#40
「くひひ、お偉いさんふたりに護衛がひとりたあ、随分と無用心なもんで」
賊のひとりが下卑た笑いを浮かべながらにそう言い放つ。
しっかりと相手の動きの機微から気をそらさないようにしつつ。チラとフィーリアの様子を確かめる。
突然のことに、先程の浩一の声に反応して、反射的に少し高いところまではいったものの。しかし、そこで立ち止まりつつ、浩一たちと同じく、賊の方を見ている様子だった。
(そのまま、逃げてくれてよかったんだが)
だがしかし、これはこれで賊たちが隊を分離させなくなる。そのほうが都合はいいので、よしとしようか。
「おうおう、俺たちと会話をする気もねえってのか? ひでえ話だなあ!」
「…………」
当然、その言葉に返す道理はない。
黙り告る浩一たちの様子に、賊のリーダーらしき男はふんと鼻を一つ鳴らしてから、味方に指示を出す。
弓使いのふたりが再び矢を番える。
「フィーリアさん、上空へ!」
「えっ!? は、はい!」
浩一が叫んだことにより、一瞬動揺しつつも上昇を開始する。
アイリスも、それを見て真上に向かって急上昇。浩一は振り落とされないように、しっかりとアイリスにしがみつく。
この敵の中で、最も厄介なのは弓矢だ。原則接近が不能である箒での空中戦に於いて、武器のリーチは重要になる。だからこそ、賊たちの武器は槍か弓なのだろうが。その中でも弓は、逃げる相手に対して長射程という強みをそのままに発揮することができる。
だが、槍とは違って重力の影響をモロに受ける武器でもある。だからこそ、重力に逆らう上空向きへ逃げれば、一時的ではあるものの、弓の射程を大きく削ぐことができる。
「でも、コーイチさん。上空に逃げたところで、ただの一時しのぎにしかならないのでは!?」
「それはそう。だから、そのために今から攻勢に出る」
どうせ、そのままの状態での逃亡は不能。状況としても人数差も装備差もこちらが圧倒的に不利。ならば、後手後手になる前に、こちらから一気に仕掛けきってしまおう。
「フィーリアさん。もしもこれが失敗したときには、アイリス様の箒に乗って、ふたりで逃げてください」
「えっ!? でも、そうするとコーイチさんはどうするって――」
フィーリアには、同行することもあり、事情として浩一が箒に乗れないことは伝えている。
だからこそ、アイリスとフィーリアが二人乗りで逃げるということは、すなわち浩一自身の移動手段が消えることだということは、フィーリアにも十分理解できている。
「安心してください。失敗したとしても、俺が狙われる可能性は低いです。その間に二人が逃げさえしてくれれば、それで」
上空に揃って登りつつ、そう話をする。
下を見てみれば、賊たちがこちらを追いかけてきているのがわかる。
よし。ちゃんと、釣れている。
「コーイチさん、コーイチさん!? それって、どういう――」
「アイリス様、頼みましたよ」
「……無理は、絶対になさらないように」
制止をしようとしてくるフィーリアの言葉に、申し訳なく思いつつも。しかし、耳をそらして。
アイリスからの言葉には、この作戦自体が無理を押し通すものなんだよな、と。小さく苦笑いをして。
それを理解していて。しかし、浩一が止まらないとわかっているからこそ。アイリスは敢えて、釘を刺すようにしてそう言ってきた。
絶対に、死ぬんじゃないぞ、と。
「それじゃ、また後で」
そう言うと、浩一は箒から離れないようにと、アイリスの身体に巻いていた自身の腕の力を抜き、箒に絡めていた脚を解く。
次第に重力が彼の身体を引っ張り始め、地面へと向けて加速をしていく。
(うん。失敗したとしたら、大怪我で済めばいいところ、といったところだろうな)
だがしかし、そうなるのはそれである意味では都合がいい。
賊たちから見たときの、推定護衛である浩一が勝手に行動不能になっている。であるならば、わざわざこちらに集中する必要がなく、アイリスとフィーリアの方に視線を向けることとなるだろう。
しかし、本気で逃げるアイリスのスピードであれば、フィーリアを乗せていたとしても、賊たちが追いつくことは到底できない。そのまま、全戦力が二人に向かってくれれば、その間になんとか浩一が身を隠すことができるかとしれないし……というところだ。
まあ、実際には大怪我状態でそんな都合よく動けるかはわからないし、そこまでうまいように事が進む保証はないが。しかし、最低限目標を達成することはできる。
(まあ、失敗するつもりはないけど。痛いのは、嫌だし)
可能なら、全部獲って勝つ。それに越したことはない。
今の状況ならば、相手からしてみれば、上空に逃げようとしていたところ、誤って落下してきたように見えているだろう。
だから、おそらく警戒はしていない。
空中での体勢の制御に慣れているわけではない。だけれども、無理矢理に気合で身体をねじり、先頭で飛んでいた箒になんとか掴まる。
「てめえっ! なにしやがる!」
賊は浩一がぶら下がったことにより、箒の体勢を大きく崩す。
そんなさなかで、浩一はなんとか自身の腰につけていたカバンの中を弄り、お目当てのものを探す。
「なにをするって、賊の退治かな」
「はん! たしかにこのままで居れば俺ひとりならそのまま地面に降ろせるかもしれねえが、俺たちは5人! ひとりに対して対処したところでどうなる!」
それに、と。男は余裕そうな表情で言う。
「狙う相手を間違えたな。たしかに後ろのやつであれば、確実に降ろせたかもしれねえ。だが、失敗のリスクを恐れて一番前を狙ったから――」
後続の4人が、浩一に向けて近寄ってくる。
箒で並走することは困難ではあるが、しかし、一瞬近づくくらいならば可能ではある。
そのすれ違いざまに浩一に対して攻撃を仕掛け、振り落とそう、と。そういう考えだろう。
だが――、
「大丈夫だ。元より、先頭のお前を狙っていたし、ひとりではなく、全員を落とすつもりでここにいる!」
そう言いながら、浩一はカバンから取り出したそれを、構える。
金属製の筒に、グリップがつけられただけの見た目。
現代日本に住んでいた以上、実物を見ることはなくとも、写真やイラストなんかで見ることはよくあった、武器。
真っ直ぐ下にいる賊たちに向けて、その筒の口を向けて。そして、グリップについてある、トリガーを引く。
こいつらは見たことなんて、無いだろう。いったいこれがなんなのか、なにをするものなのか。想像もつかないだろう。
だって、この世界に。銃なんてものは存在しないんだから。
バンッ! と。大きな音を立てて。同時、やや痛いまでの反動が腕にかかる。
「わーお」
さすがマーシャ印の特製品、といったところだろうか。見た目自体は拳銃くらいの大きさで。ついでに即興で作ってもらった試作品だというのに、尋常じゃない威力を出していた。
だが、
「……ふっ、なにかが出てきたのはわかったが、当たらなければなんの驚異にもならねえな!」
半分そうなるだろうとは思っていたが、当然浩一は銃の射撃経験なんかあるわけもなく。また、試作品だけに、もとの命中精度も高くはない。
それに加えて空中で箒にぶら下がっているという現状、姿勢制御もまともにはできない状況下で、十分な命中が担保できるわけもなく。
速度、威力は申し分ないものの、残念ながら銃弾は空を切って、地面に向けて落下していってしまう。
「がはは! なんだ、それが俺たちをなんとかするための隠し玉っつーんなら、随分と的外れだったなあ!」
賊たちは、依然有利が変わっていないと確信すると、浩一に向けて笑いを向け始める。
そんな彼らの様子に。しかし、浩一はなにひとつ表情を変えることなく。
ただ、ひとこと。
「それじゃ、死なないように頑張って」
そう意味深長に言い放つと、箒に掴まっていた手を離して。再び、地面に向けて落下していった。