#5
アレキサンダーから鉄道事業について依頼されたのち。彼の夕食の毒味、という名の同伴をしてから。自室へと戻った頃には、既に日が落ち込んでしまったあとだった。
「しかし、魔法というものは随分と便利だな」
サッと軽く触れると、柔らかに光を放つ照明器具に。俺はそんな感心を抱く。
アレキサンダーなんかは魔法について「半端に便利」と称していたものの、それがなかった身からすると、やはりかなり便利に思える。
俺自身はこの世界の人間じゃないからか、魔法を使うことはできないのだが。しかし、魔法による道具を使用することはできるようで。この照明も、そのひとつだった。
「って、そんなことをしてる場合じゃない。とにかく今は、いろいろと書き出しておかないと」
この身ひとつで、というわけではないが、所持物がほとんどない状態で異世界に放り込まれた都合もあって、当然といえば当然なのだが、元の世界のものはほとんど持っていない。
すなわちそれは、改めて元の世界の知識に触れる手段がないということと同義なのであって。
スマートフォンすらも、既に電池が切れて物言わぬただの板に成り下がってしまった現状。仮に今の俺の知識が消え去ってしまったとき、それを改めて調べ直す方法がない。
まあ、通信が繋がらないのだから、スマホの電池があった頃でも予めインストールしていたもの以外を調べることはできなかったのだが。
思い起こせる知識。特に機構であるとか、あるいは鉄道関連のものについてを優先的に書き起こしていく。
「うーん、やっぱり細かいところは覚えてないよなあ……」
大まかな。例えば蒸気機関車がどういう理屈で動いているのか、というようなところは理解できている。
だが、それらのパーツがいったいどのような形になっていて、それをどう動かせば機構がどう動くのか、というところについては。やはり、覚えられていない。
どうしても残ってしまう空欄に、軽く頭を掻きながら考えていると。突然、バンッと、勢いよく。入り口の扉が開く。
「コーイチ様!」
「あ、アイリス様?」
「あ、またノックを忘れていましたわ。失礼しました」
そう言ってアイリスは扉を閉めると、ノックをしてから再び入ってきた。
うん、以前も思ったけど、そういうことじゃないと思うんだ。
「それで、どうされましたか? アイリス様」
「アイリス様、はやめてください。どうぞ、以前のようにアイリと」
「いや、それは……ははは………」
たしかに出会ったときは彼女の身分を知らなかったから、彼女のことをアイリさんと呼んでいたが。実際のところを知った現状、それを言うのはあまりにも畏れ多い。
「それで、アイリス様はどんな御用で?」
「つーん」
「えっと、アイリス様?」
「つーん」
「…………アイリ、さん?」
「まあ、それでいいですわ!」
こっちの心臓が持たないので良くないのですが。
ふたりきりのときだけですからね? と、そう伝えると、彼女はとても満足げにしていた。……ほんと、バレたらどうなるんだこれ。
「それで、わざわざ俺の部屋に来られたということは、なにかの用事があったのでは?」
……そもそも、立場的な都合を考えるのであれば侍女の人伝いなどで俺に連絡してくれれば、わざわざ来てもらわなくても俺の方から尋ねていったのだが。
そんなことを考えていると、彼女はハッとした様子で質問に答えてくれる。
「そうでしたわ! コーイチ様のお部屋にまだ明かりがついていらしたので。なにかされているのかな、と」
「……ああ、なるほど」
チラと外の様子を見てみると、随分と夜も更けていて。
集中しての作業ではあったのだが、いつの間にかかなりの時間が経っていたようだ。
俺は先程までの作業の内容を軽く説明すると、どうしてかアイリスはしょぼん、と気を落としてしまう。
「えっと、アイリさん?」
「うう、私じゃ力になれそうにありませんわ。お手伝いをすると言ったのに……」
「あー……」
そういえば、そんなことを言ってたな。一国の王女様からの協力なんて、正直なにを頼んでいいのかわからなさ過ぎてちょっとお断りしたいようなことではあるのだが。
しかし、立ち向かっている事象が事象なだけに、そんなことを言ってられないのも事実ではあった。
「えっと、それじゃあ。ちょっといろいろと知りたいことがあるんですけど、聞いてもいいですか?」
「……! はいっ、もちろん!」
そう伝えると、彼女はパアアッと表情を明るくする。とてもわかりやすい人だなとは感じる一方で、それ故に信用も置きやすいとも感じる。
ある意味では為政者に向き、同時に全く向かない人物だ。
「それで、知りたいことはなんですの?」
「えっと、蒸気機関車を作ったり、線路を敷いたりする上でどうしても足りないものがあって。それの心当たりがないかな、と」
機構などの技術的な側面はもちろん、単純な人手。マンパワーも圧倒的に足りてない。
それ以外にも、例えば現状、俺の手元にはこの国の地図がない。当然だが、地図がなければどこに線路を通すべきかなどを考えることもできない。
「地図ですわね! もちろんありますわよ!」
自信満々にアイリスはそう言うと、取ってきますわ! と、勢いよく部屋から出ていってしまった。
あの、別に今すぐじゃなくてもよかったんだが。
そう思ったが、とき既に遅し。駆け出していってしまったアイリスのスピードは到底追いつけるようなものでもないし。仕方なく、ここは待つことにしておこう。
俺は俺で、ひとまずは今現在、俺の視点から見えている問題点、足りていないことをまとめ上げておこう。
地図についてはとりあえずチェックをつけておくとして、先程挙げた、技術面やマンパワー不足。……このあたりは、この国におけるツテが無い俺の側からのアプローチは難しいだろうから、アレキサンダーに頼って誰かしらを紹介して貰うほうがいいだろう。
あとは、なにの確認が必要だろうか。
……金属の質については確かめておきたいところではある。めちゃくちゃに強い、とまではいかなくても、最低限しっかりとしたものがないと蒸気の圧に耐え切れず故障、ということになりかねない。
それから――、
「持ってきましたわ!」
扉が、もはやいつもの如く勢いよく開け放たれて、アイリスがやってくる。
その手には、丸い筒状の羊皮紙。
そのまま、彼女はそれを机の上に広げてくれる。
「……ん? アイリさん、もしかしてこれが地図?」
「はい! そうです!」
そこにあったのは、たしかに地図と言われれば地図、ではあった。
だが、しかしそれは俺が思っていたものとは少し違った、というか。欲しかったものとは、やや精度が違った。
街の位置や、川や山の位置。あとは簡単な目印なんかは書かれているものの、それ以上がない。
もちろん、街の中の様子まで書き込まれている必要はないのだが。例えば、標高であるとか。……いや、この際それはいいとしても、道であるとかの記載がない。
「あの、この地図、道の記載がないんですけど」
「えっと、道、必要ですの?」
首を傾げるアイリス。おそらく俺と彼女の間にあるであろう感覚、常識のズレから来ているであろうそれに、しばらく理解ができないでいたのだが。
「……そうか。この国において、道――陸路は重要視されてこなかったのか」
考えてみれば、納得はいく。あらゆる人が箒による移動が可能なこの世界において、わざわざ地上に道路を敷設する必要がない。
いや、いちおうは馬車の類があるにはあるので無くはないのだが、返して言えばそういった運輸に関わる人間以外は道路を必要としない。
なぜなら、箒は地形をある程度無視するから。
多少地形が荒れていようが、ここに川がある、ここに山があるということがわかり。あとは飛行時の目印さえ書かれていれば、それ以上は特段必要がないのだ。
「アイリさん、もし、これ以上に詳しい地図を、となるとあります?」
「うーん、城には、ないかもしれません。ただ、城でなければ」
ここにはないけれど、他の場所には?
そう言われて、考えてみると。たしかに、と。
一般には道路が必要とされないだけで、必要とする人たちもいる。
そう。それこそ、先程挙げた馬車。その馭者が最たる例だろう。で、あるならば。
「都市間での流通を扱っている組織、運輸ギルドなら持っているかもしれません」
アイリスの意見は、俺の考えたものと同じだった。