出すことが使命だと言わんばかりにね」
「特別な関係?」
少し引っかかった台詞を繰り返す。この場合の特別というのはやっぱり…。
「あら?聞きたい?」
赤い口紅をひいた唇がにっこりと弧を描く。
そこに女の生々しさを見た気がして、沸き起こる嫌悪感をぐっと堪えた。
「いいえ。結構です」
きっぱりと否定すると斉藤はさもおかしそうに笑った。
「そう。ベッドでの彼について意見交換しても良かったのに」
そう勝ち誇ったように言いながら。