#28
10日など、あっという間に過ぎ去ってしまい。ついに出立の日程となった。
その間も、浩一はマーシャや風花に会いに行ったりしていたが、マーシャはカメラについての考察、風花はなにやら測量に関する指導で気になることがあったようで頭を悩ませていて。と、それぞれ自分のやるべきことに向き合ってくれているようだった。
まあ、マーシャに関してはそれとは別件で、ひとつ頼み事をしに行ったりもしていたのだが。
そうして、浩一はアレキサンダーに呼び出されて中庭にいた。
そこにはアレキサンダーの他に、アイリスもいて。その傍らには箒が立てられていた。
(嫌な予感ほど、当たるもんなんだなあ……)
浩一は、遠くを眺めながらにそんなことを考えていた。
なんとなく、そんな気はしていた。だから、準備期間中に浩一はアイリスに関してはわざわざ会いに行っていなかった。
……まあ、会いに行くよりも先にアイリスの方が浩一の部屋に突撃してくるというのも理由ではあったのだが。
その時のアイリスの様子が、どうにも楽しげで。まるで遠足を前にした小学生のようで。
「楽しみですわね! コーイチ様!」
屈託のない笑顔でそう言ってくるアイリスの存在が、浩一の嫌な予感が的中したことを明示していた。
浩一の、アルバーマ領視察、及び金属産業との顔合わせ。それに同行して手伝ってくれる存在が、
ここにいるアイリス・ヴィンヘルムであるということを。
「……ちなみに、これは確定なんですよね?」
「ああ。以前も言ったが、箒のふたり乗りができる人材はほとんどおらず、その上キチンとした教養がある人間となると私のツテを使っても心当たりがアイリしかいない」
なんとなく、そんな気はしていたのだ。
浩一がアレキサンダーから説明を受けたとき、知識面のことはともかくとして、移動の解決はどうするのだろう、と。
最大の手法としては馬車だろうが、これも不都合が多い。
軽く事前に調べたところ、アルバーマ領内は金属産業――つまりは重量のある物質が往来する都合、他の場所に比べても道路は整備されている方らしいが、それでもやはり人が移動するというだけなら箒には大きく不利をとる。
そもそも、素のスピードの時点で箒と馬車では大きく変わるのだ。
そうなるとなんとかして浩一を箒に乗せる必要があるが。それができる存在が、浩一にとってもアイリスしか候補になかった。
「まあ、アイリが同行する理由については他の理由もあるが……」
「久しぶりの遠出ですの!」
今にでも出発しよう、と。そう言いたげなアイリス。途中までなにかを言いかけていたアレキサンダーだったが、そんな妹の様子に苦笑を交えながら、
「すまないがコーイチ、アイリのことをよろしく頼んでもいいだろうか?」
そんなアレキサンダーの問いかけに、浩一はただただ力なく笑いながら、肯定するしかなかった。
「それじゃあコーイチ様、早速行きましょう!」
アイリスが浩一の手を取り、自らの方へと引き寄せる。
ちょっと待って、と。そう言うと、ぴたりとその動きが止めつつ、アイリスが首を傾げていた。
「あの、ふたりだけ、なんです? その、護衛というか」
「私が護衛ですの! なにせ今回はコーイチ様の視察に私が同行するのですから!」
自信満々にそう言うアイリス。
たしかに体裁上はそうなのだろうけれども。しかし、アイリスは王女である。
あまりにも距離が近すぎて認識が薄れるときがなくはないけど、王女なのである。
浩一がアレキサンダーへと視線をやると、彼も呆れた様子で、しかしもう諦めたとでもいう様子で小さく息をつきながら、
「アイリは箒の扱いに長けている。それはコーイチとのふたり乗りが容易というだけではなく、速度に関しても、テクニックに関しても、だ」
つまり、アイリスは箒のふたり乗りができる、というだけではなく。スピード勝負をしても、アクロバット飛行をさせても、彼女に叶う人物がほとんどいない、ということ。
すなわち、アイリスが本気を出せば、護衛を振り切るのなど容易なわけで。……ついでに彼女の性格的に、自由に行動をしたがるたちなわけで。
つまるところが、護衛をつけるだけ無駄というか。むしろ逃げ切るために箒で爆走しかねないために危険まである、と。
浩一がアレキサンダーのため息の理由を察して。同時、先程彼からアイリスのことを頼まれた、というその意味を再確認した。
唯一話にあまりついてこれていないアイリスが首を傾げつつも。ただ話が一段落したということは理解した彼女が、早速行こう、と。
「またで悪いけど、もう少しだけ待って。……たぶん、もうすぐ来るから」
これに関しては浩一の都合。
うずうずしているアイリスをなだめながらに少し待つと、遠巻きからたったったっという足音が近づいてきて。
「おにーさーん!」
小さな木箱を片腕で抱えたマーシャが、反対の手を大きく振りながら駆け寄ってくる。
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった」
「大丈夫だ。それで、頼んでいたものは?」
「うん、ばっちり!」
はい、と。マーシャが持ってきた木箱を浩一へと手渡す。
中身を確認していると、なんですの? と、アイリスが覗き込んでくるものの、彼女はただ首を傾げるだけだった。
「まあ、なんというか。……保険、かな?」
なにもないに越したことはないけど、なにかがあったときのための。
やる気満々のアイリスによる飛行は、とてつもなく速くて。
浩一は、なるほどたしかにこれでは護衛の人がついてくるのも難しいのだろう、と。……なにせ、これでも彼女は本気で飛んでいないのだから。
「コーイチ様! しっかりと私の身体にしがみついておいてくださいね!」
言われずともそうするしかない。傍から見れば不敬とかそういうふうに言われそうなものだが、そんなことも言ってられない。
少しでも気を抜いてしまえば振り落とされそうな、そんな勢いだった。
やっと箒での飛行に慣れてきたと思っていたところなのだが、これは考えを改めなければいけないかもしれない。
「風が、とーっても気持ちいいですわね!」
曰く、長距離の飛行はかなり久しぶりとのことで。それでテンションが上がってしまっているのだろう。
浩一としてはめちゃくちゃに怖いのでちょっと速度を落としてほしいところなのだが、それを言うだけの余裕が今の彼にはなかった。
ただただひたすらにしがみついて、振り落とされないようにするしかなかった。
そんな速度で飛行していたということもあって、アルバーマ領には昼過ぎに出立して、夕方になるよりも早く到着した。
途中一度挟んだ休憩のおかげでそこから先は多少速度が緩んで、浩一もある程度落ち着いて箒に乗ることができていた。
……まあ、アイリスに速度を緩めてもらうように頼むときにも、浩一のアイリ呼びを強要されたりで、実は少しの悶着はあったりしたのだが。
「ここがアルバーマ領……?」
「はい。アルバーマ領の中心街、アムリスです」
浩一の質問に、ニコリと笑ってアイリスが答えてくれる。
ヴィンヘルム王国に来てから、なんだかんだで浩一が王都から離れるのは初めてだったこともあり、どんな場所なのか、という想像はついていなかったが。
浩一の体感から言ってしまうと、郊外という印象の強い街並みだった。
もちろん、浩一が想定している普通の対象が日本と、それから王都しかない、ということもあるのだが。
少なくとも村のような田舎ではない。だがしかし、それと同時に都会というほどでもない。
とはいえ、かなり栄えてはいるようで、往来や人の声もかなり聞こえてくる。
「少し向こうにあるあの建物が、アルバーマ男爵の邸宅ですわね」
つまり、浩一たちは今からあそこに向かって。そして、貴族と対面することになる。
アイリスはともかくとして、浩一としては生まれて初めてのことだ。
ゴクリ、と。唾を飲み込みながら。少し汗で濡れた手を、ぎゅっと握りしめた。