#15
侍女に連れられ、アレキサンダーの執務室にやってきたマーシャの様子は、まさしくガチガチに緊張をしているといって間違いはなかった。
錆びついた機械のようにその一挙手一投足が固く、ちょいと横から押してやれば、そのまま倒れてしまいそうなほどだった。
「そんなに緊張しなくていいよ。……君がマリアだね?」
「はっ、ひゃいっ!」
目をグルグルと回しながら必死で対応しているマーシャの様子に、アレキサンダーは小さく笑う。
緊張しなくていいよ、と言われてと無理があるだろうな、と。言葉にこそ出さなかったが、浩一はそっと彼女に同情した。
マーシャにしてみれば、今まで全くの無縁だった城に来て、いきなり王子と対面することになっているのだ。これを緊張せずにどうしろというのだ。
このままでは会話がままならないので、浩一がマーシャのサポートに入りながら、話を進めていく。
鉄道事業に携わる上での、改めての契約内容の確認、決定。これからどのようなことを主立って行っていくのかということの説明。
最初の頃こそガチガチのマーシャだったが、小難しい、堅苦しい話から、だんだんと具体的な事業の話。もっと言うなれば彼女が携わることになる蒸気機関開発の話になっていくにつれ、その緊張がほぐれてくる。
というか、おそらくは自分の好きな話に移り変わってきたことにより、緊張よりも興奮が勝ってきたのだろう。
意気揚々と話しているマーシャの様子に、浩一は安心しながらそっと離れる。
ちょうど、研究室に必要な道具はなにかという話をしているらしかった。いちおう、無茶苦茶な要求をしないかだけ耳を立てていたが、別段そういう様子もなさそうだった。
(まあ、後々になって冷静になってから、緊張が倍になって帰ってくるんだろうけど)
話し合い自体は順調に進んでいることもあり、別に口を挟む必要はないだろう。と、そう思う浩一であると同時に、ひとしきりやり切ってからさっきほどまでの自分の様子を後悔するマーシャも想像する。
「まあ、大丈夫か」
自分の話を真剣に聞いてくれるアレキサンダーに、満面の笑みで語るマーシャ。
今は、楽しそうなので問題はないだろう。それに、どうせこれから先、長い間付き合っていくのだ。慣れていかないといけない。
「それじゃあ、これから頼むよ。マリア」
「はい! よろしくお願いします!」
ひとまずの話がまとまったらしく、アレキサンダーがそう言いつつ笑顔を向けていた。
マーシャもやりきった、という様相で。とても満足げな表情を浮かべていた。随分と、実りのある時間だったらしい。
「ひとまず、研究室についてはこちらで準備しておく。用意ができるまではコーイチの私室にて行う、ということでもいいだろうか」
「はい、大丈夫です」
「わーい! おにーさんのお部屋だー!」
すっかり緊張が解けているマーシャが、ハイテンションで浩一の近くにやってくる。
そんな彼女に浩一とアレキサンダーは顔を見合わせ、ほんの少し苦笑いをする。
……なお、アレキサンダーの執務室から退室して。マーシャが冷静になり我に返ったのだろう。
両手で自身の顔を抑え、これまでの行いについてめちゃくちゃに後悔していたことは言うまでもない。
浩一がマーシャと一緒に借り受けている私室に向かっている途中。
「コーイチ様! マーシャちゃん!」
「あ、アイリちゃ……アイリス様」
「んもう、いつもみたいにアイリちゃんでいいですわよ!」
廊下の奥からアイリスが駆け寄ってきた。
マーシャは少したじろぎながらも、彼女のことをアイリちゃんと呼び直し、こっちのほうがしっくりくる、と。
「それで、アイリス様。どうかされましたか?」
「つーん」
このやりとり、どこかで見たことがあるぞ?
「……あの、アイリス様? いったいどんな御用で」
「つーん」
……これは、以前もあった、呼び方が気にいらないときの無視だ。つまりは、アイリス様ではなくアイリさんと呼んで、という。
状況を把握できていないマーシャを横目に、浩一はアイリスの傍に寄り、耳打ちをする。
「そうは言っても、今はマーシャが居ますから」
「マーシャちゃんなら大丈夫ですわ」
「そういう問題じゃないんですよ……」
しかし、そこは二人きりのときならば、という約束。浩一は無理をおしてアイリス様と呼び、なんとかそれで通しきった。
代償として、アイリスがぷくーっと頬を膨らませることになったが。
「結局、どういった用事なんですか?」
「そうですわ! コーイチ様とマーシャちゃんが今から一緒にお仕事されるとのことだったので、私もお手伝いを、と!」
先程までの不機嫌さはどこへやら、アイリスは目を輝かせながらにそう言ってくる。おそらくは、アレキサンダーから話を聞いたのだろう。
アイデアは多いに越したことがない。手伝って貰えるのならば、と。三人揃って私室に入る。
借りている部屋だということもあり、基本的にはあまり物がとっ散らからないようにはしているのだが、唯一、机の上には紙がかなりの量散乱していた。
「とりあえず、思いつくままに書き出していた都合、まだ整理なんかはできてないんだけど」
マーシャを手招きして、手近にあった紙を何枚か見せる。
彼女はしばらくそれをじっと見たあと、だんだんと声を上擦らせて行き、その表情に興奮が現れる。
「……おにーさん。もしかしてこれ、おにーさんが?」
「って言えたらカッコよかったんだろうが。残念、俺が作ったわけじゃない。俺が元いた場所にあった機構だ」
これらの紙は、覚え書き。日本にいた頃の知識を忘れないようにと形に起こしたものだ。
俺自身がまだこの国の文字の読み書きが不十分なため、文字については日本語のままなのだが。しかし、彼女に渡したのは機構などの図を主としたもの。言語を伴わない図は、しっかりと彼女に伝わっていた。
「とはいっても、どうしても記憶頼りに書いてるから、所々仕組みがハッキリしてないものも多いんだが」
「そこを補完する、あるいはこれをベースに新しく設計するのが、私の役目。ってわけだね!」
「そういうことだ。ついでに、俺のいた所には魔法が無かったからな。うまく組み込めそうなら手を加えてくれると嬉しい」
浩一には魔法に関する知見がない。だから彼ではどうにもできないのだが。
しかし、マーシャは今までそれを作り続けてきたのだ。どれほど需要がなくとも、どれほど無駄と言われようとも。その、好奇心の赴くままに。
そんな浩一の期待に、マーシャは胸を張って「まっかせて!」と。
そんな会話のさなか。ぴょいっと、マーシャの肩越しにアイリスが顔を覗かせて一緒に紙を見る。しかしどうやら彼女にはこれがどういうものなのかはあまりわかっておらず、首を傾げるばかりだった。
「そういえば、コーイチ様は以前、蒸気機関車は蒸気……つまりはお湯を沸かして動かすと仰ってましたよね? でも、正直まだどういう理屈なのかがわかってないんですわ」
「それは私も。昨日に軽く説明は受けたけど、どうやって走るのかはわかってないのよね。機構を考える上で仕組みは知っておきたいんだけど」
「それは、えっと……」
水が水蒸気になると体積がめちゃくちゃに大きくなるから、その力で押したり引いたりを――と、説明してしまうのは簡単だろう。
しかし、正直この説明でわかりやすいかと言われれば、かなり怪しい。特に、大きくなるから押す、はまだわかりやすいかもしれないが、引くのほうがイマイチ考えにくいかもしれない。
「……そういえば、どこかに首振り式エンジンの模式図なら」
比較的単純な機構として覚えがあったので、たしか書き起こしたはず。
紙の束をペラペラと捲りながら探していくと、記憶通り、下の方に。
「えっと、今おにーさんが言ってた首振り式エンジン? がこれ?」
「そうだね。……せっかくだし、実際に動いているのを見たほうがわかりやすいかな?」
他の機構なんかはともかく、これならまだ、浩一の理解が追いついている。しっかりとしたものはともかくとして、ある程度の設計図なら作り上げることができるだろう。
実際の加工もマーシャに手伝ってもらえれば、おそらくできる。
「研究室が出来上がったら、まずはこれを作ってみようか」