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その晩、ひどく嫌な夢をみた。
目の前に広がるのは豊かな緑。
その場違いなほどの生命力に満ちた木々を見て、私は故郷にいるんだと悟る。
不自然に静まり返った町の中で私は逃げようと走っていた。
ところが、門をめがけて走っているはずなのに、何故か私の目の前には自分の育った家が立ち塞がっていたのだ。
それは外に出ようと道を変えて何度走ってもすべて同じ結果に終わった。
仕方なくそっと玄関のドアノブに手を伸ばしてみる。
それを予期していたかのように、音も立てずに扉が開いた。
見覚えのある玄関マット、置物、自分の家独特の匂い。
懐かしさに押しつぶされそうになりながら、私は「ただいま」と小さく奥に声をかける。
誰もいませんように。そんなささやかな願いも空しく、台所から母が顔を覗かせた。
「瑠璃ちゃんお帰りなさい。ご飯できてるわよ」
優しく微笑みながらパタパタとこちらへやってきて、当たり前のように私の上着を受け取る母。
そんな母についてリビングへ入ると新聞を読んでいた父がこちらを向く。
「あ…あの…」
出て行けと怒鳴られるかもしれない。
そう思い、とっさに声をつまらせつつも弁解をしようとしたが上手く言葉が出て来ない。
「おかえり。どうした?何かあったか?」
しかし父はそんな私の焦った様子を見て心配そうにこちらを見やり、穏やかに問いかけた。
「……なんでもない」
「そうか?ならいいが。ほら早くこっちに来なさい。今日のご飯はなんだろうなぁ」
これは。
これはあのゴシップ雑誌の記者が現れなかったら現実になっていた光景なのではないだろうか。
ぎこちなく相槌を打ち、私は記憶を頼りに、ダイニングの自分の椅子に腰掛ける。
そんな何気ない日常を感じて、不覚にも目頭が熱くなった。
何も知らなかったら当然のごとく与えられていたはずの温かい未来。
そんなごく一般的な幸せを奪ったあの記者に腹立たしさを覚えたのは、実はもう数え切れないほどだった。
世の中には知らずにいた方が幸せなことだってある。
けれども心に蓋をして強がって生きる事を選んだのは、あの日の幼い自分に他ならない。
そして何より。
裏切り者という文字が脳裏で点滅する。
そう、町の現実を信じて受け入れた私こそ真の裏切り者だという事を、改めて突きつけられた気がしていた。