#23
「地図、ねえ。……簡単に言ってくれるじゃない」
呆れからだろうか。風花は大きくため息をつきながら、ジトッとした視線を浩一へとに投げかけてくる。
風花は俺と同じ大学に通っているものの、学科などは全くの別で。彼女はというと、建築系の学科で測量を専門に扱っていた。
「まあ、詳しくない俺からすればどれほどのことなのかの感覚には乏しいが、それが容易いことでないことだけはわかってる」
小学生だか中学生だかの歴史の授業で、日本地図を徒歩で作り上げた人のことは習った。その人は弟子と協力して、生涯をかけて地図を作ったとのこと。
もちろん、その頃と今の浩一たちの状況で比べるのは正しくないのだが。しかし、地図を作るというのはそれほどに尋常じゃないことだ。
「そもそも、地図ってだけならさすがにあるでしょ? それじゃダメなの?」
「一度話したと思うが、この国における交通の主は箒。空を飛ぶ箒だ」
「それ、未だにその箒ってのがちょっと信じられないんだけど」
「とにかく、そういう都合で陸路の発展が壊滅的。道というものも、箒での運搬が不可能なものを馬車なんかが運ぶときのためだけの、正直マトモとは呼び難い道しかない」
そのため、存在している地図とすると。空路として活用するための目印などと各街の位置関係が記された地図、馬車用の道が記されている地図。あとは国の各領地の区分などを記したものなどはありはするものの、やはり、鉄道を敷く上では心許ない。
「それで? じゃあ逆に、どんな地図がほしいのよ」
「欲を言うなら、各地の標高なんかまで調べられているような地図。そうでなくても、最低限ある程度平坦な道を考察するに十分な情報のある地図が欲しい」
浩一がそう説明すると、彼女はふうんと鼻で答えて。指先で、くるくると髪をイジっていた。
さすがに、いきなりこんなところに連れてこられてで、要求するような内容ではなかっただろうか、と。そんなことを思っていると。風花は「それで」と。
「道具とかはあるの?」
「道具、か?」
「そりゃ必要に決まってるじゃない。なにもなしで測量なんて不可能よ?」
「それはそうなんだが」
ぽかん、と。間抜けなまでに口を開け放ったままで、呆然としてしまう。
まさか、今の話の流れで風花が首を立てに振るとは思ってもみなくて。
「必要なものなら、可能な限り俺たちで準備をする。もちろん、作れるもの、には限られるが」
「作れるもの。……そっか、そもそも元から測量に精度が必要なかったのなら、そもそもそのあたりは自作からになってくるのか」
「まあな。……ただ、このあたりに関しては間接的に国営の事業として成立させられるから、必要であれば資金と人材は補充できる、とは聞いてる」
もちろん、発言の主はアレキサンダーである。そのあたりへの信頼と、そして事前の根回しについては本当に感服するところがある。
「とはいっても、測量に関しては素人ばっかりでしょう? そうなると、基本的には複雑なことはできないだろうし。……というか、そもそも道具だって構造がわかってないような専門的なのは、言っても作れないだろうから」
それに関しては、浩一も頷くしかなかった。
できる限りで道具に関しては用意するつもりではあるが、作り方はおろか、構造や原理のわかっていないものに関してはどうしようもなくなる。
最悪、原理だけでもわかればそこから浩一とマーシャで設計していけば多少似通ったものを作れなくもないだろうが、そうなってくると今度は精度などが怖くなってくる。
「それに、特殊な道具があったとしても、扱える人間がいなくちゃ困るしね。……そうね、ちょっと道具に関しては、私が構造を思い出せて、なおかつ使い方もある程度簡便なものを思い出しておくわ」
「ありがとう、助かる」
「いいのよ。なにせ私は、浩一のお姉さんなんだから」
「……そうか」
風花からのその言葉が、浩一にとってはとても頼りになり。そして、同時に少し申し訳なく感じてくる。
風花は、時折こうして姉であることを理由にして、風花自身が行わなくてもいいようなことにまで行動を起こすことがある。
浩一としては、そんな彼女に助けられることがある一方で、やはり、積み上がる恩ばかりに、どうしても気になってしまうこともある。
(まあ、それを言うならそもそも無理を強いるようなお願いをするな、という話か)
少なくとも、今回についてはその際たる例だと言えるだろう。浩一がこうして風花に頼んだのは、間違いなく彼女が適任だろうとそう感じたからではあるものの。しかし、彼女に降りかかるであろう負担を考えるなら――風花が断らないということを理解しているなら、持ちかけるべきではなかったのだ。
だからこそ、今回のこれは。浩一が自ら風花のことを巻き込んで。そして、そのことについてしっかりと責任を果たさなければならない。
その責任とは、お礼をするとか、そういうわけではないだろう。
浩一が果たすべきなのは――、
ギュッと、拳を握りしめる。
小さく、コクリと頷いて。
「絶対に、鉄道を作り上げてみせる」
「……ええ、期待はほどほどにしてるわ」
風花は、地図が好きだった。
自分の知っている道を書き出して作った手作りの地図。幼い頃の彼女は満足げにそれを浩一に見せた。
「これがあれば、迷子にならずに遊びに行けるね!」
まだ両親が健在だった頃の浩一は、そう言って彼女に笑いかけた。
その言葉に風花は、もっと地図が好きになった。
知らない道を知りたくなって、いろんな地図を見るようになった。
規模が大きくなってきて、自分でつくることはなくなってきたけれど。それでも、やはり地図を見て、道を識ることは彼女にとって楽しいことだった。
そうして。中学生になっても、相も変わらずに楽しく地図を眺めていた風花の耳に飛び込んできたのは、浩一の両親の訃報だった。
学校なんかではなんとか気丈に振る舞う浩一だったが、たったひとり残されてしまった彼は、だんだんと塞ぎこみ、ひとりになりつつあった。
そんな浩一を見てられなくなった風花は。地図を片手に浩一を家から連れ出した。
「これがあれば、どこへだって行ける。どこにだって行ける!」
そんな、まさしく子供のような、後先考えない発言。
それでもなんとか浩一を助けたいと願った風花は、そのまま浩一の手を取り、走り出した。
当然ながら、両親になにも言うことなく出ていったがために、警察のご厄介となり、どこへ行ったというほど遠出することもなく、そのまま家に帰ることになったのだが。
それでも、浩一にとってはそれがとてもありがたかったし。
風花は、少しだけでも笑顔を見ることができて、嬉しかった。
そうして、今。
なんの奇跡か偶然か。風花は、浩一ともに見たことも聞いたこともない異世界へと放り出されてしまった。
そして、その世界には地図が十分にないという。
好きが高じた結果。ありがたいことに、風花には地図を作るための知識がある。
道具や人材が十分とは言えないが。しかし、最低限なんとかする目処はなくはない。
人に関しては国営事業として捻出できるらしいし。浩一曰く、マーシュという名の彼女は、精密機械の製作に関しては、作り方さえわかればとても高い結果が得られるとのこと。
それならば、やれなくはないかもしれない。
いいや、浩一に望まれたのだから。風花はお姉さんとして、やり遂げる。
「今度こそ、どこへだって連れて行ってあげるわよ」
たとえそれが、日本であろうと、海外であろうと。
異世界であろうとも。
「浩一が。……私たちが、どこへ行こうとしたとしても。決して迷うことがないような、そんな地図を」
いつか、幼い頃に作った手作りの地図のように。
この、ヴィンヘルム王国の、広大な土地を網羅した地図を。
「作り上げてあげようじゃない」
この、手で。