#72
「コーイチ、しっかりと休むことはできたかな?」
翌日。アレキサンダーからはアイリスの体調が回復したという報せを受けて、彼の部屋へと向かうと。そこには既にアイリスがやってきていた。
アレキサンダーからは、おそらくはすぐに良くなるだろう言われていたけれども。まさか、翌日に良くなるとは。
まあ、早くに快復したこと事態は良いことではあるし。休みについても、一日だけではあったものの、しっかりと休ませてもらったので問題はない。
「はい、街の方でいろいろと見て回ることができましたし。おかげさまで、現状の流通についてもいろいろと考えることができました」
これから、各領主たちとの交渉という名の勝負が始まるのだから。それに備えてのあれこれは考えておいて損はないだろう、と。
そんなことを言っていると、浩一の目の前にいたアレキサンダーとアイリスは、なにやら呆れたような、ジトッとした視線を向けてくる。
「……コーイチさま。それは、休み、ですの?」
「コーイチがいいというのなら、別に構わないが。……いや、ここはもう一日ほど、無理にでも休ませるべきか?」
「いや、休みが必要っていうなら、俺よりもどちらかというとアイリでは? 体調を崩してたわけですし」
首を傾げる浩一に。ふたりは揃った仕草でため息をつく。
なぜだ、解せぬ。
「……まあ、私の方は大丈夫ですわ。それよりもコーイチ様の方が」
なぜか、アイリスとアレキサンダーがやたら休ませようとしてくる。だから、昨日休んだんだって、と。
「そもそも、俺が休んでるのはこっちに来てからの話だから、あんまり休みすぎるとアルバーマに残ってくれてる人たちに悪いし」
「……ああ、それは、そうですわね」
「なので、アイリの体調が大丈夫そうなら、すぐに向かいたいといえば向かいたいんだけども」
つまり、ここで無理にでも体調不良だ、と。そういえば、無理矢理に浩一を休まさせることができるのではないか? と。アイリスは一瞬そう考えたが。
しかし、浩一に心配をかけてしまう、ということももちろんだし。先に、大丈夫だ、と言ってからもう一度それを変える、というのも疑われかねないだろえ、
それに、彼が言うとおりアルバーマで頑張ってくれているマーシャや風花といった人たちを置いて休む、というのも少々不義理ではあるだろうし。……いや、それを差し引いても浩一は働き過ぎであった、とは思うけれど。
「わかりましたわ。それでは、早速ではありますが。行きましょうか、コーイチ様」
ぺこり、と。アイリスは礼儀正しくカーテシーを取りながら、さあさこちらへ、と。浩一を中庭へと案内しようとする。
それに続いていくために浩一が部屋から出ようとすると、そのタイミングで、アレキサンダーが、ああ、そうだ、と。浩一に声をかけてくる。
「振り落とされないように、十分に気をつけておくといい。特に、今日に関してはね」
「……へ?」
たしかに、浩一はアイリスの箒に乗せてもらっている都合、そこそこに気をつけながらに乗っているのだけれども。しかし、同乗する浩一側も、同乗させるアイリス側も、なんだかんだと繰り返しているうちに慣れてきているので、最近ではそんな危険に感じるようなことはほとんどなくなっているのだけれども。
「わか、りました……?」
まあ、体調不良明け、ということもあって。箒の操作なんかがぶれたりするのだろうか、と。そんなことを考えながらに、浩一は頭を下げつつ、部屋の扉を閉じた。
「……アイリスが、意識しすぎなければいいが」
ひとり残されたアレキサンダーは、誰に聞かれるわけでもないその言葉を、ぽつりとこぼした。
「それではコーイチ様、準備はよろしいですか?」
「ああ、よろしく頼む、アイリ」
中庭まで来ると、アイリスが箒を片手に、こちらです、と。浩一のことを呼ぶ。
「改めて聞いておくが、体調の方は大丈夫なんだよな?」
「ええ、万全ですの」
浩一の再度の確認に、アイリスはそう答える。
アレキサンダーからの忠告があったから少々不安ではあるが。まあ、本人がそう言っているのだから、たぶん大丈夫だろう、と。
アイリスの跨がる箒のその後ろに座る。
これから宙に浮かび、空を駆けていく都合、しっかりと掴まっていないと容易く振り落とされるので。ちゃんと彼女の身体に腕を回して、掴まっておく。――が、
「ひゃあ!」
「えっ!?」
その瞬間、なにやら、アイリスが高い声を出す。
「えっと、どうしたの? アイリ」
「な、なんでもありませんの! その、ええ! 本当に!」
浩一としては。いつものように、腰に手を回した、つもりなのだが。
「まさか、俺。なんか変なところ触ったりしてない?」
「してませんわ! 大丈夫ですの! だから、だからあんまり意識させないでください!」
首をぶんぶんと横に振りながら、アイリスがそう否定してくる。
その真後ろに浩一が控えているため、彼女のブロンドの長い髪がぺしぺしと両頬にぶつかる。少し、こそばゆい。
「と、とにかく! 大丈夫ですから!」
いや、さすがに言葉として無理があるだろう、と。そう思って掴まる場所を変えようとしたのだが。しかし、今の場所がやっと慣れてきたところだから、これ以上動かさないでくれ、と。そう引き止められる。
……変なところを触っているのなら、動かすべきだと思うのだけれども。
「あんまり、マーシャちゃんたちを放っておいたままにしたら、またあの子不摂生な生活しますし! 早く行かないと、ですわね! うん!」
なにやら勝手に自己完結しながらにアイリスが言葉を進めていく。まあ、それ自体は事実ではあるんだけれども。
「それじゃあ行きますわよ! コーイチ様!」
どこか、投げやりになっているような様子のあるアイリスは、大きくそう宣言する。
そうして、直後。風がゆっくりと巻き怒りながらに、箒が徐々に空中に浮かび上がり。そして――、
どうしてか、突然。急速に、その高度を上げる。
「ちょちょちょ! アイリ! 速い速い速いっ!」
「みにゃあああああっ!」
「待って待って待って待って!」
突然の高度上昇に浩一が慌ててアイリスにしがみつくと。同時、アイリスが甲高い声を上げながらに、爆速で箒を動かし始める。
余計に危なくなったために、より強くに彼女にしがみつく他なく。
――それが、余計にアイリスが速度を出してしまう原因になるだなんて。予想だにしていないわけで。
「速いって!」
「はにゃあああああっ!」
もはや、一種の循環に入ってしまったそれらは、止まることを知らず。
……結局、アルバーマに到着するまで、その爆速の箒が速度を緩めることはなかった。
おかげさまで、ものすごく、速いうちにアルバーマに到着することはできた、ものの。
「たしかに、みんなが働いている間に休んでるのは忍びないから、早くにアルバーマに行きたい、とは言った、けど」
「うう、ごめんなさい、ですの……」
さすがにアイリス自身、さっきのはだめだったろう、と。その自覚があるからか。しょんぼりとした様子で俯いていた。
「まだ、体調の方が微妙なんじゃないか? ほら、自分では大丈夫だと思っていても、実際のところは、ってことはあるだろうし」
「……そう、かもしれませんわね」
特に、ここから先。アレキサンダーから浩一が受けた仕事の都合、アイリスが彼をあちこちに連れて行く必要がある。
それが、毎回これでは、アイリスも浩一も、どちらもその身体と精神が持たないだろう。
「ひとまず、なんとかアルバーマには到着できたし。一旦、もう一度ちゃんとアイリは休んだほうがいいかもね」
「そう、させていただきますわ」
しょぼん、と。落ち込んでいる様子のアイリスに、なにか声をかけてあげるべきなのだろう、と。そうは思うものの。
しかし、どう声をかければいいのか、と。正しい対応がわからず、浩一も困った様子で頬を少し掻いた。