#91
「山だー! 森だー!」
うおおおお! と。わかりやすくテンションを上げているのはマーシャ。
たしかに普段頻繁に来るような場所ではないにせよ、そこまで喜ぶことなのかと浩一が思っていると。その隣でアイリスが小さく微笑む。
「マーシャちゃんの出身は山間だと聞いていますからね。少しは故郷の雰囲気に近かったのかもしれません」
「ああ、なるほどね」
懐かしい雰囲気にあてられてテンションが上がってしまった、というところだろう。
そこで郷愁を感じるではなくああやってはしゃいでいるあたり、マーシャらしいと感じる。
まあ、そう言ってみせているアイリスも。今にも山の中に探索に行きたいという様子でうずうずとしているのだが。
「……あー、アイリス? えっと、マーシャがどこか変なところに行かないように、近くで見張っておいてもらっていいか?」
「はい! お任せください!」
浩一の頼みに。キラキラとした視線で、アイリスはそう即答する。
手を振りながらに駆けていくアイリスに「あんまり遠くに行きすぎないようになー」と浩一が見送ると。今度は、風花がやってくる。
「しかし、山にしたんだな」
「まあね。海に行けなくもなかったけど、ちょっと遠いなって感じたのと。それから、私たち水着がないしね」
「……ああ」
臨海の地域でもなければ、そもそも海に遊びに行くという文化自体が疎遠である。なれば、水着というような水遊びに特化した衣類を持っていないことも比較的普通であり。それは、内陸にある王都に住んでいるアイリスたちも同じく。
同様に、水遊びという事柄に縁がないアイリスたちが、そもそも泳ぐことができるのかという問題がある。
浩一と風花はそれなりには泳げるものの、このふたりだけで遊ぶわけにもいかず。また、では泳げるように教えて、というのをいきなり海で実践してみせるのはリスクが高い。
特にそれでアイリスになにか事が起こりでもすれば、という話ではある。
「……まあ、王女に野営させるのはどうだって話にもなるんだけどね」
「考えないほうがいい。そのあたりはもう」
風花が吐いた不安の声に、浩一が諦め気味にそう答えた。
こと浩一については、王女を事実上では足代わりに使っている。今回のことについては、もはや誤差のようなものである。
そもそもアイリスも乗り気だし、なんならアレキサンダーからも参加したいというような旨を告げられた。冗談なのか本気なのかはわからなかったが、そのときたまたま近くにいた従者がひどく慌てていたので、やんわりとお断りしておいた。
「それじゃ、コーイチさん。こっちに天幕張っちゃいますね!」
川辺の方からそんな声をかけてくれながらに、元気な様子でせっせと働いてくれているのはレオ。その隣ではルイスが彼の手伝いをしてくれている。
彼らだけに任せるのも忍びないので、浩一と風花も彼らを手伝いに行く。
「でも、僕たちまで誘ってもらっちゃって。よかったんです?」
少し不安そうな様子を見せるルイス。
しかし、浩一は小さく首を横に振る。
「むしろ、来てくれてありがたいくらいだよ」
噛みしめるようにして言う浩一。
そもそも、旅行のことを決めたその日に。ルイスやレオの予定が空いているかについても確認をしに行っていた。
浩一たちと同じく夏休みには設定されているものの、しかしそれぞれでやりたいことがあるもしれなかったが。どうやら、ルイスもルイスで唐突に与えられた休みにどうしたものかと悩んでいたらしかった。
「まあ、わかりやすくいうと。あなたたちが来なかったら、浩一以外がどうなっていたか、がわかりやすいかな?」
「コーイチさん以外……あっ」
「まあ、そういうことだ。わざわざ付き合わせて悪いな」
風花からのヒントでルイスが気づく。
浩一以外、全員が女性である。
普段から彼女らに囲まれている、というから忘れがちだが、アイリスも、マーシャも。もちろん風花も浩一から見ると異性である。
こうして野営をするにしても、あるいはどこかの宿に泊まるにしても、浩一たちとそれ以外で部屋分けすることが必要になる。
せっかくの旅行だというのに、片やたくさんで寝泊まりをして、片やひとりで寝る。そういうことを気にしない人も居はするものの、せっかくならば楽しみたい、というのが浩一の希望ではあった。
……そういう意味ではアレキサンダーが来る、ということも考えられたが、それは流石に別の問題が大きすぎる。
「あとはまあ、単純にそれなりの人数がいたほうが楽だったからね」
ヴィンヘルム王国でレジャー系統が発展していない理由のひとつが、長距離での重量物の輸送が苦手だということがある。
箒の特性上仕方のないことではあるのだが。しかし、特に泊りがけで、となるとどうしても荷物が大きくなってしまう都合、キャンプであるとかのレジャーはどうしても発展が難しくなる。
その点、多人数であれば荷物を振り分けることで多少はマシにすることはできる。……まあ、それでも食料品など、一部のものは近くの街で調達もしているのだけれども。
「それに。本当に誘ってもらってよかったのか、ということなら。私のほうがそうでしょうしね」
そう言いながら、フィーリアが作業をしている浩一たちのもとに近寄ってくる。
手伝いますよ? と。そういう彼女だが、比較的応対に慣れてきた浩一や風花はともかく、ルイスや、特にレオなどはかなりてんやわんやとしてしまっている。
「ふふ、今回はコーイチさんの友人として誘われているので、アルバーマ令嬢ではなく、ただのフィーリアとして接してもらって大丈夫ですよ? ここは領外ですしね」
「そうなんですか? なら――」
「待って、レオくん。待って!」
いきなり砕けようとしたレオに、ルイスが慌てて止めにかかって。
それを見たフィーリアは楽しそうに笑ってみせる。浩一としても、フィーリアが別にいいのなら構わないとは思うのだけれども。まあ、ルイスのその気持ちもわからないでもない。
「しかし、なんでフィーリアが誘ってもらってよかったかどうかを気にしているんだ?」
件のことがあったからちょっと気にしてしまう、という側面こそ無いとは言わないが、それはそれとしてフィーリアは仕事相手であり、そして友人である。
それなのにルイスたちを誘ってフィーリアを誘わない、というわけにはいかないだろうと、そう思うのだけれども。
「そうでしたね。コーイチさんは、そういう割り切りができる方ですものね」
だからこそ、と。なにやらフィーリアは含みの有りげな言葉を残しながら。しかし、彼女は視線をそのまま隣にいた風花へとずらしていく。
「存外、そういう割り切りができない人間も結構いるものなんですよ。ねえ、フーカさん?」
「……ええ、そうね」
一瞬、静かに火花が散ったような気がした。……いや、気のせいかもしれないけれど。
首を傾げる浩一とレオ。その隣では、ルイスが苦笑いを漏らしていた。
「しかし、山間でしたらアルバーマ領にもありましたのに」
「まあ、それでもいいといえばいいんだけど。リフレッシュが目的なのに近場ってのもアレじゃない?」
せっかくならば、遠方で、と。風花がそう言った。
ちなみにここはロクサーヌ伯爵領。
ロクサーヌ伯爵はフィーリッツ侯爵の伝手で紹介してもらった貴族で、既に浩一は顔合わせを済ませていた。
今回のことを相談したところ、場所の提供と一時的な警備の強化とを快諾していただけた。
せっかくの休みなのだ。以前起こったような賊騒ぎになっても困るので、その点は十分に。
その代わりに、今回の旅行、もといレジャーについてのことをロクサーヌ伯爵に共有するということで話がついている。
フィーリッツ侯爵に鉄道のことを話したときもそうだったが。ロクサーヌ伯爵も、こういった新しいこと。もとい事業となりうることに対しては随分と意欲的な人物らしい。
浩一としてもそういうスタンツの方のほうが、最初から興味を示してもらえるだけやりやすい。
「浩一? あなたまた仕事のことを考えてない?」
「……あー、悪い」
「もう。とりあえず、今は楽しむこと。そもそも、十分に楽しまないと、その仕事もままならないんだから」
風花が小さく笑いながらにそう指摘してくれる。たしかに、それはそうだろう。
どうやら、考え事をしながらにいつの間にか下を向いていたらしい。
顔を上げてみると、レオとルイスがテントを建てて、それをフィーリアが拍手で讃えていた。
みんな、笑顔で楽しんでいる。
「ああ、そうだな。せっかくの休みなんだ」
しっかりと、楽しもう。