#70
廊下を歩きながら、アイリスは悶々とした感情を抱えていた。
その原因は明白。
「私が、コーイチ様と、どう在りたいのか……」
先刻、アイリスがアレキサンダーに質問をしに行った際に。むしろ逆に聞き返されてしまったその内容。
結局、アレキサンダーからは満足な回答は得られなくて。……いや、正確にはあの後も劣勢ではありつつも質問を投げかけ続けて、せめてその戦果だけでも得ようとはしたのだけれども。
その際に返ってきた答えは「アイリスの回答に依って、私の回答も変わる」というものだった。
体裁だけ見れば、ただ単にこの場を凌ぐためだけのありあわせの言葉であるようにも見えるが。しかし、それと同時に、アイリスには兄が本当に本気でそう思って言っているようにも感ぜられて。
結局、アレキサンダーからの質問に答えを出せなかったアイリスは、そのままこうして帰ってくることとなった。
「私が、やろうとしていること……」
最初は、浩一の話す内容にとても惹かれた。
おそらくはヴィンヘルム王国とはかけ離れた場所にいたのであろう彼の話すことはどれもが新鮮で。そんな話を聞きたくて、アレキサンダーが浩一から話を聞く場に自身も乱入していた。
そしてその中でも、浩一が話す鉄道というものの話は一等面白くて。おそらくは、彼がそれに対して熱意を持っているのであろう、ということがよくわかった。
だからこそ、浩一が鉄道を作る、ということになったとき。自分もその手伝いをしたい、と。そう考えるようになった。
今まで浩一の話す過程で出てきていた、夢物語のその一端、かつ、浩一という人物がそれほどまでに興味を惹かれているという鉄道。
それに関われる、ということが。純粋にアイリスにとっての強い興味となったからだった。
もちろん、今となってもその願いは健在で。現にアルバーマでの線路の敷設作業を始めとして、様々なところで浩一を手伝っている。
もちろん、そうなるまでの過程では両親からはため息をつかれたし、侍女なんかは今となっても頭を抱えているし。なんだかんだといろんな人に心配をかけている、というのは自覚はしている。
王女として、自身が未熟だということも。そして、それを兄であるアレキサンダーがバックアップしてくれている、ということも。
今の現状は、アイリスがそうしたい、と。浩一のことを手伝いたい、と。そう願っているからこそ、アレキサンダーが様々に融通を利かせてくれて、成り立っているのだということは。
そうでもなければ、アイリスが「私が構わないから」と言ったところで周りがそれを赦さないだろう。それくらいは、自分でも自覚はしている。
もちろん、アレキサンダー側からの打算もあるだろう。特に大きなところで言うならば浩一が自力での移動手段を持たない、ということだ。
箒という、個人での移動手段が確立されているヴィンヘルム王国では、その反面として移動を代行してくれるサービスが壊滅的である。
もちろん、ゼロというわけではない。だが、各所を飛び回ったり細かな移動が要求されたりする可能性が高い立場になる浩一にとって、それは大きなハンデとなり得る。
そこに、アイリスという、箒の二人乗りができる存在がいれば、たしかに都合がいい。だからこそ、という側面もあるだろう。
だが、二人乗りができる存在も稀有ではあるものの、やはりこちらもゼロではない。探すことに時間はかかるだろうが。逆に言えば、探せば数人ほどは見つかる。
特に浩一の場合は、浩一自身が魔法を使うための身体機能が活性化していない都合で、通常よりも二人乗りがしやすい、という特性もある。そうなれば、浩一の足役に要求される程度もやや下がることだろう。
それでもなお、王女というリスクある立場を使用してまで、というのは。やはりアレキサンダーがアイリスの感情を優先して汲み取ってくれたからであろう、と。そう考えることができる。
「……もちろん、これも私が勝手に考えた範疇の話でしかありませんけれど」
ただ、そういう前提があって。アイリスはアレキサンダーから言われた「アイリスの回答に依って、私の回答も変わる」という言葉に、妙な信憑性を感じ取っていた。
そして、その回答が要求されている質問。アイリスが、これからどうしていきたいか。より正確には、浩一と、どう在りたいのか。
「鉄道を作り上げたい、その願いは、未だ形を変えずに、たしかに私の中にある」
……では、その先は?
今のアイリスの役割は純粋な労働力である他に、特殊な役回りとしては浩一の足役というものがある。
浩一が交渉を行う際の補佐としての役を遂行することもあるが、あくまでこちらは補助的なものではある。
しかし、アイリスが浩一の足役として必要とされているのは、浩一が移動手段を持たないから。
そして、現在作っている鉄道は。そんな浩一にとっての移動手段となり得るもの。
鉄道が完成してからでも労働力が必要になる側面はあるだろう。だが、そこまで行ってしまえば、わざわざ王女であるアイリスが出張ってまでやるような仕事ではないだろうし。同時に、移動手段についても、細かなところまでは線路を延伸できなくとも、それこそ、アイリスが浩一について回らなければならないほどではなくなるだろう。
なんなら、今現在でも移動手段については、アイリスの代わりが出てきてしまう可能性だってある。……聞いた話によると、フィーリアなんかは二人乗りの練習をしている、らしい。
あくまで噂でしか聞いていないからなんとも言い難いが、その噂が出始めたタイミングは、浩一とアイリスがフィーリアと出会ってから、のこと。初めてアルバーマに訪れたときにはそんな話は微塵も聞かなかった。
タイミングとしても、状況としても。フィーリアが誰のためにそれを行おうとしているか、ということは比較的想像に容易い。……無論、あくまでアイリスが聞いた噂でしかないが。
だがしかし。そのことを思うと、チクリと、嫌な感じが胸の奥でする。
おかしなはずではある。浩一にとって移動を手伝ってくれる人が増えるということは、すなわち鉄道事業が円滑に進みやすくなるということであり。
アイリスが願っている、鉄道事業の成功に寄与することであるはずなのに。
「私、は。……コーイチ様と、どう在りたい、のでしょうか」
自分の気持ちが、わからなくなってくる。まるで、正反対の感情がふたつ在るかのようで。両側から、身体を引き裂こうかという勢いで引っ張り合っている。
「私は……コーイチ様を、どうしようと、しているのでしょうか」
張り裂けそうな胸の痛みを感じながら。アイリスはふらふらとやや覚束ない足取りで自室へと戻っていった。
「え、アイリの体調が芳しくない?」
翌朝。アレキサンダーの元を訪れた浩一が告げられたのは、そんな事実であった。
「ああ、どうにもそんな様子らしい、まあ、おおかた考えすぎて頭が痛くなったとかそんなあたりだろうが」
「そんなこと――」
あるわけがないと。そう言いかけて。でも、ちょっとありそうだなと浩一感じてしまう。
その表情の変化をアレキサンダーに見られてしまって、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべられる。
彼からは「大丈夫だ、アイリには言わない」とそう告げられる。……どうやら、完全にバレているらしい。
「そういうわけで、突然ではあるが、アイリが回復するまで関しては休日にしてもらって構わない。コーイチもここまでいろいろと働き詰めで大変だったろうしね」
「……ありがとうございます」
「まあ、都合王都からは出られないだろうし、移動手段にも乏しいから。そんなに休日らしくはできないかもしれないけどね」
そう言われながらに、浩一はアレキサンダーの部屋から退室する。
急にできた休日だけれども、さてはてどうしたものか。