#6
「それじゃあコーイチ様! しっかりとお掴まりになってくださいね!」
「掴まってって、どこに掴まればいいんですか?」
「腰でも肩でも、掴みやすそうなところで構いませんの! ほら、早く!」
「ちょっ、ちょっと待ってください! その、心構えがっ!」
「そんなこと言ってたらいつまで経っても飛べませんことよ! こういうのは勢いが大事ですの! それっ!」
アイリスがそう気合の入った掛け声を聞き、俺は慌てて彼女の腰に掴まる。
同時、俺の身体は奇妙な浮遊感とともに一気に上方向に引っ張りあげられる。
一瞬、思わずギュッと目を閉じてしまうが。しばらくして体勢が安定していることを察して、そろりとその目を開く。
「さあ、コーイチ様。初めて飛ぶ空の様子はいかがですの?」
箒で、俺の前に跨っていたアイリスが、そう尋ねてくる。
投げかけられたその質問に。しかし、俺の口は、ただひとつの言葉を紡ぎ出すだけで精一杯だった。
「…………すげぇ」
飛行機に乗ったことはある。当時はその時の外にも感動したものだが。しかし、せいぜい数十cmほどの窓から見るそれと比べれば、高度こそ負けているものの。
ただひたすらに、壮観。そのひとことに尽きた。
360度……厳密には、目の前にアイリスがいるため、完全に周囲が拓けているというわけではないが。しかし、ほぼ全方位といっていいだろう。
なんなら外周だけではない。上も、下も。自由に見回すことができる。
下方を見てみれば、城や街がまるでジオラマのように広がっていて。遠方を見てみれば、地上からでは見えない水平線まで、しっかりと眺めることができる。
「箒はこうして自由に飛び回ることができますの。最ッ高でしょう!」
「そう、だな」
あまりの感動に、敬語などすっかり忘れてしまって。
俺は、ただひたすらに思ったことを告げていた。
「さて、本来ならばこのままあちらこちらへ散歩へと向かいたいところなんですけれども。今日は目的あっての外出ですのでね! 早速、向かうとしましょう」
スピード、出しますわよ、と。そう言われて俺はアイリスの腰に、しっかりと掴まりなおす。
今更冷静になってみてなんだが、年頃の女の子の、なんなら王女様の腰に掴まるって、それ大丈夫なのか?
そんなことを考えて、ちょっぴり怖くなってきた。……本人がいいって言ってるんだから、いい、よな? そうしないと危ないのも事実だし。
さて。そもそもなんでこんなことになったのか。
正確に言うなれば、どうして俺がアイリスの箒の後ろに乗ることになったのか。
それは、運輸ギルドに地図の件について相談しに行くべきだろう、というところから始まった。
「なるほど。たしかにそういう地図ならば、運輸ギルドの持っているものが最適だろうな」
「そうなんですよ。だから、運輸ギルドがどこにあるのかを教えて頂きたくて」
朝、アレキサンダーと話す機会があったために。昨晩にアイリスと話していたようなことを伝えていた。
「そういう話ならば、国全体の地図が必要だろう。城のすぐ近くにも支部があるにはあるが、本部に行くほうが無難かもしれんな。幸いなことに、本部は少し遠くはあるが王都にある」
「それで、その本部はどこにあるんです?」
「それならば。城から出てから北西方向にそのまま飛べば……と、言いたいところだが。そういえばコーイチは箒で飛べないんだったな」
アレキサンダーはそう言いながら、少し困ったような表情をする。
そう、俺は箒に乗れない。異世界出身だからか、あるいは別の理由からか。乗ろうとしてみたことはあったのだが、結局飛べずじまいだった。
そりゃちょっとは憧れとかありはしたから、飛べなかったことを残念に思いはしたが。しかしそれはそれ、仕方ないことは仕方がない。
気持ちを切り替えて、今必要なことを尋ねる。
「……すみません。地上からの道筋をある程度でいいので教えていただければ」
「ふむ、そうだな。少し思い起こすから待ってくれ」
当然、アレキサンダーも普段から移動の際に箒を使うため、陸上での経路などあまり覚えているわけもなく。
たしか、いいやこうではなかったはず、と。彼がジッと考えていると。声がひとつ、混じりこんでくる。
「あら? お兄様とコーイチ様? なにかお話をされているんですの?」
首を傾げながら話に入ってきたのはアイリス。相変わらずノックを忘れていた。
アレキサンダーは、ひとつため息をついて。しかし、この場の人員がそこまで気にする必要がないと判断したのか、特段咎めずにそのまま話を続けた。
「運輸ギルドの本部にコーイチが行きたいそうなのだが、道を思い出している途中でな」
「あら、運輸ギルドくらいなら箒で飛んでしまえばいいのでは?」
「私たちならそれでいいのだが、コーイチは箒で飛べないだろう」
「それならば、後ろに乗ってもらえばいいのです」
アイリスの言ったその言葉に、俺はなるほどと合点する。たしかに、二人乗りをして、連れて行ってもらえばいいのだ。
たしかにそれならば誰かしらの手を借りることにはなるが、しかしその一方で無理にアレキサンダーに思い出して貰う必要もない。速度だって、徒歩よりも箒のほうが早いため、時間的にもそちらのほうが都合がいい。
「それならば、私、今すぐ箒を取ってきますの!」
「うん。……うん? なんでアイリス様が?」
俺がそう尋ねると、アイリスはムッと不機嫌そうな表情になる。……いや、さすがにアレキサンダーが居る前でアイリさんとは呼べないって。そこは許してくれ。
「なんでもなにも、私が案内するからですわ!」
「へ?」
少々耳を疑うその発言に、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
俺が呆然としたままでいると、難しい顔をしたアレキサンダーがゆっくりと口を開いた。
「箒にふたりで乗れば、たしかに問題は解決する。だが、それにはひとつ、別で大きな問題があってだな。……それをできる人間が少ないんだ」
アレキサンダーが教えてくれたのは、初期の頃にも一度聞いた覚えのある、箒の弱点のひとつ。――重量制限の話だった。
どれくらい重たいものを持って飛ぶことができるか、というのはその人の素質云々にも依るのだが。しかし、大抵の場合、二人乗りをしようとするとこの重量制限に引っかかってしまう。
厳密な話をし始めると、魔力同士の干渉などのややこしい話にも繋がるらしく、純粋に重量だけで二人乗りができないというわけではないらしいが。とにもかくにも、この世界において箒による二人乗りは難しいらしく。そして、
「その、二人乗りでの箒の使用ができる珍しい例が、アイリスだ」
「……えっと、つまり?」
「コーイチ。君が箒で移動したいと望む場合。基本的にはアイリスの後ろに乗って、ということになる」
それ、なんて冗談ですか?
と、そう言いたいところだが。悲しいことにこれが現実らしく。例えば兵士の人に頼んだとしても、その人が乗り気かどうかとかいう問題以前に、不可能、とのことだった。
「えっと、やっぱり道順を教えてもらっても――」
「その必要はありませんの! さあ、コーイチ様! 行きますわよ!」
下手すりゃ不敬に当たりそうなそんなこと。できるものならご遠慮願いたいのだが。しかし、当の本人がこの乗り気である。
「昨晩。私になにがお手伝い出来るのかと考えておりましたの。でも、これならば私、力になることができます!」
「それはまあ、たしかにすごく助かりますけど」
「それに、王都内ならともかく、これから先コーイチ様が外へと行く際に、移動手段がなくてはどうにもなりませんわ!」
「ふむ。それもたしかにそうかもしれないな」
ちょっと待ってほしい。アレキサンダーまでそっちにつくのは聞いてない。
「アイリスさえ良ければ、コーイチに協力をしてほしいが、どうだろうか?」
「もっちろんですわ! いいもなにも、最初っからそのつもりですもの!」
なぜか乗る俺の意見抜きに進んでしまったその話し合いに、少しだけ抗議というか反論というかをしたのだが、結局押し切られてしまった。
実際問題、いつかは必要になる話だし、とてもありがたい話なのだが。乗せてくれる人物が、最大の問題なんだよなあ。
その後、アイリスの侍女の方たちからも少々の反発はあったものの「それでは、他にコーイチ様を載せて跳べる方がいらして?」という、その言葉によって全てが一蹴されてしまった。
そして、最終的に。俺はアイリスの後ろに乗ることになった。