#54
「着いたな、アルバーマ」
浩一は馬車から降りて、馭者の方にお礼を言う。
彼は鷹揚とした様子で返してくれる。
「おお、ここがアルバーマなんだね!」
「そう。アルバーマの中心街のアムリスだ。マーシャは初めてだったっけ?」
「うん! というよりかは、実は出身地と王都以外はほとんど経験がないんだよね」
曰く、王都に移り住む際に途中で中継した場所なんかは訪れていたりするが、逆に言うとそれ以上の経験はないとのこと。
とはいえ、これに関してはヴィンヘルム王国ではなんら変哲はないことで。むしろ、王都に出てきているだけ、マーシャの方がよく移動している方だと言える。
ヴィンヘルム王国では、基本的には自身の住む領地から出ることはあまりない。それこそ、他領に行くほとんどは輸送ギルド所属の人間だったりする。
これに関しては別の領に行く際の手続きが厄介、というわけではなく。単純に交通面の問題で。
陸路は壊滅しているので頼りにならないとして、空路の方も、長距離という移動には適さない。
だから、多少の遠出であればともかくとして、旅行みたいな規模になってくると、目的地までの途中途中で休憩ポイントを入れる必要が出てくる。
それも、自動車やバイクでの長距離運転時の休憩とは違い、箒移動に関する休憩では魔力の回復を待たないといけない。だから、立ち寄った街でそのまま一泊することも珍しくない。
そのあたりまでもをキチンと計画に入れつつ、本人の素養と移動距離にも依るが、目的地まで丸一日から数日単位での移動が必要な旅行をするかと言われると、あまりする人はいないわけである。
「しかし、マーシャは先に箒で行ってもよかったのに」
今回、アルバーマへの道程をアイリスとは別にしなくてはいけなくなったため、浩一はこうして馬車で向かうしかなかったのだが。しかし、箒に乗れない浩一とは違って、マーシャは空を飛べるため、ひとりで向かうこともできた。
「まあ、私ひとりで先に行ったところであんまりできることもないし。それに、現状の陸路というものがどんなものなのかも知っておきたかったし」
長距離移動というものから無縁な人が多い中、ほぼ全員が箒を使った移動が可能である以上、まず、馬車を利用するということは普通の人にはない。
だからこそ、こういう機会でもなければ陸路というものに触れることはあまりない。
「思ったよりもガタガタと揺れるんだなーって思った」
「まあ、こればっかりは仕方がないな。いちおう、これでも多少はマシなはずなんだが」
乗ってきた馬車はキチンとした幌のついたそこそこ上等なものではあったものの、とはいえ車輪自体は木製。車軸なんかを見れば、衝撃がマシになるように工夫されているのがわかりはするが、逆に言うとそれだけでしかない。
現状での陸路の需要がないこともあり、舗装路なんて都合のいい道のほうが少なく、大抵は未舗装の道だからその凹凸が乗っていると伝わってくる。
「まあ、これに関しては道を舗装すれば幾許かはマシになるだろうけど」
「鉄道を作るときも舗装は必要なの?」
そういえば、というようにマーシャがそう尋ねてくる。
その質問に浩一は少し考えてから答える。
「馬車が問題なく通れるようにする、みたいな舗装は必要ないが。ただ、道を整える、ということはやったほうがいいな」
鉄道はレールの上を車両が走っていく都合、極端な言い方をすれば路面状況に左右されずに走ることができる。
それこそ、先程までの馬車がモロに影響を受けていた地面の凹凸も、その上に平らなレールを敷く都合で問題なく走ることはできる。
「だから、なにもしなくてもレールさえ固定できれば走れるといえば走れる。だが、安全に走るためには、道床というものを作るのがベターだ」
「ドウショウ?」
首を傾げるマーシャに、浩一はコクリと頷いて、カバンの中から紙を取り出して、簡単な図を書きながらに説明を始める。
一般に線路というと、レール単体、あるいはそれに加えてレールを一定の軌間に固定し下から支える枕木までのことだと思われがちだが。実際にはそのさらに下にあり、砕石などで枕木が動かないように固定する道床までを含めて軌道と呼ばれる。そして、その軌道の下の地面――路盤までの全てをひっくるめたものが線路と定義されている。
このうち道床は枕木を固定して軌道の歪みを防ぐ目的のほか、レールや枕木にかかる車両の重量を分散させ、軌道自体に弾性を与えることにより振動や騒音を抑える役割もある。
「いちおう、俺たちはバラストっていう砕石で道床を作るつもりだ」
他にもスラブ軌道と呼ばれるものもあったりはするが、材料や準備などの観点から見てもバラスト軌道が妥当だろう。コンクリートも現状無いし。
「なるほど、バラストがちょっとだけ動けるから、それがクッションの役割をしてくれるのか」
「さすがマーシャだな、話が早くて助かる」
浩一がそう褒めると、マーシャが嬉しそうにえへへと笑いながら「私、賢い?」とそう尋ねてくる。
浩一が彼女の頭を撫でながらに「おう、賢い賢い」と褒めていると。遠巻きからふたりのことを呼ぶ声が聞こえてくる。
「コーイチ様! マーシャちゃん!」
浩一とマーシャが声のする方へと視線を遣ると、こちらに向かって笑顔を携えながらに近づいてくる影がふたつ。
「お待たせしました、アイリス様。それから、フィーリアさんもお久しぶりです!」
「はっ、はじめまして! マリアです! よければマーシャって呼んでください!」
浩一の横で、マーシャが少し慌ただしくもペコリと頭を下げる。それを見て、フィーリアは柔らかな笑顔を携えながらに、カーテシーをとる。
「あれ? 風花はどこにいます?」
「フーカ様でしたら、現在測量要員の方々に対して講義をしているところですわ」
「へえ。でも、一緒に来た人たちは最低限できるようになっていたのでは?」
浩一がそう尋ねると。ひとまず、風花が現在いる場所に向かって歩きつつ、アイリスが彼女の目的についてを説明する。
「なるほど。たしかにそのほうが圧倒的に効率がいいな」
特に、風花が担当している分野についてはやるべきこと、身につけるべきことが比較的明確になっている。だからこそ、こうして分担をしていく、ということが効果的に発揮される。
「俺やマーシャの方も同じようにできたらいいけど」
「私たちのやつは、どちらかというと基礎研究だから、分担すれば単純に加速するってわけじゃないのがねぇ……」
無論、考える頭は多いほうがいいけれど、乱雑に増やせばいいというわけではない。
特に、機構周りの知識が浩一頼りになっている現状、こちらはやはり風花のように事業規模を大きくしていく、というのは難しそうに思える。
「とりあえず、風花の現状はわかった。カメラの方については後で渡せばいいだろうし」
カメラの作成理由のひとつが航空写真の撮影なので、そういう意味でも丁度測量の最前線であるこの場には必要だろうと持ってきていた。
いちおう、レンズについては最低限は作り上げることができた。
マーシャをもってしてもかなり苦戦はしたが。だが、いちおうレンズと呼んでいいものには仕上がったはずである。
宿屋の大きめの広間までたどり着くと。ちょうど講義が終わったらしく、中から人がぞろぞろと出てくる。
そうして中には疲れた様子でイスに座って天井を仰いでいる風花だけが残されていた。
「久しぶり。それでいて、お疲れ様だな、風花」
「あら、浩一。ああ、そういえばそろそろ来るって言ってたわね」
風花は浩一の顔を見るとふにゃっと、力の抜けた笑顔を浮かべる。
浩一の後ろからは「私もいるよ!」と、元気よくマーシャが顔を出す。
「あなたたちが来たってことは、レンズ、どうにかなったってこと?」
「ああ、いちおうだがな」
「いい感じに仕上がってるよ!」
元気よくそう言うマーシャに浩一が少し苦笑いをしながら、カバンからカメラを取り出して机の上に置く。
「あら? 以前見たときよりも縦に長くありませんか?」
そんな疑問を呈したのは、アイリス。それもそのはず、前回より、倍ほど高さが伸びている。
「二眼……ああ、なるほどね。上側はファインダーか」
「お、ご明察。いろいろと詳しく設計していくうちに、ピントをどうやって合わせるのかってことが課題になって。さすがに俺らの今の技術で複雑なのは無理だから、ならいっそ二眼にしようってことになった」
つまり、下側のレンズで受け取った光は撮影用。上側のレンズで受け取った光は撮影者の確認用となる。
全く同じ仕組みのレンズが連動して動くようになっているので、上側のファインダーで確認したピントがあっていれば、下側でもほぼ同じ状態になる。
厳密には視差があるため特に至近距離の場合は誤差は含むが、今回の使途を考えれば十分だと言える。
「多少大きくなってしまうが、これくらいなら問題ないだろ?」
「ええ。それこそ担がないといけないとかいう規模ならどうしようかとも思ったけど、これなら大丈夫」
ちなみに、本体の精度もマーシャ謹製ということもあり、ピンホールカメラのときのような暗幕が無くとも十二分に使える程度になっている。そういう意味でも、大きくはなったがそれなりに取り回しは良くなった。
「さすがに試作気味に作っていたから、現在完成してるのはその一台だけだが」
「大丈夫。まだ測量の規模自体はそんなに大きくできてないし、撮影だけならそこまで時間もかからないから、一台だけでも間に合う」
風花はカメラを手に取りながらにそう言い、測量のほうのスピードが遅いだけでもあるんだけどね、と。苦笑をする。
「ああ、そうだ。こっちもちゃんと、渡すものを渡さないとね」
そう言いながら、風花は四つ折りの紙を手渡しする。
風花から浩一に、この場で渡されるものとするなるば、ひとつしかないだろう。
浩一は受け取った紙を拡げ、その中身を見て満足そうに笑う。
「さすがだな、風花」
「当たり前でしょ? だって私は浩一のお姉さんなんだから」
それは関係ないだろう、と。そう思いながらも、浩一はありがたく受け取った紙をカバンの中にしまい込む。
曰く、転写紙による写しらしいので、自由に使っていいとのことだった。
……本当に便利だな、転写紙。
無論、風花から受け取った紙の内容は、地図。
エルストとブラウ。今回、馬車鉄道を繋ぐ都市間についての、詳細な地図だった。
「こっちはこっちでやってるから、そっちは頼んだわよ? 浩一」
「ああ、任せろ」
ニッと、笑ってみせる風花に。浩一もそれに答えるようにして笑顔で返した。