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終わる、世界  作者: 美咲
第2章
14/64

休憩を終え再びフロアに戻ると、さっきの男が私の姿を見つけ、手を振ってきた。

にっこりと営業スマイルを顔に貼り付け、私は男に近寄る。


上司に連れられてきたかと思っていたが男は1人で来ていた。

よっぽどの常連なのだろうか。

それなら記憶の片隅にでも残っていそうなものなのに、全く覚えがない。

という事は割りと新しい客のはずだ。


「ピアノ上手だね」


隣に座ると男は営業スマイルの私とは違う、本物の笑顔を私に向けた。

その場違いな位の完璧な微笑みに、私は少しだけ自分の笑顔を反省する。


「ありがとうございます。ピアノ、お好きなんですか?」


「うん、音がね、好きだなぁ」


グラスを傾けながら、男はまた笑った。


「そうそう、これ」


不意に男が名詞を差し出す。慌てて私も自分の名詞を出し交換した。

名詞に目を向けると、そこには最近急成長しているネットビジネスの会社の社名と『代表取締役 野田誠』という文字。この男が?あの会社の社長?


「瑠璃ちゃん、か。いい名前だね。知ってる?地球は昔、瑠璃色だったんだよ」


「知ってます。なんでもそれが名前の由来らしいので」


名詞交換の後の決まり文句。

私の名前を見た客は必ず昔の地球の話をするから、この受け答えはすっかり定番となっている。

昔の地球の色を名前にした両親は、何を思ってこの名前をつけたのだろう。

私には単なる皮肉にしか感じられない。


「ピアノは習ってたの?」


「小さい時は習ってたんですけど、中学くらいからは独学です」


「…へえ」


野田は真面目な顔をして偉いな、と呟いた。

そんな事は言われた事がないので調子が狂う。

いや今の発言だけではない。

彼の話し方は普段接している客とは違いどこか一線を引いたような、それでいて無防備に心を開いているようで調子が狂い、いつものように持ち上げて接客する事ができない。


大抵の客はプライドが高く上から物を言ってきたり、自慢をしたり、自尊心を満たすためにお金を払ってここへ来ているというのに、野田は友達のように対等な位置からニコニコと話をしてくるのだ。


「うちにもピアノがあって、でも僕は弾けないから勿体ないんだよね。今度教えてもらおうかな」


冗談とも本気とも分からないトーンで野田が言う。


「いいけど高いですよ」


「ええ?お金とるの?」


どこまでも穏やかな彼の様子をそっと観察しながら思う。多分恵まれた人なのだと。

真っ直ぐに育ち、夢を叶え、成功者にしか分からない幸せと地位を築いた人。

そこまで考えて言葉では表せないくらいの嫉妬が私の胸を占領した。

お門違いの嫉妬だということは分かっている。

彼なりの苦労や努力が成功の陰にあったのだろうということも。

けれど自分の欲しいものを今現在持っているという事実と、彼の笑顔が無性に私の心を揺さぶった。


(もしかしたら。この人なら)


ちらりと頭の端をかすめた希望。

この人なら私の夢を叶えてくれるかもしれない。

優しい笑顔は寄生してくれと言わんばかりじゃないか。


使い切れないくらいの大金を手に入れて、認められた地位から下を見下ろし、華々しくピアノリサイタルなんかを彼の金の力で開く。

そんな私の大事な夢を、この人なら。



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