#50
測量器具の諸々をマーシャに任せておいて。浩一と風花は研究小屋の別の一角にやってくる。
「それで、レンズ無しでカメラを作るって言ってたけど、ピンホールカメラでも作るつもりなの?」
「さすがにわかるか。まあ、レンズ無しでってなるとそれしかないだろう」
しばしば小中学生の自由研究、もとい夏休みの工作なんかでも作られたりする、ピンホールカメラ。
それを作ろう、という話だった。
「でも、ピンホールカメラなんかで写真が撮れるの? あれってカメラの背面につけたスクリーンに像が映るってやつだったと思うんだけど」
「まあ、子供の工作レベルだとそうなるだろうが。だが、像が映るってことは、すなわち写真が撮れるってことにつながる」
そもそも銀塩フィルムとは、光の当たったところが変色するという感光性に依るものである。
だからこそ、像を映す。つまり、光を当てることができるのであれば、それで写真を作ることができるのだ。
「そっか。スクリーンをそのままフィルムに置き換えてしまえば、それが写真になるのか」
「正確にはネガポジ反転してる写真ではあるが。まあ、そこは今は関係ない。撮れることが重要だ」
無論、普通のカメラと比べて不都合なことがないわけではない。というか、むしろ不都合が多いと言って差し支えない。
「本来、カメラではレンズを使って光を集積させて、それをフィルムに当てて写真を撮るんだよ」
「レンズに依る実像のアレよね?」
「そう。基本的には光はあらゆる方向に飛んていくが、レンズでそれを整理することによって、元々同じところから発せられている光を一本に纏めるんだ」
だがしかし、ピンホールカメラにはレンズがない。だからこそ、本来ならば光を纏めるということができない。
「その代わりに、ピンホールカメラでは光を取り入れるところを極めて狭くすることで、光を纏めるのではなく、取り込む光を制限するんだ」
光の性質のひとつである直進性。それを利用して、小さな穴で光を制限することにより、ある一点から発せられている光のうち、特定の角度からの光のみをピンホールカメラの中に取り込む。
そうすることによって、穴から見て上側にあったところはフィルムの下側に。右側にあったところはフィルムの左側に、と。倒立した状態の像が結ばれる。
「ただ、取り込む光を制限するってことは、それだけ感光性に乏しくなる、というわけだ」
ピンホールカメラにおいての最大の課題が、穴である。
開ける穴を大きくすれば取り込む光の量が増える代わりに、取り込める光の角度が増えるので、それだけぼやけた写真になる。
開ける穴を小さくすれば、より光を制限できるだけに像がハッキリするのだが、光が弱くなる分だけ暗い写真になりやすい。
「マーシャが作ったこのフィルムにどれくらいの感光性があるのかはわからないけど。逆に言えば感光性さえあるのであれば、理屈の上ではピンホールカメラでも写真が撮れるはずなんだよ」
「じゃあ、どうするの? 撮れるかの実験ってだけなら穴を大きめにとってみるの?」
「いや、露光時間を上げてみる。静止しているものを撮るだけなら、時間を長くして十分に感光させるって手がある」
「ああ、なるほど。その手があるのか」
動いているものを撮るときには残影が発生してしまうだけにこの手は使えないが、今回はあくまでフィルムが機能しているかの実験。なら、その心配はない。
「じゃあ、私たちがやるべきことは?」
「ピンホールカメラ本体の作製。まあ、精度以外についてはそれこそ子供の工作レベルだから問題ない」
必要なものは暗室を作れるだけの箱。そして、小さな穴だけ。
ズーム機能をつけるならば本体に伸び縮みする機構をつける必要はあるが、今回はあくまで実験目的なので不要だろう。
「ただでさえ穴を小さくする都合、取り込む光が弱い。だから、それ以内の光を取り込まないために暗室の精度だけは上げておきたい。逆にいえばそれだけ気をつければいいとも言える」
「なら、念の為に箱に暗幕をつけておいてもいいかもね」
浩一と風花でいくらか出来る手を出しながらに、ピンホールカメラを作っていく。
構造自体は単純なだけに、製作自体は然程難しくもなく。ふたりであってもそれほど時間がかからずに完成する。
物としては暗幕の取り付けられた木製の箱。大きさとしては片手で持つには少し大きい程度で、箱の中にちょうどハガキくらいの大きさが入るくらいになっている。
箱の前面の一部を切り取っており、そこには小さな穴を開けた黒色の厚紙を貼り付けいる。また、背面は開閉できるようになっており、ここにフィルムを入れることができるようになっている。
「さて。いちおうこれで完成なわけだが」
見た目云々についてはともかく、仕組みとしては問題ないはず。
あとはフィルムをセットして、感光させれば完成する、はず。
「……さて、このフィルム。本当に感光するのか?」
マーシャから使い方を聞くのを忘れたな、と。そんな失念を今更思い起こしながら。
しかし、同時に少し疑問にも思う。
銀塩フィルムは非常に繊細な道具である。それがどれくらいなのかというと、光に対してすぐに反応をしてしまうために、定着液を使ってハロゲン化銀を除去するまで、暗所以外でその表面を絶対に晒してはいけないほどだ。
しかし、マーシャに貰ったこのフィルムは、彼女が普通に束で手渡しをしてきたように、普通に光に晒されている。普通の銀塩フィルムならばまず間違いなく感光して使い物にならなくなるが、製作者のマーシャがそれをわかってないはずもなく。つまり、この状態でも問題がない、ということになる。
ならば、パッと見では感光性が無いように見えてしまうのだけれども。
試しにピンホールカメラの中にセットをしてみるが。当然なにも写らない。
はたしてこれはどうやって使うものなのか、と。
浩一と風花がそんなことを考えていると、研究小屋の扉が勢いよく開かれる。
ここを訪れる人はそもそも少ない上に、既に浩一、風花、マーシャが中にいて。
かつ、こんな勢い良く開ける人といえば、ひとりしかいない。
「ただいま戻りましたわ!」
アイリスが少々疲れた表情をしながらも、しかしながら、大きな声でそう挨拶をする。
あちこちへの連絡回りをしてくれていた彼女が帰ってきた。
そのままアイリスは浩一と風花のふたりを見つけると、人懐っこい笑顔を携えながらに駆け寄ってくる。
「あら、転写紙ですわね。なにか複製しますの?」
「ん? 転写紙?」
合流するや否や、マーシャがそう言いながらフィルムを指差す。
たしかにカメラのフィルムの構造的には転写は近いといえば近いが。
「いや待て。転写紙と呼ばれるものが、あるのか?」
「え? はい。というか、かなり一般的ですのよ?」
そう言いながら、アイリスはええっと、と。しばらく思案してから。
ポン、と。ひとつ、手を叩いて。
「ほら、コーイチ様。運輸ギルドで頂いた地図があるでしょう?」
「ああ、たしかに貰ったが。あれがどうした?」
「あちらが、転写紙による複製になりますの」
アイリスはフィルムを1枚手に取って、頂いても? と。そう尋ねる。
浩一がそれに対して頷くと。彼女はそのままに転写紙の仕組みを説明する。
彼女は手近にあった文書を1枚手に取ると、それと転写紙とを表面同士でくっつける。
「転写紙は、こうして写したいもののとくっつけて魔力を流し込むと……」
解説しながらに、アイリスが実際に魔力流し込むと。先程までなにも書かれていなかったはずのフィルムに色がついていく。
「とまあ、こんな感じで元々の文書と、左右反対の複製紙ができるので、これを使って再び転写紙で写せば元々と同じ見た目のものができるはず、なのですけれど。……おかしいですわね? 思ったよりも反応性が高いですの」
魔力を流しすぎたのかな、と。アイリスがそんなことを考えてながらに首を傾げる。
たしかに、元の原本と比べて、かなり色が濃く写っている。
しかし、たしかにこれならば写しとして渡された地図や、あるいは浩一が借りたりしてきた文書の文字などの精度が高いことにも合点が行く。
擬似的にコピーが行えるような魔法があるのならば、たしかにそういったものを作るのも簡単――、
「待て。ということは、これが反応性が非常に高められてる転写紙、あるいはそれに近いものなのだとすると」
浩一はバッとピンホールカメラの方を見る。
先程までなにもフィルムに写らなかったのは。そもそもフィルムを普通に露光させておいて問題ないのは。
感光するのに、条件があったから。
「アイリ、転写紙って直接触れないと転写できないのか?」
「いえ。あまりに厚いと無理ですが、多少であれば大丈夫ですの」
「なら、この装置の背面に転写紙を入れているんだが。魔力を流し込んでみてくれるか?」
浩一の説明に、風花もやりたいことが理解できた様子で。ハッと顔を上げる。
なにがなんだかわかっていない様子のアイリスだけが、少し首をかしげながらに。しかし、浩一からの要請でもあるために、それに従って実施する。
カメラの前方には、被写体としてリンゴを置いてみている。
さて。どうなるか。
「少し長めに、あと多めに魔力を流してくれるか?」
「えっ? 大丈夫ですの? ただでさえこの転写紙、反応性が高いみたいですし、真っ黒になりません?」
「いや、大丈夫……だと思う。最悪真っ黒になったら、今度は少なめに調整すればいいし」
ピンホールカメラが採光する量を考えれば、露光時間に当たる魔力を流す時間と量を調整すればなんとかなるだろう。
幸い、フィルムは作りやすいらしいし。失敗しても、そこまで問題はない。
そうしてアイリスがピンホールカメラに魔力を流し込んで、数秒。できました、と。彼女が言う。
それを聞いてから、浩一はピンホールカメラの背面からフィルムを取り出してみる。
「……さすがマーシャだな」
本当に、頼んでよかった。
たしかに既存のものに少し手を加えただけ、というのも間違ってはいないのかもしれない。実際、アイリスの様子を見る限りでは、反応性を高めた転写紙というだけといえば、そうなのだろう。
だが、既存のものの仕組みをしっかりと理解した上で、組み合わせて便利なものを作る。あるいは、別の用途のものを作る。というのも、れっきとした発明なのだ。
ニイッと、笑みを浮かべた浩一の様子が気になってアイリスが手元のフィルムを覗き込んで。そして、その目を丸くする。
「なんで、なんで転写紙にリンゴが!? だってリンゴはあそこに――」
「成功だ! ちゃんと、撮れてる!」
しっかりとリンゴが。そして、その周囲の風景までもが写り込んだ写真を見て。浩一は嬉しさから拳を握りしめた。