#14
「マーシャちゃんとコーイチ様が気が合いそうで良かったですわ!」
「ええ、本当に」
「しかし、それにしてもまさか私が王女だと気づいていないとは思いませんでしたの」
帰りの箒の上で、アイリスはむむむ、と。小さくつぶやいていた。
そんな彼女に浩一は「あはは……」と、適当に笑って誤魔化す。
アイリスがいる手前正直には言いにくいが、自分にも似た覚えのある光景に、浩一はマーシャに同情をしていた。
おそらくはアイリスのことだから「アイリスですの。アイリ、とお呼びください」みたいな感じで話しかけたのだろう。
写真などが普及しているわけではないから、王族の名前は知っていても顔までは知らないということも珍しくないだろうし。名前が同じだけな別人、と思うのも不思議ではない。
そもそも、護衛もつけずにこのような場所に来ているだなんて思いもしないわけで。
「まあ、とにもかくにも一人目の仲間ですの! 早速帰ってお兄様に報告をしましょう!」
「ですね。そうしましょうって、うわぁっ!」
「振り落とされないように、しっかり掴まっててくださいね!」
そういうことは、事後報告じゃだめだと思うんですが、と。急加速した箒から落ちないように必死でしがみつきつつ、浩一はそんな気持ちを自分の中に押し留めておいと。
城に戻ったあと、浩一はアレキサンダーに報告をしていた。
マーシャの人となりや、その能力。そして、彼女の協力を得られたということ。
マーシャのサインが入った契約書を見ながら、彼は少し満足げにしていた。
「まさかアイリスの人脈からこのような稀有な存在が出てくるとは思わなかったが。しかし、兎にも角にも今は見つかったことを喜ぼうか」
「あ、あはは……そうですね……」
浩一は、マーシャに関わる話については大抵報告をしていたが、それ以外の話。例えば、彼女が頻繁に城を抜け出しては南区でお昼寝をしている。というような失言などについては伏せていた。
それは、今回の話に於いては不必要な話題であり、特段報告する義務もないから。……もちろん、そういう意味でいえば報告しない理由もないのだが、いちおうは今回、マーシャとの関わりを得ることになった最大の功労者であるアイリスのことを多少庇おうという考えもありはした。
(とはいえ、たぶんこれ、無駄な抵抗だよなあ)
アレキサンダーへの報告として、アイリスがマーシャの人脈を得た理由として、彼女自身が腕だけはたしかだけど変なものばっかり作ってる、として地域に浸透していることを挙げたが。
「アイリスが私も耳にしたことがない話を知っているとは、なかなか耳がいいようだな、うん」
これは、完全に全てを見通した上で、その上で敢えて言っている人間の目だ。
とはいえ、そのアレキサンダーに現状彼女を咎めようという空気感はないため、ひとまずは大丈夫だと思いたい。
「さて、以前君から教えてもらったとおり。現状では人もものも足りていない、との事だが。とりあえず人については解決したと考えていいのかな?」
「いえ、解決とまではいかないかと。ただ、確実な一歩は進んでいるかと」
欲しい人材が圧倒的に足りていないのは相変わらず。しかし、その一方でマーシャの参入は、最も必要とされるパーツでもあった。
マーシャの能力が必要とされるのは、蒸気機関。要は蒸気機関車における心臓部、そしてそこから駆動部への伝達手段の考案、設計事務所であり。つまるところここがなければどう足掻いても蒸気機関車は走らない。
外側が重要でないとは言わないが、それ以前に中身がしっかりとしていないとどうにもならないのだ。
「俺の記憶が曖昧になる前に、実際に出力したり設計したりできる人が見つかって本当に良かった」
もちろん、浩一覚えている範囲で紙に書き出したりはしていたものの、それにも限界がある。特にキチンと仕組みを理解しきれていないようなものともなれば、なおのことだ。
しかし、まだ記憶の鮮明なうちにマーシャに伝えることができれば、彼女の協力のもと設計図に起こしたり、あるいは実際に形にして改良を加えていくことができるかもしれない。
それが少しの違いであり、あまりにも大きすぎる差なのだ。
「ふむ。それじゃあコーイチはこれから蒸気機関とやらの開発に取り掛かりつつ、並行して必要な人材をスカウトしてもらう、ということで大丈夫だろうか」
「はい、それでお願いします」
浩一がそう答えると、彼はマーシャに渡したものと同じ契約書をまたアイリスに持たせておいてくれるとのことだった。基本的な流れとしてはマーシャのときと同じく、浩一の判断とアイリスの見極めが大丈夫であれば採用していいとのことだった。
「それから、今の段階で必要な物があれば言ってくれ。可能な限り用意しよう」
これは、人材確保と同時で行うもうひとつのタスクについてだ。
紙、ペン、インク。それから試作用の金属や燃料なんかもあることが望ましいだろう。
アレキサンダーからの支援の申し出に、浩一がありがたく必要物資をそらんじていると、ふと。
「……加工のための部屋もいりますね」
「たしかにな。開発を行うとなれば、ここでは無理があるだろう」
アレキサンダーの執務室や浩一が貸し与えられている部屋で実験など当然できるわけもなく、それと同時に開発に即しての加工設備なども当然ない。
ともなれば、そういったことができる部屋が必要になってくるわけで。
「わかった。すぐにとはいかないだろうが、それらが可能な場所……研究室を用意しよう。それで、どんな設備があれば望ましい?」
「ええっと……それは今すぐに言ったほうがいいものでしょうか」
「まあ、早いほうが用意も早くはなるが、今すぐでなくても構わないといえば構わない」
少し不思議そうな顔でアレキサンダーは浩一を見つめながら、そう返す。
浩一は、それならば一日だけ待ってもらえませんか、と。
「本格的にそれらを扱うのはおそらくマーシャなので、本人にどんなものがあったほうがいいかを相談したほうがいいかなと」
「なるほど、たしかにそれも道理だな。では、どのようなものが必要かは明日に改めて、ということにしよう」
そう笑顔で話しかけてくれるアレキサンダーに、浩一は感謝の意を込めて頭を下げる。
「そういえば、そのマーシャは明日に来るということでいいんだったか?」
「そうですね。今日に軽く荷物の整理をしてから、明日に改めて訪問する、と」
俺がそう答えると、彼は顎に手を当てて小さく笑い「それはそれは」と。
「君とアイリスが認めたのだろう。会ってみるのが楽しみだ」
「……あはは」
いったいどんな人を想定しているのだろうか。その実、結構子供っぽい側面のある女の子なのだが。
翌朝。
「……初めて来たかもしれない」
マーシャは目の前にある大きな建物に少し物怖じをしながら、見上げる。
てっぺんを見ようとすると首が痛くなりそうなそれは、遠くからは見たことがあるもののこんなに近くとなると、マーシャにとって初めてのことだった。
「ここで、いいんだよね? いや、おにーさんやアイリちゃんを信じてないわけじゃないんだけれど」
だがしかし、どうしても若干信じきれていない昨日の契約書を見ながら。けれども、たしかに責任者が王子の名前であり、また、事業自体も国営とされている。
プルプルと震える足のままに門の方へと歩いていくと、当然ではあるが、守衛の人に止められる。
「どうしたのかな? お嬢ちゃん。迷子?」
「ええっと、迷子じゃなくって。その、お城に用事があるというか」
「お城に用事? ええっと、書類かなにか持ってるかな」
守衛の人に言われ、マーシャは契約書を取り出す。
彼はマジマジとそれを見つめると、うん、たしかに本物だね、と。
「ええっと、入っていいの?」
「入っていいよ。ただ、君の入り口はこっちじゃないかな?」
「……ふぇ?」
「王城の裏手に回ると、関係者用の出入り口があるから、君はそっちからかな」
にこやかな表情でそう教えてくれる守衛。一瞬、言われていることが理解できずにしばらく固まっていたマーシャだったが。
少し遅れて理解をし、同時、追いかけてきた恥ずかしさに顔を真っ赤に染めて。
「しっ、失礼しましたーっ!」
「うん、お仕事頑張ってね!」
逃げるように、その場から立ち去ったのだった。