#73
しばらくぶりのエルストではあったが。進捗の方はそこそこ順調ではあるらしかった。
そもそも、元より地図作成については風花が主導で携わってくれていたし。線路の敷設についても、その大部分の管理は、ルイスが引き継いでくれている。
特に元々ルイスは道床作成の方に就いていたということもあり、実情もある程度把握できるだけに、うまく調整をしてくれているようだった。
「その一方で、こっちはいつも通りって感じだな」
借り受けている部屋のひとつに足を踏み入れると、チカチカと明滅しているカンテラが、不規則に部屋の中を照らしていた。
魔力を補充することなく、長時間使い続けている証左だ。
浩一の声に気づいたのか、奥の机の上からむくっと人影が起き上がる。
「ふへ? ……あ、おにーさんだ。おかえりー」
「ただいま――じゃねえよ。マーシャ。何日目だ、それ」
「んーと。……たぶん、三日目?」
つまり、浩一やマーシャが王都に向かってからロクに休んでいなかった、ということである。
もしかしたら、というように考えなかったわけではないが。案の定、ということになってしまっていた。
以前は風花がいてくれたが、今は彼女も忙しく飛び回っているし。……これならば、本来の業務外ではあっただろうが、ルイスにマーシャの様子を見るように頼んでおいたほうが良かったもしれない。
「あれ、今日はおにーさんひとりなんだね。てっきりアイリちゃんと一緒だと思ってたんだけど」
「ああ、アイリなら疲れてるみたいだから部屋で休んでるよ。ちょっと体調が芳しくないみたいでな」
「へぇ、アイリちゃんが体調不良かあ。珍しいね」
ぽわぽわとした様子のままで、マーシャがそう答える。
……いや、体調という意味合いでは別として。身体の状態がよろしくないという観点で言えば、現在のマーシャも然程言えた質ではないのだが。
「とりあえず風呂に入って、飯食って。それから一旦寝てこい」
「ふわあい」
寝ぼけ眼をこすりながらにマーシャが立ち上がり、部屋の入り口へとやってくる。
「……可能ならアイリを同伴させたいが、アイリも体調が悪いみたいだしな」
「ふふふー、たしかに眠気で注意力は落ちてるけど、これくらいならだいじょーぶだってー」
とは言うものの、明らかに普段と比べればテンションの様子がおかしい。
「それとも、おにーさんが一緒に入る?」
「あんまり適当言ってると、桶に顔を沈めるぞ」
「冗談、冗談だって!」
こちらも冗談ではあるが。とはいえ、異性に間違えてもそんなことを言うべきではないだろう。
そのまま、マーシャが風呂に入ったのを見届けて。俺は、ひとまず彼女が作業していた机の上を確認する。
「外燃機関……エンジンの設計案か」
ちょうど王都に戻る前、マーシャに頼んでいたものではあるが、どうにも難航している様子だった。
まあ、こればかりは仕方がないことだろう。そもそも仕組みとしてこの世界に存在していないものを、首振り式エンジンなどの少しのサンプルをもとに、ほぼイチから設計しろ、というものが。有り体に言ってしまった、浩一からのオーダーである。
どんな無茶振りだ、と。そう思わなくもないが。しかし同時に、流通や交通を一足飛びに発展させていくならば、必要な事柄でもあった。
ただ、ああしてマーシャが突っ伏し気味の深夜テンションでハイになるくらいに作業を続けていたところからもわかるように、どうにも進捗は芳しくないらしい。
「……俺が、少しでも機構を思い出せればいいんだが」
しかし、さすがに蒸気機関車で使われていたような外燃機関の仕組みとなると、そこまで詳しいものは思い出せない。
加えて、魔法に関する知識なんかも全くといって無いし、なんならあとからヴィンヘルム王国にやってきた風花のほうがそのあたり詳しいまである現状。
やはり、これらの開発に関してはマーシャに頼る他ないのだろうと思ってしまう。
少し、情けなく感じないでもないが。とはいえ、適材適所と言えば、そのとおりでもある。
「と、なると。俺は俺の成すべき仕事をしっかりとやるべきなんだろうな」
正直、今となってもちょっと気乗りしない仕事ではあるのだが。アレキサンダーから振られた仕事である上に、彼の言うとおり必要な仕事である、というのもそのとおり。そして、浩一が適任であるというのも。
「ただ、相手が貴族なんだよなあ……」
どうにも気後れしてしまうその要因。たしかに、アレキサンダーやアイリスという王族や、アルバーマ男爵やフィーリアといった貴族たちと既に交流をしている都合、今更ではないかと言われればなんとも言い返せないのだが。
しかし、アレキサンダーやアイリスは、そもそもヴィンヘルム王国に迷い込んで困っていたときに、アイリスの素性を知らずに関わったという取っ掛かりがあったことや。アルバーマ男爵やフィーリアとも、最初に会ったときはあくまで国からの視察としてやってきた、という前提があったりした。
しかし、今回はそういった他の事情などは全くなく。間違いなく、鉄道事業として。……浩一が主導している事業として、その説明をするために貴族に会いに行くことになるわけで。
心持ちとして、全くの別物である。
「たっだいまー、おにーさん!」
そんなことを考えながらに浩一が設計図に目を通していると、ちょうど、マーシャが帰ってきたようだった。
お湯を浴びてきたこともあり、多少目が覚めたのだろう。少しばかりいつもの調子に戻った彼女を見て。
「それじゃあ、次は飯だな」
「うう、おにーさんが素っ気ない……」
「ちゃんと食べてないマーシャが悪い」
そもそも、キチンと生活のリズムは整えろ、というのはいつも浩一やアイリスが言っていることであり。それを守っていなかったマーシャがこんこんと説教をされるのは仕方がないことではある。
すぐさま作業に戻ろうとしたマーシャの首根っこを掴みながら、引きずるようにして連れ出す。
そのまま、ついでに執務を行っている部屋に寄って、ルイスも一緒につれて飯屋へと向かう。
マーシャほどではないものの、なんだかんだでルイスも少々疲れた顔をしていたので、どこかでふたりとも、無理矢理にでも休ませる日を使ったほうがいいかもしれない、と。浩一は胸のうちでそう考える。
浩一も先日、偶然なきっかけではあったものの、休みをもらったことだし。
マーシャの仕事についてはともかくとして、ルイスの業務であれば浩一が肩代わりできるし。
マーシャのやることについても、全くの急ぎでないわけではないが、緊急性や継続性が高いわけでもないから、休ませること自体には問題はない。本人が休みたがらない、という最大の問題があるが。
……まあ、そのあたりはルイスや、時間が空いているならば風花に少し手伝ってもらえばいいだろう。
「そういえば、コーイチさんは王都でなにをしてきてたんですか?」
三人で食事を食べていると、ちょうど話題の一端としてルイスがそんなことを聞いてくる。
再び浩一があちこちに飛び回る必要性がある都合上、どのみち後で全員き共有することではあったが、ここでふたりに先に説明してしまう。
マーシャは頑張ってね! と、元気よく応援の言葉を差し向けてくれて。その隣ではルイスも同じく言葉を投げかけてくれているものの。仕事内容についてを理解したからか、浩一の心境を察して、青い顔をしながらに伝えてくれていた。
浩一の周りには常識から外れた人間が多いけど、これが普通の反応だよなあ、と。少し、安心をする。
「ルイスにはまた任せっきりにしてしまって悪いが」
「いえ、これが僕の仕事ですし。むしろ、任せてください!」
浩一の言葉に、ルイスはポンと胸を叩きながらにそう宣言してくれる。ありがたい限りだ。
「ねえ、おにーさん! 私は!? 私にはないの!?」
「いや、もちろんマーシャにも任せてはいるが。ただ、その前にちゃんとマーシャは休め」
「ぐぅ……なにも言い返せない……」
スプーンを咥えたままで机に頬をつけてしょぼくれるマーシャ。そんな彼女をルイスが慌て気味でなんとか宥めていた。
「……そういえば。アルバーマ男爵とも一度話しておかないとな」
アレキサンダーが最初の候補として挙げてくれたうちのひとつ、レーヴェ子爵家は、たしかアルバーマ男爵家と仲が良い。
あらかじめアルバーマ男爵と話しておいて損はないだろう。一応、王都から帰ってきてからの諸々の説明も含めて、明日に訪れる予定は入れていたし。その際に一緒に話せばいいだろう。
そんなことを考えながらに、浩一はフリッターを口に含む。サクッとした食感が、なかなかに美味かった。