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#92

 ズボンの裾を捲くりあげて、沢の浅瀬に足を入れる。

 ひんやりとした水の温度。流れる水のせせらぎ。


 好きなことをさせてもらっているから、忙しいということに対して、それほどに嫌悪感は覚えてはいなかったものの。しかし、どうやら疲れというものは随分と溜まっていたようで。

 仕事をしているときの忙しさが解けて、疲れがゆっくりと溶け出していくような感覚に。自然と息が出る。


「……たしかに、こうやってゆっくりとするのも久しぶりだな」


 まず浩一が動かなければなにも進まない、という状況だったから仕方がなかったとはいえ、特に鉄道事業が本格化した最初の頃は動き詰めであった。

 だが、風花に指摘されたように程々に休息を取るというのもたしかに大事なのだろう。

 現状、全体の進度が浩一の行動に追いついていないとのことだし、人手だって無限にあるわけじゃない。

 風花からは「少しくらい、ゆっくり歩いたって。それで十分なのよ」なんてことも言われた。


 ちなみに、現在はお昼ごはんの準備中なのだが。手伝おうとしたところ、風花に「今日くらい完全に他に頼りなさい」と追い出されてしまった。

 現在はテントを張ったところで風花とルイスとレオが準備をしてくれている。


「コーイチさん。おとなり、失礼しますね」


「フィーリアさん。ええ、どうぞ」


 浩一がそう応えを返すと、彼女もスカートを多少持ち上げてから、ぽちゃんとその足を水に下ろした。

 気持ち良さそうに目を伏せ、息をつきながら。フィーリアは「そういえば」と。


「以前の告白について。考えてはくれましたか?」


「……ええっと、ごめん。考えてはいるんだけども、まだ回答が出ていなくて」


「大丈夫ですよ。そうだろうと、思っていましたし」


 どこかいたずらっぽく笑ってみせるフィーリア。そんな少しの動作にドキリと感情を揺さぶられている浩一もたしかにいた。


「あんまり待たせるべきではないとは思ってるんですけど」


「それはそうですけど。それ以上に、コーイチさんには後悔のないように決めてほしいですからね」


 ふふふ、と。フィーリアが柔らかな表情でそう伝えてくれる。

 ありがたい話ではある。けれどやはり、あまりこの優しさに甘えるわけにもいかないだろう、とは。

 ……ただ、現状はその優しさに頼るしかない、というのも事実なのだけれども。


「ところで、あの告白のあとでなにか変わったこととかありましたか? 私以外のことで」


「変わったこと? いや、あんまりなかったと思うけど」


 フィーリアからの対応とかであれば変わった、というか。浩一の受け取り方も変わっているために二重で変わっているところはありはするのだけれども。それ以外についてはあまり心当たりはないような気がする。

 そもそも、日常が流れていく中である程度は変化していくものだろうし。大きな変化という変化はなかったように思う。


 強いて言うならばアイリスの態度だろうが。これについては、むしろフィーリアの告白以前に異変が起きていて、元に戻ったという方が近いだろう。

 以前よりも距離感が近くなったような気がしないでもないが出会ってすぐの頃も近かったし、一時離れていたことへの反動と考えるとそれほど不自然なことでもない。


「……アイリス様が動いてない? いえ、そんなわけも、ないでしょうし。これは、単純に気づいていないだけ?」


 ぼそり、と。フィーリアがなにかを呟いていた。


「フィーリアさん。なにか、俺のことで気になることでもありましたか?」


「いえ、大丈夫ですよ。少し、共感というか、なんというか。まあ、手加減をするつもりはないですけど、相手のことを思っていたというか」


 あはは、と。苦く悪いながらに要領を得ないことを言うフィーリア。

 先程漏らしていた呟きの中身がわかれば意味がわかったのかもしれないが。まあ、仕方がないだろう。フィーリアも大丈夫だと言っているし、特段深刻なことでもなさそうではあるし。


 ゆったりと流れていく時間を傍らに、浩一とフィーリアがときおり会話を交わしたり、ゆっくりと息をついたりしながらに川辺で涼んでいると。

 対岸の森の中から、浩一たちとは対照的に、忙しない様子のふたつの人影が現れる。


「コーイチ様! 見てください!」


「おにーさん、ここの森、すごいよ!」


「ぜひ、あとでコーイチ様も一緒に行きましょう!」


 森の中でたくさん遊んできたのだろう。魚やきのみ、キノコなど。両手いっぱいに戦果物を抱えながらに帰ってきたアイリスとマーシャ。

 そのあたりの捕獲や採取についてはキチンと伯爵に話しているので問題はない。随分と楽しくやっていたようなので、許可をとっておいてよかった、と。そう思いながらに。浩一はふたりに向けて、言葉を返す。


「まあ、一緒に行くのは構わないんだが」


「でしたら――」


「ただ、ひとまずその服をどうにかしてきた方がいいかもな」


 濡れてるのはどうしようもないけど、せめてある程度泥と草を落として置くほうがいいだろう。


 その指摘に、ふたりは「あっ……」と思わず固まってしまう。

 楽しく遊んできた証拠、ではあるのだが。それはまあ、随分と汚れてしまっている。


「そうじゃないと風花から雷を落と――」


「あら、私を呼んだ?」


 だがしかし、どうやら浩一の助言は遅かったらしい。


 いつの間にやら浩一の背後に立っていた風花は、ニコニコとした笑みに全く似合わない威圧感を合わせながらにそこに立っていて。

 それを見たマーシャが思わず「ぴえっ」と声を漏らしてしまう。


「私は、そろそろお昼ごはんの準備ができそうだからと呼びに来ただけなんだけど。そんな露骨な反応を見せるってことは、なにか、自覚のあることをしたのかしら……?」


「あの、ええっと。おねーさん。その、ですねぇ……」


 なんとか言い訳をしようと目論むマーシャだが、完全にやらかしているという自覚があるため、どうにも言葉が思い当たらない。

 ダラダラと流れていく冷や汗ばかりが増えていって。


「き、キレイにしてくるね!」


「わ、私も行ってきます!」


 脱兎のごとく逃げ出していくマーシャと、それを追いかけていくアイリス。

 そんなふたりに息を付きながら「先に荷物だけ机に置いていきなさい」と、風花が声をかける。


「まあ、その、なんだ。せっかくの休みだし、少しくらいは甘めに見てやってくれ」


「わかってるわよ。持って来れてる着替えが少ないから遊んでくるときは気をつけなさいとは言ってたけど、どうせこうなるだろうなとは思ってたしね」


 呆れと諦めが半分ずつくらいの声音で風花がそう言う。


「私だって休みなんだから、そんな細かいところまで言いたくないもの」


「そりゃそうだ」


 風花のその言葉に、浩一は小さく笑いながらに答える。


「そうそう。さっきもちょっとだけ言ってたけど、そろそろお昼ごはんの準備ができそうだから。浩一もフィーリアさんも、いいタイミングで来てね」


「ありがとう。ルイスとレオにもそう伝えておいてくれ」


 浩一がそう言うと、風花はひらひらと手を振りながらに歩いていった。


「俺たちもそろそろ行きましょうか」


 立ち上がり、浩一が先に沢から出て。軽く足を拭く。


「コーイチさん、お手を借りてもいいでしょうか?」


「ええ、もちろんです」


 フィーリアからの頼みに、浩一はスッと手を差し出す。

 フィーリアはその手を取りながらに、ゆっくりと沢から出てくる。


「ありがとうございます。コーイチさんの手、こうして直で触ってみたのは初めてでしたが、思ったよりもしっかりとしているのですね」


「あー……そう、なんです?」


 あまりそういう評価を面と向かってされたことがないだけに、実際に言われてみると、どうにも少し毛恥ずかしく感じる。


「ええ、とても安心のできる手です」


「あんまり、そういうことを不用意に言わないほうがいいかと」


「不用意ではありませんよ? だって、私の気持ちはお伝えしたとおりですし」


「……そういえば、そうでしたね」


 ふふふ、と。いたずらっぽく笑ってみせるフィーリア。

 どうにも、調子を取られてしまっている気がする。


「それじゃあ、行きましょうか。せっかくなら手を繋いでいきますか?」


「……それは風花からとやかく言われそうなので、できれば遠慮していただけると」


「なるほど。わかりました。では、そのように」


 フィーリアは、そう言うと。浩一に聞かれないような、小さな声で。


「……まあ、一番気にしそうなのはフーカさんではないと思いますけどね」


 と、付け加えた。

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