月と毛布
部活からの帰り、夜空には暗雲が立ちこんで街は月や星々から隠されていた。私にとって夜は、起きていたって夢を見るように美しい。街のみんなが活動をやめて眠ってしまうと街のあらゆる境界が曖昧になり、彼らが窮屈に分類した有象無象が解き放たれて、もとの世界に還る。
そんな夜に不思議な懐かしさと奇妙な愛着を感じて、もしかするとこちらの世界の方が本物で、昼間の世界こそが偽物の世界なのではないかと考えた。人間たちが勝手に世界を支配した気になり、あらゆるものに名前をつけて定義をしているだけであって、本来世界とはもっと自由に解釈されるべきなのではないだろうか。そんなことを考えながら、私はしばらく崇高な気分に浸っていた。
しかし、自宅が遠くに見えるくらいまで来たところで、以前ネットで見たとある広告を思い出した。画面の中、スーツを着た五十代くらいの男性が「世界の真実をあなたにお見せします」と低い声で言い、笑顔を見せる。続く内容はセミナーの宣伝。それからすぐにスキップしてしまったのでそれ以降の内容はわからない。
その記憶。私はそれに吐き気を覚えたのだった。おそらく「真実を決めつける傲慢」が私には気持ちが悪かった。
そして、さっきの自分の考えはそれと何も違わないのかもしれないと思った。本物とか偽物とかを決めつけて、他の可能性を踏み潰す世界への無責任は昼間の人間も、広告も、私も変わらない。結局私もみんなと同じなのだとさっきの高揚は冷めてしまっていた。
帰宅すると私はすぐに階段を上がり自分の部屋に篭った。机の上の雑多に置かれたプリントを端の方に追いやって鞄から取り出したいくつかのテキストを叩きつけるようにして置いた。英語のテキストを開いてしばらく課題をしていると窓外に目が留まった。私は慌てて窓を開けた。冷たい風が頬を撫で机の上のプリントが宙に舞った。
さっきは暗雲に隠されていた月や星々が夜空に姿を現していた。夜の街は光を受けてはっきりとした輪郭を現した。私はまずいと思った。月の光に晒されて、星の光に晒されて、人間たちに晒されて、この夜はいつか定義されてしまうと思った。解釈が一元化されてそれはいつか他の解釈を踏み潰してしまう。この美しさはもっと複雑で、自由で、崇高なものなのに……
するとまた風が吹いて私の髪を大きく揺らした。床に落ちたプリントが風を受けて壁の方まで飛ばされた。私は我に返って英語の課題をしなければと思い直した。窓を閉じて床のプリントを拾い上げる。プリントを机に置いて、また席に座ったが、課題は手につかなかった。私はベッドに横たわって、毛布を頭まで被った。
何にも照らされることのない真っ暗な世界。誰の目にも触れないで、誰にも解釈されない、私だけの世界。
明日がやってきたら、街は太陽に晒される。私は「この世界だけは守らないといけない」と思った。一切の他人から、私を照らす光から逃れなければならなかった。
私はそうして、家にこもった。