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次に連れて行かれたのは、こじんまりとした家庭的な店だった。
「ここは僕のプライベート空間なんだ。プライベートでしか来ない店」
そう言って野田は優しく微笑みながら店のドアを押す。
女の子とデートするのにこの選択は間違ってるかなと照れたようにブツブツ言いながら。
「いらっしゃい」
マスターの声が響く。
確かにさっきの仰々しいほどのオシャレ感はないが、落ち着いた雰囲気のお店で私は無意識に肩の力を抜いた。
こういうお店の方が疲れなくていい、なんて考えながら。
カウンターの席に腰掛け、ファーストドリンクの注文を済ませてから、マスターと野田は何やら談笑している。
仲が良いんだなと一目で分かるやり取りに手持ち無沙汰になり、私はキョロキョロと店内を見渡した。
(あ・・・)
店の隅に邪魔そうに置かれているアップライトピアノに目が留まる。
何年も使われていなさそうなそのピアノに、私は吸い寄せられるかのように近づいた。
蓋を開け、埃がうっすら積もった鍵盤に指を乗せてみる。
適当に和音を弾いてみると、調律されていないからか僅かに音のズレを感じた。
最近流行っている曲をゆっくりと弾き始める。
次は簡単な練習曲。次は映画で使われていた名曲。次は・・・。
「瑠璃ちゃん」
気付いたら隣りに野田が立っていた。
「あ。すみません」
慌てて立ち上がり、カウンターの奥に立つマスターに頭を下げる。
他にお客さんもいるのに勝手にピアノを弾いて怒られるだろうか。
しかし気にした様子もなくマスターはヒラヒラと手を振ってくれ、ホっと胸を撫で下ろした。
気まずさを感じながら、改めてカウンターに座り直してビールを口に含む。
そんな私を見て野田は変わらずニコニコと口を開いた。
「瑠璃ちゃんは本音も見せないし、醒めてるかと思えばたまに無邪気だし、他人を寄せ付けないオーラを出し続けてるくせにピアノでは感情的だし、全部が不安定なんだけど。でも、お店で最初にピアノを聞いて話をしたときから、すごく気になる存在だったんだよね」
「うん」
またその話か、と内心イライラしつつも、何と返事を返していいのか分からないので、当たり障りのない相槌を打つ。
「で、何度か店で会って。今日はオフとして会って」
「うん」
少し口調に変化が表れた気がして、私は顔をあげた。
「好きだなって思った」
野田の口からストレートに『好き』という言葉が出た時、恥ずかしそうに俯く演出をしながら、心の中で笑いが止まらなかった。
我ながら本当に簡単で良い金持ちを見つけたな、と。
神様なんて信じていないが、今日ばかりは野田と出会わせてくれてありがとうと感謝したい。
「だから、僕と付き合ってほしい」
ここでようやく私は野田を見つめた。
決死の告白といった表情で真剣に私を見つめ返す様子が痛々しい。
「・・・はい」
はにかみながら私の答えを聞いた野田は、本当に嬉しそうに破顔した。
社長の女というポジションを手に入れた私も、もちろん心からの笑顔を浮かべて野田と笑い合った。