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それから毎日とはいかないまでも、野田は頻繁に店へと足を運び、私を指名してくれるようになった。
野田と話していると楽しい。
嫌味や自慢のない会話が、隣にいてとても心地良かった。
プライベートの携帯アドレスも教えてもらい、少しだけ関係が進展したことに、こっそりとほくそえむ。
私の計画はまずまず順調に進んでると言えるだろう。
「野田さん!来てくれたんだ」
「うん、割と早く仕事が片付いたから、ピアノの時間に間に合うかと思って」
「嬉しいです。あと10分くらいしたら弾くから飲んでて」
キープしてあるお酒を席に持ってきてもらい、私は意識して笑顔を振りまく。
いつもの私からは想像もつかないような好感度の高い対応だ。
こういう女が男に好かれることを知っている私は、自分の経験と知識に忠実にそのキャラ設定を守っている。
さりげないボディタッチや、上目遣いをわざとらしくなくするのは私にとって簡単ではない。
そういう女は実際には嫌いだし、愛想笑いはできても媚びるような行動には吐きそうになるくらい胸焼けがする。
ただし野田に対しては、丸っきり演技ではないような気がしていた。
それは夢のためという事もあるけれど、野田の持つ癒されるようなオーラの賜物でもあるだろう。
野田が来ない日は他の客で男受けのよさそうな接し方を研究した。
成果は上々だ。なぜなら研究対象の男達はデレデレした表情をしている気がするから。
だから、
「瑠璃ちゃんの笑顔は癒されるなぁ」
ポツリと言った野田の言葉には心の中でほくそえんだ。
でも野田のその小さな声に気付かなかったふりをして「なに?」と私は問い返す。
その言葉に返事をするのは野暮ってもんだ。
なんでもないよと手を振る野田に微笑み、ステージの時間のためピアノへと向かった。
彼に背を向けた瞬間、思わず口元が緩んだ。
かなり好感触かもしれない。今度食事のお誘いでもしてみようか。
一瞬そんな事が頭に浮かんだけれどすぐにストップをかける。
まだ早い。知り合ってまだそんなに日は経っていないのだ。
勢い余ってチャンスを逃すのだけは避けたい。
演奏を終え野田の隣に当たり前のように腰をおろす。
いつもは演奏について何か一言くれるのに、今日の彼は何も言わない。
怪訝に思って顔を見つめると野田はためらうような表情でカバンから何かを取り出し、大切そうにそれを私に差し出した。
「チケット?」
「そう、知り合いから貰ったんだけど、一緒に行かない?」
よく見るとそのチケットには海外の有名ピアニストの名前が書いてある。
突然のことに状況が把握できなくて私はチケットと野田の顔を交互に眺めた。
「貰っていいの?この人、すごく人気のあるピアニストでいつもチケット即完売するみたいだけど」
「僕のまわりにクラシック好きな人っていないから。良かったら」
すごく嬉しい。
このピアニストの演奏が目の前で聴けるのも、誘ってもらった事も。
「野田さんなら一緒に行く人ならたくさんいるでしょ?本当に私と行っていいの?」
「いや、いないよ。いたらこの店に顔出してる場合じゃないでしょ。だから是非。無理にとは言わないけど」
「無理な訳ないじゃない。行きたい!」
目を細めて照れたように私を見た野田を見て、私は思いがけないチケットに喜ぶ純粋な女の子の表情を顔に張りつけた。
野田の本物の笑顔。私の偽りの笑顔。
大丈夫、きっと見分けがつかないくらい上手く笑えているはず。
この機会しっかりと使わせてもらいますよ、と心の奥で私は呟く。
今よりも私の事を見てもらえますように。
…私のことが気になって仕方なくなりますように。