#42
宿の扉を閉じながら、フィーリアは大きく息をついた。
今日起こったことについてを思い起こしてみると、今でもまだ、心臓が痛いほどに早鐘を打つ。
原因はハッキリしている。つい先程までこの部屋にいた、浩一だ。
彼に向けて説教を行って。その際に「アイリス様からも同じこと言われましたよ……」と、どこか困り顔で言う彼ではあったが。しかし、言われて当然な行動ではあった。
たとえそれが、あの場面での最善策であったとしても。
一歩間違えれば自殺行為に等しいその行為を、躊躇もせずに行って。はたしてどこにそれに対して心配しない人間がいるだろうか。
しかし、それによって自分たちが助かったのも事実。それも、一切の犠牲を払わず、かつ、賊の捕縛をも可能にして。
正直、凄いと言わざるを得ない。……無論、その手法が褒められたものではないとしても。
「やはり、本当に凄い人です。……それでいて、しかしながら、どこか危なっかしい」
そもそも、あの状況下で。自身を犠牲にしかねないような判断を即座に取れるということが異常ではある。
彼の言い分も、一応は納得はできた。
あの場に於いて、最も命が軽いのが浩一である、というそれについて。もちろん、浩一の視点から、という前提が生まれるが。
しかしながら、彼は気づいていないことだろうが。実際には、そんなことはなかったりする。
むしろ、下手をするとアイリスとほぼ変わらないほどに優先度が高かったりもする。特に、フィーリアの視点から語るのであれば。
ことフィーリアの立場から話すのであれば、浩一は国から送られてきた視察員であり、紛れもない来賓ではある。
立場としては平民であるために、貴族令嬢であるフィーリアの方が位としては圧倒的に高くはあるのだけれど。しかしながら、浩一の場合は後ろ盾が不味すぎる。
父から聞かされている話によると、浩一はこの国の王子であるアレキサンダーの付き人である。それも、随分と長い間、側近らしい側近を置かなかったくらいに警戒度が高かったアレキサンダーの、実質的な側近に当たる人物だ。
ただでさえ来賓であり。その上、アレキサンダーのお気に入りである浩一に害が及んでみようものならば。はたしてアルバーマ領に対してどのような罰則が与えられるかわかったものではない。
アレキサンダー自身、話わかる人物ではあるため、きちんとした説明があればお咎め無しか、あるいはかなりの軽症で済むやもしれないが。しかし、仮にそうであったとしても、浩一自身がとてつもない超重要人物であるということには変わりないのである。
本人に、その自覚はないようだが。
「……でも、もし。自分がコーイチさんと同じように、打開策があって。成功すれば全員生還、失敗しても、残りふたりは逃げれる、という場面で。私は、あんな即決では動けないかな」
事実上の話として、フィーリアの視点から話すと、あの場面でもっとも命が軽かったのはフィーリア自身だった。
しかしながら、もし、そんな方法があったとしても、その判断は取れない。それが、彼女が自分に対して行った自己評価ではあった。
とはいえ、これに関しては浩一がおかしい、というその判断であるほかない。だからこそ、危なっかしい、という評価が付き纏う。――けれど、
「凄い、人だ。しっかりと考え抜いて、今ある手札で、合理的に。全力で」
もちろん、手放しに全てを褒められるわけではない。
だがしかし、今回の一件も。そして、彼が語っていた鉄道なるものに関する計画も。そのいずれについても、可能な限りを全て詰めて。その上で、勝負に出なければいかないところで、しっかりと、勝負をしていた。
ほんの少し、父の功績に重なる姿を見る。フィーリアが尊敬する、その姿に。
トクン、と。ひとつ、心臓が大きく脈打つ。
生まれた感情は、はたして尊敬からくるものなのか。それとも――、
「……いいえ、これは。紛うことなく」
ぎゅっと、拳を握りしめながら。フィーリアは、想いを胸に懐きこんだ。
賊からの襲撃もあり、途中予定が多少ズレはしたものの。翌日以降で延はなんとか巻き取って、ほぼ予定通りにアムリスへと帰還した。
「諸々の報告は聞いている。随分と迷惑をかけてしまったらしい、本当に、申し訳ない」
領主館について早々、アルバーマ男爵から、そう謝罪を受ける。
浩一としては、全員怪我なく危機を脱出できたのだから問題ないだろう、と。そう思っていたりはしたのだが。しかし、たしかに視察に来ている立場の人間が賊に襲われたともあれば、治安はどうなっているのか、という評価を下されかねないと考えれば。なるほど合点はいく。
「まあ、それに関してはこちらが無用心であったということもありますので」
実際、移動のメンバーのことを考えると護衛がいない今回のことがあまりにも異常という話であって。浩一はそれを引き合いに出して、今回の話をトントンに収めるように話を進めた。
そうして、とりあえずは今回の視察にあたっての報告を行ってから。大まかな必要事項の話を済ませてしまって。
お互いが、それらの会話についての了解を得たところで。
アルバーマ男爵が、小さく口角を上げながらに、口を開く。
「さて。仕事の話はこのあたりにしておいて。別件の、個人的な事柄がある、とフィーリアから聞いているが。そのあたりはどうなのだろうか、コーイチ殿」
「……はい、是非とも少し、個人的に提案をしたいことがありまして」
さて。ここからがある意味での本番た。
浩一は、グッと気持ちを引き締め直しつつ。話を始める。
大まかな話としては、エルストでガストロやガードナーにしていたものと同様。
なので、アイリスやフィーリアからしてみれば、一度聞いた話になる。
ひとしきり話を聞ききった彼は、なるほど、と。そう言ってから。
「その話がこちらに流れてきている、ということは。フィーリアだけでは判断ができない、とそう考えたということだな」
「はい、そうなります。……さすがに規模が大きすぎる事柄だと、そう思ったので」
アルバーマ男爵からのその質問に、フィーリアはそう返答する。
裁量権を与えられていたフィーリアが判断しなかった、ということは今話したそのとおりだということだ。
「まあ、それに関しては無理もない。……正直、私もこれについてどう判断するべきなのか、少し考えている」
顎髭に指を当てながらに、アルバーマ男爵は考え込む。
途中、フィーリアにいくつか質問を投げかける。現場の判断としてはどうだったのか、であるとか。特に、ガストロやガードナーがどのように考えていたのか、であるとか。
「つまり、不可能であるとは言わないが、完全に可能であるという断言は難しい、というくらいか」
「そうなります」
「ガードナーたち、ドワーフにそこまで言わしめるか。……いや、計画を見れば、それに相応するものだということは理解できるが」
アルバーマ男爵とフィーリアとの報告を横で聞きながら、浩一は汗に濡れた手をギュッと握り込む。
「なるほど。そして、それらを作るために、資材の運搬が必要。しかしながら、それをするにも元より重量物の運搬が困難な現状では、本末転倒になってしまう、と」
「ええ。ですから、この提案になります」
そう言いながら、浩一はあらかじめ用意していた紙を指し示しながらに、言う。
「馬車による運搬であることには変わりありません。しかしながら、元のそれと比べると、一度に運べる量や、運搬の難易度という意味合いで、大きく変わります」
元より、敷設自体は必須なのだ。
で、あるならば先か後かという、そういう違いしかそこにはなく。それならば、先に準備さえしてしまえば、それだけでも、輸送力が大きく改善される。
「馬車鉄道を――鉄路を、アルバーマ内に敷かせていただけませんか」