#62
数日後。線路の敷設は、順調に進んでいた。
浩一と、それに伴ってアイリスや一部の人員が道床の作成から離れてレールの設置に携わることになったために道床作成が少しだけペースを落とすことになったが。それでも一部の人間を中心にしっかりと盛り立ててくれているようで、十分な進行を保てているようで。
レールの設置に関しても、作業自体が一新されたためにこちらに携わっている人たち全員が手探りになりながら作業を行っているものの、元よりそれは想定内なために、進捗は上々といったところ。
そう、進捗は上々。敷設は順調に進んでいる、のだけれども。
「…………疲れた」
暗くなった部屋の中。カンテラを灯しながらに、浩一は紙束の上に倒れ込んだ。
はたしてこの紙束がなんなのかというと、まとめておかなければならない資料どもである。
レールの設置に関して。特に、レールをカーブに合わせて曲げる作業について。マーシャたちに作ってもらったレールベンダーという専用の器具を使って、レール自体に圧をかけて曲げていくのだが。レールを曲げる作業自体は他の人にも任せられるが、その曲げ具合などは現状、浩一しか指揮や監修できる人物がいない。
そのため、浩一は基本離れることができず。そのため、資料整理等の裏方仕事が昼間に一切進行せず、こうして積み上がってしまっている。
「……まあ、ビーター搗きしてるときもなんだかんだで書類仕事は後ろの時間になだれ込んでたけどさ」
ただ、それが更に顕著になっている。なんなら仕事自体の種類が増えた分、こうして扱わなければいけない書類の量も増えているので、時間が取れなくなったことに加えてダブルで多忙になっている。
既にエルストの街自体は眠ってしまっていて。窓の外を見てもところどころチラホラと明かりが見えるくらい。その明かりは、たぶん酒盛りなんかをしているところで、大半はというともう寝静まっている頃合いだった。
「ここからしばらくの道床作成箇所が傾斜のある場所なこともあってできれば風花に応援を頼みたいけど、風花はいまなにやってたっけかな……」
報告書自体はまとめているので、探せばすぐに見つかる。……が、その報告書をまとめる作業で疲弊しているために、浩一自身の頭が微妙に回っていない。
空腹と睡魔とが思考を邪魔してくる。
「……最低限、今日しておかないことはやったし、終わるか」
明日を迎えた自分自身が阿鼻叫喚になっている姿が目に見えるが、とはいえこのままに仕事を継続したところで時間だけを浪費してしまい、それこそレールの設置作業の方に支障をきたしかねない。
「いっそ、このままなにも食べないで寝ちまってもいいかなーって思うけど、それがバレたら風花にこっぴどく叱られるしなあ」
そもそもそのあたりは浩一がしばしばマーシャに対して忠告している話であったりする。それを指摘している側が守らないとはこれいかに、という話であろう。
正直もはや食べるのもなかなか面倒ではあるものの、なにかは食べておこう、と。そう思いながら、浩一は部屋から外に出た。
さすがになにか料理をするだけの体力は残っていなかったので、遅くまでやっている呑み屋に足を運んだ。
しばらくここで働いているということもあり、かつ、商会長のガストロなんかとも面識があるということもあってか、エルストではそこそこに浩一の顔は通っていて。
へべれけに楽しまれている皆々様方になんだかんだでいろいろと分けてもらって。それから、お酒を飲まされそうになったけど、過去の体験から飲んじゃだめだということを自覚しているのでこればっかりはなんとか遠慮して。
楽しく会話と食事とをした後に、間借りしている宿へと戻る途中。お腹に物が入ったからか少し目が覚めたので、少しだけ辺りを歩いてみる。
駅舎予定地から、積み上げられたバラストたちのその横を歩いていく。
近場のところは既にレールの設置が完了しているので、まさしく線路という見た目になっていて。少し、感動してしまう。
ついにここまで来たのだな、なんて。まだ上を走る車両は完成していないのだから、まだまだ先は長いのだけれども。
「……今なら、この上を歩いても問題ないかな」
よっ、と。レールとレールの間へと足を踏み入れる。
そのまま枕木を踏まないように跨ぎながら、少し先に向けて歩いてみる。
敷設のために立ち入ることはあるけど、こうしてただ、線路の上を歩く、というのは。なんだかんだで初めての経験だった。
映画なんかでも線路の上を歩いていたりするけれど、日本じゃこんなことは早々できる話ではないので、ちょっとした夢なんかでもあった。
「まあ、今はすぐに途切れちゃうんだけどな」
しばらく歩けば、レールの切れ目にたどり着く。まだまだ完成には遠いということがよくわかる。
さて、寄り道もそこそこにそろそろ帰ろうか、と。そう思って振り返ろうとした、そのとき。
ザグッ、ザグッ、と。なにやら少し離れたところから、音がしていることがわかる。
その音には、聞き覚えがある。
「ビーターの音?」
たしかに、ビーター搗きをしているかのような音がしている。だが、なんでこんな時間に?
いちおうヴィンヘルム王国もといアルバーマ領に労働基準法なんてものはない、実はそれに準ずるものも基本的にはなかったりするが。しかし、だからといって無理に働いてもらう必要性もないだろうし、しっかりと日没前には仕事終了でそれ以降にはみんな帰ってもらっている。
だから、こんな時間に誰かがいるはずがないのだけれども。
「いや、そういえばこの間、ルイスが言ってたな。進捗で競い合ってるって」
それで時間外にまで誰か作業してたりしているのだろうか? そうだとすると、ありがたい心意気ではあるが、別方面で問題があるんだけれども。
ともかく、音の正体を探るために浩一は少しずつ近づいていく。
しかし、近づいていくと同時に、少し違和感を感じる。
音がしているのが、現在道床作成をしている場所ではなく、沿線から少しズレたところ。
そんなとこで、いったいなにをしているのか。
音の正体に近づいて。その姿を見て。浩一は思わず息を呑む。
音の正体は、魔法で自身の周辺を照らしながら行っていたので、少し離れた場所からでも誰がそこにいたのかはすぐさま理解することができた。
「…………」
声をかけるべきか、少し悩んだ。
それをしているとき、誰かに見られるということは、あまり好い気持ちになるものではないということを浩一自身理解しているから。
無論、浩一の立場からしてみると止めることが正しいのだろうけれど。ただ、直接的に仕事に関わるような場所で行っていない以上、時間外に個人的にやっているだけ、とも捉えられる。
だからこそ、一度、この場については浩一は見なかったふりをして立ち去っておく。彼の体裁というものもあるだろうし。先述のとおり、あまり、見られたいものでもないだろうし。
距離をとってから、浩一は大きく息をつく。
「とはいえ、アレを知った上で見過ごす、というのもダメだよなあ」
時間外に個人的に行っている、とはいえ。そのまま見過ごしていては、そのうちに身体の方にガタが来る可能性もある。
だけれども、彼がああして行っているのは、おそらくそれを自覚しているからであろうし。
「自分でも、まだまだだって言ってたし。たぶんそういうことだろう」
おそらくは、それを気にして、のことなのだろうが。
どうにかできないものか、と。そんなことを考えながらに、浩一はエルストの街へとゆっくりと足を進めて行った。