#22
木製ながらにしっかりとした扉を開ける。
あまり数の多くない窓からしか光の差し込んでいない室内には、若干魔力の切れかかっている室内照明がチカチカと灯っていた。
「まさかとは思うが、おい、マーシャ?」
「うへぇ? あ、おにーさん! 来たの?」
紙束とガラクタの山が、ガバッと盛り上がると。そこからぴょこんっと、ひとつの人影が飛び出してきた。
真っ白……かったはずの服をバッサバッサとたなびかせながら、ふわふわ……だったはずの金髪を揺らしながら。彼女は全力でこちらへ駆けてくる。
同時、浩一の隣にいたアイリスが若干顔をしかめる。彼女の考えたことは、なんとなく察せられる。
風花は浩一たちの少し後ろにいたからか、まだ影響が少なかったようで。その場にポツンと立ち尽くしていた。
「あれ? 後ろにいるのは、新しく来た人?」
首を傾げるマーシャに、俺は大きくため息をついてから。
「まあ、それはそうだが。その前に。……こういうことは、女性に向けて言うべき言葉ではないというのは重々承知の上で言うんだが」
「だいじょーぶ! 私とおにーさんの仲でしょ? 遠慮なく言って!」
「そうか。なら言わせてもらおう」
ドンと胸を張ってみせる彼女に向けて。浩一は冷ややかな視線を注いで。
「臭い、汚い。さっさと風呂に入ってこい。……ったく、いったい何日入ってなかったんだよ」
「ええっと……5日? いや、もっとかも?」
切れかかっている室内照明が、まさしくその期間の証明だろう。
さすがにアレキサンダーが用意してくれたものだということもあって、相当に高いグレードのものなようで、連続で使用し続けてもかなりの長期間魔力が保つという、変換効率と魔力容量の両側面から優秀な品だったはずだ。
それがチカチカと点滅しているということは、つまりそういうことだろう。
「たしかに、最近こっちに来れてなかったってのは俺も悪いが。とはいえ研究小屋に引き篭もり続けるんじゃねえって言っただろ?」
「……あはは。えっと、ゴメンナサイ」
彼女はそう言うと、シュンと縮こまり、素直に謝ってくる。
ただ、こうして反省の様子は見せるものの。しばしばそれを忘れて研究に没頭していることも多い。……というか、このお叱り自体も初回ではない。
それだけ、彼女にとって今の環境が天職なのだということも言えるのだが。
「うん。たしかにずっと引き篭もってたから、どうやら十分に頭が回ってなかったみたい」
いちおう、この研究小屋の書類上の最高責任者はアレキサンダーではあるのだが。しかし、その一方で事実上の責任者を担って居るのは浩一だったりする。
あまり面倒ごとを引き起こされると、あとでそれをアレキサンダーに報告しなければいけないのは浩一なのだ。
「それがわかったなら、ちゃんと自室にも戻れよ?」
「ええっと、それもそうなんだけどね。私、今、思い出したことがあるの。……それをてっきり忘れちゃうくらいには頭が回っていなかったんだなって」
マーシャの語るその言葉に、浩一とアイリスが揃って首を傾げる。
いったいなんの話をしているのだろうか、と。そんな疑問を抱きはしたが、それはすぐに氷解した。なんせ、
マーシャのお腹から。くきゅるるるる、という。かわいらしい音が鳴ったから。
「いやあ、この研究小屋。食糧の類、置いてないんだよね」
「おい、まさか」
「……お腹空いた」
パタリ、と。マーシャはその場にうつ伏せに倒れ込む。アイリスが「マーシャちゃん!?」と驚きから飛び跳ねて、すぐさま彼女の元に駆けつける。
「なんというか、いつかの既視感があるような光景だな」
「そんなこと言ってる場合じゃありませんの! ええっと、とりあえずはご飯を用意して、お風呂の準備もいたしませんと……!」
しかし、さすがにいちおうは王城の中にある施設。以前ほどてんてこ舞いになることはなく、アイリスが侍女を集めてきて、あっという間に対処が行われていく。
時計がないので正確な時間はわからないが、だいたい1時間か2時間かする頃には全ての処置が終えられて。見事に元気でキレイになったマーシャがアイリスに連れられてやってきた。
「それじゃ、改めて話を戻すんだが」
メンバーが揃ったところで、話を振り出しから始め直す。
そもそもここに来たのは、マーシャの部屋を訪れても彼女がいなかったために。であるならばここにいるだろう、と。
「ひとまず、風花から」
「ええ。私は雪城 風花。浩一のお姉さんよ!」
「おい、誤解が生まれるから初っ端からそれを突っ込むのはやめろ」
「フーカはおにーさんのお姉さんなの!? じゃあ、おねーさんだ!」
「マーシャもマーシャでなんでもかんでも素直に信じるんじゃない」
結局、マーシャに対してもアイリスにしたように誤解を解くという作業が発生して。それ自体はどうにかなったのだが。
最初に呼んだその呼び方がどうやらしっくりと来たようで、マーシャは風花のことをおねーさん、と呼ぶようにしたようだった。
その傍らで、
「マーシャちゃんは私のことはアイリちゃんって呼ぶくせに、どうしてフーカ様にはおねーさん、と?」
と、謎の対抗心か、或いは嫉妬心か。なんらかの感情を滾らせているアイリスがいたが。……これに関しては触らぬ神に祟りなしというものだろう。下手に触ると、浩一まで更なる呼び方の変更を要求されるやもしれない。
「……それで、どうだ? ここを見ての感想は」
浩一は、隣にいた風花にそう尋ねた。
彼女はしばらくジッと中を観察して、そして、考えてから。
「思ったよりかは、しっかりしてる。……でも、浩一もどうせわかってるんでしょ? 今の状態では、まだ足りないって」
「よくわかってるじゃないか」
「あたりまえでしょ? なんていったって、私は浩一のお姉さんなんだから!」
現状で一番目処が立っているのが、外燃機関だ。それですら、首振りエンジンよりかは多少性能が向上したものの、まだまだ性能不足なものしか開発できていない時点で進捗はお察しである。
この上、内部構造には逆転機やブレーキ弁など。それ以外にも様々な機構が必要になってくるわけで。
そして、それだけじゃない。ここまでのものなら、まだ浩一とマーシャが力を合わせれば、時間こそかかれどなんとかなる、かもしれないのだが。問題は。
「艤装の方よね。マーシャちゃん、って言ったかしら。彼女、大モノの加工は?」
「聞いたことはないが、おそらくはそんなに得意じゃないんじゃないかと思ってる。その代わりに、精密機械を作らせたら、下手すりゃ現代日本の技術すら凌ぐかもしれない」
「へぇ、それは凄い。……たしかに、そんな子がいるのなら、本当に可能性はあるのかもね」
そう言うと、風花はゆっくりと歩きながら、机の上を指でなぞりつつ。浩一の前までやってくる。
そして、ニッコリと笑って。
「で、わざわざ私にこんな様子を見せに来たってことは。……つまり、そういうことなのよね?」
「話が早くて助かる」
「……ったく。浩一がこの世界に留まろうとしている理由に鉄道が無かったら、危うく断るところだったわよ?」
「俺の知ってる風花なら、たとえそうであっても断らない、だろ?」
浩一が軽くフッと笑いながらそう言うと、彼女はそっぽを向きながら。さあ、どうでしょうね、と。
「それで? いちおう言っておくけど、浩一に付き合わされたから多少は鉄道知識はあるけれど。それでも浩一の知らないことを私が知ってるとは思えないわよ?」
ついでに、加工技術については当然ながらにてんでダメ、とも。
そのあたりについては、もちろん浩一も把握済み。元より、そこの力を彼女に頼ろうだなんて思っていない。
「俺が風花に借りたいのは、そこじゃない。俺が風花を鉄道に付き合わせていたように、お前に俺が付き合わされていたものがあっただろ? ……これがあれば、どこからでも家に帰って来ることができるって」
「そういえば、そんなことも言ったことがあったわね。まあ、現在進行形でそれが通用しない場所に来ちゃったんだけど」
皮肉めいたように、風花がそう言う。
だがしかし、帰還には使えそうになくても。別のことには使うことができる。
……それに、これを調べているうちに、帰る方法が見つかるかもしれない。
「この、ヴィンヘルム王国の。地図を作ってほしい」