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#86

「ここまでの機構だけだと、結局のところピストンが押すだけで、伸び切ったあとにどうやって戻すかってことが解決してないの」


 彼女の言うとおり、このままの機構ではピストンが伸び、クランクが半円周上をなぞりながら反対側までいったあと、そこで止まってしまう。


 もちろん、勢いよく弾みがついていれば、その勢いのままに動こうとはする。事実、首振り式エンジンではそのようにして動作を維持していた。

 だが、蒸気機関車のエンジンとしては、あまり好ましい動作ではない。首振り式エンジンの動作は揺動運動による給排気の切り替えによって維持されているものであり。だからこそ弾みだけで動作をする一方で、そのため、出力の上限がやや低いし、蒸気機関車の運転上、揺動運動は可能ならば無い方がいい。

 それ以外にも、ピストンが戻ってくるに十分な力を――首振り式エンジンでいうところの、最初の弾みをどうやって与えるのか、という問題もあって。

 大型化と高出力化が要求される蒸気機関車では、それらの問題を解決する必要があった。


 現在のこれは直線運動によるクランク機構が成立しているので、揺動運動の削除はできている。だからこそ、あと必要なのは、いかにして給排気を切り替えるかと、ピストンを戻してくるかであって。


「そこで、このもう一個のクランクが役に立つ」


 マーシャが指でなぞりながらに設計図をなぞっていく。

 その設計図を見て、なんとなく、浩一は過去の記憶を思い起こす。

 どういう仕組みで、どういう役割で動いていたのかは、当時は全く知らなかったが。今なら何となく、マーシャの説明を聞いた今なら、わかる。


「返りクランクと、偏心棒か」


「おお、なんか、カッコいい名前がついてる」


 浩一のつぶやきに、マーシャが楽しげな表情でそう言う。


「それで、その返りクランクとヘンシンボー? ってのが、ピストンの動きとはズレたタイミングで動いて、直線運動を生み出す」


 生み出す先は、先程のシリンダの側面。そこには、部屋がひとつ作られており、部屋とシリンダとは、二箇所、おそらくは給排気用のポートが空いている。

 そして、その部屋の中は、偏心棒に連結しているパーツがひとつ。


「そして、ヘンシンボーの先についているこれが。蒸気の切り替え弁」


 現在は大雑把な模式的な図として、コの字状の弁が空いた口をシリンダの側面についている。


「ピストンが押し出されるときは、弁は手前側にやってくるようになってて。ピストンが引き戻されるときには逆に弁が奥側に向かう」


 部屋の側面には穴がついていて。切り替え弁が動くことにより、その穴とピストン弁が生み出す空間、そしてシリンダ横の給排気用のポートが繋がる。

 そしてそのとき、ピストン弁がない方のポートもまた、ポートが横の部屋に向けて開放されている状態。


 たしかに、これならば――、


「片側が吸気をして、もう片方が排気をできる。そして、ピストン弁が動くことにより」


「今度は逆の動きができる、でしょ?」


 ふふん、と。マーシャが胸を張って見せてくる。

 これならば、ピストンが戻ってくる力を与えることができるし、その力が最初の弾みに依存しないために、大型化や高出力化させても比較的容易に動作させることができる。


「ええっと、つまり、動くってことでいいんですわね?」


 途中から、理解を諦めたらしいアイリスが。浩一とマーシャの結論が一段落したのを見て、思考を放棄したとても良い笑顔でそう聞いてくる。


「ああ、動く。俺自身、記憶が完全に正確とはいえないから、蒸気機関と一致するかはわからないが」


 説明を聞いた限りでは、理屈に齟齬はない。変に干渉するような場所もないし、浩一自身、微かに覚えている記憶では、少なくとも、構造は似ているように思える。


 もちろん、これだけでは蒸気機関車に搭載する上では不足しているところもある。それこそ、この状態では出力の調整もできなければ、逆進――いわゆるバック走行ができない状態。

 蒸気機関車を運転する上では出力調整も逆進もできるようにしなければならないので、そのための機構、逆転機とそれに関連するリンク機構なども搭載する必要はあるだろう。


 だがしかし、そんな事情はあとから考えればいい。

 ともかく、今必要なのは動く、蒸気機関であり。


 そして、マーシャが作った蒸気機関は。少なくとも、机上の理論上では動くはずである。


「すごいでしょう!」


「……ああ、本当にすごいよ。お前ってやつは」


 このヴィンヘルム王国に来て、蒸気機関車を作ることになって。

 正直ところ、浩一ひとりでは手詰まりになることが多い、そんな環境下で。


「マーシャ、お前と出会えて、本当によかったよ」


 もちろん、最初に助けてくれて、その後のバックアップもしてくれているアレキサンダーやアイリス。追いかけてきてくれた風花や、様々な協力をしてくれているフィーリアやルイスなんかも間違いなく力にはなってくれているのだが。


 こと、蒸気機関車を作り上げる、というその側面においては。ある程度覚えていた、という程度の浩一の知識から、あらゆる発展を一足飛びに駆け上がり、蒸気機関を再構築してみせたマーシャに最大の功績があるだろう。


「あー、その。おにーさん? そこまで評価してもらえるのは、私としては嬉しい限りなんだけどさ」


 そう言うマーシャではあるが。しかし、言葉の内容とは裏腹に、どこか気まずそうな表情を浮かべている。

 なにかマーシャの気に障るようなことを言ったのかとも思ったが、そうではないらしい。……が、


「こ、コーイチ様!? それは、ど、どういう意味ですの!?」


「えっ、それって、どれのことだ?」


 なぜか、マーシャではなく、アイリスがひどく影響されていた。


「その、ええっと! マーシャちゃんと出会えてよかったとかなんとかという、その――」


「ああ、それなら言葉そのままそのとおりだぞ」


 嘘偽りのない本音である。なにも間違っていないのだから、胸を張ってそう答えられる。

 実際、マーシャと出会えて本当に良かったし。もちろん、アイリスをはじめとする他の人たちとも――、


 そんなことを頭の中で考えていると、目の前のアイリスがペタリと膝を地面に付き、項垂れながらに座り込んでしまう。


「なるほどね。これがおねーさんが言ってた、おにーさんの凶悪さか」


「えっ、風花がなにか言ってたのか?」


「うんうん。一切の嘘偽りなくサラッと言って見せるあたり、本当に厄介だね」


 どうやら質問には答えてもらえないらしい。……いったい風花がなにを言っていたんだ。

 だが、浩一がとりあえず間違いなくわかるのは、自身がアイリスに対してなんらかやらかしてしまった、ということである。


 ひとまず、彼女に対処するために近づこうとするが。しかし、それをマーシャに止められる。


「とりあえず、私がマーシャちゃんのケアをしておくから。おにーさんは今日はかえって大丈夫」


「いや、しかし」


「大丈夫だから、安心して。……というか、おにーさんがいる方がちょっといろいろめんどくさくなるから」


 そうは言っても安心はできないが。しかし、同性同士のほうがやりやすいこともあるのは事実だろう。

 少し複雑な感情を懐きながらも、マーシャにアイリスを預けた浩一が工房から帰る。


「サンドイッチ美味しかったよ! ありがとーねー!」


 マーシャは大手を振りながらに浩一を送り出す。

 その隣には、未だにノックアウトされたままのアイリス。


「ええっと、とりあえずアイリちゃん。おにーさんのアレは、恋愛の(そういう)意図はないやつだからね」


 おそらくは、他の人に対しても同列に感じている感情を、ただ、たまたまそういう流れであったから言っただけである。


 とはいえ、思っているということと、言葉にして伝えるのでは、はっきりと変わってくるものがあるわけで。


 本当に、無意識の凶悪さを持っている人だなあ、なんてことを考えながら。


 そんな天然ジゴロのせいで、完全に伸されてしまった親友の肩を軽く叩きつつ、マーシャはゆっくりと彼女のケアをするのだった。

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