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コーヒーをトレイに乗せ、目の前に座るリョウは何も言わずに私にブラックのコーヒーを差し出した。
昔からコーヒーはブラック。
そんな些細なことを覚えていてくれているのだろうか。
そんなことを考えながらカップを見つめる。
沈黙がしばらく続き、どことなく空気が重苦しく感じられた。
「嘘は吐かないで教えてほしいんだけど」
耳に届いた声にリョウの目を見れば、優しい声音とは裏腹に、以前彼の家で朝ごはんを食べながら地元のことを聞かれた時と同じ、事務的で冷たい色をしていた。
「瑠璃の地元は、あのカルト教団の町だよな?」
決め付けるような疑問系。
何故かは分からないけれど、彼はやっぱり知っているんだろうなと直感する。
「・・・違う」
「正直に答えてほしい」
穏やかな口調。
それはまるで駄々をこねた子供に母親が諭すような響きを含んでいた。
「どうしてそんな事を言い出すのか分からない。大体もしもそうだったら何だっていう
の?リョウには関係ないことじゃん」
リョウはひとつ息を吐く。
そして何か思案するように斜め上の一点を見つめた。
数秒後、
「今から言うことはすぐに忘れろ。な?」
そう真面目に言い放ち、彼は重々しく口を開いた。
「あの町は反社会派の巣なんだ。法を守らないカルト教団なんてライトなものじゃない。国のトップの暗殺を目論むような、そんな集団の町なんだよ」
「・・・え?」
何を言っているのだろう。
あの町の人達は確かに社会を否定している。
愛を育み、廃止された結婚をし、更に子供という禁忌まで冒してしまう。
けれど彼らなりの幸せの形を追求しているだけで、リョウが言うような誰かに危害を与えるような、そんな大それた集団ではないはずだ。
「政府からあいつらを排除する命令も出てる。すでに何人か捕まって取り調べも受けているはずだ。そして裏がとれ次第・・・」
そこでリョウは不自然に口を濁す。
「とれ次第?」
先を促そうと尋ねると、リョウはふと黙り込んでしまった。
「いや、ちょっと話し過ぎた。とにかく、もし瑠璃があの町の出身なら、何でもいいから知ってることを教えてほしいんだ」
私は迷う。ここであの町の出身だと明かし、今リョウが話したような大それた町ではないと笑い飛ばした方がいいのだろうか。
それとも知らないふりを通した方がいいのか。
「正直に話さないと同棲相手にも迷惑がかかるよ。俺的にはそういう卑怯な手は使いたくないんだけど、会社の方針でさ」
「会社?リョウの仕事って・・・」
そう言って顔を上げると、そこには見たこともないような無機質な彼の目があった。
「トップシークレットだけど瑠璃には教えてあげる。俺の仕事は分かりやすく言うと、そうだなぁ・・・」
そこで一旦言葉を切り、リョウは笑みを浮かべる。
「政府公認の始末屋、みたいなもんかな?」
そう言って正面から私の顔を覗き込んでくる彼に、私は思わず背中に悪寒を感じた。
「瑠璃の一言で町の人の身が守られることもあるかもしれない。だから正直に話せって何度も言ってるんだよ。こっちはきちんと下調べして会いに来てるんだから隠したって無駄なのに」
「だから知らないってば・・・」
恐かった。
そこにいるのは私の知ってるリョウではなかった。
そして私が同棲していることすら知っていると言う事実が恐かった。
もし野田が知ってしまったら。
せっかくあの斉藤のレッスンを受けるところまで、流れとはいえこぎつけたというのに。
けれどもう口にした言葉は取り消せない。
それは吐いた嘘の引っ込みがつかなくなったということではなく、野田に町のことをバラされたら全てが水の泡になってしまうからだ。
幸か不幸か私に故郷愛の精神はない。
町が、町の人が、両親がどうなろうと今の私には関係はないのだ。
そう、例え政府に殺されてしまっても。
例の雑誌の件で父親に殴られた瞬間から、私に家族と呼べる存在はいなかったんだと言い聞かせて生きてきたのだから。
「・・・悪いけどリョウの言ってることはよく分からない。私には家族だっていないし。きちんと調べ直した方がいいんじゃない?」
迷いが晴れた私はあれこれ考える事をやめた。
リョウを騙すために屈託のない笑みを浮かべて言い、席を立った。
無言で私の表情を探るように見ているリョウを一瞥し、そのまま店を出る。
来る時は出勤前のサラリーマンやOLで溢れかえっていた道も、すでに通行量はまばらな時間帯になっていた。
睡眠不足で頭が痛い。
けれど一刻も早くピアノに向かわねばという義務感にかられながら、私はマンションへと急いだ。
たった今のリョウとの記憶は何の躊躇いもなく、記憶のゴミ箱の中へ放り込みながら。




