#33
カーン、カーン。鎚の音が、遠くまで響いてくる。
まだ街の外だというのに、ジワリと汗ばむ熱気が、ここまで届いてきているような気がして。
「ここが、エルスト……」
山嶺の、その麓。切り開くようにして作られたその街は、規模こそ大きくはないものの。活力という意味合いではこれまで見てきたどのアルバーマの街よりもずっと大きなものに見える。
「はい。アルバーマが誇る金属産業の中心地です」
誇らしく、そう言い放つフィーリア。
街の入り口までやってきて、各々着陸をする。先程までよりも、一等増した熱気と飛び交う声。
それらに浩一が感心をしていると、こちらです、と。フィーリアが手を取りながら案内をしようとする。
(……未だ、機嫌が直ってないんだよなぁ)
浩一へと、後方から指してくるその視線。ついさっきまでの箒での飛行中はかなりマシになっていたように思っていたのだが、やはりどうやら勘違いだったらしい。
昨晩、フィーリアが訪ねてきたあたりから、ずっとアイリスの機嫌が悪い。まあ、なんらか話そうとしていた途中だったのに、それが中断されて。その後しばらく話し込んでしまった頃合いに全員に眠気が振りかかってきて。
結局アイリスが言いたかったであろうことについては話せずじまいだったので、彼女の機嫌については仕方がないところがあるだろうが。
(どうにか、機嫌を直して貰いたいところなんだが)
浩一としても、ここに来た目的を見失うわけにはいかない。そもそもの視察と、そしてやや個人的な事柄にはなるが、コネクションの確保。
だがしかし、アイリスという存在の立場云々などを考えると彼女を蔑ろにするわけにもいかなくって。
どうすれば彼女の様子が元に戻るのだろうか、と。そんなことを浩一が思案していると、
フィーリアに掴まれている手とは反対側の手を。ぎゅっと、少し痛いくらいの強い力で握りしめられる。
そんなことをしてくる人物など、この場にはひとりしかいなくて。
「コーイチ様」
「は、はいっ!」
普段の彼女からはほぼ感じられないような、圧のあるやや低い声色。
いつものアイリスをよく知っていて、対外への振る舞いも知っている。そんな浩一だからこそ、見たことのないそのアイリスの様子に、思わず声が裏返る。
「私、必ずお役に立ってみせますの……!」
「へ? えっと、はい。……お願いしま、す?」
突然に告げられた、覚悟のこもったその言葉に。浩一はただひたすらにコテンと首を傾げるしかできなかった。
彼女のその言葉に、疑問を抱えたまま浩一が歩いていると。フィーリアは、相変わらず浩一の手を握ったままに、クルリとふたりの方へと振り向く。
「さあ、コーイチさん。アイリス様。もう少しで着きますよ!」
周りの声に負けないように、少し張り上げられた声でそう言うフィーリア。
彼女の指し示す方向へと浩一とアイリスが視線を向けると。どうやら、話しながら歩いていたら、いつの間にやらこの街の中心付近までやって来ていたようで。
周囲の建物と比べると、見てわかるくらいに大きな屋敷が、目の前にまでやってきていた。
フィーリアが、少し待っていてください、と。そうひとこと伝えると、とってってって、と。軽快な足取りで駆けていき、敷地の中にいる人へと声をかける。
対応してくれていた男性が元気のいい声で返事をしているのが浩一たちの場所からもわかり、彼はそのまま屋敷の中へと引っ込むと、それとに引き換えにフィーリアが戻ってくる。
「すぐに案内の方が来てくれるそうです」
彼女のその言葉のとおり、ほとんど時間をおかないままに、屋敷の中から人が出てきて、どうぞこちらに、と。
立派な屋敷に通されて。案内されるままに応接間へと向かうと、ひとりの男の人が迎えてくれた。
立派な髭を蓄えて。それに負けず劣らず、たくましい身体付きが見て取れる。
浩一は自分の腕と思わず見比べてしまって、三倍はあろうかという腕の太さの差に。もちろんこの人が鍛えているということもあるのだが、それにしても自分の貧相さに情けなさを感じてしまう。
「がっはっはっ! 大まかな話はエクトルの野郎から聞いてるさ! さあ、そんな堅苦しくせず、こっちに座りな!」
「もう、ガストロさん? お父様から今日いらっしゃるのは大切なお客様だって話は聞いていませんでしたか?」
「うおっと、フィーリアちゃんも来てたのか。悪ぃ悪ぃ。だがよ、俺たちに貴族みたいな振る舞いをしろってのも無理な話だぜ?」
開口一番に彼が見せたように、またもや豪快に笑いつつ。その反対側ではフィーリアが頭を抑えつつに息を漏らす。
フィーリアからしてみれば頭の痛いことなのだろうが、当の浩一からしてみれば自分自身も実質的に平民となんら変わりのない立場だし、生い立ちなどを考えてもそちらの気質であるので特段気にしてはいない。
また、アイリスも。王女という立場としてはあまり好ましくはないのだろうが、こういったように気さくに話しかけてもらえることに関してはむしろ喜ばしいように感じている。
そういった都合もあり、実のところでは実質的には全く持って問題はなかったりするのだけれども。……当然、そんなこと知りもしないフィーリアとしては気が気でないわけで。
「俺ぁ、ここエルストの組合長をしてるガストロだ。よろしく頼む」
「視察にやってきた、浩一です。よろしくお願いします」
「付き添いの、アイリスです」
丁寧にカーテシーを行うアイリスに「こりゃあ丁寧にありがとう!」と、大きく笑うガストロ。
「それじゃ、ひとまずこっちである程度のことを話してから、その後で街の方を見て回ってもらうことにしようか」
応接間での話は、存外に早く終わった。
というのも、他の地域についてもほとんど同じではあったのだが、アルバーマ男爵が事前に用意してくれていた資料の方がかなり正確で、それに沿って確認。併せて近況についての聞き取りなどを行って、とすれば報告書に必要な書面上の事柄はだいたい集まるからだった。
まあ、ここエルストについては。それとは別の理由で、この応接間だけではわからないことがあったために、浩一としても街を見て回る時間が多くなるのはありがたいことではあった。
ガストロに案内されながら、エクトルの中にある主要な施設を回って。製錬所や工房。また、そもそもの鉱石類を採掘するための鉱山のその入り口。
「さぁて。俺がエクトルの野郎から聞いた話ではなんだ? 生産してる金属の質だのなんだの、そのあたりについてもしっかりと見せるようにって言われてたが、そのあたりはどうだったんだ?」
アルバーマ男爵からの口添えとして、そういうものがあったらしい。
それが、果たして誰から伝わってきたものなのか、ということについては浩一の想像に難くない。
「自分自身、めちゃくちゃにそういったことに詳しいってわけではないですけど。質としては十二分かと」
正直、想像以上だった。少し気になる点があったこともあって、浩一としてはある程度金属関連の質はそこそこなのではないだろうか、と。そんな推測を行っていたのだが。
しかし、そんな推測はいい意味で裏切られた。もちろん、精錬の精度などでいうなれば現代日本のそれと比べればかなり落ちるだろうが、エルスト産の金属は十分に上等な質だった。
浩一のその評価に、ガストロは「そうかそうか」とどこか嬉しそうにしながら笑っていた。
ひとまず、質については問題無し。あとの問題は――、
「コーイチ様!」
浩一が、確認が必要な残りの要件について考えていると、テンションの高い様子で、アイリスがそう声をかけてくる。
なぜだかはわからないが、機嫌は直った、らしかった。……おそらく。
まあ、エルストの街を回っている間に直ったのだろう、と。ひとまず合点しておく。なんにせよ、機嫌が直ったのならそれに越したことはない。
ふんすっ、と。なにやら息を巻いている様子のアイリスに。浩一は「どうしましたか?」と、そう尋ねて。
「私の出番、ですね! 頑張ります!」
「ええっと、その。頑張ってくださ、い?」
いったいなにについての出番なのだろうか。そんなことを考えながら。
そういえば、少し前にも。おんなじようなことを言っていたような気がする、と。ふと、そんなことを思い出していた。