#52
ついに、本格的に測量作業が始まった。
アルバーマ領内の。鉱山の街であるエルストと、ドワーフの街であるブラウとの流通経路が最優先でもあったこともあって、特にそのあたりを中心に。
「コーイチさんはいらっしゃらなかったんですね」
出迎えてくれたフィーリアがそう言う。
今回、アルバーマを訪れたのは風花とアイリス。そして、風花の指導のもとで測量のやり方が最低限身についていると判断した人員。
計測機器の校正後、以前起こっていたような数値エラーらしい数値エラーもほぼ無くなって。器具の方も生産が追いついて数が揃って来たために、そろそろ大丈夫だろう、と。
ただし、実際にこうしてイチから測量を始めるというのは初めてなわけで。今回に限ってはより一層慎重に行う予定ではある。
「コーイチ様は、王都でやっている作業が終わり次第、馬車でこちらにいらす予定です」
本当ならば、足役はアイリスの役目なのだけれども。しかし、現在浩一はカメラのレンズを作る作業をマーシャと共同で行っている。レンズの仕組みをある程度把握できているのは浩一か、あるいはギリギリ風花のいずれか。しかし、風花は測量の場に出なければいけないので、必然的に浩一が残ることになる。
その一方で、アルバーマでの活動を行う上で、顔繋ぎが終わっている人物が代表として向かう必要がある。
鉄道事業関連で顔繋ぎが各方面に完了しているのは浩一とアイリス。だが、浩一はレンズのために王都に残らないといけないので、アイリスがこちらに来るしかない。
と、いうのもあながち間違っている理由というわけではないのだけれども。ただ、建前上という意味合いが少しあったりして。
実際にはこれに加えて、浩一までもがアルバーマに来てしまうとマーシャがひとりぼっちになってしまうという事情があったりする。
もちろん、マーシャが仲間はずれにならないように、という意図もあるのだが。どちらかというと、彼女をひとりを放置すると、研究小屋に引きこもって限界生活を送りながらに研究に没頭しかねないからである。
「改めまして、フィーリア様。ひいては、アルバーマ領の皆様に協力をいただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。どうぞよろしくお願いします」
整った姿勢でお互いに挨拶をしているアイリスとフィーリア。隣にいた風花がやや慌てながらに、アイリスに倣って礼をする。
「ど、どうもはじめまして! 浩一の姉の風花です!」
「まあ、コーイチさんのお姉さんなんですね!」
「はい! 今回、測量を主導するために浩一から頼まれてやってきました」
フィーリアと風花が、そんな会話を交わしながらに交流をしていく。
仲良くするのはいいことだ、と。アイリスはそう思いつつも。なにか訂正しておかないといけないことがあったような気がする。
「…………なにか、間違ってるような?」
とはいえ、その違和感の正体に気づかないままに。アイリスはただ首を傾げるばかりだった。
なお、後ほど浩一が訪れたあと、随分と誤解が進んでしまっていたアルバーマの面々に対して、風花が姉ではないということを訂正して回ることになるのだが。
ちょうどこのとき、レンズ作りに勤しんでいた浩一がそんなことを預かり知るわけもなかった。
「とりあえず、これがメートル原器ですの。……複製ですけれども」
そう言いながら、アイリスは持ってきたカバンから箱をひとつ取り出す。
手袋を着けながらにアイリスが箱を開けると、箱の中には、特徴的な形をした真っ黒い棒状の金属――疑似メートル原器、の複製。それから、基準温度に合わせた温度計。
研究小屋に鎮座しているそれと同じ寸法になるように、マーシャが作ってくれたものである。
まあ、製作を彼女ひとりに委ねている上、あくまで手作業になってしまっているために、正直なところ完全にピッタリ同じ大きさ、とはならないだろうが。
しかし、ほぼ同じ長さで。かつ、同じ温度条件で目盛りを刻んだ複製品である。
浩一たちが要求する精度としては、十分だと言える。
改めて箱を閉め直してから、注意点などを伝えて。メートル原器をフィーリアに渡す。
「以前の連絡では、急ぎであった都合、文面だけになってしまって申し訳ありません」
「いえ。私も父も、意図は十分に理解できましたから」
長さの単位、それにバラツキがあると、見えないところから事故が起きかねない。
それを対策するために、統一の規格を導入したい、と。
「私たちも領内での度量衡は統一していますが。どうしても、他のところとなると、そこの貴族の意志が介入しますからね」
フィーリアは苦笑いをしながらにそう言う。聞けば、現在のアルバーマ男爵、エクトルが執り行った区画整理の際に、長さや重さといった単位も領内に於いては統一したのだという。
ただ、当然といえば当然。そういうことができるのは、あくまで自領内のみ。
これが仮に高位貴族で、周辺領主たちが言うことを聞いてくれるであるとか。近くの領主と非常に仲が良く、こちらの提案を気軽に聞いてくれるであるとかならともかく。度量衡の統一というのはかなりの手間を要するものであり、自分から他人に合わせてまでやりたいと思う人は中々いないだろう。
特に、後者はともかくとして、前者についてはアルバーマは男爵家である。貴族としての位は、あまり高くない。
手が届く範囲は、どうしても狭くなる。
そして。もし広く手を伸ばせる存在がいるとするならば、それはアイリスたち王族である。
「ちなみに、このメートル原器はアルバーマ以外にも?」
「はい、各領主に渡す予定です」
無論、その目的の一端に、鉄道事業でのやり取りの簡易化というものもあるが。それ以外にも、国としての地図製作の基準単位にメートルを置いたから、ということもある。いちおう、公共事業的な意味合いも含んでいるというか、含ませている。
もちろん、メートル原器自体が繊細な物品であるがゆえに、作製に時間がかかるし、運搬も丁重に行わないといけないから、すぐさま全ての領地に普及を、というわけにはいかないが。
「いちおう、国家規模としてなにかしらの事業を行う場合の統一の規格として、このメートルをおくものとしています」
なので、それよりも規模の小さい話に於いては、今までどおりのエルムを使うことは一切問題ない。
あくまで、エルムの大きさの誤差が生まれることによって不利益が発生する可能性がある場面に対しての使用が目的だからだ。
(まあ、個人的な好みで言うなら、メートル法に統一しちゃいたいんだけど)
あくまで声には出さないが、風花はそんなことを考える。
事実、単位が2種類あるというのはそれはそれで不都合だったりする。単位変換が必要になる他、単位の誤認に依る事故が発生する可能性もある。
とはいえ、それを浩一やアレキサンダーたちが理解していないわけもなく。それでもなお、エルムを残す判断をしたのは、急に慣れ親しんだものを取り上げられることへの残酷さと。そして、エルムの曖昧さによる、税金などのお目溢しがそこにあるから。
(なんて。目の前に貴族がいるから、思いはしても言いはしないけどね)
浩一やアイリスから、フィーリアが悪い人ではないということは聞いているし、かなり領民に対して親身な人だとは聞いている。もちろん、アルバーマ男爵こと、エクトルも。
だから、ここで風花が言ったからと言って、じゃあもったいないからお目溢しを無くそう、とはしないだろう。
というか、なんならあくまで彼ら彼女らは「見なかったフリ」をしてきた立場の人間である。
先程言っていたように、アルバーマ男爵は区画整理のタイミングで度量衡を統一した。
統一した、のだけれども。実は先程、アルバーマの測量事情を聞いたときに、風花はアルバーマには通常のエルムの他に農地用エルムを別途用意していることに気づいた。
わざわざ、通常のエルムよりも長い――つまり、面積を狭く測りとるようにしているものが。
そこまで回りくどいやり方をして「見なかったフリ」をしているのだから。わざわざそれに関連する話題を出すのも野暮というものだろう。
「……頑張ってくださいね。たぶん、反発する貴族の方もいらっしゃると思うので」
フィーリアは、少し考えてから、心配そうな表情を浮かべながらにそう言う。
なぜ、と。一瞬風花は考えかけたが。しかし、すぐさま合点する。
正確な計量をされることで不利益を被る貴族もいるから、という話だろう。
エルムの良い面でもあり、悪い面でもある曖昧さは。使いようによってはアルバーマのようにお目溢しにも使えるが。返して言えば、同時に悪政にも使えるということになる。
たしかに、反発勢力はいそうなものではある。
風花がそんなことを考えていると、隣でアイリスが「ええ、もちろんです」と。そう答たながらに。
ですが、と。そう言葉を切り返す。
「そのあたりは。どちらかというと私の領分ではなく、お兄様のお仕事なので」
王都。アレキサンダーの執務室にて。浩一が部屋の主に報告を行っていた。
「というわけで、アルバーマでの測量の開始と、アルバーマ男爵へのメートル原器の譲渡を行っています」
「うん。順調そうでなによりだよ」
アレキサンダーは柔和な笑みを携えながら、浩一の報告を聞いていた。
まあ、鉄道事業の進捗として順調か、と言われると怪しいのだが。しかし、前に進めてはいる、という意味合いでは進捗はある。
「俺とマーシャは魔導カメラが完成、あるいは一段落したタイミングでアルバーマに向かい、馬車鉄道の敷設の指揮を取ります」
「うん、頼んだよ。なにか必要なものがあったら、適宜言ってくれ。なんとか便宜は図る」
王族相手に言ったら、本当に大抵のことなら叶いそうでちょっと怖い、なんて。そんなことを考えながら。ひとしきりの報告を終える。
そうして退室しようかと、踵を返しかけたそのとき。あっ、と。ひとつ、思い出したかのようにして浩一の足が止まる。
「そういえば、メートル原器。準備が出来次第、各領主に渡していって、メートル法を国家規模の事業での基準にすることにしましたが。反発って起きないんです?」
「ああ、起きるだろうね。間違いなく」
浩一のその質問に、アレキサンダーはさも当然だろうと言わんばかりに、キッパリと言い切った。
それも、悪い方面での予想を。
「えっ、じゃあなんでそんなことをアレキサンダー様はあっさりと許可したんです?」
「ああ、単純な話だ。ある意味でのチャンスになりうると考えたからだよ」
アレキサンダーはそう言うと。ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「人間には大きく分けて3種類いる。有能なものと、平凡なもの。そして、言葉は悪いが無能だ。また、それらは当然、貴族のようなものにも当てはまる」
淡々と、アレキサンダーはそういい連ねていく。
「一般人が無能なだけならば、正直自己責任という話に尽きる。やや乱暴な判断だけどね。……だが、貴族――すなわち上に立つものにとっては、平凡は構わないが、無能は罪だ」
「罪、までいきますか」
「ああ、罪だ。貴族にとっての後退は、領民を困窮に追いやる。その煽りは貴族へと跳ね返ってきて、自身を守るために、その皺寄せを領民を押し付けかねない。だから、貴族は無能であってはならない」
幻滅したかい? と。アレキサンダーはそう尋ねてきて。それに対して浩一は首を横に振る。
たしかに言葉は悪いし、言い方もかなりキツいだろうとは、浩一も思う。だが、それと同時に。為政者として、アレキサンダーが持たなければいけない視点でもあるのだろうとも。そう判断できる。
「だが、貴族制度というものが原則世襲である都合、どうしても無能が領主になる場合がある」
「そうした領地は、緩やかに。あるいは、急転落下のように、衰退をしていく……」
浩一のその言葉に、アレキサンダーはコクリと頷く。
「だからこそ、この単位制定。そしてそれへの反発はある種ひとつのきっかけにできるんじゃないかと思ってね」
もし、この制度に反発する貴族がいるとするならば。大きく大別してふたつだろう。
新たな単位制度の導入に対して否定的な保守派。そして、単位が正しく計量されることに対して不利益を被る立場の貴族。
「反発するならば、しっかりとその意見を受け止めるつもりだ。だが、そこで反発理由が説明できなかったり、支離滅裂な論を立ててこようものならば」
「……無能が炙り出される」
「そのとおり。私の側近は優秀だから、話が早くて助かるよ」
ニコッ、と。アレキサンダーはそう笑いながらに言う。
本当に、どこまで考えているのやら。末恐ろしい人物である。
この人が味方で良かったと、浩一は心底そう思う。
「変な質問をしてしまってすみません」
改めて浩一はアレキサンダーに向き直って、ペコリと頭を下げる。
「いや。たしかに予想できることだろうし。それに、どのみちしばらくしたら伝えるつもりでもあったしね」
いずれは浩一もメートル原器を渡しに行く機会があるだろうし、その際に、どんな貴族と相対するかはわからない。
だから、伝えるタイミングが少し早まっただけだよ、と。アレキサンダーはそう言った。
「では、そろそろ俺は失礼します」
そう言って、今度こそ退室しようとした、そのとき。
ああ、そうだ。と、アレキサンダーはそう言う。
「アイリにそうしているように、ふたりきりのときは私のこともアレキサンダーと呼び捨てで構わないよ?」
「――ッ」
ピシャリ、と。浩一の身体が凍りつく。どうやら、アイリスとのやり取りがバレているらしい。
そんな彼の様子を知ってか知らずか。いや、アレキサンダーの性格ならば、知っていながらに、追撃を加える。
「ああ、アイリの例に倣うならば、アレクでもいいかもしれないな。うん、それがいい。両親から子供の頃に呼ばれていたが、久しくその名で呼ばれていなかったしな」
「……あはは、えっと、その」
「よろしく頼むよ、コーイチ。ああ、敬語も外してくれて構わない」
ほんと、この人は。
どこまでも、末恐ろしい。