#90
「……さて」
唐突、と言っていいほどの勢いで休みを与えられてしまった浩一だが。案の定というべくか、借り受けているアルバーマの宿の中で、休みを持て余していた。
と、いうよりかは。少々マーシャと似通っている点ではあるのだが、浩一自身も趣味と仕事が被っているところがあり、なんだかんだで楽しく仕事をこなしていたのである。……まあ、貴族相手の対応というような、方向性の違うものもありはしたが。
「それで。アイリはずっとそこでこっちを眺めてるけど。それでいいのか?」
「はい!」
元気よく返された言葉に、浩一は思わず苦笑いを浮かべる。
浩一がキチンと休むために――というよりかは、浩一が休みの期間中に仕事をしていないかを監視するために。現在アイリスが浩一の部屋にいる。
婚前の女性、それも王女が、異性の部屋でふたりきりなんてことがあっていいのか、というように思わないでもないが。まあ、アイリスについてはもはや今更、という話ではある。
まあ、ここにアイリスがいるということは浩一やアイリスたちが外に漏らさなければ知れ渡ることはないだろうし。浩一が間違いを犯さなければそれで問題がないといえば問題がないのだろうけれども。
むしろ、今浩一が気にしていることといえば、
「その、楽しいのか? これ」
「はい、とっても!」
「……なら、いいんだが」
暇を持て余している浩一、について回っているアイリス、ということは。アイリスについても、同様となっているわけで。
浩一が特にやることも思いつかず、ボーッと、暇を過ごしているならば、アイリスもそう大して変わらない状態だということになる。
まあ、全く持って同じ、というわけではなく、アイリスは浩一のことをジッと見つめていたりはするが。……いくら風花からの頼まれごととはいえ、それで本当に楽しいのか、と。少し疑問に思いはする。
……いや、なぜかすごく楽しそうにしているんだけれども。
(とはいえ、アイリにこのまま、ずっと部屋の中にいるだけ、ということを強いるのも違う気はするよなあ)
たしかに楽しそうにはしているのだが。それとこれとはまた話が別であろう。
特に、アイリスの場合はなおのこと。アイリスも浩一と同様に休暇を与えられているのだが、その休暇をこうして浩一のために消費することとなってしまっている。
ならば、せめて娯楽のひとつでも楽しんでもらいたいものではあるのだが。
「……アイリ。少し外に出るが、構わないか?」
「はい、もちろんです! 私もお供しますの!」
楽しい、とは言いつつも。なんだかんだでなにもしない、ということには退屈を覚えていたのかもしれない。
勢いよく立ち上がったアイリスを見て浩一は小さく笑いつつ、それじゃあ、行こうか、と。
「しかし、さすが夏だな。暑い」
「ええ、そうですわね。部屋の中であれば、空間を魔法で冷やせるのですけれども」
外気をエアコンで冷やすのは現実的ではないのと同様に、魔法があってもこればっかりは致し方ないことのようだった。
まあ、ヴィンヘルム王国の夏は日本のそれよりかは随分とマシなので、直射日光や水分補給に気をつけていれば、よほどでなければ熱中症にはならない程度ではあるが。
ちなみに、浩一の部屋は基本的には空調用の魔道具で冷やしており、アイリスがいるときはアイリスに冷やしてもらっている。王女を空調扱いとはどうなんだと思わなくはないが、むしろアイリスがいるときに魔道具を使おうとするとなぜか不機嫌になる。
「あら、どこに行くのかと思えば、マーシャちゃんのところですの?」
「ああ、ちょっと用事があってな」
マーシャは浩一たちと同じ宿にいちおう部屋を取ってはいるものの、なんだかんだで工房に入り浸ることが多いということもあって、工房近くにもひとつ借りている。
浩一たちと同じ宿の方の部屋の前を通ったときに人の気配がなかったので、おそらくはこちらにいると思うのだが。
そんなことを考えながらに歩いていると、目的地に到着する。
コンコンコン、と。浩一がマーシャの部屋をノックをしつつ名乗ると、中から反応がある。入っていい、ということだろう。
「入るぞ」
ガチャリ、と。ドアノブをひねりつつ、押すと。中から、ひんやりとした空気が流れ出てくる。
ただ、ここに来た目的はマーシャではなく。おそらく、ここにいるであろう――、
「浩一。あなたももちろん、マーシャも休みなんだから、仕事の話は今はだめよ?」
「わかってる。それに、俺がここに来たのはマーシャではなくお前が目的だ、風花」
部屋主の代わりに出迎えてくれたのは、風花。
「俺のところにアイリが来てたからな。たぶんこっちに風花がいるだろうと思ってたよ」
風花は浩一が休んでいるかを確認するのを「私やアイリスちゃんが」と言っていた。
持ち回りで、という可能性もあるが。しかし、放っておいたら作業をしていそうな人物は、もうひとりいる。
他の誰でもない、マーシャである。
ならば、アイリスが浩一のことを見ているならば、風花がマーシャのことを見ているだろう、というあたりをつけたわけである。
「しかし、風花が俺の方を見て、アイリがマーシャのことを見ている方が都合がいいんじゃないか?」
「……まあ、いろいろとあるのよ。いろいろと」
どうにも端切れが悪い様子で、風花がそう言う。
アイリスの立場上、もはや手遅れではあるもののいちおう同性のほうが体面はいいだろうし。浩一の方も風花であれば、幼馴染であり半ば家族みたいな相手ではあるので、勝手知ったるものではある。
……と、思いはするのだが。どうやら、風花には風花なりに、なにか考えのあってのことらしい。
「それで? まさかそれを言いに来ただけ、ってことはないわよね?」
「もちろん。ちゃんと別な用事があって来てるさ」
「へえ。どんな用事? いちおう言っておくけど、私やアイリスちゃんも休みだから、仕事の話はダメだからね」
「わかってるよ」
念押しの釘刺しに、浩一は小さく苦笑いをする。
まあ、休みなら休みで、わざわざ監視ついでに俺やマーシャと同伴しなくてもいいような気はするが。そうでもしておかないと気が休まらない、というのもわからなくはない。とりあえず、それは置いておくとして。
「自分たちで設定したものとはいえ、夏休みなんだから。せっかくだし出かけようかと思ったんだが。どこかいい候補はないか?」
「それ、私に聞くの?」
「ああ、風花が適任だと思ったから聞いてる」
まあ、ざっくりと言うならば。旅行に行こうと思っているから、どこかいいところはないか? という話である。
浩一も貴族との顔合わせなどで各地を飛び回ってはいるが、基本的には都市と都市の移動が中心で、かつ、そこそこに過密なスケジュールだったので、あまり落ち着いて滞在などはしていなかった。
もちろん、風花だって仕事で各所に向かっているので、そういう意味では別に楽しむために行っていたわけではないものの。その一方で、地図を作るために浩一よりかは間違いなく、各地の情報に触れてきている。
それならば、もとよりこの国に長く住んでいるアイリスたちも候補ではあるのだが。しかし、長距離での交通があまり開拓されていないこの国においては、いわゆる観光やレジャーなどの文化が弱い。
そのあたりの事情、両方ともに合致しているのが風花である、というわけだった。
「……まあ、ある意味では風花に頼む形にはなるから、アレなんだが」
「まあ、いいわよ。これくらいなら。浩一が前向きに休もうとしてるってことだしね。ただ、ちょっと考えて見るから、待っててね」
「ああ、助かる。……と、勝手に話を進めていたが、アイリもそれでいいか? マーシャも」
浩一が向かうとなると、アイリスにも伴ってもらう必要がある。
もちろん、アイリスがダメな場合はフィーリアには相談するし。フィーリアもダメならば馬車かなにか別な方法を、となるが。現状十分には陸路が開拓されていない現状で、その選択肢はあまり取りたくはない。
「もちろん、行かせていただきます! むしろダメと言われてもついていきます!」
「おにーさんもおねーさんも、アイリちゃんも行くんでしょ? もちろん私も行くよ! 楽しそうだしね!」
少し懸案はしたが、どうやらアイリスも気に入ってくれたようである。まあ、詳細がなにかはわかっていない様子なので、わくわくしている、という方が正確かもしれないが。
明るい笑顔を携えながらに言っているその姿は、やはり、アイリスらしくてとてもかわいらしいと感じる。
マーシャも問題はないらしい。こちらもどんなものなのだろうかと興味を示してくれているようだった。
「……なんか、こういうのを見ると楽しくなるな」
今まで、浩一はどちらかというとこういったことには誘われることはあっても誘うことはほとんどなかった。
が、こういった反応を見れるのは、中々に嬉しいものである。
「ふふ、そうでしょう? この期待を裏切らないように、最高に楽しい旅行プランを組んでみせるから、楽しみにしていてね」
自信ありげに鼻を鳴らしながら、風花はそう言ってみせた。