#12
しばらくして、パンや野菜、ミルクなど。特に調理の必要のないものを購入してきたアイリスが部屋に飛び込んできた。
「マーシャちゃん? 私、いつも会うたびにちゃんと食事は摂りなさいって言ってましたわよね?」
「うう、それはそうなんだけどさあ。いろいろ材料買ってたらご飯を買うお金が無くって……」
「それで死にかけてたら本末転倒ですわよ!」
もっもっもっもっ、と。マーシャはパンを口に含みながら涙を流す。果たしてそれはアイリスに怒られているからか、あるいは久々の食事だからか。
「ぷはぁ、おいしかった。ありがとうアイリちゃん。ホントに死ぬかと思ったとこだったから助かったよ」
「その発言がシャレになってないんですのよ」
「あはは……それはそうと、アイリちゃんが誰か連れてきてるなんて珍しいね。だあれ?」
もとより疑問ではあったのだろう。自分への説教をそらすついでと言わんばかりに、彼女は浩一へと話を振った。
「この人はコーイチ様、お兄様のお手伝いをされてる方ですわ」
「へぇ、そうなんだ。よろしくねぇ」
「そしてコーイチ様。こちらにいらっしゃるのがマーシャちゃん。腕だけはたしかだけど変なものばっかり作ってる、で有名なマーシャちゃんですわ!」
「酷い言いようだなぁ、アイリちゃん。……いやまあ、事実だからなにも言い返せないんだけど」
ニヘッと、少し困ったように笑いながらマーシャはそう答える。
「有名、なんです?」
アイリスの紹介に対して、思ったことを浩一が尋ねる。
アレキサンダーが知らない人脈だったので、てっきり無名なのだと思っていたのだが。
「このあたりで、って話だね。自分で言うのもなんだけど、アイリちゃんの言うとおり腕だけはそこそこあるから、壊れたものなんかを直すときにはよく呼ばれるの」
「むしろ、それくらいしか仕事がない、とも言いますけどね。それなのに食料より先に材料を買うから……」
マーシャの説明に、アイリスがブスリと言葉のナイフを突き刺す。少し涙目になってるあたり、耳が痛い話なのだろう。
ついでに、変なものばかり作っているため、大人はともかく子供からは人気があるそうで。そういう意味でもこのあたりでは有名とのことだった。
そんな話をしていると、コホン、とひとつ、マーシャが咳払いをついてから、
「なにはともあれ、改めましてマリアです。みんなからはマーシャって呼ばれてるからそう呼んでもらえると嬉しいかな」
「俺の方からも。浩一です。マーシャさん、でいいのかな? よろしくお願いします」
浩一がそう言うと、マーシャはううむと難しい顔をして、なにか考え込む。
マーシャが浩一のことをじっと覗き込むので、いったいなにについてそんなに気にすることがあるのだろうか、と。彼が少しばかり緊張していると。
「うーむ、なんか、マーシャさんはしっくりこないなあ。とはいってもマーシャちゃんもなんか違う感じがするし。……それでいうとコーイチさんとか、コーイチくんもなんか違う感じがするんだよねぇ」
想像とは大きく外れ、その実呼び方について考えているだけだった。正直、少しくだらないと感じかけたが、言葉にはせず、飲み込んでおいた。
しばらくマーシャがアレコレと候補を挙げているのを浩一とアイリスが眺めていると、パッと顔を明るくさせる。どうやら、いいものが思いついたらしい。
「うん。これがいいや」
「それで、なんと呼べば?」
「おにーさんは、呼び捨てでマーシャって呼んで。それが一番しっくり来そう! あ、私はおにーさんのことおにーさんって呼ぶね?」
「……えっと、マーシャさんがいいなら、別にいいんですけど。兄妹では、ないですよね?」
「マーシャ! さんづけしなくていいの! それから丁寧な言葉遣いもいらないから。それからおにーさんはおにーさんだけど、兄ではないから問題はないよ!」
問題は、あるような気がするのだが。マーシャの展開する理論に若干ついていけていなかった浩一だが、おそらくこれはそういうものであり、無理に理解するほうが得策ではないと、そう解釈した。
つまりは、そういうものなのだと受け入れるしかない、と。
「……わかった。マーシャ、でいいんだな」
「うん! そうだよ、おにーさん」
マーシャがパアアッと顔を明るくさせる。どうやら、これで対応は合っていたらしい。
……が、妙な気配を感じて浩一が隣を確認してみると、どうしてだかものすごく不機嫌な表情のアイリスが、ブスっとした様子で浩一のことを見つめていた。
まるで、浩一になにかしらを抗議するかのように。
なんだ、どこで地雷を踏み抜いた!?
そんなことを思い返してみるが、当然浩一に心当たりはなく。アイリスの圧に慄いていると、
そんなことを気にせず、マーシャが浩一へと声をかけてくる。
「それで、私からはどんなご用事? って聞きたいところなんだけど、おにーさんのほうがまだなにか疑問がありそうだね?」
「……ああ、たしかにひとつ、聞きたいことがある」
ピコピコっと、マーシャはその耳を動かしながら、とうぞ? と言わんばかりに笑顔を向ける。
なにを隠そう、浩一が気になっているのは、その耳だ。
「その、マーシャのその耳についてなんだが」
「お、やっぱり珍しい? たしかに王都じゃあんまり人口いないけど、もしかして私が初めてかな?」
「そういえば、コーイチ様にはまだ説明していませんでしたね。マーシャちゃんはエルフなのですよ」
エルフ。物語やらなんやらで名前を聞くことはあったが、まさか本当に対面することがあるとは思っても見なかった。
「人間との友好種族のひとつですの。他にもドワーフなどいくつかありますが。マーシャちゃんのその耳はエルフの最たる特徴ですわね」
聞けば、ヴィンヘルム王国はいちおうは人間の興した国なのだが、それらの友好種族とは共栄という形で、原則分け隔てなく過ごしている、とのことらしい。
とはいえ、基本的にはそういった種族は文化形成の都合などもあり、それぞれの種族の集落を形成し、暮らすことのほうが多いらしく、マーシャのように単身で王都などで暮らしているのは珍しいとのことだが。
「さて、おにーさんの疑問が晴れたところで、こっちの質問だね。アイリちゃんがひとりで来ずにおにーさんを連れてきたってことは、今回私に用があるのはおにーさんでしょ?」
彼女はそう言いながら、首を横に傾げる。
「どんなご用事です? あっ、もしかして私の発明品に興味が!? ……なわけないですよねぇ」
「その発明品に興味があるんだが」
「うんうん。そうですよね。私の元を尋ねてくるってことは修理のご用事ですよね。さてはて、なにが壊れました?」
「だから、発明品に興味があるんだが。強いて言うなら、マーシャの耳が壊れてるが」
「はいはい、ええっと、私の耳が壊れてて、興味があるのは発明品。…………ええええっ!?」
驚きのあまり飛び上がり、そのまま後ろに倒れしまいそうになったマーシャの身体を、慌てて浩一が支える。
失礼しました、と。彼女はそう言って、パンパン、と服の裾を払ってから。
「えっと、本当に私の発明に興味が……? その、冷やかしなどではなく?」
「ああ、そのとおりだ」
「その、自分で言っちゃいますけど、アイリちゃんに言われたとおり変なもの……需要のないものばかり作ってますよ?」
「もちろん、それも聞いてる。むしろ、だからこそ見せて欲しい」
マーシャに向かって浩一がそう真っ直ぐに伝える。
驚きから、彼女はしばらくその場で呆然と立ち尽くし。その頬には、ツーッと一筋の涙が伝っていた。
「あっ、すまない。その、無理を言うつもりは」
「いえ、その。違うんです。この涙は悲しかったわけじゃなくて、嬉しくって……」
ゴシゴシと涙を拭ってから。ひとつ、思いを振り払い、彼女はどんと構えて。
「興味を惹いた理由については、ほんの少し複雑なところはありますが。しかし、それでも興味を持っていただけたのなら、ぜひとも見ていってもらいましょう!」
――私の発明品を。
そう言い放つマーシャの姿は、凛として、自信に満ち溢れていた。